第44話 「ごめんねー、遅くなって。」

 〇桐生院知花


「ごめんねー、遅くなって。」


「いえ…あたしは大丈夫ですけど…アズさん、お疲れなんじゃ…?」


「俺?全然大丈夫。」



 お昼前に…アズさんからLINEが来た。



『お疲れちゃーん。知花ちゃん、今日俺と話をする時間が取れちゃったりする?出来れば誰にも内緒で!!』


 それは、あたしから言い出したい事でもあった。

 だけどF'sのライヴは明後日。

 だから…ライヴが終わってからにしようか…どうしようか…って悩んでた。



『お疲れ様です。アズさんの都合のいい時間はいつですか?あたしは16時には上がれます。』


『あっ、16時いいねー!!じゃあ、二階の奥の会議室を取っとくから来てもらえる?』


『分かりました。』


『4649(スタンプ)』



 午後からミーティングがあって、16時前には解散になった。

 少し早いけど、二階の奥の会議室に行く事にした。


 …アズさんも、何か気付いてるんだ。

 千里の異変に。



「えーと…早速なんだけどさ…」


 アズさんは手にしてた紙袋から、ごそごそと何かを取り出して。


「とりあえず、食べながらでも。」


 テーブルの上に、エルワーズのプリンを取り出した。


「あ…」


 あたしも…トートバッグから、エルワーズのアップルパイと、ペットボトルのお茶を取り出す。


「あはは。気が合っちゃったね。」


「ほんと。」


 笑いながら、あたしはプリンをもらった。



「今日さ、ルームで神に抱き着かれた。」


 アズさんがそう切り出して…あたしはスプーンを口に入れたままアズさんを見つめた。


「俺と、いつから一緒だったかって聞いてさ…なんか、ちょっとズズーンって感じになってた。」


「…夕べも、アズさんといつから一緒にいたかって考えたら、頭の中が真っ白になるって言ってました。」


「んー…」


「昔…何かあったんですか?」


 あたしは…出会う前の千里の事、あまり知らない。

 五人兄弟で…意外と動物が好き…とか、そんな些細な情報しか…



「…神、年長の時に俺と同じ保育園に入って来てね。」


 アズさんが、頭をポリポリとかきながら言った。


「それこそノン君とサクちゃんみたいに、肩まで髪の毛伸ばしてさ…今じゃ信じられないかもしれないけど、めっちゃ可愛かったんだよ。」


「…へえ…」


 千里は、小さな頃の写真を見せてくれた事がない。

 実家からおじいさまの家に引っ越すときに失くした…って言って。

それでもそれを信じなかったあたしに、ようやく見せてくれたのは…中学生以降のアルバムだった。



「いつもニコニコしてて、みんなのアイドルって感じだったんだ。」


「…ニコニコ…」


 信じないわけじゃないけど…アズさんの記憶、正しいのかな?なんて思ってしまった。

 だって、千里がニコニコ…

 う…うーん…


「小学校に入って、一年と二年の時は同じクラスだったから良かったんだけど…三年になるとクラスが離れてね。」


 アズさんは、そこで一度大きくため息をついて…


「…神、三年の夏休み明けから…酷いイジメに遭ったんだよ…」


 暗い声で言った。


「………え?」


 すごく意外な言葉に、あたしはすぐに反応出来なかった。


 …イジメ…?


「神とクラスは離れたけど、休みの日はずっと一緒にいるぐらい仲が良かったからさ。三年の夏休みも、俺、頻繁に神のおじいさんちに通っちゃってたんだよね。」


 アズさんは、昔を思い出すかのように…首を傾げて、少し遠い目をした。


「だけどある日を境に…やたらと屋敷の周りに記者が張り付いてね。子供ながらにやばい事でもあるのかなって思ったら…篠田さんから『明日からしばらく来ないで欲しい』って言われてね。ショックだったなあ…」


「何が…あったんですか?」


「まあ、政治家には敵が多いからね。おじいさん、お金の事や女性関係の事で、かなり書かれたみたい。」


「……」


「そうしてると…神はおじいさんと高級クラブのママの子供じゃないかって記事が出たらしくてさ。」


「えっ。」


 初耳だった。

 確かにおじい様は…女好きだったけど…

 …ううん…

 そんな噂が出ても、仕方なかったかも。

 千里は…五人兄弟の中で、一人だけ…おじい様に溺愛されてた…って。

 千幸義兄さんから聞いたことがある。


「その事で、神…いじめられ始めたみたいでさ…」


「そんな事が…」


「だけど俺には何も言わなかった。ランドセルの中がゴミだらけだったり、シューズ隠されたり…靴も捨てられたりしてたのに…いつも耐えてた。」


「……」


 昔…華音と咲華が学校で色々言われて落ち込んだ時…

 千里、絶対行かないって言ってた参観日に行ってくれたっけ…

 もしかして、参観日に行きたがらなかったのも、学校にいい思い出がなかったから…?



「いじめられても学校休まなかったんだけど…10月の連休の後、しばらく登校しなくてね。」


「……」


「俺、心配になって学校の帰りに毎日寄ったんだけど、会わせてもらえなくて。」


「それは…病気か何かで?」


「んー…篠田さんは『ウイルス性の病気だから、会っちゃダメです』って。まあ、それも二週間で治ったみたいではあったんだけど…」


アズさんは、まるで『今でも納得してない』と言った風に、少しだけ唇を尖らせる。

ウイルス性の病気…?

何なんだろう…


「ただ、二週間学校を休んで登校してきた神は…」


「……」


「…ナイフみたいになってた。」


 …イジメられて…

 ウイルス性の病気で二週間休んで…

 その後…ナイフみたいになった…?


 二週間の間、千里に…


 何があったの…?




〇里中健太郎


「久しぶ」


「里中さん!!!!!」


 ここんとこF'sにかかりっきりだった俺は、久しぶりにオタク部屋に顔を出した。

 すると…


「里中さん里中さん里中さーーーん!!」


 部下たちが…一斉に俺に詰め寄って来た。


「…な…なんだよ…」


 つい後ずさりしてみんなを見渡すと。


「さっきまで!!」


「もう、自慢します!!」


「どれだけですか!!」


「里中さーーーん!!」


「ちょ…ちょっと待てよ…」


 みんな興奮状態で、何が何やら…


「何があった?誰かまとめて言ってくれ。」


 両手で場を鎮めるように言ってみると…


「……」


 みんなは一瞬顔を見合わせた後…


「さっき!!」


「どれだけ里中さんが!!」


「ここでの評価とは!!」


「もちろん僕達も!!」


「あんな風に!!」


 …一斉に喋り始めた。


「あー、待て。待て待て待て待て。」


 額に手を当てて、苦笑い。


 毎日部品しか相手にしていないからか?

 要点をまとめるとか、誰か一人だけが発言するとか…

 …そもそも、ここではみんな個々に仕事をするからか、チームリーダー的な存在がいない。


 ふむ…それはそれで、こういう時に困るな。



「…本間、何があった?」


 知花ちゃんに指摘されて以来、細心の注意を払って仕事をしている本間に問いかけると。

 周りは一瞬『自分じゃないのか』って残念そうな空気を醸し出した。

 …ここはこんなに自己主張の強い奴らの集まりだったのか…


 本間はゴクンゴクンと二度息を飲んで…


「…さっきまで…か…かか…神さんがここに…」


 緊張した顔と声で言った。


「え?神が?何しに。」


 思いがけない言葉にキョトンとする。


「里中さんが…いつもどんな仕事をされているか…聞かれて…作業台で解体してるアンプも見られて…」


「……」


 ポリポリと頭をかいて、首を傾げた。


 F'sは今日もスタジオで練習だった。

 ついさっきまで一緒にいたのに。

 俺には何も聞いて来なかったぞ。



 F'sはと言うと…

 昨日まであんなに怒鳴る事があったのに…今日は映に二度怒鳴るだけで済んだ。

 …さすが。と、思わされた。


 俺は今夜から会場のセッティングに入る。

 明日は午後から本番さながらのリハーサルをして…

 明後日は…いよいよ本番だ。



「なんだってそんな事聞きに来たんだろうな。」


 作業台に近付いて、みんなの仕事ぶりの結果をチェックする。

 アンプにスピーカーに…マイクに…うんうん、今日もいい分解具合だ。


「このナットはもっと浅い箱に入れとけよ。作り直すの大変だから。」


 ナットの入った箱を見ながら、背後にいるであろう部下たちに言うと。


「はい!!」


「……」


 な…なんだ?

 今までにない…景気のいい…返事…


 ゆっくり振り返ると、全員がキラキラした目で…俺を見てる。


「…神が来て…作業台を見て帰ったのが、そんなに刺激になったのか?」


 誰にともなくそう言うと。


「あの神さんが、里中さんの事を尊敬してるっておっしゃったんです!!僕達もみんな、里中さんの事、尊敬しま…してます!!」


「……」



 はあ…!?




〇桐生院知花


「おかえりなさい。」


 玄関のドアが開いて、あたしがそう言うと。


「…相変わらず耳がいいな。」


 一瞬、あたしの存在に驚いた千里は…笑顔になった。


「自分でごはん作ってくれって言ったのに、忘れてたでしょ。」


 千里を見上げながら言うと。


「忘れてねーよ。ただ、ここで待ち構えてるとは思わなかったから、驚いただけだ。」


 そう言いながら靴を脱いだ千里は。


「ただいま。」


 あたしの頭をポンポンとして…廊下を歩き始めた。


「……」


 ポンポンとされた頭に手を置いてみる。

 今までは…すぐにギュッとされて…首筋にキスとかされて…とにかく『濃厚』だったから…

 反対に、こういうさりげないの、すごくドキドキしちゃう。


…物足りなくも、感じてるけど…。



「里中さん、今日も厳しかった?」


 向かい合って『いただきます』をして、そう問いかけると。


「今日は映しか怒鳴られなかったな。」


 千里は汁椀を手に『そう言えば』みたいな顔で答えて。


「…美味い。」


 お味噌汁を一口飲んで…言ってくれた。


 …嬉しいな。


「里中は、耳もだが…全体の音を捉えるセンスに長けてるな。」


 …珍しい。

 千里が人を褒めてる。

 しかも里中さん。


 あたしがオタク部屋に通う事で、あまり里中さんにいい印象は持ってないかなって思ってた。

 だからこの前、里中さんから『神に呼び出されてマンションに行った』って聞いた時、すごく驚いた。


 …今日、里中さんに怒鳴られなかった…って事は、調子良かったのかな…?



「…知花。」


 食事を終えて、今日は千里に何かを言われる前に、あたしが洗い物を始めた。

 それも終えて…帰り支度…んー…もう少しここにいたいな…って思ってると…

 …抱きしめられた。


「…ん?」


「…どうも俺は…」


「うん…」


「9歳以前の記憶がないらしい。」


「………えっ?」


 驚いて、千里から離れた。


「…思い出せないんだ。」


「……」


 千里の腕を持ったまま、しばらく…見つめ合った。

 だけど…


「…思い出せないなら、そのままでもいいんじゃない?」


 あたしは…そっと千里の頬に触れる。


「何かあったのかも…って思うと、知りたくなるかもしれないけど…昔の事なんて、いいんじゃないかな。」


「……」


 あたしの言葉に千里は無言…

 伏し目がちになって…そして、ゆっくりと目を閉じて…

 まるで、今のあたしの言葉を自分に言い聞かせるみたいに、体の中でため息をついてるように思えた。


 …自分の過去だもん。

 知りたいって思うのは当然だよね…

 それを、知らなくていいって言い方して…悪かったかな…


「それに、頭のいい人は必要な情報を入れるために、昔の余計な事は忘れてくって聞いたことがあるよ?」


「…ふっ…俺はそんなに頭は良くない。」


 あ、笑ってくれた。


 …いいんだよ…千里。

 辛い過去なんて、思い出さなくても…いいんだよ…。

 何かキッカケがあって、あなたがナイフみたいな人になったんだとしても…

 あたしには、ちっともナイフなんかじゃなかった。



「…明後日…楽しみ…」


 千里の胸に顔を埋めてつぶやくと。


「…緊張して来た…」


 千里が…

 すごく、らしくない声で言った…。




〇神 千里


「……」


 知花を送るために車を出して…

 最初の信号で停まった瞬間、アームレストに肘を乗せてる俺の手を…知花が握った。


 …手を握られただけなのに、少し驚いて…瞬きを何度かしてしまった。


 あからさまに知花を見る事はせず、信号が青になってゆっくり発進すると同時に…

 手の平を返して…指を絡めた。


「……」


「……」


 思い出せないなら、そのままでいいんじゃないか。


 知花にそう言われた。

 それを聞いた時…俺は、知花は誰かから何かを聞いて知ってるんだと思った。

 その瞬間、何とも言えない感情が…俺の中に渦巻いた。


 …知花は、俺を思ってそう言ったんだ。

 分かってる。

 俺のために、なんだ。


 …だが…


 それは、知花が今まで俺に『して欲しかった』と訴えた事と、同じじゃないのか?

 なぜ話してくれない、なぜ教えてくれない、と…

 泣きながら俺に訴えた、あれと同じじゃないのか?


 知花は俺の事を知りたいと言った。

 それと同じように…俺も、自分の事が知りたい。

 それが…

 知花が俺を思って言わない何かだとしたら…余計気になる。



「明日は、ご飯どうする?」


 家が近付いて最後の信号で停まってると、知花が小声で言った。


「…明日は少し遅くなるからいい。」


「そっか…うん…分かった。」


「……」


「…千里?」


「……」


「…どうしたの?」


 はっ。


「あ…いや、なんでもない。」


 信号が青に変わって、ゆっくり発進する。

 …最近、気を抜くとこんな状態だ。

 記憶どうこうじゃなくて…

 脳の病気とか…精神が不安定なのか?

 …まあ、安定はしてないよな。



「…記憶の事、気になるの?」


 左折をすると、桐生院の屋敷が見えて来た。


「…気にならないと言えば嘘になる。」


「そう…だよね…」


 本当は…そんなもんじゃない。

 すごく気になってる。

 今すぐ、じーさんの家に行って…確かめたい事だらけだ。

 だが、今は…とにかく…


「モヤモヤしちゃうかもしれないけど…今はライヴに集中しなくちゃ。」


「…分かってる。」


「昔の事なんて…もしかしたら、いつか思い出すかもしれないし、記憶がないって言ってたけど、本当に普通に忘れてるだけかもしれないよ?」


「……」


 突然…黒い気持ちになった。

 知花はフォローしてくれてる。

 それだけだ。

 他意はない。


 そう思うのに…


「おまえに何が分かる。」


 気が付くと…俺は口にしてしまってた。


「…え…」


「ガキの頃、アズと一緒にいた事を思い出したいだけなのに、それが分からないんだぜ?」


「……」


「おまえは義母さんの腹ん中にいた時の事さえ覚えてるっつってたのに、俺は9歳の頃の事も覚えてねーなんて…」


 門の前で車を停める。


「俺は本当に神千里なのか?神家の人間なのか?って…自分が分からなくなるんだ。」


「千里…ごめん…そんなつもりで言ったんじゃない…」


 知花は両手で俺の腕にしがみついたが…


「…早く降りろ…」


 俺は…それをそっと外して、ハンドルに寄り掛かった。


「…このままだと…俺はもっと酷い事を言いそうだ…」


「……」


「頼む…降りてくれ…」


「…言ってよ…」


「…嫌だ。」


「言って。あたし、千里を受け止めた」


「頼むから!!」


「……」


 俺の剣幕に、知花は肩を揺らせて。


「…あたしには…何の力も価値もないの…?」


 小さな声でそう言った。


「……」


「千里と…分かり合いたいのに…」


「…じゃあ、おまえは誰かから聞いた何かを、どうして俺に言わない?」


「…っ…」


 あえて…知花の顔は見なかった。

 息を飲んだ時点で図星だと分かったが…それが本当だと思いたくなかったのかもしれない。


「誰に何を聞いた。千幸か?アズか?あいつらは俺の何を知ってた?」


「千里…」


「…頼む…これ以上俺が酷い事を言わないで済むよう…降りてくれ…」


 ハンドルに頭を乗せて…絞り出すような声でそう言うと。

 静かに…ドアが開いて。

 知花は無言で降りてドアを閉めた。



「……」






 バカか……俺は。

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