第34話 「じゃ、SHE'S-HE'Sのメディア進出は来春のフェス。それでいいな?」

 〇桐生院知花


「じゃ、SHE'S-HE'Sのメディア進出は来春のフェス。それでいいな?」


 メンバー全員揃っての会長室。

 父さんの言葉に、みんなは少し背筋を伸ばした。



 …家族には…上手く伝えられないままだけど…

 あたしは…強引に決断してしまった。


 メディアに出たら…きっと、今まで通りの生活じゃなくなる。

 この歳になって、それは無謀なのかもしれない。

 だけど…

 あの時、あたしが襲われた事でみんなが配慮してくれて、SHE'S-HE'Sは一切素性を明かさない体制での活動になった事。

 …本当はずっと気になってた。


 周年ライヴやイベントで、ビートランドの社員さん達の前ではライヴが出来る。

 みんなはそれで満足だ…って言ってくれてたけど…

 そんなわけない。



 いつまで?

 あたし達…いつまで…演っていられる?


 春に…健康診断で再検査って言われた時、真っ先にその事が浮かんだ。

 検査結果は大丈夫だったけど、家族の事よりも…先にバンドの事を考えてしまった自分に罪悪感を覚えた。

 そして…

 明日はどうか分からない。

 そう思い始めると、自分らしくいたいって…



 咲華が旅立ちたいって言った時、あたしは…行かせたくないって思いながらも、咲華が羨ましかった。

 そして、半ば強引に結婚した16歳の頃を思い出した。

 あの頃のあたしは…怒りに任せて学校を辞めたり、千里にぶつかったりしてたのに…


 いつから?

 いつから…こんなに『自分が我慢すれば』なんて…



 咲華が海さんと結婚して帰国して…二人の幸せを反対する千里と華音に腹が立った。

 あの日は、本当に…自分でもスッキリするほど自分だと思った。

 誰かのために謝るあたしじゃなくて。

 誰かのために頭を下げるあたしじゃなくて。

 守りたいもののために、強い目をしていられるあたし。

 想いを…ちゃんと言えるあたし。


 だけど…自分でも戸惑った。

 らしくありたい。と思うのに…周りの反応に惑わされる自分もいて。

 やっぱり受け入れられないよね…って、くじけたり…

 本当の自分なんて、存在しないんじゃ?って…

 毎日自問自答した。


 それに並行して…こんなあたしを、千里はどう思ってるんだろう…って。


 今も、ずっと…あたしの大事な人。

 おかしいんじゃないかって思ってしまうほど…好きっていう気持ちが止まらない。

 だからこそ…苦しかった。

 メディアに出るとしたら…あたしはまた、見えない千里にやきもきしてしまうんじゃないかって…


 千里がいくら頑張ってくれても、あたしはこれからの『初めて』に必死になって、ボーカリストと妻と母…どれもをやっていけるのか…

 不安に押しつぶされそうになった。



 難しく考え過ぎてる。

 分かる。

 分かるの。

 だけど…怖い。

 これ以上千里を好きになったら…

 あたしはまた、離れていたくない…って、歌うことを辞めてしまいたくなる。


 だから…離れた。


 だけど…

 何も…解決出来ない。


 離れてる事には慣れたけど…実際、想いは募ってる。



「知花、F'sのライヴはどこで見るの?」


 会長室を出て、ルームに戻る途中…聖子が小声で言った。


「…まだ何も…考えてない。」


「そっか。あたし、京介が緊張するから観に来てくれって言うのよね。」


「……」


「もうワールドツアーも経験済みなのに、相変わらず肝の座らない男。」


 聖子はそう言って唇を尖らせたけど…

 あたしに気を使って言ってくれてるのかな…って思った。

 一緒に観に行けばいいのかもしれないけど…

 歌ってる千里を見たら…あたし、きっと泣くほど好きになってしまう。

 今以上に。


 …本当…ダメだな…

 情けなくなっちゃう…



 ルームに入って、フェスに向けての選曲を始めてると…


 ###


 ポケットでスマホが揺れた。

 取り出してみると…

 千里から…カーネーションのスタンプ…


「……」


 昨日のスタンプの返信もしてない…

 だけど、どう返していいか分からない。


 それより…千里…

 花言葉、調べてるの…?


 カーネーションの花言葉…


 私の愛は生きている。


 …本当…?





 〇神 千里


「……今日もスルーか。」


 俺が小さくつぶやくと。


「え?何々?」


 アズがわざわざヘッドフォンを外してまで聞いてきた。


「なんでもねーよ。それより…映。」


「は…はいっ?」


「2コーラスめのBメロは、最初のとパターン変えてくれ。」


「えーと…少し音数増やした方がいいですか?」


「ああ。出来れば上がってく感じ…そう。それでいこう。」



 昨日、明後日までに二曲作る。とLINEしたが、あのまま勢いで朝までかかって二曲書いた。

 それをルームに置いて帰ったら、わけもなく早く来た三人は…早速取り掛かってくれてた。


 …ありがたい。



「めっちゃ壮大な曲だよねー。大サビの変調以降は、泣いちゃいそうだよ。」


 アズが譜面を見ながらそう言うと。


「あそこを際立たせるためにも、前半はアコギが良くないか?」


 京介が意見を出した。


「…なるほどな。」


 顎に手を当てて考える。


 今日は夕方からスタジオだが、それまでに入りたいと思ったものの…予約でいっぱい。

 ルームで新曲のアレンジを練ってるんだが…やっぱり音を出したい。


「あと一時間か…」


 時計を見て少しもどかしく感じてると…


「おーす。」


「元気かー?」


 ふいにドアが開いて、朝霧さんとナオトさんが入って来た。


「あ、お久しぶりです。」


 全員で立って挨拶をすると。


「聞いたで?」


 朝霧さんが、嬉しそうに俺の胸をパンチした。


「え?」


「来週末、ライヴなんやてな。」


「ああ…はい。」


 二人はアメリカの事務所に行ってて、向こうでその噂を聞きつけて戻って来た…と。


「新曲か?」


 ナオトさんが、テーブルに置いてある俺の書きなぐった譜面を見て言った。


「聞いてくださいよー。これ、夕べ作ったって言うんですよー?それを来週末やるって鬼ですよねー。」


 アズがナオトさんに泣きつく。


「は?まだ出来立てか?」


「はい。」


「ははー…おまえ、相変わらず無謀だな。」


 ナオトさんは少し呆れた顔で俺の肩に手を置いた。


「ま、安心して歌に専念せえや。」


 朝霧さんが、ナオトさんと反対側の肩に手を置く。


「…え?」


「ナッキーからお達しがあったんや。」


「そ。今回は千里をボーカルに専念させろって。」


「…は?」


「あー、ライヴ久しぶりやな~。」


「腕が鳴るぜ。」


「……」


 俺はアズと京介と映と顔を見合わせて。


「…って、お二人…」


 朝霧さんとナオトさんの顔を覗き込む。


「ああ、心配すんな。あくまでサポート要員やって。いっそ目立たんようやる。」


「そ。控えめに。」


 二人は肩を組んで、ウキウキした顔。


 …高原さん、色々勝手に決めてくれやがって…

 でもこれは…助かる。


 俺は二人に頭を下げて。


「…よろしくお願いします。」


 そう言って顔を上げて…


「新曲…6曲あるんで、早急に覚えてください。」


 口元を緩めて言った。


「…は!?6曲!?」


「そこの2曲やないんかい!!」


「これが先月から作りためた4曲です。」


 俺が二人に、すでに出来上がってた4曲の譜面を渡すと…


「……」


「……」


 二人は眉間にしわを寄せて。


「鬼か!!」


 同時に…そう叫んだ。



 〇神 千里


「……」


 俺は組んだ足の膝に頬杖をついて、その様子を眺めた。


 その様子。

 沙都がテレビ収録をしている様子だ。


 咲華が帰国した日に、沙都も帰国した。

 どうやら向こうでは、海とシェアハウスをしているらしい沙都。

 二人の結婚を知っていながら、秘密にしていただけならともかく…

 本人たちより先にうちに来て、殴られるサマを眺めてたという…


「…可愛い顔して、酷い事しやがる。」


 目を細めて独り言。



 そんな俺から少し離れた場所で、沙都のマネージャーで華音の友人の曽根という男が、少しビクビクしながらこっちを見ている。

 まあ、こいつが海が殴られる所を見ようと、沙都をたぶらかしたらしいしな。

 …沙都のマネージャーになって、世界を回ってくれてる事には感謝するが。

 それとこれは別だ。


 すべてを知ってて、さらには俺たちに内緒にして、うちに泊まりに来るなんざ…いい度胸だ。

 おまえ、ふざけんなよ。


 しばらく無言で見ていると、曽根は手にしてた手帳で顔を隠しながら後ずさりをしてどこかへに消えた。



「あ、神さん…お疲れ様です。」


 歌い終わった沙都が、俺を見つけて。


「聞きましたよ。来週末ライヴって。」


 ギターを手にしたまま、やって来た。


「…ああ。」


「滞在期間伸ばしてもらって良かった~。来週末なら僕も行ける!!と思って、チケットおさえちゃいました。」


「……」


 こいつは…

 いつまで経っても、可愛い奴だ。



 華音のバンドDANGERのベーシストだった沙都。

 アメリカでデビューを果たして帰国した途端…ソロの話が持ち上がって。

 ま、沙都に限ってそれはないよな…って誰もが思っていた所に…

 まさかの展開。

 沙都はソロで世界に出る事を夢見て…一人旅立った。


 瞳の腹違いの妹、グレイスによって見出された沙都のシンガーとしての魅力。

 それはあっと言う間に世界中に広がり、驚くほどの速さで沙都はスターダムにのし上がった。



 …あの決断を下した時は…朝霧も憤慨して殴ってたが。


『どうも沙都には、ついつい甘くしてしまいがちで…』


 なんて、ボヤいてる。

 …分かる気がする。



「沙都。」


「はい。」


 隣の椅子をポンポンとすると、沙都は少し笑顔になって。


「失礼します。」


 ギターを持ったまま座った。


「…おまえ、ラブソング書く時に、いつも何考えてる?」


「え?」


「基本、ラブソングしか歌ってねーよな。」


「あ…はい…でも失恋の歌も多いですけど…」


「全部実体験か?」


「……」


 俺の問いかけに、沙都はほんのりと胸を押さえた。


「そう…ですね。紅美ちゃんと過ごしてた楽しい時間の事とか…思い出を拾って書いてる事も多いし。失恋の歌詞も…自分で最悪だと思った日の事を思い出して、本音で書いてます。」


 沙都は昔から紅美にベッタリだった。

 なんなら二階堂の息子だと思われるぐらい、陸の家に入り浸りで。

『僕の紅美ちゃんが』なんて言いながら、紅美の事を付け回してた。


 そんな『僕の紅美ちゃん』と組んでたDANGERを脱退してまで、ソロになった沙都。

 世界中からの注目は得たが、紅美の気持ちは逃した。


 どちらが幸せかなんて…きっと、その時と今と後じゃ違う。



「…本音を書いて、相手を傷付ける事になるかもしれないと思っても、書くか?」


 俺の問いかけに、沙都は少し目を丸くして。


「僕は…偽りを書く方が傷付けるって思いました。」


 俺の目を、まっすぐに見て言った。


「ましてや…僕と紅美ちゃんの間には、終わっても偽りは欲しくないって思ってたし…きっと紅美ちゃんもそう思ってくれるって…」


「おまえの勝手な想いじゃなくて、紅美もそう言ったか?」


「…別れた時の辛さを書いた曲を出した後、紅美ちゃんからメールが来たんです。」


 沙都は小さく笑うと…

 次の収録のセットが始まったスタジオを眺めながら。


「ちゃんと見ててくれて、ありがとう。って。それと、嘘つかないでくれて、ありがとうって。」


 少し…嬉しそうな顔で言った。

 そんな沙都の横顔を見て…尊敬した。



 まだ新曲の歌詞が出来ていない。

 少し…行き詰ってる。

 俺の気持ちは変わらないとしても、ずっと自分を押し付けて来た俺に…本音を書く資格はあるのだろうか。


 今までのラブソングは、全部知花に書いて来た。

 でも、今思えば…それも全てきれいごとだったように思えて仕方ない。



「僕、思うんですけど…」


 相変わらず、セットの転換を見ながら沙都が言った。


「ラブソングって、自分の恋愛観を見つめ直させてくれる…自分のための歌でもあるなあって。」


「……」


「そう思ってからは、より自分の本音に近い言葉を並べるようになりました。」


 だから…か。

 だから、沙都の歌詞は世界中で共感を得る。

 自分の奥底にもあるかもしれない。

 いや、存在してる。

 そんな気持ちを…ストレートに書いて、みんなにそれを思い起こさせる。


 それを思うと…

 今までの俺の歌詞は、本音であっても薄っぺらだ。


 それが売れてたのは、受け入れられてたわけじゃない。

 ただのネームバリューだ。


 …何勘違いしてんだ…俺は。



「…勉強になった。」


 俺はそう言って立ち上がると、沙都に右手を差し出した。


「…え?」


「おまえが世界から愛されるのが分かる。」


「……え…か…神さん?」


 沙都は座ったまま俺を見上げて、その顔はみるみる赤くなっていった。


「ぼ…僕なんか…まだ…その、ペーペーで…」


「そのペーペーに思い知らされたし…救われた。サンキュ。」


「……」


 沙都は無言で立ち上がって、俺の手を両手で握り返すと。


「…少し…自信がつきました…僕こそ、ありがとうございます…」


 深く頭を下げた。



 …さあ、書くか。







「いや、神がLINEとか…マジで笑った。」


「うるせー。おまえだって同じスタンプしか送ってこねークセに。」


「いいおっさんが二人して、スタンプの交換しかしないって…」


「おまえが文字打てば俺も打つ。」


「なんだそれ。」


 里中との社食も、気付けば習慣のようになっていて。

 聞けば、SHE'S-HE'Sの体制が変わる事で、知花はオタク部屋に通えなくなったらしい。


 …ま、忙しいよな。

 来春のフェスに出るなら、もう準備を始めてないと。

 あいつら、音へのこだわりすげーし。

 それに伴って、里中も音響現場に入る事が増えた。

 オタク部屋にも顔を出したりもするんだろうが…最近は小さな現場にも出向いて卓についている。



 SHE'S-HE'Sのプロデューサーで、エンジニアも兼ねてる里中は、奴らのフェスに合わせて動かなきゃいけねーから…ますますオタク部屋が遠のくはず。

 それが少しストレスなのかどうか。

 ここ数日、里中がちょいちょい『昼飯』ってスタンプを送って来る。


 時間が合えば『それでは後ほど』って猫のスタンプを返すが、ダメな時は朝霧さんが両手で×印をしてる『NG!!』を返す。



「F'sはスタンプ作らないのか?」


「ぶっ…売れるかそんなの…」


「俺は売れると思うけどなあ。神の『もう来るな』とか『やる気あんのか』とか『やめてしまえ』とか…」


「…使い道あんのかよ…」


「…確かに。却下。」



 今日はカツカレー。

 サラダ付き。

 社食はあまり和食がない。

 知花の料理が恋しい。



「ライヴまでカウントダウンだな。」


「決まった日からカウントダウンだ。」


「ははっ、確かに。」


「あのジジイ…力を見せ付けやがる。」


「……ほんとにな。」



 本当に。

 この短期間で、ホールを抑えてスタッフを集めて、世界中継する手段を…誰が組めるか。

 急な企画でもスタッフが動きやすいよう…それぞれに細かい指示を出す。

 昔から、思い立って何かを始める人だった。

 俺の憧れの存在。


 こんな仕事をされるたびに…自分じゃ追い付けないと自覚させられる。



「…里中。」


「ん?」


「ちょっと相談に乗って欲しい。」


「あ?俺に?」


「今回のライヴの卓、おまえがしてくれるんだよな?」


「ああ。遅くなったけど、明日からスタジオも入る。」


「そうか…じゃ、明日のスタジオで意見聞かせてくれ。」


「分かった…って、何の。」


「…ライヴが終わったら、レコーディングしようと思ってる。」


「ああ…」


「楽曲によってプロデューサーを変えようと思って。」


「………」


「曲の雰囲気もかなり変わっちまうかもしれねーけど。」


「……」


「それも面白いかなーって思って。」


「……はあ?」



 里中は今まで見た事のないほどのしかめっ面をして。


「アルバムのコンセプト、まとまらないだろ。」


『ないない』とでも言いたそうな口調で言った。


「でも、そういうアルバムが今までなかったわけじゃない。」


「それはそうだけど…F'sはちゃんとコンセプトがあって、それでもダイナミックなまとまり感のあるアルバムばかりじゃねーか…それをなんでわざわざ…」


 里中は半ば呆れ顔。


「…ダイナミックなまとまり感な…」


 俺はスプーンを置いて足を組むと。


「…まとまりのない物を作りたくなった。」


 里中を見て言った。


「……ポカーン。だ。」


「だろうな。」



 いちいちプロデューサーもエンジニアも変えて作ったアルバムを、何作か聴いてみた。

 違うはずなのに…まとまっていて、それも面白くはなかった。

 いいアルバムだとは思うが、俺が目指したい物とは違う。


 メンバーに話すと、三人とも『新しい。やってみよう』と乗り気になってくれた。

 …いい加減にバカばかりで助かる。



「…ま、言い出したら止めないのが神だよな…」


 里中は額に手を当てて考えていたが。


「でも、プロデューサーの人選が楽しみだな。」


 次の瞬間には…笑顔だった。


「おまえにも頼む。」


「はっ?」


「これF'sかよ。って言われるようなやつ、頼む。」


「……」


 せっかく笑顔になってた里中は、俺の言葉に『ずずーん』と音がしそうな顔になって。


「おまえ…ほんっと、鬼…」


 テーブルに突っ伏した。

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