第30話 今夜は少し遅くまで一人でスタジオに入ってて。
〇桐生院華音
今夜は少し遅くまで一人でスタジオに入ってて。
しつこくスマホが鳴ってる事に気付いて取ったら…親父で。
『華音、すぐ来てくれ。』
すげー真剣な声で言われたから、何事かと思って慌ててマンションに行くと…
そこに、母さんがいた。
そこ…つーか…親父の腕の中で、ぐったりしてた。
「えっ…な…何があったんだよ。」
「…ここにいても状態は良くなりそうにないから、連れて帰ってくれ。」
「はっ?でも…」
母さんは、顔面蒼白だし…どう見ても泣いた…顔だし…
親父と母さんの顔を交互に見る。
…聞きたい事は山ほどあるが…
「…帰ろ。」
身体を支えるようにして、母さんと車まで歩いた。
「頼んだぞ。」
親父は外まで見送ってくれたけど…母さんはうつむいたまま、顔を上げない。
「…ああ…」
俺が母さんの顔をチラッと見て親父の方を向くと。
「明日な。」
俺が何か言いかける前に…親父がそう言って車から離れた。
「……」
無言で車を発進させる。
…俺が知ってる限りでは…
二人が別居して、初めて…だよな。
母さんが、ここに来るの。
…あ。
一ヶ月経ったのか。
つか、咲華の真似かよ。
「……」
「……」
い…息苦しい…
こう言っちゃアレだけど…
母さんて、ふわっとしてて…少し天然で。
少し的外れな事言ってる所が可愛かったんだけどなー…
…母親を可愛いって絶賛してるなんてバレたくないから、口には出さねーけど。
いつからかな。
母さんの様子が変わったのって。
咲華が旅に出てからは特に…変わった気がする。
で、別居してからは…まるで咲華みたいだ。
まあ親子だから似ててもおかしくねーけどさ…
「…ごめん…華音…」
ふいに、弱々しい声が聞こえて来た。
「…何が。」
「…あたし…最近…キツイよね…?」
「あー…何かイライラしてんの?」
「…言いたい事…思った事を言ってるだけなんだけど…」
母さんは手にしてたハンドタオルで口元を押さえたまま、そう言った。
「…じゃあ、今までは言いたい事もずーっと言わなかった…って事か…」
「……うん。」
「で、それを親父にぶっちゃけて…ケンカになったのか?」
「……」
俺に問いかけに母さんは無言で。
ちょうど赤信号で停まった俺は、母さんを見る。
相変わらずうつむいたまま、何か考えてるような顔。
「まあ…無理はしない方がいいんじゃ?」
どう慰めていいか分からなくて、矛盾してるけど…あたりさわりのない言い方をしてしまった。
「…ごめんね…親のクセに…」
「何だよそれ。親だって人間じゃん。悩むっつーの。」
「…あたしのは……ひねくれてるから…」
「母さんがひねくれてるってのは意外だけど、まあ…ずっと我慢してた事があるんなら?それは俺らのせいでもあるだろうしさ…ごめん。」
俺がそう言うと、母さんは顔を上げて。
「何で…?」
俺を見た。
信号が青になって、俺は車を発進させる。
「俺らはさ…親父と母さんの愛に溢れた様子に、すげー安心してたし…こうでなくちゃって思ってた所もあってさ。」
「……」
「やれやれって思いながらも、理想だとも思ってた。」
本当に。
俺も…紅美と、こんな夫婦になりたいって。
「だからさ…自然とそういうのも母さんのプレッシャーになってたのかなーって。」
「…そんな事…あたしは…」
「……」
「……」
それから…母さんは何も言わなかった。
俺もそれ以上は何も聞かなかった。
だけど、家に着いて車を降りる時。
「…華音…」
「ん?」
「これから…少し…」
「…ん?」
「あたし…」
「……」
母さんは一度ギュッと目を閉じて…
「もうすぐ発表があるかもしれないけど…」
顔を上げて、俺を見て。
「SHE'S-HE'S…メディアに出る…」
少し、力の戻った目で言った。
「………え…っ?」
「あたしは…とても不器用だから…」
「……」
「…しばらく…お母さんでいられないかもしれない…」
それは。
衝撃告白だった。
SHE'S-HE'Sがメディアに出るって事は…
「…世界中がどよめく事になるな…」
自分で言って、鳥肌が立った。
そうして欲しい。
見てみたい。
と思う俺と…
家族は…どうなってしまうんだろう…?
そう思ってしまう俺が。
それ以上の事を、言わせなくした。
〇里中健太郎
「で?おまえは反対なの。SHE'S-HE'Sがメディアに出る事。」
なぜか…夕べ神に誘われて。
言われた住所に来ると…神が一人で暮らしてた。
聞けばここは高原さんのマンションで。
神は別居中…と。
「…別に俺は構わない。」
「それ、知花ちゃんに言ったか?」
「……」
「何で言わねーんだよ。おまえ、言葉足らなさ過ぎ。」
「黙れ。」
朝方まで一緒にギターを弾いて。
そのままソファーで眠った。
俺が起きた時には、神はすでに着替えてて…
意外とちゃんとしてる事に驚いたけど…
でも、そういう隙を見せない所が…実は神の弱点なんじゃないかなと思った。
二人でコーヒーを飲みながら、そんな会話をしてると。
「おはよー……って…あれ…?」
「あばー。」
「お、来たか。」
登場したのは…
これが噂の…?
「…咲華ちゃん?」
「あ、はい…」
「里中と言います。初めまして。」
立ち上がって、ペコペコと挨拶をする。
噂はかねがね。なんて言えないよな。
全部知花ちゃんから聞いてるし。
婚約破棄して海外に一ヶ月、誰とも連絡取らないって言い放って旅立った娘さん。
そして、そこで酔っ払った勢いで結婚して、養女を迎えた娘さん。
DANGERのギタリスト、華音の双子の妹。
…うん。
初めて会うけど、双子だけある。
こうして見ると、華音は女装も似合いそうだ。←そっちか
「あ…母さんのオタク仲間の里中さん?」
咲華ちゃんは笑顔で神にそう聞いてる。
オタク仲間って。
まあ、本当だけど。
問われた神はと言うと。
「朝飯食ったか?ん?」
金髪の可愛い孫を抱っこして…デレデレ。
こりゃあ…可愛いな。
そりゃ、デレデレになっても仕方ない。
昨夜は少し落ち込んでんのかな…って思ったけど。
娘と孫が会いに来てくれるなんて…サイコーだな。
「…あ、俺先に行くわ。」
こういう時間は貴重なんじゃないかと思って、俺が荷物を持つと。
「あ?オフだっつってなかったか?」
神がすかさず痛い所を突いた。
「…言い間違えた。家に帰る。」
目を細めてそう言うと。
「里中さん、これからも遊びに来てやって下さいね。」
咲華ちゃんが立ち上がって俺にお辞儀をして。
「おまえは俺の母親か。」
神に笑顔で突っ込まれた。
…確か、険悪な二人…だったよな?
なぜか、超仲良し親子に思えるんだけど。
「本当に手がかかる父親で…」
「うるさい。」
…家族を作ろうとしなかったクセに、こういう場面を見ると羨ましくなる。
あの時結婚に踏み切らなかったのは自分だ。
仕方ないだろ?
その雰囲気に名残惜しい気もしたが、俺は三人に手を振ってマンションを出た。
「……」
SHE'S-HE'Sがメディアに出る…
俺はその事を、高原さんに確認したいと思った。
神はあっさりと『構わない』って言ったが…
…音楽界を揺るがす大ニュースだぞ…
生活も一変する。
そして何より…
メンバーそれぞれが『人に見られる』という立ち位置で、SHE'S-HE'Sを続けられるかどうか…だ。
…知花ちゃん…
大丈夫かな…
〇二階堂咲華
「…知花の様子はどうだ?」
冷蔵庫を開くと、昨日あたしが作った焼きそばがなかった。
で、ちゃんとお皿もお箸も洗って置いてあった。
ここ一ヶ月で料理以外の事、そこそこに出来るようになったよなあ…って感心してるところに…
父さんが言った。
「……」
キッチンから見ると、父さんはリズを自分の目線まで抱き上げて、見つめ合って笑ってる。
…リズがいてよかった…
少しでも父さんが笑顔になれるなら…
「うん…夕べ…華音から聞いた。母さん達がメディアに出る事…」
「…そうか。」
「父さん、いいの?」
あたしが問いかけると、父さんは少しだけ伏し目がちになったけど…口元は笑ったままで。
「反対する理由があるか?あいつらはずっと水面下でしかやって来てない。」
そう言って…ソファーに座った。
向かい合ってたのに、反対に向かされて膝に座ったリズが。
「あーっ、ばうーっうーっ。」
両手をバタバタさせて抵抗した。
「なんだ。そんなに俺の顔を見てたいのか?変わり者だな。」
父さんはそんなことを言いながら、リズを向き合わせて…額を合わせた。
「…表舞台に立つのは、いいことだ。」
「……」
「あいつらがやりたいと言うなら、全力で応援したい。」
「父さん…」
夕べ…母さんがここに来た。
華音はまだ帰ってなくて…あたしと華月は晩御飯の後で母さんに『千里の所に行って来るね』って言われて…
正直、すごく心配した。
だって…母さん…
大好きな父さんに久しぶりに会いに行くのに、全然笑顔じゃなかったんだもん…
あたしと華月が心配してると、珍しく三人で食事に出かけてた聖とおじいちゃまとおばあちゃまが帰って来て…
母さんが…って報告すると、みんな少し緊張した顔になった。
おじいちゃまと聖は『一ヶ月離れてたんだから、ぶつかっても少しは動きがあればいい』って言ったけど…
母さんが帰ってきたのは、それから一時間半経ってからだった。
…華音に連れられて。
そして、みんなには顔を見せる事もなかった。
困った顔の華音が大部屋で…
「SHE'S-HE'Sがメディアに出るって…じーさん、知ってた?」
おじいちゃまに…低い声で問いかけた。
「えっ!?」
大声を出したのは…おじいちゃま以外全員。
おばあちゃまも知らなかったなんて…
案の定…
「もー!!なんで教えてくれなかったのー!?」
おばあちゃまは、プンプン。
「おまえに言ったらソワソワして周りにバレるだろ?」
「だっ…だけどー!!知花の相談に乗りたかったのにー!!」
「残念ながら、あいつは誰にも話せなかったと思う。メンバー以外に話せた時が、自分の決断が出来たときだと思うって言ってたからな。」
自分の決断が出来るまで…誰にも話せない母さん。
でもそれは、わかる気がした。
あたしだって…
言えなかった。
色んな事…
「…父さん、うちに帰ったら?」
あたしが向かい側に座って言うと。
「………」
父さんは、それまで笑ってた口元を引き締めて…
「…夕べ知花と話して思った。あいつにとって、俺は毒だなって。」
「ど…な…そんな事…」
あたしが言葉に詰まると、父さんは小さく笑って。
「あいつに色んな事を吐き出させなくしてた。本当は、自分の気持ちも文句も…山ほど口にしたい事があったはずなのに、俺が言えなくしてた。」
リズを…そっと抱きしめた。
父さんの腕の中で、リズは一瞬顔を上げて父さんを見て。
それから…笑いながら、小さな手で父さんの頬に触れた。
「…昔、SHE'S-HE'Sに全米デビューの話が持ち上がった時、あいつは両立は無理だ。って、俺よりバンドを選んだ。」
「……」
「あの時も…俺は知花にとって毒でしかなかったからな…」
父さんの小さなため息に…あたしは唇を噛みしめて眉間にしわを寄せた。
…どうして?
父さん、全然毒なんかじゃないじゃない…
どこから見ても、母さんの事…全身全霊かけて愛してて…
そりゃあ、あたしなんて…
漠然と傍から見て『仲良し夫婦』だって思ってて…
実際は、父さんとは何年も『そこにいるだけ』みたいになって、さらには険悪にもなってたけど…
だけど、父さんが家族をどれだけ愛してるかは、すごく分かってるつもり。
…ていうか…
この別居で…痛感した。
大部屋に父さんがいるだけで、あたし達は安心してた。
家族の事、ちゃんとそこで見てくれてる…って。
「母さん…どうして両立は無理だって…?」
「…ま、ただ単に俺を信用出来なかっただけだ。離れたら不安だっつってたからな。お互い若かったし…仕方ない選択だったとは思う。」
「だからって…」
「そう。だからって、離婚なんてする必要なかった。」
「……」
「だから、俺は…」
「……」
「……」
「…俺は…何?」
父さんは鼻で笑って立ち上がると。
「いや…」
リズをあたしに手渡して。
「心配するな。あいつがどれだけ俺を拒否しても、俺があいつから気持ちを離す事はないから。」
そう言って、あたしの頭をポンポンとした。
「…大丈夫…?父さん…」
何が…ってわけじゃないけど、何か心配でそう声をかけると。
「俺はへーきだよ。おまえとリズに、随分助けられてるからな。」
すごく…
泣きたくなるような、優しい顔して言ってくれた…。
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