第32話 「神ーっ!!神っ!!」

 〇神 千里


「神ーっ!!神っ!!」


「……」


 事務所に行くと、二階のエスカレーターを上がったところから…アズが大声で俺を呼んだ。


 …つーか…

 落ちるぞ。

 身を乗り出すな。身を。


「すごいラブコールですね。」


 声がして振り向くと、早乙女がいた。

 アズを見て笑いながら手を振る早乙女。


「……」


「…えっ…!?」


 何となく、らしくない事がしたくて。

 アズが見てるのを知っていながら…早乙女を抱きしめた。

 とは言っても、早乙女の方が少し背が高い。

 俺が『抱き着いた』形になった。


「か…神ーーーーーっ!!」


 アズは上りのエスカレーターに乗って躓いて、慌てて降りる方を駆け下りてきた。


 …全く…

 朝からうるさいっつーの。



「か…かか神さん…っ?」


 俺の耳元では、早乙女の動揺した声。

 耳元に口を近付けて。


「なんだ。男と抱き合ったことはないのか。」


 ささやいてみた。


「なっ…ないですよ!!」


「そうか。俺はある。」


「えっ!?」


 朝霧と。

 心の中でそう言いながら、早乙女から離れた。


「もー!!何やってんだよーっ!!」


 早乙女から離れた所に、アズが突進したまま俺を抱きしめに来て。


「うわっ!!」


 早乙女までがとばっちりを受けた。


 …ああ、こいつとは、しょっちゅう抱き合ってんだっけな。

 つーか、ほんと…よく抱き着いて来るよな。



「何やってんだはおまえは。早乙女にケガさせたらどうするつもりだ?」


 俺がアズの額をパチンと叩いて言うと。


「あたっ!!あっ、あ…そそそそっか…ごめん、早乙女君!!」


 アズは早乙女にペコペコと頭を下げた。


「い…いえ、大丈夫ですけど…アズさんこそ、大丈夫ですか?」


 早乙女にそう言われて…そう言えば。と思った。

 いつものんきなアズが、全力疾走。

 俺が早乙女に抱き着いたぐらいで、そうはならない。

 …妬いて、張り合うことはあるだろうけど。



「何かあったのか?」


 相変わらず俺に張り付いたままのアズを、バリバリと引き剥がしながら問いかけると。


「あっそそそそう!!大変なんだよー!!」


 アズは俺の両肩に手をかけて。


「ライヴが決まった!!」


 普段から大きな目を、ますます見開いて言った。


「…誰の。」


「誰のって!!F'sの!!」


「……」


 つい…早乙女を振り返る。

 てっきり…SHE'S-HE'Sの話かと…


「あー…今朝、知花から…打ち明けたって連絡もらいました。」


 俺の視線で何か気付いたのか、早乙女は少し小声でそう言った。

 それを聞いたアズが…


「あっ、もしかしてメディアに出る話?」


 また俺に抱き着いて…俺の肩越しに早乙女に言った。


「…おまえは、いつ瞳から聞いた?」


「え?夕べ。」


「…で?」


「で?って?」


「賛成か?」


「え?神、反対なの?」


「反対する理由がない。」


「でしょー?ちょっとすっごい楽しみなんだけど。」


 最後の方は早乙女に言ってるようで、アズはしばらくそんな体勢のままでペラペラと喋ってたが…


「それで…F'sのライヴは…?」


 早乙女のその一言で。


「あっ!!そうだよ!!」


 我に返った。


「大変だよ!!15日だってさ!!」


「いつの。」


「今月の!!」


「……」


 つい…早乙女を見る。

 すると早乙女は丸い眼鏡をかけ直しながら。


「…来週末…ですね…」


 苦笑いした。


「しかも、世界に生中継するって!!」


「……」


「……」


「新曲で攻めろって言われたよー!!まだ合わせてもないのにさー!!」


「……」


「……」


 アズの言葉に、俺の目はだんだん細くなり…

 早乙女は『…高原さん…鬼ですね…』と小さくつぶやいた。




 おい。

 義父。



 婿いじめか?




「神さん。」


 アズが京介と映に報告すべく、スタジオに向かって。

 俺は会長室に顔を出そうとしてエレベーターに乗ってる所に…


「よお。」


「おはようございます。」


 朝霧が乗り込んできた。



「今朝、知花から連絡もらいました。」


「ああ…さっき早乙女も言ってた。」


「…大丈夫ですか?」


「それは、何の事を聞いてる?」


「まさか…別居してるなんて思わなくて。」


「ああ…それか。」



 知花が朝霧にも別居を伝えてなかった事に驚いた。

 聖子や瞳に言えないとしても…朝霧か里中には言ってると思ったが。

 どちらも知らなかったか…。



「おまえは嫁さんに、メディアに出る事いつ話した?」


 会長室は後回しにして、八階のミーティングルームに入った。


「俺はー…うっすらとそういう構想が出始めた頃に、相談しました。」


「相談…か。」


「まことセンも早めに話したみたいです。陸は先週…瞳さんと聖子は夕べって言ってました。」


 瞳と聖子は知花に合わせたのかもしれないと思った。

 なぜなら、アズと京介は秘密と言われても顔に出して、聞いて欲しそうな匂いを醸し出す。

 しまいには自ら告白するしな…



「おまえんとこ、嫁さんはなんて?」


「うちは…もう、昔から出てほしいばっかりだったみたいで。」


 朝霧は苦笑いをして。


「ちなみに、まことセンの所も。」


 首をすくめた。


「まあ…アズと京介は反対しねーだろーし…問題は…」


「陸の実家と麗ちゃんでしたが…」


「どうにかなったのか?」


 麗は…SHE'S-HE'Sがメディアに出てない事に大賛成だった一人だからな…

 このスタンスが変わらない事を、ずっと願ってた麗。

 ショックだっただろう。


「二階堂の方は意外にもあっさりと。麗ちゃんは少し難航したようでしたが、もしツアーにでも出るって話になれば、同行するって事で了解を得ました。」


「…なるほどな。」


「後は…」


「…俺は賛成だぜ?」


「…知花が複雑みたいですね。」


「……ったく…悪いな。俺らの問題で色々面倒かけて。」


「いえ…」


「ほんと…あいつ一人、難しく考え過ぎてるよな。」


「…なんなんでしょうね。」


 朝霧はテーブルの上で指を組むと。


「知花、ビートランドの今後についてを気にしてて。」


 首をすくめた。


「…あ?」


「今、どう考えても勢いはアメリカ事務所がダントツで、知花はそれが気がかりみたいなんすよね。」


「……」


 確かに…

 SHE'S-HE'Sが全ビートランドのトップを走るバンドだとしても…

 日本のビートランドには、こいつらだけだ。

 F'sも頑張ってはいるつもりだが…

 そこまではいかない。


 そして、それに続く中堅がいなくて、若手は…まだまだだ。


 それに比べて、アメリカは…

 先月一緒に取材を受けたAngel's Voiceもだが…

 沙都も稼ぎ頭に名前を連ねてるし、向こうはソロアーティストがこぞって成功し始めている。

 そうこうしてると、イギリス事務所からはダンスユニットとヒップホップグループが波に乗り始めて。

 …確かに、俺らもうかうかしていられないのが実情だが…



「たぶん知花…高原さんの事が心配なのもあるんでしょうけど…自分が出来る事があればって思ったんだと思います。」


「……」


 自分の出来る事…

 それがメディアに出る事だったのか…?

 確かに、知花達がそうする事で、大きな経済効果にはなるだうが…


「…ちょっと会長室に行って来る。」


 そう言って立ち上がると。


「神さん。」


 朝霧も立ち上がって。


「…別れたり…しませんよね?」


 真顔で言った。


「…バーカ。誰が別れるかよ。」


 朝霧の頭を軽く叩いて言うと。


「…安心しました。」


 朝霧は…笑顔になった。


「…鍛えとけよ。ライヴは体力勝負だぜ。ツアーなんかになると特にな。」


「はい。ありがとうございます。」


「その前に…俺か…」


「え?」


「来週末、F'sのライヴが入った。」


「…え?」


「世界に生配信だとさ。」


「……ええっ!?」


 いつもクールな朝霧の驚く顔に満足した俺は。


「じゃあな。」


 笑いながらミーティングルームを出た。




「遅かったな。」


 会長室に入ると、高原さんは待ってましたと言わんばかりに、俺に資料を渡した。


「…これは?」


「来週末のライヴについてだ。」


「……」


「圭司から聞いたんだろ?俺は本気だぞ。」


 資料を手に、ソファーに座る。


「…知花達のメディア進出は、いつですか。」


「今朝、知花以外のメンバーからはGOサインが出た。」


「…知花次第って事っすか…」


 高原さんは俺の前に座ると。


「夕べ、何か話せたか?」


 前のめりになって言った。


「…話してる途中で、知花が過呼吸になりかけて…無理だと思って華音を呼びました。」


「なぜおまえが送らない。」


「…俺じゃダメだと思ったからです。」


「なぜ。」


「……」


 なぜって…


「あの時、俺は知花の上司でしかなかったが…」


 高原さんは立ち上がって窓から外を眺めると。


「今は、父親として言わせてもらう。」


 そこから、俺を振り返った。


「理由をつけて逃げるな。」


「……」


「おまえも知花も…なぜこんなにすれ違う必要がある?」


「それは…」


「……」


 知花の想いを…全部じゃないにしろ、聞いて…

 正直、怖くなった。

 築き上げたものは幻だったんだろうかと思うと、それ以上知花の言葉を聞いているのが辛くなった。


 知花とは別れない。

 メディアに出る事にも反対はしない。

 だが…



「…まあ、ずっとすれ違ってた俺に言う資格はないかもしれないが…」


 高原さんは小さく笑うと前髪をかきあげて。


「俺から見ると、おまえも知花も…まるであの頃のままみたいだ。」


 俺の目を見た。


「…成長ないっすか。」


「ああ…ははっ、そっちもだが…長年夫婦してるのに、今もお互い好きでたまらないってな。ほんと…知花が『瞳に負けない』って泣きながら言ったあの日を思い出すよ。」


「……」



 家の外では着けるように義務付けられてたウィッグ。

 似合わない眼鏡。

 出逢った頃は…こんな気持ちになるなんて思わなかった。

 こんな気持ち…

 心の底から、大事に思える存在になるなんて。


 そういえば…

 あいつ、あの頃は結構ズケズケ言ってたな。

 そうだとしたら…

 根本的な部分は変わってねーんだ。


 俺の勝手な思い込みと…

 …勝手な理想みたいなもんを押し付けただけ。

 決して…知花が変わったわけじゃない。



「…とりあえず…」


 俺は資料を手に立ち上がると。


「知花に…メールします。」


 顔を上げて、言った。


「は?」


 高原さんは拍子抜けした顔をしたが…

 俺としては、そこから始めるのもいい気がした。

 面倒臭がって、メールなんてほぼした事のない俺。

 顔を見て言いにくい事は…書いたらいいんじゃ?


「千里。」


 会長室を出ようとして、呼び止められた。

 ゆっくり振り向くと、高原さんは…


「いい加減、LINE使え。」


「…は?」


「LINEだよ。おまえが家を出てからは、桐生院家はそうしてる。」


「……は?」


「華音と聖は『既読がどーたら…』って嫌がってたが、スタンプ合戦はなかなか楽しいぞ?」


「……」


「後で誰かに習え。」



 華月に勧められた事はあるが…

 ぶっちゃけ…メールもほぼしないのに、そんなアイテムいらねーっつーの。

 と断った。


 実際、俺と同じであまりスマホを活用しない咲華も、LINEは使ってなかった。

 …知花も。


 華音と聖も…高原さんが言ったような理由でしてなかったはずなのに。

 俺が出て行った途端って、なんだそれ。



「おい。」


 ルームに戻ると、アズも京介も映もいて。


「あっ、神。高原さんなんだって!?」


 俺が手にした資料に食いついた。


「…おまえら…」


 三人を見渡して言うと、三人ともゴクリと息を飲んで俺を見た。


「…LINE、やってるか?」


「………はっ?」


「LINEだよ。」


「……」


「……」


「……」


 俺の言葉に三人は拍子抜けしたように、少し浮かしてた腰を下ろして。


「えー、何それ。やってないよ。」


「俺も…やってません…」


 アズと映は、そう言った…が。


「……」


「あっ、京介やってるんだー!?」


「や…やってちゃわりいのかよ…」


 俺は椅子を引っ張って京介の前に座ると。


「やり方教えろ。」


 スマホを取り出した。


「…はっ?」


「アズと映も習っとけ。高原さん、社員には導入させるっつってたぜ。」


「えっ…そうなんだ~?苦手だなあ~。」


「…メールで十分なのに…」


 …社員に導入…は嘘だが。

 一人で習うのは面倒だしと思って、二人も巻き添えにした。



「スタンプってなんだ?」


「えー?これにこれで返すのー?」


「…コイン?」


「なんか…次々とダチでもねー友達ってのが出てくるんだが…」


「あっ、神見っけー。えっ?瞳もやってる…知らなかったー!!」


「京介さん…この設定はどうすれば…」


 俺とアズと映、三人からわちゃわちゃと何かを言われてる間、京介は眉間にしわを寄せながら無言で何かをしていて。


 ポコン


 ギュギュッ


 ピロリン


 三人のスマホが同時に鳴った。


「わっ、今の何?えー?京介から何か招待されたー。」


「…とりあえず、F'sのグループ作ったから…入ってくれ。」


「入るって?」


「いいからそこ開けよ。」


 京介に言われた通り、三人でF'sのグループとやらに入る。


「…とりあえず、送る。」


 そう言って、京介が記念すべき初トークを入れた。


 ポコン


 ギュギュッ


 ピロリン


 また一斉にスマホが鳴って…


 京介

『俺ら、来週世界発信されんのに、どーよ』


「……」


「……」


「……」


「……」


 四人で丸くなってそれを読んで。


 ポコン


 ギュギュッ


 ピロリン


「てか、おまえら読んだ後いちいち閉じんなよ。音うるさい。」


「開けたままだと音がしねーのか?」


「そんな変な音はしねーよ。」


「わー、京介が送ったこれ何のスタンプ?」


 スマホの画面には、額に縦線の入った…アニメキャラのような…


「…それは、Deep Redスタンプだよ…」


「ぶっ…もしかしてこれ…朝霧さんか?」


「正解。」


「えーっ!?そんなのあるんだ!!俺も欲しいかもー!!」


 京介が見せてくれたDeep Redスタンプは、メンバーがキャラクターチックに描かれた物で。

 高原さんの『仕事しろ』やナオトさんの『練習しろよ?』、ミツグさんがスティック持って走ってるスタンプや、ゼブラさんの『そこ大事!!』…朝霧さんの『はよせぇ!!』にバカウケした。


 …俺ら、来週末、大舞台なんだぜ?

 この、『仕事しろ』スタンプのジジイに…勝手に決められてさ。



「……」


 俺は、三人がスタンプショップを眺めてる間に…トークに打ち込む。

 そして…送信。


「…ん?」


「あ?」


「え?」


 三人は一斉に手元を操作してトークを開いて…


「………」


 一瞬無言で、だけど口を開けて俺を見て。


「…マジかよ!!」


 同時に言った。



 俺が送信したのは…


『明後日までに二曲作る。来週末はそれも頼む』


 …俺も鬼だな。

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