第43話 「え。」

 〇二階堂咲華


「え。」


 今夜は二階堂本家にお泊り…なんだけど…

 二階の海さんの部屋で寝てるリズの顔を見て、リビングに降りると…


「どうしたの…?おばあちゃま。」


 おばあちゃまがいた。


「遊びに来ちゃった♡」


「遊びに…って…こんな時間に?」


 時計の針は、とっくに九時を回ってる。


「…おじいちゃまは?」


「置いて来ちゃったー。」


「置いて来ちゃったー…って…」


 あたしはたくさん瞬きをして、海さんのご両親を見た。


「サクちゃんには?」


 お父様がそう言うと、おばあちゃまは首を横に振った。


 …何?

 どういう事?



「咲華、海さんは?」


「まだ仕事なの。」


「あら、そう…」


 おばあちゃまは少し考えてる風だったけど…


「咲華も二階堂の人間になった事だし、打ち明けなきゃね。」


 うんうんって頷きながら…そう言った。


「…何?」


 お母様があたしにもお茶を入れてくださって、あたしはおばあちゃまの隣に座って…

 何だか…ざわざわする気持ちを抑えられずにいた。

 するとそこに…


「あ、帰った。」


 お父様とおばあちゃまが同時にそう言って、お母さまが首をすくめる。

 その数秒後…


「ただいま。」


 海さんが帰って来た。


「おかえりなさい。」


 あたしは立ち上がって、海さんからジャケットを受け取る。


「こんばんはー。お邪魔してます。」


「あ…いらっしゃい。えーと…高原さんは?」


「置いて来ちゃったー。」


「あはは。」


 海さんは笑いながらあたしの腰を抱き寄せて。


「リズは?上?」


 小声で聞いた。


「うん。」


「ちょっと顔見て来る。」


「起こさないでよ~?」


「…自信ないな。」


「もうっ。」


「あ、ジャケット。咲華はここにいて。」


「あー…うん…」


 海さんがあたしからジャケットを受け取って、二階に上がって…

 本当なら、あたしもついて行くところだけど…


 …気になった。


 おばあちゃまが、何を話そうとしてるのか。



「咲華。」


「…はい。」


「あたしはね、二階堂の人間なの。」


「…………えっ?」


 あまりにもあっさりした告白に、あたしは口を開けた。

 だって…

 えっ?


「ここで…この二階堂の敷地で、生まれ育ったの。」


「……」


 それはー…

 信じられない…ううん…納得のいく話だった。

 誰よりも耳のいいおばあちゃま。

 みんなが驚くような事を、普通にしてのけるおばあちゃま。


「研修で渡米して、脱走して…」


「……脱走?」


「そ。シンガーになりたかったから。」


「……」


「その脱走中に、なっちゃんと出会って。」


「…えっと…て事は、お父様もお母様も…おばあちゃまの事、ご存知だったんですか?」


 あたしが二人に問いかけると。


「あたしがここに来た時は、もういらっしゃらなかったから…あたしは知らなかったわ。」


 お母様はそう言われて。

 お父様は…


「陸坊の結婚式の時、俺は分からなかった。周りはみんな、分かってたみたいだけどな。」


 首をすくめられた。


「…分からなかった?」


「そう。さくらさんに、記憶を消されてたから。」


「えへ。ごめんね。」


「……」


 記憶を…消されてた…?


「って…え…っ?」


 記憶を消すって…

 そんな事が出来るの!?



 それからは…お父様が話して下さった。


 二階堂で生まれ育ったおばあちゃまは、本当に…とても優秀で。

 何をやってもトップクラス。

 みんなの憧れだった…と。


 天真爛漫なのは、昔からだったみたいで。

 だから、当の本人は周りから憧れられてる事にも気付かずで。

 時には、上の人達の度肝を抜くような事を平気でやってのけて。


 実のところ…

 優秀なのに、褒められることより、叱られたり呆れられたりすることの方が多かった…とか…


 …おばあちゃまらし過ぎて…笑っちゃう…



「環の記憶が戻ってから、ずっとお話ししたいと思ってたんです。」


 お母様が笑顔でそう言われた。

 あたしから見ると、いつもクールな海さんのご両親。

 だけど…おばあちゃまを前に、二人とも…少し目がキラキラされてるような…


「色々聞いてみるといい。すごく刺激を受ける。」


「環は去年あっちで、色々話を聞かせていただいたんでしょう?」


「ああ。かなり面白かった。先代も、さくらさんのおかげで復調されたし…」


 その、お父様の言葉に。


「あ。」


 あたしは、つい…大きな『あ』を出してしまった。

 一斉に三人から見つめられて…


「あ…ご・ごめんなさい…」


 小さくなりながらも…


「だから…おじいさま、あの時『さくらの孫か』って、さらっとおっしゃったんですね…」


 いくら陸兄と麗姉が結婚したからって、あまり面識のないはずのおばあちゃまを『さくら』って呼び捨てにされた事…

 ずっと『???』って思ってた。

 あの時はどこかに引っ掛かっただけだったけど…後から後から、その引っ掛かってた事が気になり始めて。

 いつか…両親の事が落ち着いた頃にでも、聞いてみようかなあって思ってた事。


「…そ。あたし、昔…先代には、すごく助けてもらったから…」


 おばあちゃまが、すごくしみじみとそう言った。


「あ、織さんが赤ちゃんの時の写真、見せてもらった事あるのよ?」


「えっ?」


「まだ産まれたばかりの頃の写真。織さんと陸さん…すごく可愛かった。可愛いから…先代は、お二人とは一緒にいられないって…」


「…そんな事を…」


「あの頃の二階堂は、本当に…危険な現場に出る事が多かったし、命を狙われる事も普通にあったから…」


「……」



 まるで…あたしの知らない人のようだった。

 おばあちゃまが…まさか、あたしのおばあちゃまが、二階堂の人間で。

 命を懸けて戦う人達の中にいたなんて…


「…二階堂で夢を持ったのは、さくらさんが初めてだったって聞きました。」


 お母様が、少しだけ伏し目がちに言われた。


「んー…あたしには叶えられなかったけど、知花がすごいボーカリストになってくれたから…大満足っ。」


「え?おばあちゃまだって、すごいボーカリストじゃない。」


 あたしは、おばあちゃまの手を握って言う。


「咲華…」


「だって、あたし…身体が震えちゃったよ…母さんのバックボーカルもだけど…『If it's love』…最高に素敵な歌声だったもん。」


「……もうっ。可愛いんだからーっ。」


 おばあちゃまはあたしにギュッと抱き着くと。


「どうしよう。あたし、幸せ過ぎて…みんなに申し訳なくなっちゃう。」


 お父様とお母様に…真顔で言った。


「ふっ…あっ…すみません…笑って…」


 お父様は軽くふき出されたけど


「いいんですよ…さくらさんは、もっともっと幸せになってもいいんです。」


 とても…優しい顔でそうおっしゃった。

 何だか、あたしまで…胸がいっぱいになっちゃう…





 〇二階堂 海


「……」


 階段を下りたものの…リビングでの会話に入っていいものか悩んだ。


 …しまったな。

 俺が知ってたって、咲華にバレるよな。

 去年、向こうの本部に来てくれた事も話してるし…

 …でもまあ…

 事が事だけに、俺から話せないのも分かってくれるか…。



「海さん、そこにいるんでしょ?」


 さくらさんの声が聞こえて、誰に見られてるわけでもないが…目を細めてしまった。


「…すみません。入るタイミングを逃してしまって…」


 俺がそう言いながら咲華の隣に座ろうとすると…


「ねえ、海さん。おばあちゃまって、二階堂の人だったんですって。」


 咲華が少し興奮した様子で俺に言って。

 向かい側で両親が、咲華の向こう側ではさくらさんが。

 それぞれ目を細めて何とも言えない笑顔を見せた。


「はは…っ…悪いけど、俺は知ってた…」


 だよね~…って言われると思ってると…


「えっ!?そうなの!?」


「……」


 咲華の驚きぶりに、つい…座りかけてた腰が浮いたままになってしまった。

 本当に気付いてなかったのか?

 混乱…してたという事にしよう。



「…座っても?」


 腰を浮かせたまま咲華に問いかけると。


「ああっ!!ごっごごめんなさい!!座って座って!!」


 咲華は慌ててスペースを広く…しなくてもいいのに、広くしようとして。


「あたっ。」


 隣にいたさくらさんにぶち当たり…


「ああっ!!おばあちゃま!!ごめんなさいごめんなさい!!」


 ………


 か…可愛い…

 両親が目の前にいなければ…ギューッと抱きしめて嫌がられるほどキスするのに。


「咲華、落ち着いて。」


 咲華の背中に手を当ててポンポンとすると。


「あ…あ~…ほんとごめんなさい…騒々しくて…」


 両親にクスクスと笑われている事に気付いた咲華が、俺と両親を交互に見てうなだれた。



「ところで…」


 これが本題か。

 そう思わされる口調で、さくらさんが切り出した。


「うちの可愛い婿に、何があったのか…環さん、誰かから何か聞いてない?」


 うちの可愛い婿…


「え…おばあちゃま、それ…どういう事…?」


 咲華が驚いた顔でさくらさんを見る。


「…お気付きでしたか。」


 親父が真っ直ぐにさくらさんを見て言うと。


「あたしも経験したから。」


 さくらさんは、いつもの明るい表情は引っ込めて…


「千里さん、記憶を消されてるんじゃない?」


 …信じたくはないが…少し思い当たるような事を言った。



 〇東 圭司


「アズ。」


 まだルームに一人ぼっちだったんだけど、意外と早くに神が来て。


「おはよー…あれっ、今日なんかいい顔してる気がする。」


 俺が顔を近付けると…


 ぐいっ。


「えっ。」


 いきなり、肩を抱き寄せられて…そのままギュッて…


「なっななななな何っ?どーしたのかなっ…?」


 神に抱きしめられたまま、少し慌てて問いかけると…


「…俺ら、昔からずっと一緒だったよな…」


 思いがけない質問をされた。


「え…え?あ…ああ、うん…」


「ガキん頃からだよな。」


「うん…どしたー?」


「…何歳からだ?」


「……え?」


 …何歳から?


「えーと…6歳だったかな。」


「…幼稚舎か?」


「何言ってんの。俺ら桜花じゃなかったじゃん。『あおば保育園』だよ。」


「……」


 俺の肩に乗せてる神の頭が、少し重たくなった気がした。


 どーしたんだよー…

 いい顔して来たって思ったのに…

 ぐったりじゃん?



「…おまえ、あの頃の事…覚えてるか?」


「あの頃って?」


「…保育園から…初等…小学…小学校…」


 …どうしたんだろ。

 神…しどろもどろになってる。


「小学校も『あおば小学校』だよ。」


「……」


 神が何も言わなくなった。

 …なんで…急に?

 はっ…もしかして…何か…思い出したのかな…



 あれはー…遠い昔。

 まだ父さんが生きてた頃。



『圭司、おまえ…神千里君とは仲良しだよな』


『うん。それがどうかした?』


『好きか?』


『好きだよ?カッコいいし、優しいもん』


『その千里君が…悪い奴らに狙われてるとしたら、どうする?』


『えっ…そんな…助けるに決まってるじゃん!!』


『だな。さすが圭司。おまえは、千里君のヒーローになるんだ』


『ヒーローかあ~…えへへ。カッコいいなあ。』


『だが、ヒーローっていうのは周りに知られちゃいけないんだ』


『え~…?僕、頑張っても褒められないって事…?』


『圭司は千里君を守って褒められたいのか?友達だったら、守るのは当然の事じゃないのか?』


『…そう言われたらそうだけどさーあ…』


『千里君の事を、陰ながら支える。それこそ、本当のヒーローだ』


『……分かったよ。僕、こっそりヒーローになる!!』


『いいぞ、圭司』



 この辺の金持ちは、みんな桜花の幼稚舎に入るんだけど…

 神は年長の時に、俺が通ってる保育園に入った。

 当時すでに俺らとは品の違いがにじみ出てて…

 男である俺でさえ、神の見た目に夢中になったんだよ。


 今では信じられないかもしれないけど、小さい頃の神は、人懐っこくて笑顔が多くて…

 超、甘えん坊の可愛~い男の子だったんだ。

 それが変わったのは…



 …あの事件があってから…だ。

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