第39話 「センって呼び始めたのは、織さんだ…って聞きました。」

 〇桐生院知花


「センって呼び始めたのは、織さんだ…って聞きました。」


「そ。あたしが呼び始めたの。うちの近くの公園で…若かったなあ。」


 どういうわけか…

 あたしは、陸ちゃんの双子のお姉さんである、二階堂 織さんと…

 ダックワーズを食べながら、話してる。


 F'sのブルーレイを見終えて…今はSHE'S-HE'S…

 織さんのリクエストで、見始めた。



「あたしは見た事ないんだけど、海はこっそり持ってるの。」


「え?映像を?」


「ええ。あたし達に悪いとでも思ってるのかな…センの事、表立って話すような事はなかった。」


「そうなんだ…」


「あ、でもね?今は連絡も取り合ったり…向こうでは一緒に飲んだりもしたみたい。」



 織さんは…桜花を中退した後、センと出会って…海さんを妊娠した。


 咲華と帰って来た海さんを、センは優しい目で見てた。

 咲華にも…『彼は優しいだろう?』って。

 きっと…センにとっても、自慢の息子なんだ…。



「環さん、織さんの護衛だった…って…」


「そうなの。だから全然恋愛対象になんてなるはずなかったのに…」


「何かキッカケが?」


「んー…」


 あたしなら上を見て考え込んでしまうと思うけど…

 織さんは、目を閉じて…唇を少し突き出すような感じで考えて。


「環だけは、あたしを甘やかさない。それに気付いた時…かな?」


 目を開けて、そう言った。


「…甘やかさない…?」


「二階堂を継ぐために、稽古や勉強の毎日。弱音を吐こうものなら、『お嬢さんの覚悟はそんなレベルですか』なーんてね。」


 …十代の女の子に…それはとても過酷な気がした。

 好きな人の赤ちゃんを妊娠して、だけどその人とは結ばれなくて…


「護衛の人と恋愛するのはNGだったんですか?」


「んー…たぶん父親はアメリカのFBIにいた男の人を婿養子に…って思ってたんじゃないかな。噂だけど、そんな話を聞いた事がある。」


「そうなんだ…」


 恋愛も自由にできないなんて…

 あたしなんて、偽装結婚の相手に本気になって…

 こんな大人になっても、好き過ぎる事に悩むなんて…


 …ああ…全然ダメだ…あたし…


「お見合いしろって父親に言われて、焦ったの。」


 織さんはリズちゃんの髪の毛をそっと撫でると。


「焦って…環に迫っちゃって。」


 首をすくめて笑った。


「…え?」


「部屋に行って、服を脱いだの。」


「……えっ。」


「すごく拒否されたけど…押しまくって。」


「……(ゴクリ)」


「なのに、環はアメリカで働きたいって…向こうに行っちゃって。」


「ええっ?」


「…苦しかった。」


「……」


 二階堂は…命を懸けた仕事をする人たちで…

 自分の気持ちをぶつけた後に、そんな風に動かれると…


「…今を知ってるのに…その時の織さんの気持ちを思うと…泣いちゃいそうです…」


 本当に。


 あたしが少しだけ涙ぐむと、織さんは小さく笑って。


「でも…その時、あたし妊娠したの。」


「…え?」


「空…長女。」


 空さん…

 光史の弟で、整形外科医のわっちゃんのお嫁さん。


「もちろん両親からは『誰の子だ』って問い詰められて…当たり前よね。相手が誰か言えないの、二度目だもん。」


「……」


 二度目…そっか…

 織さんは誰にも言わなかったけど…陸ちゃんはセンの存在を知ってたから…織さんの最初の妊娠の時、センの事殴ったって言ってたっけ…


「あの…」


「ん?」


「陸ちゃんがセンを殴った…って聞いたんですけど、環さんは?」


 話が逸れちゃうかなって思ったけど、聞きたいと思って問いかけると。


「陸がセンを殴った話は、どこから?」


 織さんは、目を細めて…少し笑いながら言った。


「あ…二人から…あたしが千里に内緒で出産するって決めた時に…」


「ああ…そっか…知花ちゃんもノン君達を産む時は、秘密だったんだっけ…」


 それはきっと、陸ちゃんから聞いたのかな…って思った。

 織さんと陸ちゃんは、本当に仲がいい。


「…陸はセンの事を殴ったクセに、環の時は協力的だった。たぶん…環が二階堂の人間だったからだと思う。」


「そうなんですか…それでも環さんはアメリカに?」


「ええ。もう…環の事はあきらめて、父親の言う通りお見合いして結婚しようって思った。そうすれば、お腹の子の父親が誰か…なんて聞かせずに済むと思って。」


「…環さんの子供って言っちゃダメだったんですか?」


「環は二階堂でもすごく期待されてた人なの。それでも…護衛だったんだものね。いくらあたしが押し倒したって言った所で、環の理性や二階堂に対する忠誠心は何なんだって言われちゃうの。」


「……」


 …あたしも千里に内緒で出産したから…気持ちは分かるけど…

 大きな組織を継ぐ立場でのそれは、とても…とても勇気も覚悟も必要だったはず。



「えっ…知花ちゃん…?」


 あたしの涙腺が崩壊したのを見て、織さんが驚かれた。


「だって……恋しただけなのに…」


「あっ…でも、でもね?結局は…空の命名式の日に、両親が見合いをしろって連れて来た相手が環で…もう、それからは幸せにまっしぐらだったの。」


 幸せにまっしぐらって聞いても…あたしの涙は止まらなかった。

 大好きな人の赤ちゃんが自分の中にいるのに…

 違う人と結婚するって決めて、出産した織さん。


 その10ヶ月の間…どんな気持ちで…?



 あたしは…渡米して妊娠が分かって、千里の赤ちゃんだと思うと嬉しくてたまらなかったけど…

 その反面、思い悩む事も多かった。

 とても…



「…知花ちゃん。」


 織さんは、立ち上がってあたしの隣に来ると。


「…どうして、離れてるの?」


 優しく…頭を撫でながら聞いてくれた。


「……」


「好きなら、一緒に居ればいいのに。」


「……」


 好きなら、一緒に…

 …うん。

 そうなんだけど…


「…あたし…本当に…鬱陶しいぐらい…彼の事が好きで…」


「うん…」


「嫌われたくないな…って思い始めて…」


「……」


「そう思う事で…自分を隠すようにもなったりして…」


 本当…バカ。


「だけど…健康診断で引っかかったり、咲華が志麻さんと別れて旅立ったりした時に…」


「……」


「違う自分でいるのは、ダメだ…って思って…」


 あたしがそう言って…うつむいた時だった。



 突然、織さんが…あたしを、ガシッと抱きしめた。




 〇二階堂 織


「違う自分でいるのは、ダメだ…って思って…」


 そう言った知花ちゃんを…あたしは、ガシッと抱きしめてしまった。


 違う自分…


 …解る…解るわ。


 あたしだって、本当は…本当は、ただ…普通の妻になりたかったなあ…って。

 気を抜くと、そう思ってしまう自分がいる。

 あたしは15の時にこっちに来て、自分が普通の境遇じゃいられない事を知った。

 ううん…自分で選んだ。

 陸に…あたしの大事な陸に、自由でいてほしくて。

 特に夢なんてないあたしはいいから、夢のある陸に夢を追って欲しくて。

 だから…あたしは二階堂を継いだ。


 だけど。

 環と恋をして、結婚して、二階堂を継いで。

 毎日誰かの命が懸かってると思うと、自分の想いなんて…たまに息抜き程度でしか思い返せない。


 環が好き。

 環とずっと一緒にいたい。

 抱きしめて欲しい。

 もっと、もっと抱きしめて欲しい。


 …そんな事を、ずっと心の片隅に隠しながら…

 気が付いたら、子供達も大きくなって…孫も出来た。

 あたしは、おばあちゃんになった。


 子供達も孫も可愛い。

 とても大事。

 だけど、自分がこれまで何をして来たのかを思い返すと…

 少しだけ泣きそうになる自分がいる。


 自分で選んだクセに。

 そう。

 自分で選んだクセに…何なの…?


 環は優しい。

 まるで、あたしの気持ちを見透かしてるかのように…

 一緒に眠れる夜は、あたしを抱きしめて…甘い言葉もささやいてくれる。

 なのに、あたしは欲張りで…

 そうされると嬉しいのに…

 翌朝離れるのが辛くて、泣いてしまいそうになる。


 こんな気持ち…異常なんだろうか。

 ずっとそう思ってた。

 親友でもある舞は、沙耶君とは同志のような夫婦で…

 愚痴は言わないけど、惚気も聞いた事がない。


 だからあたしも…まさかこの歳になっても、夫を好き過ぎて…なんて言えなくて。

 なんであたし、こんな境遇に…って…思わない事もない…


 …でも…



「…知花ちゃんの言ってる事、すごく解る…」


 あたしは…知花ちゃんを抱きしめたまま、言った。


 環から『友達になったらどうか』って言われた時は、嘘でしょ?って思ったけど。

 こんなに気が合うなんて。



「あたしも、本当は…って思う事たくさんあるから。」


「…織さんも…?」


 知花ちゃんは、涙声。


「うん…でもね?自分で選んだ道で、何か間違えたとして…」


「……」


「それはそれで、正解なんだって、あたしは思うのよ。」


 そう。

 結局…間違いなんてない。

 間違いだと思う事があったとしても…それは、正解でしかない。


 知花ちゃんと話してて、自分の事も振り返る事が出来た。

 陸の夢のために…って思ったけど、違う。

 あたし自身のための決断だった。

 環とずっと、命を懸けて仕事をするために。


 本当はもっと一緒にいたい。

 だけどそれは、居ようと思えばできる事。

 あたしに何かが足りなかっただけ。

 環への大きな想いを口にできなかったけど…それも…今となれば、言える相手が見つかった。



「知花ちゃんは、何が怖いの?」


「……」


 知花ちゃんは涙を拭きながら…ゆっくりとあたしから離れて。


「…あたし、本当はすごくズケズケと物を言う性格なのに…」


「うん。」


 それから彼女は…


 インターナショナルスクールと、この自宅で二面性を持ってしまった事。

 16で結婚した時は、旦那さんにはズケズケと言えていたのに…次第に、自分が我慢をすれば丸く収まる。と思う事で、言いたい事を飲み込み始めた事。

 旦那さんへの気持ちが大き過ぎて…これからメディアに出る事も本当はためらった事。

 離れていられるかどうか…って考えてるうちに、自分の事を何も話してくれない旦那さんへの不満が募って、『彼といない自分』がどうなるのか…試したくなった…


 もっともっと…それ以上。

 たくさんの事を話してくれた。



「…ごめんなさい…こんな事、織さんに話すなんて…」


「誰にも話せなかったんでしょ?辛かったわね。」


「つまらない事ですよね…」


「何言ってるの?大変な事よ?」


「……」


「確かに…何の理由も聞かされないままで別居が始まった旦那さんは、ちょっとかわいそうだけど…」


 あたしは小さく笑って。


「でも、大事な事はもちろんだけど、もっとこう…日常の小さな事?歩いてて見付けた何かの話とか、自分と一緒にいない時間に知り得た何かを話して欲しいって思うわよね。」


 言い切った。


「…織さんも…そう思いますか?」


「思う思う。でも男の人って、きっとそういうの…面倒なのよ。だから、こっちからあれこれ聞かなきゃって。」


「…鬱陶しがられるかなあ…って…」


「えーっ?そこは習慣付けるの。あたしもそうする。あたし達って仕事の話しかしないから…あーっ、ほんと…もっと普通の会話しなきゃ。」


 あたしがそう言って首を横に振ると、知花ちゃんは少し笑って。


「…とても大変なお仕事をされて…あ。」


 言ってる途中で、目を大きく開けて。


「帰って来た。」


 立ち上がった。


「え?」


「庭で声がしたから…」


「……」


 さすがー…さくらさんの娘。

 あたしには何も聞こえなかった。

 環には聞こえるんだろうけど…あたしは訓練しても、そこまで良くならなかった。



「おかえり、咲華。」


 長い廊下の先に見える玄関を見ると、知花ちゃんがそう言って咲華さんに抱き着いて。

 その後ろで笑顔になってる環と海がいた。


 あたしは環を腕組みをして眺めた。



 …環。


 あなた、あたしと知花ちゃんに…何かしたでしょ。

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