第42話 ほぼ無言だったけど

 〇桐生院知花


 ほぼ無言だったけど、全然…苦痛じゃない買い物をして…

 マンションに帰り着いてキッチンに立ってると、着替えて来た千里が隣に立った。


「…何か手伝う。」


「…練習、ハードだったんじゃない?いいよ。座ってて?」


「…手伝いたい。」


「……」


 千里…

 変わろうとしてくれてるんだ…

 もうすぐライヴで、あたしの事なんて構ってられないはずなのに…


 …はっ…

 もうすぐライヴ!!


「お願い…休んでて?もうすぐライヴだし…」


 あたしが包丁を手にしたまま言うと。


「…脅しか?」


 千里は目を細めた。


「あっ…ちち違う…ごめん…」


 慌てて包丁を置いて。


「…もうすぐライヴなのに…余計な気を使わせて…ごめんなさい…」


 あたしは…小さくお辞儀した。

 すると…


「…どうして謝る?」


 千里の低い声が…降って来た。


「だって…」


「……」


「……」


「…腹減った。」


「あ…うん…すぐ作るから、お願い…座ってて?」


 あたしが再びそう言うと、千里は少し間をおいて…ソファーに座った。



 それからあたしはダッシュで料理をして。

 やっぱり…今も違和感だけど、テーブルに向かい合ってお皿を並べた。



「……」


 並んだ料理を見て…千里が少し息を飲んだ気がした。

 あたしが作ったのは…リクエストされた、きんぴらごぼうと、ホウレン草の白和えと…サバの味噌煮と肉じゃが。


 初めて…千里に食べてもらった、あたしの料理。

 …覚えてるかな…


 どうしてこれを作りたくなったのかは分かんないけど…

 すごく好き嫌いが多いって聞いてた千里が、あの時、残さずに全部食べてくれた事。

 あたし達は…まだ偽装結婚をするっていう、同志な関係ってだけだったのに…

 すごく、嬉しかったのを覚えてる。



「いただきます。」


 千里がそう言って手を合わせた。


「…いただきます。」


 あたしも同じようにして…お箸を手にする。


「………」


 千里は静かに食べ始めて…口にしては目を閉じる…その繰り返し。

 元々千里は無口な方だし、うちで食事の時は…子供達が喋ってて、それを聞いてるだけ。

 だからこうして二人で食べると、当然…沈黙。


 だけど全然嫌じゃない。

 息も詰まらない。

 だって、この沈黙も…

 あたしと千里の時間だから。



「…美味い。」


 黙々と食べ進めてた千里が、すごくしみじみと言ってくれて…

 あたしは…


「あ…」


 胸がいっぱいになってしまった。


「ありがと…」


「…これが毎日食えてたのに、当たり前に思ってた俺がバカだったな。」


 千里は…ずっと、あたしと目を合わさない。

 それは仕方がない…って、分かってる。

 だけど…寂しかった。

 寂しかったし…

 そんな事を言わせた自分を責めたくなった。



 特にこれといった会話もないまま食事を終えて、あたしが洗い物をしようとすると…


「そこはいい。送るから帰れ。」


 千里が立ち上がって車のキーを手にした。


「え…でも…」


「作ってもらったんだ。洗い物ぐらいする。」


「……」


 洗い物して…

 このまま、一緒に桐生院に帰らない?

 そう言いたいけど…

 なぜか、千里には…そう言える隙がない気がした。


 でも…言いたい…

 ライヴ前だもん…

 家でのんびりできた方が…


 あたしが切り出そうと顔を上げると。


「もうしばらく、ここにいさせてくれって高原さんに頼もうと思ってる。」


 千里が…あたしの目を見て言った。


「…え…っ…」


「……」


「……」


 あたしが動揺したような表情を見せたのか…千里は小さくため息をつくと。


「帰りたくないとか、そういうんじゃないんだ。」


 あたしの手を取って…言った。


「思いがけず一人の時間が出来て…色々考える事が出来た。」


「……」


「それは、俺とおまえの事もそうだし…家族の事や、仕事の事だってそうだ。」


 すごく、ズキズキしてたけど…

 ちゃんと聞かなきゃ…と思って、あたしはうつむきそうになった顔を上げた。


「今までの俺は…ずっと色んな事に甘えてたと思う。」


「…甘えてた…?」


「ああ。思いのままに歌を書いて、好きなように歌って、家に帰れば大事な家族がいて、これ以上ない幸せだ。って勝手に思って来た。」


「……」


「なーんにも、苦労なんてしてねーんだよな…」


 千里の言葉に…あたしは、軽く唇を噛んだり…眉を少しひそめたりしてしまった。

 そんなあたしを見て、千里は『ふっ』て鼻で笑うと…そっと頬に手を当てて。


「おまえから離れたいって言われた時は、この世の終わりみたいな気がしたけどさ…結果良かったって思ってる。本当に色んな事を経験出来たし、バンドの面でも……」


 そこまで言うと…少し様子が変わった。


「…千里…?」


「……」


 何だか、目が…


「千里?どうしたの?」


 あたしは千里の頬に触れて、軽く叩いてみる。


「千里。ねえ、千里?」


 両手で頬を挟んで、少し強めに叩いてみると…


「…あ…悪い…ちょっと考え事した。」


 千里はパチパチと瞬きをして頭を振った。


「…考え事…?」


 そんな顔じゃなかった。


「…今、何考えてたの?」


「何って…」


「教えて。知りたいの。」


「……」


 あたしが胸元を強く掴んだせいか…

 千里は自分のそこを見下ろして、もう一度あたしを見て…


「アズと、いつからの付き合いだったかなー…とか。そういうのを考えると、なんか…真っ白になるっつーか。」


 そう言うと、苦笑いをしながら前髪をかきあげた。


「……」


 さっきの…目。

 あたしは、それを見た事がある気がした。


 …そうだ。

 聖を産んだ後の…母さん。

 産後鬱だ…って診断されたって言ってたけど…あれ、本当だったのかな。



「気にするな。疲れてるだけだ。おまえの飯食ったから、もう平気だ。」


 千里が遠慮がちにあたしを抱き寄せる。

 あたしは千里の背中に手を回して、ギュッと千里を抱きしめると…


「…ごめんね…千里…」


 千里の胸でつぶやいた。


「だから…どうして謝る。おまえは謝る必要なんてない。」


「だって…あたしの器が小さいせいで…」


「あ?何言ってんだ。俺と離れたいって思ったほどの事だぜ?」


 千里があたしの頭に唇を落とす。

 …久しぶりにそうされて…胸がいっぱいになった。


「おまえの器どうこうじゃない。日常になんの不満もないって思ってた俺に、気付きが足りなかっただけだ。」


「そんな…千里がそう思ってくれてたのは、あたしにとっては幸せな事だもん。」


「俺にとっては不名誉だ。自分の気持ちには満足でも、家族の想いまで気付こうとしなかった。」


「……」


「夫としても、父親としても失格だ。」


「……そんな事言わないで…」


 顔を上げて、千里を見る。

 すごく胸が痛かったけど…なぜか千里は…


「失格だが、気付かせてもらえた。これからは挽回するだけだ。」


 ほんのり笑顔で。

 その笑顔が…あたしにはもっと痛くて…


「あー…泣くな。」


 千里が、乱暴にあたしの目元をなぞる。


「だって…あたしが…」


「おまえは言いたい事言って、笑っててくれりゃいいんだよ。どんな知花でも、俺は大丈夫だから。」


「……」


「娘の幸せを反対しようとした、カッコ悪い父親だ…って、気付かせてくれたんだからな。」


 千里の胸に顔を埋めて、少しだけ泣いた。

 そんなあたしの頭を、千里は懐かしむかのように…撫でてくれた。


「…さ、送るから。」


「うん……」


 手を引かれて、玄関まで歩く。


「……」


 あたしが帰ることを渋ってしまってると、それに気付いたのか…


「明日の仕事は?」


 早口に聞かれた。


「…明日は…午後からミーティング。」


「何時まで。」


「…五時まで。」


 千里はあたしに背を向けて靴を履いて。


「…明日も、飯作りに来てくれないか?」


 小さな声で言った。


「…え?」


「無理ならいい。」


「…無理じゃないから…来る…」


「…分かった。」


「何時に帰る…?」


「八時ぐらいだと思う。」


 靴を履いて…隣に並ぶと。


「…やっぱ、おまえの作る飯はサイコーだ。」


 千里は恥ずかしそうに。


「ふっ…なんつーか…二人きりだと、あの頃の続きみたいだな。」


 あまり…見た事がないような、はにかんだ顔をした。




「んじゃーな。」


「うん。ありがとう。」


「…おやすみ。」


「…おやすみなさい。」


 桐生院の裏口には回らず、門の前であたしを降ろして…千里は帰って行った。

 あの頃の続きみたいだ…って言われて、それにはすごくドキドキしてしまったけど…

 こうして、家の外で別れるのは…おかしな感じ。


 …ううん。

 千里は変わろうとしてくれてるんだもん。

 あたしも、前向きに捉えなきゃ。



「ただいまー…」


 いつもは裏口から帰るのに、玄関から帰ったからか…


「おかえり。珍しいね、前からなんて。」


「……」


 耳のいい母さんが、待ち構えてた。



 千里と買い物に行く前に、家族のLINEグループに…『ごはん食べて帰ります。早く帰れる人、晩御飯よろしくね』って入れておいた。

 すると、華月が『あたしもう帰るから作るね』って書いてくれて…

『あたしは今日は、リズと二階堂の本家に泊まります』と咲華。

『俺遅くなるからいいや』と華音。

『俺八時過ぎに帰って食うー』と聖。

『あたしも六時頃には帰るから、華月を手伝う』って母さん。

 父さんは…

 ゼブラさんが『4649』ってカードを掲げてるスタンプ。


 …千里は、あえて何もしなかったみたい…



「ただいま…晩御飯…ごめんね?」


 靴を脱ぎながら言うと。


「大丈夫。華月と、お~いしいカレー作っちゃった。」


 母さんはあたしの腕を取って。


「…誰とごはんに行ってたの?」


 そこには他に誰もいないのに…耳元で言った。


「………千里に、ごはん作ってって言われて…」


「!!(きゃあ)!!」


 母さんは両手を頬にあてて、口には出さなかったけど口パクで悲鳴を上げた。


「えっ?えっ?それで?」


「…それでって?」


「こっちに戻る話とか。」


「…もうしばらく、あっちにいたいって。」


「……」


 あたしの言葉に、母さんは一瞬キョトンとしたけど。


「…千里さんが?」


 って、少し間抜けな顔をした。


「うん…千里が。」


「…ま、そっか…ライヴもあるし、集中していたいよね。」


 母さんは、うんうんって頷いて。


「さ、あっち行こ。咲華とリズちゃんいないから、寂しくって~。」


 あたしの腕に抱き着いた。


 …そうだ…


「母さん。」


 大部屋に向かう途中。

 あたしは、足を止めた。


「んっ?なあに?」


 腕を組んでるあたしの足が止まったもんだから、母さんは急ブレーキ。

 驚いた顔で、あたしを見てる。


「…聖を産んだ後、少し…調子悪くなったじゃない?」


「……」


 母さんは、またまたキョトンとして。


「聖を産んだ後…昔の事だな~…」


 って苦笑いした。


「んーと…うん。そうね。ちょっと調子悪かったかな。」


「あれって…精神的に何か辛かったの?」


 あたしが真顔で問いかけると、母さんはあたしを見つめ返した後。


「それは、今誰かにあの時のあたしと同じような事が起きてるから、聞いてるの?」


 少し首を傾げて言った。


 …するどい。


「…うん…実は…千里の様子が…」


「千里さん?」


 母さんは眉をひそめて何か考え事を始めて。

 だけど次の瞬間…


「ライヴ前だし、里中君のスパルタにやられてるからじゃない?」


 少し意地悪そうな笑顔になって、そう言った。


「…千里がスパルタにやられちゃうかなあ?」


 言い返すイメージの方が強いけど…


「まあ…環境が変わったから、そういう症状があっても不思議じゃないかもしれないけど、大丈夫だよ。きっと。」


「…でも…アズさんといつからの付き合いだったかって考えると…真っ白になるって言うの。」


「……へえ。」


「何だか…心配…」


 あたしと母さんが廊下で話してると。


「何そこでコソコソ話してんだよ。」


 大部屋から、聖が顔を覗かせて言った。


「あ、はいはーい。」


 母さんは元気良く返事をして。


「千里さんの事は心配かもしれないけど…大丈夫。きっと彼なら…色んな事、乗り越えてくれるよ。」


 母さんはそう言って、あたしの背中をポンポンと叩いた。


「…うん…」


 あたしは…あたしの出来る事をしよう。

 時間があれば、ごはんを作って…千里がしてほしい事で、あたしが出来る事なら…

 無理をしないって決めて、頑張ろう。

 二人でダメになるわけにはいかない。


 そして…

 もっと、千里を知らなきゃ…。


 母さんに引かれて大部屋に入ると、一斉に『おかえりー』と声をかけられた。


「…ただいま。」


 あたしは鞄を置いて手を洗うと、みんながそれぞれ何かをしてるのを見渡して…

 …そう言えば、今日のスーパーで会った『小田切』さんて、いい子だったなあ…って思い出した。


「華音。」


 お茶を入れて、華音の隣に座る。


「あ?」


「彼女いないの?」


「…なんで。」


 あ。

 声のトーンが変わった。


「ん?今日ねー、すごく感じのいい女の人に会ったの。華音と同じくらいの年の人かなって。」


「へー。どこで。」


「事務所の近くのスーパー。」


 あたしが華音と話してると。


「母さん『トミヨシ』に行ったの?」


 華月が…お茶を持って、あたしの隣に来た。


「え?ええ…」


「えー、何しに?いつも小々森さんの所でしか買わないのに。」


「…ちょっと、お昼に欲しい物があって…」


 少し、しどろもどろになってしまって。


「誰もお風呂入ってないの?あたし入って来ようかな。」


 お茶を持ったまま、立ち上がった。


 知られたくないわけじゃないけど…

 まだ、ゆっくり…

 ゆっくり、進みたい。


 シンクの前でお茶をすすりながら、ヒヤヒヤした気持ちを鎮めてると…


『…サンキュ』


『どーいたしまして』


 華音と華月が、小声でそう言ってるのが聞こえた。


「……」


 つまり…

 華音は、話を逸らしたかった…と。

 …なんだ。

 彼女いるならいるって、言えばいいじゃないー!!

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