第38話 「もー。」
〇二階堂 環
「もー。」
目の前で
「ごめんごめん。」
「心がこもってない。」
織はしかめっ面で俺に近付くと…
「何時間待ったと思ってんのーっ。」
にぎにぎと、両手で俺の頬をつまんだ。
「あいててててて…」
「待ってたのに。」
「ごめんって。」
織の腰を抱き寄せて。
「明日、一緒に出掛けたい。」
耳元で言うと。
「…一緒に?」
織は小声で繰り返して…俺を見上げた。
「ああ。」
そんな織が可愛くて、頭をギュッと抱き寄せる。
「……本部でしょ。」
「違うよ。」
「……どこ?」
「桐生院さんとこ。」
「……」
パチ、パチ、と。
瞬きした織のまつ毛が頬に当たった。
「でも今…」
「さっき、プラチナで
「え?じゃあ…あちらに戻られたの?」
「いや、自分はいないけど、行けばいいって言われた。」
「…いいのかな…」
「外堀を埋める意味でも、行っていい気がする。」
別に…よその夫婦のこじれた関係修復に手を貸さなくてもいいのだろうが…とても、興味深い。
神 千里。
海の嫁さんの父親だからってだけじゃない。
プラチナに昔から出入りしていて…正宗さんが、俺に話していなかった人物。
誰からの依頼で…彼を視ていたのだろう。
「早乙女君も一緒だった。」
「え?三人で飲んだの?」
「ああ。」
「…楽しかった?」
「たぶん、織が思ってるよりずっと楽しかったな。」
「……」
織が無言になったもんだから、腕を緩めて顔を覗き込むと…
唇が、すごく尖ってる。
「…拗ねてる?」
「だって…あたし、すごく楽しそうって思ったのに…それよりずっと楽しかったって事でしょ?」
「ははっ。まあ…俺は
「そうよね…二階堂じゃない人との会話なんて、絶対刺激的。」
「……」
俺達は…秘密組織という事で、二階堂以外の人間とは付き合って来なかった。
だが、それももう崩していい体制だ。
長く続けて来た事だけに、慣れないかもしれないが…
「織。」
「…何?」
「桐生院知花さんと、友達になってみないか?」
「……」
織はキョトンとした顔で俺を見て。
「……」
首を傾げても…俺を見て。
「……」
反対側に首を傾げても…俺を見続けて。
「…友達って…?」
眉間にしわを寄せた。
「…舞と付き合うみたいに。」
「…舞と…って…」
「……」
…そうだった。
舞が二階堂に来るまでは…二人は本当に親友で、一緒に遊んだり他愛のない話で盛り上がったり…
そんな思春期を過ごしたはずだ。
舞がこっちに来て、甲斐さんの娘だと打ち明けてから数年は、それでも…買い物に行ったり一緒に海の面倒を見たりと楽しそうだったが…
それもいつの間にか、『同志』の会話が主になったようだった。
休みが合っても仕事の話ばかりをしている二人。
それはそれで…いいのだろうと思っていたが…
「織、二階堂って事で…色々捨ててしまった事があるだろ?」
織の前髪をかきあげながら言うと。
「捨てた事…?」
織は相変わらず…眉間にしわを寄せて俺を見た。
「…普通の事、だよ。」
「……」
「休みの日は仕事の話をしない。桐生院知花さんと友達になって、料理や子供たちの事、歌の…あ、歌は…いいか…」
「もうっ!!あたしが音痴だからって、歌の話はしなくていいってどういう事!?」
ポカポカと、織に叩かれる。
「あはは。ごめんごめん。余計な一言を。」
「環、お酒飲むと意地悪。」
「そうか?優しくしてるつもりなのに。」
頬を撫でて…唇を重ねる。
織は俺の背中に手を回すと。
「…あたし、
そう言って、自分から唇を重ねて来た。
〇二階堂 織
「突然お邪魔して申し訳ありません。」
あたしと環がそう言って頭を下げると。
「んばーっ!!きゃっ!!」
リズちゃんが…手を叩いて笑った。
「いえ…あの…」
桐生院知花さんは、玄関先で。
「あの…
とても、戸惑ってる様子。
そう。
今はリズちゃんと知花さんしかいない。
知ってて…やって来た。
「あ…それは失礼しました。あまりこちらにいる事がないので、つい私達の都合で決めてしまって…」
環が柔らかく笑いながらそう言うと。
「もうすぐ帰って来ると思うんですけど…あ、お上がり下さい。」
知花さんは、玄関の戸をを大きく開けてくれた。
「連絡もせずに、すみません。」
「お邪魔します。」
環と二人、そんな事を言いながら家の中に。
「
知花さんの心地いい声を聞きながら、廊下を歩く。
「そうですね…あの、お仏壇にお参りさせてもらってもいいですか?」
恐らく仏間があると思われる方角で足を止めて、知花さんの背中に問いかける。
すると、知花さんは驚いたように目を丸くして。
「あ…はい。ありがとうございます…」
向きを変えて、歩き始めた。
この家の主、桐生院貴司さんが亡くなられた時…あたしと環はイタリアにいた。
いくら陸の義理の父とは言え…二階堂は陸の結婚以降、外部との接触を極力控えたため、あたし達は桐生院家と一切付き合わなかった。
だから葬儀にも…あたし達は参列しなかった。
当時は志麻が咲華さんと交際していたから…志麻に任せたと言ってもいい。
それに…
ここには、二階堂が関わりたくない人物がいた。
…知花さんのお母様である…さくらさん。
元、二階堂の人間で…
彼女以上に優秀な人間は、今も…存在していないという噂。
あたしがさくらさんと二階堂の繋がりを知ったのは、二年前。
浩也さんに打ち明けられた。
「……」
お仏壇の前で、環と手を合わせた。
後ろでは、リズちゃんの可愛い声。
「ここは少し冷えるので…良かったら、あちらに。」
知花さんにそう言われて、あたし達は彼女について仏間を出る。
…彼女と面識がないわけじゃない。
陸がバンドを組んだって聞いた時に、メンバーの事は全部調べた…って言ったら聞こえが悪いけど。
あたしは二階堂を継いで、陸は二階堂を出る。
ずっと二人でいたあたしには、正直辛い決断だった。
だから…
陸が関わることは…知っておきたかった。
…特に女性メンバーに関しては。
桐生院知花さんは、うちにも来た事がある。
まだ彼女が高校生の時。
あたしのお腹には、空がいた。
まだ、二階堂を継ぐという事を…
重く受け止めていなかった頃。
〇二階堂咲華
「…あれ?」
あたしは家の門の前で、あんな人を見間違うはずがない。って人を見かけて…首を傾げた。
「こんにちは。」
「あ…え?あ、こんにちは……って、どうしてここに?」
それはー…海さんのお父様。
二階堂 環さん。
「そろそろ咲華さんが帰って来るかなと思って、出て来た。」
「……」
んん?
ちょっと意味が分かんないと思って、さっき傾げたのとは反対に首を傾げると。
「今から本部に行くと海に会えるよ。」
「えっ!?」
つい大きな声を出してしまって、慌てて手で口を押える。
「ははっ。この辺りは静かだね。」
お父様はクスクスと笑って。
「あと数日かかるはずだった現場を、夕べ終えたらしい。それで、ジェットで帰って来るそうだ。」
少し、辺りを見渡された。
「そうなんですか…でも今、母とリズだけなんで…」
そう。
今日は母さんだけがオフで、あたしは母さんにリズを見てもらってる間に、小々森商店さんに買い物に行ってきたんだけど…
うーん…
海さんに会いたい…
リズも連れて。
でも、母さんを置いては行けない気がする…
あたしが少し…少しだけ、眉間にしわを寄せると…
「このまま行かないかい?」
お父様は、口の前で人差し指を立てて言われた。
「…内緒で…って事ですか?」
あたしもそれを真似ながら言うと。
「うん。織を置いて来たから大丈夫。」
お父様は、ここからは見えないけど…うちを振り返ってそう言われた。
「………えっ?お母様、中にいらっしゃるんですか?」
事態を把握するのに時間がかかってしまって、お父様はいちいちそれにクスクスと笑われる。
…あたし、二階堂のトップの妻として…失格だよね…
「リズも会わせたいだろうけど、そろそろ昼寝の時間だし、まずは咲華さんが会ったらどうかな。」
「え?」
「今から一緒に本部に行くと、海に会える以外にもいい事があるかもしれないよ?」
「……」
お…お父様…
ずるい。
そんな事言われたら、あたしの好奇心は…
「…お豆腐…」
あたしが手にしたカゴの中には、お豆腐が四丁。
「大丈夫。本部にも冷蔵庫はあるから。」
「……」
それでもあたしが自分を見下ろしたりして、返事に悩んでると…
「俺も『サクちゃん』って呼ぼうかな。」
お父様が、笑顔で言われた。
「…え?」
俺も…って…?
「夕べ、お父さんと早乙女君と三人で飲んだんだよ。」
「…………」
あたしの口は、『あ』と『え』の間ぐらいの形で、大きく開いたまま言葉にならなかった。
お…お父様が、父さんと早乙女さんと…飲んだって…!!
「早乙女君が『サクちゃん』って呼んでるの聞いたら、ちょっと羨ましくなった。」
「あ…あ、早乙女さんには…本当、昔から可愛がっていただいてて…」
「お父さんの娘自慢も、なかなか聞き応えがあった。」
「やっ…やだ、父さんたら…」
恥ずかしくて頬を押さえる。
ここ数日はライヴ前って事で朝も早くに事務所に行くようになって、あたしとリズのマンション訪問は却下されてる。
…居なくても、何か料理して置いておきたいのに…
「さ、行こうか。」
お父様はそう言われて、あたしの手からカゴを取るとスタスタと歩き始めた。
あたしは…母さんの事が気になったものの…
「ほらほら、早くおいで。海も喜ぶよ。」
お父様のその言葉に…
「はーい。」
お豆腐の入ったカゴを持ったまま振り返るお父様に、ワクワクして駆け寄った。
リズ、ごめん!!
ママ、抜け駆けして来る!!
〇二階堂 海
現場を終えて報告書を書いて…そのまますぐ帰国した。
少し体が辛いが、咲華とリズに会いたい気持ちが勝った。
本部に報告をして桐生院に…と思っていると…
「海、おかえり。」
親父が………違和感のありすぎる、えんじ色のカゴを持って現れた。
「…それは?」
「ん?ああ、豆腐だな。」
「…買い物に?」
「冷蔵庫に入れておこう。それより、会議室へ。」
「…?」
何だ?と思いながら会議室のドアを開けると…
「海さんっ。」
「えっ。」
ドアを開けてすぐ…咲華に抱き着かれた。
「咲華…どうしてここに?」
「お父様が連れて来て下さったの。」
「あのカゴは咲華のか。」
「会いたかった。」
「……俺も。」
ドアを閉めて、咲華を抱きしめる。
あー……癒される。
「…リズは?」
抱きしめたまま問いかけると。
「それが…小々森さんに買い物に行って帰ったら、門の前にお父様がいらして…」
「そのままここまで連れてこられたのか?」
「ええ…お母様を置いて来たから大丈夫…って。」
「…ん?母さんを桐生院に置いて来たって事か?」
「そうなの。」
…それはー…
ちょっと、意外な気がした。
母さんは外の人間と付き合わない。
義母さんと面識がないわけじゃないと思うが…仕事以外の話をするのは、苦手な方だ。
と思う。
『入っていいか?』
ドアの外でノックが聞こえて。
「……」
俺は素早く咲華にキスをすると。
「何。」
ドアを開けた。
「……ぷっ…」
目の前の親父が、間抜けな顔で笑う。
何だよ。と思って振り返ると…
…咲華が…真っ赤になってる。
「ご…ごごごめんなさい…」
咲華は両手で顔を隠してうつむいたが、親父の笑いは止まらない。
「…二人きりにしてくれるんだと思ってたのに。」
俺が恨めしそうにそう言うと。
「ははっ。ごめんごめん。サクちゃん、ここを出て曲がった所に休憩室があるから、コーヒーを入れてくれるかな。」
親父が咲華に言った。
…サクちゃん?
「は…はい。行ってきます。」
咲華が会議室を出て、親父は入ってすぐの席に座ると。
「夕べ、早乙女君と神君と三人で飲んだ。」
足を組んで言った。
「…意外な組み合わせだな。」
親父の隣の椅子を引いて座る。
「プラチナに行ったら、二人がいたんだ。」
「…プラチナに?」
「神君は、昔から出入りしてたらしい。」
「……正宗さんは、なんて?」
あそこは、二階堂御用達の裏情報の集まる店。
そして、正宗さんは…二階堂の人間だ。
「視てもらったが、まだ報告はない。ただ…神君は…」
「……」
「噂以上にカッコいい男だな。」
そこか。と思うと、少し肩が下がった。
「俺が思うに…あの人は鎧を着てる。」
俺がそう言うと。
「それは感じた。着てると言うより、着せられたって所かな。」
「…正宗さんは何か視えたかな。」
「視えただろうし、何か知ってるはずだ。」
休憩室から咲華の足音。
「母さんを桐生院に置いて来たって?」
「ああ。」
親父はクスクス笑って。
「織に、女友達が出来たら面白いだろうなと思って。」
久しぶりに…こんな顔見た気がする。
「…共通点が?」
少し目を細めて言うと。
「夫を愛し過ぎる女。って所かな。」
親父は、俺の目がますます細くなるような事を言ってのけたが…
その頃、桐生院家では。
まさに、夫を愛し過ぎる女達が、その話題で盛り上がっていた…
らしい。
〇二階堂 織
「……」
「……」
「ばーっ。あっあっ。あーばっ。」
「ふふっ…リズちゃん、おしゃべり上手ね。」
「ほんとに。」
「ぶー。んっばーばっ。ぱっ。」
「……」
「……」
…環が…
『ちょっと電話をかけて来ます』って出掛けたまま…
帰って来ない。と思ってたら…
『海が帰って来たから本部に行って来る。また迎えに来るから』ってメール。
……嘘でしょ!?
「咲華…携帯置いて行ってるみたいで…」
知花さんが残念そうな顔でそう言って。
それにはあたしも…少し苦笑いになった。
美味しいお茶をいただいて、海と咲華さんの結婚についても少し話した。
だけど…もう話すことがない…!!
リズちゃんは可愛いけど、仰向けになって天井を見てるその目は…
…もう、眠そう。
どうしよう。
歩いて帰ろうかな…
環は外堀を埋めよう…なんて言ってたけど、あたし一人じゃ…そんなの無理。
「…ばー…んっ。」
ふいに、リズちゃんが振りかざした手がリモコンに当たって。
パッとテレビがついた。
「あっ…」
その大画面に映し出されたのは…
知花さんの旦那さん、神 千里さんの…歌う姿。
「あっ、あっ…ああっ…ごっごめんなさいっ…」
テレビを消そうと、必死な知花さん。
だけど慌てれば慌てるほど…リモコンは彼女の手を踊るように宙に浮いたり手に戻ったり…
最終的に、座布団の上にポトンと落ちた。
「んきゃっ!!」
そんな知花さんの様子がおかしかったのか、眠そうだったリズちゃんがパッチリと目を開けて笑った。
…ふふっ…
本当に天使みたい。
「…ごめんなさい…バタバタしちゃって…」
赤くなった知花さんがうつむいてテレビを消す。
「…ご主人と…別居中とか。」
「……」
「あ、ごめんなさい。立ち入った事…」
知花さんは小さく『いえ…』と言って、ニコニコになってるリズちゃんの手を握ると。
「…あたし…全然ダメなんです…」
そう言って、小さくため息をついた。
「…ダメ?」
あたしが首を傾げて問いかけると。
「…いつまで経っても…十代みたいな気持ちって言うか…彼の事が好き過ぎて…」
視線はリズちゃんに向けたまま、そう言った。
「……」
「自分だけが…こんなに好きなんじゃないかなって思ったりして…」
「……」
「いくら彼が愛情表現をしてくれても、それはもう生活の一部ってだけで…気持ちは入ってないんじゃないか…なんて、被害妄想もいい所なんですけど…」
「……」
「…あっ、ごめんなさい。こんな話…」
知花さんは、あたしが見つめてる事に気付いて顔を上げて。
「…別居の理由はそれだけじゃないんですけど…最大の理由はそんな…あたしのつまらない想いのせいで…彼はきっと理不尽だって思ってるはずだし、こんなあたしに呆れてるんじゃな」
「解る。」
「………え?」
気付いたら…あたしは彼女の言葉を遮ってた。
「…解るわ。あたしも…夫の事、大好きなの。」
「……」
「彼はいつまでも若くて…あたし達が生きてるのは裏の世界ではあるけど、女性がいないわけじゃない。そんな現場に彼だけが長く行ってしまうと…不安で…」
「…そんなの…あたしだったらモヤモヤしちゃう…」
「でしょう?だから、あたしはなるべく現場は一緒に行きたい。なのに…環は危険だから待ってろって…」
「危険だからこそ、一緒に居たいって気持ちなのに?」
「男にはわからないのかも。守りたいって気持ちは女にだってあるって事。」
「……」
「……」
それから…知花『ちゃん』は、テレビをつけて。
ご主人の歌う姿を見せてくれた。
陸の結婚式以降、あたしが彼を見たのは…テレビで数回。
親戚とは言っても、あたしの中では『向こう側』の人。
だけど…
「彼はいつも…みんなのものなんだなあって…」
テレビ画面に映るご主人に、まるで恋をしているファンのような目。
あたしはそんな知花ちゃんを見て。
環が戻って来るまで、どれぐらい時間があるんだろう…なんて思いながら。
「…このお菓子、いただいていい?」
ずっと手付かずだったダックワーズに手を伸ばした。
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