第29話 「……」
〇神 千里
「……」
言葉が出ない。
目の前で…睨みつけるような顔をして俺を見下ろしてるのは…
知花か?
本当に…知花なのか?
一ヶ月ぶりに会えて嬉しかった。
勝手に俺のあれこれを押し付けるのがダメなのかもしれないと思って、隣に座る事さえ許可を取った。
だが…
俺のそんな事なんて、とても些細な事じゃないのか?と思わされるほど…
…頭の中を整理しよう。
そうするために、俺は知花から視線を外した。
膝の上で組んだ指を見て…それから、自分の爪先に視線を落とす。
そうしたからと言って、この混乱が収まるとは思えないが…
知花を見ていたくなかった。
…健康診断で引っかかって…再検査に行ったが異常なし。
まあ…何もなかったなら、いい。
次からはちゃんと言えよ。
そう…言えば良かったのか?
F'sの事は…
アズと京介が家で話すのは…
アズは瞳に限らず、誰にでも話したいだけだ。
京介は…たぶん聖子に言わされてる。
知りたいなら、おまえも俺に聞けばいいんだ。
根掘り葉掘り。
…喋るかな…俺…
それに…
まだ歌っていたいから会長になりたくない…なんて。
誰にも言ってねーのに。
何で知ってんだよ。
「…どうして…何も言ってくれないの…?」
上から降ってくる知花の声は涙声で。
俺は、それを見るのが怖いと思った。
泣かせてるのは俺だ。
間違いなく。
だけど、俺も…どうしたらいいのか分からない。
これが知花じゃなければ、いつものようにカッとなって暴言を吐いて、黙らせて…終わりだ。
…いや…
知花に対しても、今まではそうだったよな…
…結局俺は、自分の思い通りにならなければ気が済まない男ってわけだ。
知花の気持ちを抑え付けて。
知花に…吐き出させなくしてたのは…俺だ。
「……」
大きく溜息をつくと、知花が。
「…あたし…」
低い声で言った。
「…何…」
「…あたし…SHE'S-HE'S…」
「……」
まさか…辞めるって言うんじゃねーよな…と思って顔を上げると。
「…あたし達…」
知花はポロポロと涙をこぼしながら…
「メディアに出る…」
思いがけない事を言った。
「…待て。」
俺は額に手を当てて、自分を落ち着かせようとした。
知花は立ったまま泣いている。
…メディアに出る。
それはー…
いつから考えてた?
いや…
その話は、今必要なのか?
今は、俺達の事を…
…俺達の事だが…SHE'S-HE'Sも切り離しては考えられねーって事か…
だとすると…
「…メディアに出るから、俺と離れたいって事か…?」
「ちが…っ…違う…っ…」
知花は上手く言葉が出ないほど泣きじゃくっている。
…何で…泣いてる?
俺にはそれさえ分からない。
昔…知花は俺と離れたくないから渡米しないと言った。
だが、結局は渡米した。
…俺と別れて。
離れたら不安だ。
信じられない。
だけどそれだと音楽に集中できないから…別れて欲しい…と。
今回もそうなのか?
そういう理由で、俺と離れたのか?
つくづく自分の小ささに嫌気がさした。
あの時と今じゃ違うんだ。
知花にハッキリ言えって問いただせばいいだけなのに。
…それでも、俺は怖い。
知花を傷付けるのが。
そして…知花に嫌われるのが。
「……」
俺はゆっくり立ち上がって、知花の手を取る。
「…ごめん…」
そう言いながら、ゆっくりと…本当にゆっくりと、知花の肩を抱き寄せて…頭を撫でた。
「…なっな…なんで…あ…謝っ…まる…の…」
腕の中の知花は、呼吸が上手くできないほど…泣いてる。
このままじゃ過呼吸になるな…
「…今夜はよそう。こんな状態で、これ以上喋らせたくない。」
知花の背中に、ゆっくり手を這わす。
「でっ…で…でも…」
「いいから…ゆっくり息しろ…ゆっくり…」
できるだけ優しく…知花の耳元でささやく。
「…ち…ちさ…」
「喋るな…いいから…」
「~…っ…」
「しー……」
「……」
…こんなに…追い詰めてたのか…
そう思うと胸が痛んだ。
毎日の他愛のない事…
以前は話してた気もする。
風呂に入りながら…子供達の事を聞いて、その流れで。
だがそれが無くなってからは…
いや…何か…キッカケがあった気がする。
俺が話さなくなったのは…
いつからだ?
車で送ると言ったが一人で帰ると言い張った知花。
俺は華音に電話をして、知花を迎えに来させた。
何の解決もしてない。
何一つ…だ。
知花を帰した後、里中を呼び出した。
まだ事務所にいたらしい里中は、不思議そうにマンションに来て…
「べっ………」
「……」
「……きょ!?」
「…間がなげーよ。」
開けたビールを手にしたまま、口を開けっ放しにした。
「い……いいいいつから…?」
「もう一ヶ月になるな。」
「……信じられない…」
「俺もな。」
「……」
咲華の作ってくれた焼きそばを食いながら、ビールを飲む。
里中は自分用に弁当を買って来た。
買って来たが…さっきから全然箸は進んでいない。
「いや、おかしいって。」
「何が。」
「だって、知花ちゃん、すげーおまえの事好きだぜ?」
そう言って、里中はグイグイとビールを飲んだ。
…弁当はいいのか?
「…そうでもないんじゃねーかな。」
「おいおい…て言うか…なんで俺に話すんだよ。」
「なんでって。今の所、知花に一番近いんじゃねーかなと思って。」
「……」
そこで黙るかな。
バカが。
見え見えだろーが。
「俺は、あいつの好きな分解や改造の事は分かんねーからな…」
咲華の作った焼きそばは、食い慣れた味だった。
俺の知らない間に、みんなちゃんと知花の味を習ってんだな…
「…でも反対に…俺に解るのはそこだけだぜ?」
「…おまえさ。」
俺は空いた皿を前に手を合わせて『ごちそうさま』のポーズをして、それをシンクに持って行く。
『溜めると面倒になるから、少しならすぐ洗った方がいいわよ』と、咲華からしつこく言われた。
「SHE'S-HE'Sがメディアに出る話、知花から聞いてたか?」
カウンター越しに、顔を見ずに問いかけたが…
「ぶふっ…」
里中がビールを噴き出したのを聞いて…
「……」
無言で布巾を投げた。
「あ…すすすまん…な、何だって?もう一回言ってくれ。」
…知らねーのか。
俺は皿をカゴに伏せると、手を拭きながら里中の前に戻って。
「SHE'S-HE'Sがメディアに出るそうだ。」
前髪をかきあげて言った。
「……」
里中はポカンとした後、眉間にしわを寄せて顎に手を添えたり、首を傾げて唸ったりして。
「…だからか…」
最終的に、小さくつぶやいた。
「何が。」
何か考え込んでる里中に声を掛けると。
里中は難しい顔をしたまま。
「いや…早乙女に新しいエフェクターボードの相談を受けた事があってさ。」
話し始めた。
「ああ。」
「早乙女と二階堂の音作りに関しては、プロデューサーに入って色々ディスカッションを繰り返して信頼してもらえてたから、今回も細かい部分まで話を聞いたんだけどさ…」
里中は二本目のビールを開けて。
「最初に知花ちゃんから預かった早乙女のリクエストを見て、ん?って思ったんだ。」
しかめっ面で俺を見た。
「どうして。」
「音作りの内容が、ライヴ向けだなって思ったんだよ。」
「……」
ライヴ向け。
て事は…
SHE'S-HE'Sはメディアに出るっつっても、雑誌とかそういう類に顔を出すって言うより…
「…事務所以外のステージでライヴをしたい…っつー事か。」
俺がビールを飲みながら言うと。
「しかもあの様子だと、屋外だな。」
俺の眉間にしわが寄るような答え。
「…屋外?」
「何かフェス的な物に出るとか…企んでるんじゃないか?」
「……」
この前、早乙女を呼び出した時…あいつ…『知花に何か聞いたんですか?』っつったよな。
もしかして、この事だったのか?
「あいつら、ずっとメディアに出ない前提でやって来て…やっても事務所でのライヴだろ?人様の音作りを参考にしようとしても…出来ないわけさ。」
「出来ない?なんで。」
「一つは、知花ちゃんの声だな。」
「…知花の声…」
「もちろん、瞳ちゃんの声も。あんなボーカリスト他にいないだろ?あの二人の声を屋外で響かせるとなると、ギター二人の音作りはかなり慎重にやんねーと、下手すると声殺すからな。」
「……」
俺が頬杖をついて里中を見てると、里中はキョトンとして。
「…何だ?」
とぼけたような声で言った。
「いや…おまえ、ずっとオタク部屋にしかいねーのに。さすがだなと思って。」
俺が一応誉めたつもりでそう言うと。
「…誉めんなよ。気持ち悪い…」
里中はやっと弁当を開いて食い始めた。
「…知花に惚れてんだろ。」
「ぐはっ!!げほっ…ぐっ…」
「ったく…言っとくけど…」
「ばっ…バカか…急に…」
「いいから聞け。」
俺は里中に顔を近付けると。
「…今夜の事…」
「……」
「アズに言うなよ。」
低い声で言った。
「……はあ?」
「別居の事は誰にも言ってねーからな。あいつが知らない事をおまえが知ってるとなると、間違いなく妬く。今夜ここに呼んだのが、アズじゃないってとこにもな。」
「…何で俺に…」
「また最初から説明すんのか?」
「…はいはい…一番近い男だから…だな。」
「男とは言ってない。」
「…めんどくせー奴…」
「ふっ。」
里中が知花に惚れてるのなんて、オタク部屋でのこいつの視線を見てれば一目瞭然だ。
まあ…
知花は気付かねーだろうけどな…。
里中とは同じ歳で…
昔、俺がTOYSに在籍してた頃、後輩として入って来た。
京介と里中と小野寺の3ピースバンド、SAYSは…骨太で、男臭いロックだった。
残念ながらボーカリストな俺は、里中には興味がなかった。
一緒にやってみたい。と思わされたのは、ドラムの京介だ。
TOYSが解散して、SAYSも解散して。
俺は京介をF'sに誘った。
その後の里中の事なんて、別に気にもかけなかった。
朝霧親子の確執解消に一役買った。って噂は、後々に聞いた。
いい奴だ。って周りは言っていたが、直接付き合いがない俺には関係のない話だった。
その後は、渡米したと聞いて以来…里中の存在は忘れた。
あの、知花と…カフェで茶をしてるのを見るまでは。
…思い出すとムカつくな。
「神ってさ…アズといつからの付き合いなんだ?」
ふいに、里中が言った。
「あ?何で。」
「いや…前にアズと話した時に、あいつ…やたらとおまえに詳しかったからさ。」
「くっそ…あいつまた俺の事をベラベラと…」
「ははっ。ま、大した事じゃないけどさ。小さい頃からバレンタインのチョコを半端なくもらってたとかさ。」
「バレンタインのチョコ?何だそれ。」
「え?自分の自慢話みたいに言ってたぜ?机の中から溢れてこぼれてたって。」
「俺の話かよ、そ………」
「ん?」
「……」
俺は…
アズと…いつからつるんでた?
あいつが、じーさんちに来るようになったのは…いつからだった?
カンナとは幼馴染だが…
アズ…
「……」
…どうした?
思い出そうとすればするほど…真っ白になる。
小学校…低学年…
ガキの頃の記憶なんて、なくなるもんだよな…?
…それにしても…
真っ白になるなんて事…あるのか?
「…神?」
「あ、いや…何でもない。」
「そんな小さい頃からかー…それなら詳しくて当然だな。」
「はっ…あいつ、俺の何を知ってるって喋ってた?」
それから…
里中とくだらない話を続けた。
途中、盛り上がって二人してギターを弾いたりもして…
俺的には、刺激のある夜になった。
だが…
俺は、泣いてる知花を無理矢理帰らせた。
今までと同じ…抱きしめて…とにかく抱きしめて…誤魔化した気がする。
ずっと、それが正解だと思ってたからだ。
でも今は、それが正解だとは思わないのに…それしか出来なかった。
俺の全てが間違いだったと言われたような気がして…
…どう、知花に接していいのか…
分からない。
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