第41話 目の前のランプが光って

 〇桐生院知花


 目の前のランプが光って、あたしは歌うのを止めて振り返った。


 今日は…『ぼっち部屋』って呼ばれてる個室のスタジオで、個人練習。

 もう随分歌った事のない古い曲も、おさらいするかのように歌い続けてた。



「お久しぶりです。」


 ドアを開けて言うと、久しぶりの里中さんは前髪をかきあげた。

 本当は、会わなくなって数日だけど…

 先月からかなりオタク部屋に通ってたあたしには、すごく久しぶりな気がした。


「集中してる時に悪いけど…ちょっといいかな。」


 里中さんが申し訳なさそうに…言った。


「あ、はい。もうそろそろやめなくちゃって思ってたので…」


 ヘッドフォンとマイクを片付けて、あたしはぼっち部屋を出る。


「そこのミーティングルームでもいい?」


「はい。」


「何か飲む?」


「いえ、あたしはこれを…」


 あたしが手にした水筒を見せると。


「ああ…いつもの特製ドリンク?」


 里中さんは苦笑いをした。


 あたしにとっては美味しいんだけど…

 里中さんは一口飲んで、この世の終わりのような顔をしたっけ。



「正直に言わせてもらっていいかな。」


 里中さんはルームに入って椅子に座ると、あたしの正面に座って…組んだ手をテーブルに置いて言った。


「はい…」


「ライヴまでに、神を家に戻してやってくれないかな。」


「……」


 つい…黙ってしまった。


「…ご存知だったんですね…」


「この前、神に呼び出されてマンションに行ったんだ。」


「千里に…?」


「ああ。ほぼ朝までセッションした。」


「……」


 それは…とても意外だったし、何だか嬉しいと思う自分がいた。

 千里、アズさんとか…みんな仲いいけど、うちに誰かを呼んで朝までセッションなんて事、なかったし。

 人を呼んでお酒を飲むことはあっても、元々千里は家で歌ったりギターを弾いたりする人じゃないから…



「今、F'sのスタジオに入ってるんだ。」


「…噂に聞きました。大御所相手にも容赦ないって。」


 あたしがズバリ言うと、里中さんは『そこかー…』って小さくつぶやいて、テーブルにゴンと頭をぶつけた。


「ぶっちゃけ…神、すげーよ。俺、もう演る方は終わったって思ってたし、やる気もなかったんだけど…」


「……」


「神の歌聴いてたら、うずうずした。ほんと、あいつの歌は…」


 里中さんは首を小さく横に振って、軽くため息と言うか…小さく息を吐いて。


「魂だな…って思う。」


 あたしの目を見て、言った。

 その…里中さんの目は、何だかキラキラしてて。

 ああ…里中さんをここまで言わせるなんて…千里の歌って、本物なんだな…って思った。



「それで…どうして…うちに?」


 あたしが少し小声で言うと。


「あいつ…歌は完璧なんだけど、どこか調子が悪いんじゃないかな。」


 思いがけない言葉。


「…え?」


「急に歌うの止めたりするんだ。それもー…ふっ…と瞬きを止めるっつーか…動きも止まってさ。」


「……」


「なんて言ったらいいんだろ。んー…とにかく、おかしいんだ。」


 今まで…千里にそんな事なんてなかった。

 もしかして…あたしのせい?

 毎日スタンプ送ってくれてたのに、返信しなかったし…

 それ以前に、ハッキリした理由も言わないまま一ヶ月も別居して…

 会いに行ったら行ったで…あんな別れ方したし…



「変な事聞くけどさ…」


 里中さんは、少しだけ前のめりになると。


「神…精神的に病んだ事、あるかな。」


「え…?」


「いや、何となく…知ってる人と症状が似てたから…」


「……」


 あたしは、あの日の事を思い出してた。


 5年前…おじいさまが亡くなられた。

 そして、その翌月…後を追われるように篠田さんも。

 お二人ともご高齢だったし、苦しまずに逝かれたのがせめてもの救いなのだけど…千里は、すごくショックを受けていた。


 あたしの前では泣かなかったけど…おじいさまのお屋敷で、一人…

 おじいさまがいつも座ってらした椅子に深く沈み込んで、夕空を見てる千里には…

 誰も声をかけられなかった。


 その悲しみも…その寂しさも…あたしは共有したかった。

 なのに…千里は、いつも一人でそれを抱えたまま、あたしには持たせてくれない。

 あたしは…千里の心の中に入りたいのに。



「知花ちゃん…?」


「あ…っ、すいません……なんていうか…五年前に、身内を立て続けに亡くして…あの時は少し、殻に閉じこもった感じではありました。」


「ああ…そうなんだ…んー…最近、それを思い出させるような出来事でもあったのかな。何か様子がおかしいんだよなあ…」


「……」



 それを聞いて…あたしは…

 初めて。

 すごく、後悔した。


 検査に引っ掛かった事、どうして言わなかった?って、千里は静かに怒ってた。

 あたし…自分でも、あの時は…『明日は普通に来るものじゃないのかもしれない』って思ったクセに…

 桐生院の父とおばあちゃまが亡くなった時も、あんなに悲しくて寂しい想いをしたのに。


 そして…

 おじいさまと篠田さんの死を、あれだけ悲しんでた千里を見てたのに。

 なのに…どうしてあたし、自分の勝手な想いで…千里に言わなかったの?

 まるで、千里の言ったように、千里が何も話してくれないから。って…それだけの理由みたいじゃない。


 …バカだ。

 あたし。



「…里中さん。」


「ん?」


「ありがとうございます。」


「……戻らせてくれる?」


 里中さんが、少し優しい顔になった。


 …あたしも、もうすぐ…この人に叱られる日が来る。

 ううん…

 叱らせない。


 あたしは…



「とりあえず…会います。」


 あたしがそう言うと、里中さんはホッとした顔になって。


「これで、F'sのライヴがますます楽しみになった。」


 両手を上に伸ばして言った。



 〇神 千里


「……」


 俺はー…スマホを手にして、しばらく立ち止まったままになった。

 …ロビーの真ん中で。


「邪魔だぜ。神。」


 こんな広いロビーなのに、なぜか俺の真後ろを歩いててぶつかった京介が、低い声で言った。


「……」


 無言で一歩左に寄ると、京介は斜に構えて。


「…んだよ、おまえはー…ここんとこ、しんきくせーな。」


 憎まれ口を叩いた。

 だが、今はそれに応える気はない。


 俺が無言でロビーの端にある椅子に向かうと。


「スルーかよ。」


 京介はしつこく言った。


「…明日に備えて帰って寝ろ。また里中に怒鳴られるぞ。」


 スマホを見たまま言うと。


「…うっせーな。ちくしょ。明日は文句言わせねー。」


 京介はブツブツとそんな事を言いながら、どこかに消えた。



 …知花から…スタンプが来た。

『めし食った?』っていう…よだれを垂らした猫のスタンプだ。

 俺がDeep Redのスタンプを買う時、うっかり開いて買ってしまった猫田風太郎のスタンプ。

 …使い勝手がいいから、ついシリーズも買ってしまった。

 知花も…持ってたのか?



「……」


 めし食った?なんて…知花には似合わない言葉だが…この猫は可愛い。


 俺はしばらく考えて。

『ごはん食べに行きたい(おごりで)』のスタンプを返した。

 この前早乙女に送ったら、すぐに応じてくれてくれたからか、このスタンプには効力がありそうな気がする。(まさかだよな)



 つい…必死でスマホを眺めてしまう。

 すぐにそれが既読になって…返事を期待してしまうと…

『ヒマなの?』っていうスタンプ…

 ヒマかと言われるとヒマじゃないが、知花と飯に行けるなら…


『ひまー(スタンプ)』


『マジすかー(スタンプ)』


『きょうはしごとかね?(スタンプ)』


『帰ります(スタンプ)』


『あと何分?(スタンプ)』


『いま出ました(スタンプ)』



「……」


 ガキか。俺は。

 そう思いながら…スマホを眺めながら少し優しい気持ちになってる自分がいた。



『まってるにゃー(スタンプ)』


 それを送ると、すぐには既読にならなかった。

 エレベーターに乗ってるのか。

 そう思うと…ソワソワしてしまって、座ってる場合じゃなくなった。


 立ち上がって、二階を見上げる。

 どうしようか。

 エスカレーターを駆け上がって、エレベーターホールまで行こうか。

 いや…そんな事して、また知花の負担にはなりたくない。

 ここは…落ち着いてここで待って…


 ロビーの中央まで歩きかけてたが、思い直して椅子に戻ろうとしたその瞬間…


 ######


 スマホが震えた。

 うつむいて手元を見ると…


『遅刻なう(スタンプ)』


「……」


 誰かにつかまったのか。

 これが高原さんだったりすると、家でも会うクセに…って言っちゃ悪いが…

 家でも会うクセに、長くなる。


 立ったまま少し考えて。


『いいよー(スタンプ)』


 それを返して、顔を上げようとした瞬間…


『お疲れー(スタンプ)』


 …ん?

 押し間違えたのか?


 俺が少し首を傾げて、突っ立ったままで次のスタンプを選んでると…


 ギュッ。


「…え。」


 ここはロビー。

 大勢の社員がいる。


「…お疲れー…」


 背中から…知花の小さな声。

 そして…俺の腰は、後ろから回された知花の両手で抱きしめられてる。



 …どーした…?

 公衆の面前だぞ?

 いいのかよ…

 おまえ、こういうのを俺がしたら…困った顔してたじゃねーか。

 家でやれ。って言われて『ほら…』って顔してさ…




 …くっそ嬉しいけどな。




 〇桐生院知花


「……」


「……」


 ど…

 どうしよう…


 勢いみたいな感じで…後ろから千里に抱き着いてしまったけど…

 …千里が無言。


 あたしも…恥ずかしくて離れられない。

 だって…

 絶対、みんな見てる!!

 あたしが千里に抱き着いてるの…みんな見てるよね!?


 さっきから…『あれ?神さんからじゃないんだ?』とか…『久しぶりにくっついてるの見る』とか…『わー珍しい…奥さんから抱き着いてる。』とか…


 聞こえちゃってるもん!!



 里中さんから千里の話を聞いて、あたし、このままじゃいけない。って…やっと気付いた。

 なんで…自分で気付けないのかな…

 本当、嫌になった。


 F'sの練習が終わる時間を、スタジオのボードで確認して。

 最近は終わったらすぐに帰るって知ってたから…エレベーターホールの柱に隠れるようにして…千里を待った。

 だけど、千里は京介さんと一緒で。

 しかも京介さんの機嫌があまり良くなさそうだったから、声をかけるの…ためらってしまった。


 柱の陰でスマホを開いた。

 千里から、毎日花のスタンプをもらってたのに…それにも返してなくて。

 だけど言葉が浮かばなくて。

 家族のLINEグループに千里が送って来る、猫のスタンプ。

 あたしも…買ってみた。

 そして…それを送ってみた。


『めしくった?』って…言葉はちょっと…あれだけど…

 目をキラキラさせて、よだれ流しちゃってる猫が…

 何だか、咲華みたいに思えちゃって。(咲華ごめん)


 すごくドキドキしたし、送った後はすごく緊張して気持ち悪くなりそうだったけど…

 千里から、すぐに返信があった。

『ごはん食べに行きたい(おごりで)』ってスタンプ。

 それを見て…何だか泣きそうになってしまった。


 あたしなんて、全然返信しなかったのに。

 千里…わけも分からず別居なんてさせられてるのに…

 怒ってないの…?



 時々ロビーを見下ろしてると、千里は端っこにある椅子に座ってて。

 優しい顔で…スマホを手にしてる。

 …唇を噛みしめてしまった。

 自分のバカさ加減に…本当…嫌気がさした。



「…お疲れ。」


 ふいに、千里が小さな声でそう言って…

 腰に回してるあたしの両手を…上からポンポンって…


「……うん。」


「…いいのか?みんな見てるぞ?」


 千里が首だけ振り返って、周りを見渡して言った。


「…恥ずかしい…」


「ふっ…何やってんだ。」


「……ごめん…あたし…」


「なんで謝る。」


「……」


「…飯食いに行こう。」


「…あたしの奢りで?」


「もちろん。」


「もうっ…」


 自然と…手を引かれて体が離れた。


「手は繋いだままでも?」


 千里が、照れくさそうに…あたしの顔は見ないままで言った。


「うん…」


「…何食いに行く。」


「…何がいいかな…」


 あたし達はまるで…

 初めてのデートのようにぎこちなくて。


「…おまえの飯が食いたい。」


「……」


 本当に…小さくつぶやいた千里の言葉に…


「…じゃあ…スーパー付き合って…」


 そう…答えるだけで、限界だった。

 あたしの震える声に、気付いた千里は。


「……しゃーねーな。」


 そう言って、体を軽くぶつけて…

 少し乱暴に、腕であたしの涙を拭いてくれた…。




「……」


「……」


 千里が住んでる父さんのマンションは、事務所の近くにある。

 だから、帰りに…その間にあるスーパーに寄り路したんだけど…


『…ねえ、あれって…F'sの神千里じゃない?』


『えっ?あっ…うわ~カゴ持ってる~』


『愛妻家で有名よね。でも見たくなかったかも…』


『そう?あたしは素敵だなって思うな~。あんな有名人でも奥さんの買い物に付き合うなんて、超素敵』


『そういえば…神千里の奥さんって…SHE'S-HE'Sのボーカルって…』


『えっ…何それ…どこ情報?』


『そうそう。あたしも聞いた。MUSIC WAVEでカノンが言ってたアレね?』


『あたしも聞いた。母がSHE'S-HE'Sのボーカルですって、衝撃発言』


『ええええ~?じゃ、これって…すごいツーショットじゃない?サインとか…』


『サインはさすがに…写真撮っちゃわない?』


『盗撮?』



 カゴを持って、あたしの隣にいてくれる千里に…聞こえてるかどうかわからないけど…あたしには、ずっと聞こえてる。

 スーパーに入ってからずっと、あたし達の少し後ろについて来てる…女子大生風な女の子達の、会話。


 華音がラジオ出演して、あたしの事を喋った。

 父さんからSHE'S-HE'Sの事を小出しにして行こうって言われたし…華音に罪はないんだけど…

 これって、千里にも影響…あるよね…


 分かってなかったわけじゃないけど…

 長年、あたしは素性を明かさずやって来れたから…



「……」


 野菜のコーナーで陳列に目を向けてた千里が、前髪をかきあげて顔を上げた。

 そのまま後ろを振り向いて何か言うのかな…って思ったところに…


「お客様、当店では写真撮影やサインをお求めになる行為は、固く禁じられています。」


 背後で、キリッとした声が聞こえた。


 二人で振り返ると…


「入口や店内にもそういった迷惑行為に関する掲示がありますが…」


 背の高い、長い髪の毛を後ろで一つ結びにした女性が、女の子達に説明してた。


「あ…あたし達は…」


「どうか、ルールをお守りください。」


 このお店の制服を着てる…ってことは、店員さん。

 その人の口調は丁寧なんだけど、言い返せない雰囲気に…女の子達はそそくさとお店を出て行った。


「…ありがとう。」


 千里が低い声でそう言って、あたしは少し驚いた。

 …気付いてたのかな…


「いえ、すべてのお客様が気持ちよく買い物できるよう、細心の注意を払っているだけです。」


 あたし達の方を向いて、軽く会釈しながらそう言った女性は…咲華ぐらいの年の人かな…

『小田切』ってネームをエプロンにつけてる。


 ここには…ビートランドの社員もよく来るから…

『サインのお願い禁止』は、そういう配慮もあるのかもしれない。


「それでは、引き続きお買い物をお楽しみください。」


「ありがとうございます。」


 あたしが小田切さんに頭を下げて言うと、小田切さんは柔らかく微笑んで歩いて行った。



「…きんぴらごぼうが食べたい。」


 小田切さんが去ってすぐ、千里が口を開いた。


「…他には?」


「白和えも。」


「…お魚とかお肉は?」


「任せる。」


「…分かった。」



 一緒に買い物だけでも…すごく嬉しいのに。

 リクエストまでしてくれた。


 もう…何だか…すごく嬉しいのに…


 …泣きそう。

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