第37話 「お待たせいたしました。」

 〇二階堂 環


「お待たせいたしました。」


「ありがとう。」


 目の前に出されたオレンジジュースを一口飲む。


 …いつぶりだろう。

 これをオーダーするのは。


 二時間前、織と一緒に帰国して。

 本部に立ち寄った後、一人で『プラチナ』に出向いた。

 俺がいない間の裏情報を少し仕入れたいと思ったからだ。

『プラチナ』では、本部で知り得ない情報が手に入る。



 だが…店に来て驚いた。

 海が酔っぱらって結婚した女性、桐生院咲華さんの父親である、神千里氏が…海の実の父親である早乙女君と、カウンターで飲んでいたからだ。


 陸坊ちゃんが以前ここに来たと言うのは…耳に挟んだ。

 この店は、二階堂御用達だが…坊ちゃんはその存在を知らない。

 …形として…二階堂を『出た』人間と扱われているからだ。

 本部への出入りはされているものの、二階堂の者としてしか立ち入る事が出来ない場所には…入れない。

 その時は、神氏を始め…ビートランドの人間が数名訪れたとの事で、特に二階堂の者が来店しなかった日に、たまたまここに入ることが出来たのだろう。と思った。


 だが、神氏は言った。

『昔からここに来てる』と。

 俺は…一度も会った事はない。

 そこまで頻繁に来ていなかったのかもしれないが…

 ここに入るには、二階堂の誰かの紹介と…


「……」


 カウンターの中にいる、正宗さんの気分で決まる。


 それは…

 店の前にある監視カメラで、正宗さんによってその『人』を『視られる』のだ。


 まあ…ここに来ている客すべてを把握しているわけではないし…

 そこにたまたま神氏がいたとしても、別に構わないのだが…

 何となく、正宗さんらしくない気がした。


 坊ちゃんの義理の兄でもある神氏。

 いくら二階堂が外の人間と付き合わないと言っても、桐生院家と二階堂はそう遠くはない関係だ。

 海と咲華さんの結婚で、完璧に親戚になってしまった。

 …正宗さんにも、情報は入っていたはずなのに。



「海はまだ現場に?」


 神氏がそう言って俺を見る。

 海…

 ふっ。

 可愛がってもらっているようだ。


「三日後帰国する予定です。当日にならないと確定しない事が多いので、まだ咲華さんには伝えていないと思いますが。」


「そうか…じゃ、俺も聞かなかった事にしよう。」


「明日、ご自宅にお邪魔してもよろしいですか?」


「……」


 唐突に言ってみると、神氏の反応が思った以上に悪かった。

 そりゃそうか。

 今、神氏は…


「…俺はいないが、行くといい。」


 一人、家を出ている。


「リズのおしゃべりがたまらなく面白い。」


「そうなんですか?」


「本当に…可愛い。」


「……」


 神氏の向こう側で、早乙女君が複雑そうな顔をしている。

 そうか…

 まだこじれた夫婦関係は、修正出来てないのか…


 二人の別居を海と咲華さんはハッキリ言わなかったが、紅美から聞いた。



 …なぜか、紅美から。






 〇正宗


「オレンジジュースを。」


「かしこまりました。」


 私は…頭がオーダーされた言葉を聞いて、さりげなく眼鏡を外した。



 私がこの『プラチナ』で働き始めたのは、32年前。

 34歳の時だった。


 幼い頃から二階堂に尽力したく、必死で訓練に励み、十代後半からアメリカで現場に出始めた私には…致命的な欠点があった。

 それは…

 本来、見えるはずのない物が見えてしまう力。


 そう。

 私は、霊感が強かった。

 それが二階堂の者として働くには…大いに邪魔だった。


 その事で悩んでいた私に…先代は、この『プラチナ』のバーテンダーとしての任務を与えられた。

 銃を打ったり、誰かを追ったりする事だけが現場じゃない。

 ここも、また…現場だ、と。



 私のここでの任務は、表立った場所でやりとり出来ない情報交換をしに来る輩の監視や…何かに備えて使えそうな人材を見極める事。

 現場に出る事よりも簡単そうではあるが…人間観察は意外と労力が要る。

 日に何人もの色々な物を視る事になると…体力も集中力も相当必要だ。


 時には追跡任務も遂行。

 自らの手で捕獲はしなくとも…一般人に危険が及ばぬよう、限られた世界ではあっても、常に平和を守り続ける。


 ここは二階堂御用達ではあるが、重要人物からの紹介とあれば、常連になれる。

 ただし、私が認めない人物は入店出来ない。

 表の監視カメラで、それを見極めて…NG人物は少し離れた店の客引きに引き取らせる。



「お待たせいたしました。」


 オレンジジュースを頭の前に差し出す。


「ありがとう。」


「……」


 視線をゆっくりと…まずは…早乙女氏に。

 現在アメリカでトップに立たれておられる頭のご子息の、実の父親。

 私がお目にかかるのは…初めてだ。


 オレンジジュースは、霊視依頼。

 頭は恐らく、神氏だけを依頼されたと思うが…早乙女氏は、ただの私の好奇心で。

 何となく、視界の隅っこで頭が『なぜ早乙女君を視る?』といった様子で私を見つめてらっしゃるように思えたが…ここは私のお店ですので。

 視させていただきます。


 早乙女千寿氏。

 二階堂に関わりのある人物。

 いつか、ご来店いただければ…と思っていただけに。

 私の胸は若干高鳴りましたからね。


 頭、どうか邪魔な念は送らないで下さい。



 私は目を閉じると、脳裏に焼き付けた早乙女氏を視た。

 うっすらと穏やかな光を感じ取れる。

 この方は…とても精神の落ち着いた方だ。

 それに、多くの愛を持っていらっしゃる。

 それは決してあちこちに愛をばら撒くというわけではなく、誰にでも優しさを分け与え、その存在だけで癒す力も持たれている。


 きっと、この方の優しさに救われる方も多いのではないだろうか。


 何も知らないまま育ち、15の時にその存在はないものとされていたご両親に会い、さらにはヤクザと思わされていた家業が高等警察の秘密機関…

 陸坊は、強い精神の持ち主だったが…

 多感な時期の織お嬢さんが、どれだけ心をすり減らされた事か。


 そんなお嬢さんを癒し、強くしてくださったのは…この方だ。

 このような方が増えれば…

 世界も幸せに包まれるであろうに…



「…何かお作りいたしましょうか?」


 早乙女氏のお酒が少なくなったのを見計らって、声をかける。


「あ、ありがとうございます。じゃあ…」


「マスター、早乙女君のイメージで何か作ってみてくれないかな。」


 早乙女氏が何かリクエストしてくれそうだったのに…

 頭があまり見せない、目がなくなるほどの笑顔で言われた。

 …視た事を怒っておられるのですか?



「…では…」


 私は材料を並べ、早乙女氏をイメージしながら…


「こちら、ビトウィーン・ザ・シーツでございます。」


 私がカクテルを差し出すと、頭と神氏は口元に手を当ててふき出すのを我慢しておられる様子だった。


「…俺のイメージですか?」


 早乙女氏に聞かれ、私は少しだけ微笑んで。


「寝酒のような方だと思いましたので。」


 本心で言うと。


「ぶはっ!!早乙女が寝酒って!!」


 神氏はついにふき出し。


「…いや、俺は分かる気がします………ふっ…」


 分かると言ったはずの頭も…少し笑われた。


「寝酒…」


 早乙女氏はグラスを手に、少し目を丸くされたが…


「よく、花に例えたら…なんてありますけど、酒でイメージされたのは初めてです。俺と接した人が心地良く眠れるって、そんなイメージを持ってくださったんですか?嬉しいです。」


 そう言って、口にされた。


 …本当に、視た通りの人だ。

 穏やかで、柔らかい。

 そして…人を立てる事を知ってらっしゃる。



「本当は、イメージで作ってくれなんて言われるのは困るんだろう?」


 目の前で、神氏が笑いながら言われた。

 本来はそうでしょうが…私は視えてしまうがために、それも苦ではありません。

 とは言えないので、小さく笑っておいた。



「じゃあ、神さんのも。」


 早乙女氏がそう言われたが、神氏は。


「俺はいい。ギムレットが飲みたい。」


 …早乙女氏のリクエストを拒否された。

 無意識に、自分をイメージされるのを嫌われているのかもしれない。


「どうぞ。」


 ゆっくりと神氏にギムレットを差し出し、視線を向ける。

 一度顔を見て、それから視線を外して残像を眺めた。


 …悲しみ…喜び…怒り…苦しみ…

 ………孤独。


「……」


 つい、もう一度…神氏を見る。



 初めてお会いしたのは…私が24歳、氏が9歳の時だった。

 深く頭を下げて依頼された。


『どうしても視て欲しい人がいる』と。


 その時、私が視た彼…神千里君は、とても純粋で、優しくて…大変傷付いていらっしゃった…。


 依頼者は私の報告に…彼の記憶の一部を消して欲しいとも依頼してきた。



 彼との再会は、それから11年後。

 神氏は、通産大臣をされていた神幸作氏のお孫さん。

 初めて来店されたのは、二十歳になられてすぐの頃。

 ご友人の東氏と共に。

 彼を見守って欲しい。との依頼を受け、私が入店を許可した。


 それからの彼は、時には悲しみも持たれていたが、私が気に掛けるほどではない、むしろ幸せに溢れた感情だった。

 …このように、一度にたくさんの感情を溜め込んでおられるのは…



 危険だ。




「正宗さん。」


 神氏に名前を呼ばれて、驚いた。

 私は…この方に名前を言った事はない。


 ここは隠れ家。

 私もお客様の名前は聞かない事にしている。

 聞かなくても…分かるのだが。



「…私の名前を?」


 外していた眼鏡をかけ直して問いかけると。


「いつだったか…随分昔だが、誰かがそう呼んでいたような気がする。」


「……」


 頭がオレンジジュースを飲みながら、目元を綻ばせた気がした。

 …なぜほんのり微笑まれているのでしょうか?


「長年通ってるのに、オーダーしかした事がないな。」


「お忘れになられましたか?ご結婚された時や、子供さんとお会いになられた時、それから…息子さんがデビューされた時、たくさんお話しくださったじゃないですか。」


 私がそう答えながら、チーズを差し出すと。


「…そうだった。俺は飲み過ぎると忘れるんだ…」


 神氏は額に手を当ててうなだれた。


「ふっ…神さんらしい。」


 早乙女氏がグラスを片手に笑われる。



「…娘が結婚したんだ。」


 神氏は、グラスを揺らしながら。


「俺も…昔は無謀な結婚をした。だから娘が酔っぱらって結婚しようが、文句なんて言えやしないのに…。相手の男が誰だろうが、すぐに殴りかかる…悪い癖だ。」


 少し遠い目になった。


「…親になると、自分は棚上げだなー…って、俺も思いましたよ。」


 早乙女氏も隣でグラスを揺らしてそう言って。


「俺は…その時の感情で動いてしまって、色んな人を苦しめました。なのに、詩生が…あんな事になった時は、どんな理由があったかも聞かずに殴りましたからね…」


 後悔の色を見せた。


「…二人にそう言われると、俺も告白を?」


 意外な事に、頭がそう言って笑われた。

 頭にも…何かそのような事が?

 少し興味深く観察してしまうと、頭は一度目を閉じて。


「護衛の身なのに…理性無さ過ぎました。」


 そう言って目を開けた時には笑顔で。

 それを見た私は…なぜか少し胸に熱いものが込み上げた。


「そういう立場的なことを聞くと、あんたが一番アウトだな。」


 神氏に真顔でそう言われ、頭はとても驚いた顔をされ。

 それを見た早乙女氏が腹を抱えて笑われるという…とても…とても、いい瞬間に立ち会えた気がした。


 それからなぜか私も交えて…四人で乾杯となった。

 神氏はいつもより飲まれたように思うが、おそらく酔われてはいなかった。

 悲しみがそうさせたのか、寂しさがそうさせたのか。



「え。五日後にライヴですか。」


 頭が、『こんな所で飲んでいていいのか』と言った顔をされた。


「そ。世界に発信される。」


「俺、もう録画予約もしましたよ。」


「あ?来るんだろ?」


「行きますよ。でも何回も見たいので。」


「物好きだなー。」


「神さん、自分がどれだけ憧れられてるか、分かってませんね?」


「それを言ったらおまえもだろ。華音は酒を飲むと、おまえの話ばっかだ。」


「え。」


「そりゃあもう、軽く妬けるほどに。」


「……」


 早乙女氏は目を細めて苦笑いをし、墓穴を掘った事を後悔されているようだった。

 頭に助け船を求める視線を送られたが、頭は…

 頬杖をついて、私を真顔でご覧になっていた。


 そんな顔をして見つめられても…



 何も教えませんよ。

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