第27話 「おーっす。」

 〇神 千里


「おーっす。」


 ドアを開けると、聖がいた。


「…久しぶりだな。」


「何度か来たんだけど、その時は親父いなくて。」


「連絡してくれたら良かったのに。」


「わざわざ合わせてもらうのも悪いし。」


 コーヒーを淹れてテーブルに置くと。


「咲華、毎日来てるんだって?」


 立ったままそれを手にして、聖はソファーに座った。


「ああ。」


 俺も同じように、聖の向かい側に座る。


「どーだよ。一人暮らし。」


 聖はキョロキョロと部屋を見渡して。


「あっ、本当に洗濯物干してる。」


 笑った。


「今時の男はこれぐらいできねーとな。」


「親父が言うかな。」



 悲しいかな…

 すっかり自分の事ぐらいは自分で出来るようになった俺は。

 ここ三日は、暇を持て余して…

 ついに。

 料理にまで手を出してしまった。

 だがそれは誰にも内緒にしている。


 なぜなら…

 記念すべき最初の目玉焼きを、大失敗したからだ。


 …目に浮かぶ。

『言ってくれたら教えたのに』って斜に構えて偉そうに言う華音と…

『せめて誰かと一緒に作らないと』って目を細める咲華と…

『目玉焼きも焼けないの!?』って言う華月と…

『食い物無駄にすんなよ』って言う聖…


 …いきなり焼く事からしたのがいけなかった。

 そう思った俺は…ゆで卵を作ろうとして…

 …電子レンジで爆発させた。

 それ以来、料理には手を出さない事にしている。



「事務所の人達にはバレてねーの?」


 聖は持っていた紙袋からゴソゴソとタッパーをいくつか出して、テーブルに置いた。


「…ああ。意外とな。」


 それを一つ手にしてみると…


「姉ちゃんの味に飢えてねーかなと思って。」


「……」


 飢えてるに決まってる。

 だが、ここまで耐えてきたのに…

 なんて事しやがる。


 今こんな事されたら、ずっと我慢してた寂しさが溢れちまうじゃねーか…!!



「…これは知花が持たせたのか?」


「いーや、夕べの余りもん。」


「…咲華がいるのに余るのか?」


「咲華が聞いたら怒るぞ?」


「……」


 開けかけた蓋を閉じて、テーブルに戻す。

 小さく溜息をつくと、自分がどっと老けた気がした。



「…親父、へーき?」


 聖が遠慮がちに聞く。


「平気に見えんのかよ。」


「んーん、見えねー。」


「んじゃ聞くな。」


「ちょっと言葉で欲しかったから。」


「……」


 聖は義弟だが、華月と同じ年の同じ日に産まれた。

 息子と言ってもいい歳の差。

 なのに…聖とは、まるで兄弟と言うか…(まあ義弟だからそうだが)

 俺がガキなのか、聖が大人なのか分からないが。

 どこか通ずるものがあって。

 …俺もつい、聖には本音を漏らしたりする。



「…知花が何も言って来ねーから、俺もどう動いていいのか分からない。」


「だよなー。」


「…だが、昔みたいな事にはなりたくないから…俺は俺の仕事をきちんとこなすだけだって思ってる。」


「さすが親父。」


「…おまえは知花から何か聞いてるのか?」


「……」


 俺の問いかけに、聖は少し眉間にしわを寄せて視線だけを天井に向けた。


「んー…姉ちゃんから直接聞いたわけじゃねーんだけどさ。」


「……」


「大事な人が幸せならそれでいいって思うのは悪い事じゃないけど、大事な人はきっと自分にも幸せでいて欲しいって思ってるはず。」


「…知花が?」


「いや、母さんがそう言ったら、姉ちゃんボロ泣きしたらしい。」


「……」


「父さんがそう言ってた。」


 大事な人が幸せならそれでいい…知花は、そういうタイプだ。


「最近の姉ちゃん、すっげーズケズケ物言ってるぜ。」


「…は?」


 聖はコーヒーを飲み干して立ち上がると、ベランダに出て外を眺めた。

 ここからは…事務所が見える。


「姉ちゃんさー…色々我慢してたんだと思う。」


「……」


「親父、今の姉ちゃん受け入れられるかな…」


「…そんなに違うのか?」


「まあ…俺はスカッとしてるけど、ノン君は少しメンタルやられそうだっつってた。」


「……」



 俺の中の知花は…常に笑顔で…時々拗ねて唇を尖らせるのが可愛くて。

 俺の絶対…に、仕方ないわねえって顔で付き合うと言うか…全て許して、受け入れてくれて。


 …あれは、本心じゃなかったって言うのか…?






 〇里中健太郎


「本間君って、同じ事三回言っても覚えないんだね。本気で覚える気ないでしょ。」


 その、知花ちゃんの言葉に。


「え…えっ…?」


 この部署に最初からいる本間(男・28歳)は、目をパチパチさせながら狼狽えた。


「……」


 俺は…無言で知花ちゃんを見た。

 もちろん、他のスタッフもそうだ。



 最近、知花ちゃんの様子が変わった。

 どう変わったかと言うと…

 今まで言わなかった言葉を、笑顔でハッキリと口にする。

 そしてそれにこちらも笑顔で応えると、真顔で同じ事を言われる。

 今、本間に放った言葉も…知花ちゃんの笑顔からの真顔で繰り出されると、かなりのカウンターだ。


 実際、本間は少しうなだれて『お…俺…学習能力…ないですから…』なんて、小さくつぶやいてる。

 まあ…緊張感漂っていいと…俺は思う…けど…



「はい。お茶。」


「…ありがとうございます。」


 三台目のアンプの修理を終えた所で、知花ちゃんを一階のミーティングルームに誘った。

 ここならガラス張りだから、いくら二人でも『密室に連れ込んだ』って噂されなくて済む。


 知花ちゃんは静かにお茶を口にすると。


「…あたし、きついですか…?」


 上目使いに俺を見た。


 …可愛いな。

 って、違うだろ、俺。



「いや…俺としては、みんながピリッとしていいと思うんだけど…」


「…けど?」


「知花ちゃんに言われると、傷付く輩は多い気がする。」


「……」


 知花ちゃんは少しうつむいて溜息をつくと。


「…そうですよね…すみません…」


 さらに、うなだれた。


「何かあった?」


「……思った事を言っただけなんです。」


「え?」


「本間君、腕はいいのにすごく雑で。せっかく修理しても、金屑だらけの電子基盤を平気で埋め込んで閉じちゃう。」


「……」


「もう三度注意したのに、はい‼︎って…いいのは返事だけ。」


「……」


「せめて最後にエアーで飛ばしてくれたらって思うけど、それをするとネジ穴に溜まる事もあるし。」


「……」


「大半の人は気付かないかもしれないけど、ヘッドフォンで聴いた時に…微妙に気になる小さな音が、ずっと残る事になるんです。」


「……」


「だから…イラッとしちゃって…言っちゃいました。」


「……」


 いや…まあ…

 ヘッドフォンで聴いた時に気になる音…って言うのは…分からなくもないけど。

 たぶん、本間にはその音は聞こえないんだろうなあ。

 知花ちゃんにはもちろん聞こえてて、恐らく俺にも分かる。

 ハリーに言わせたら、『録音に使わんのなら、ええんやない?』なレベル。

 …だけど、客がそれを何に使うかは…俺達には分からない。


 て事は…

 正解は知花ちゃん。



「そうだなあ…耳で聞き取る自信がない奴が出来る事は、目視の確認だし。その辺は徹底させるよ。ごめん。」


 俺が謝ると。


「里中さんが謝らなくても…」


 知花ちゃんは少し唇を尖らせた。


「…今までも、オタク部屋に居てイラッとする事あった?」


 テーブルに肘をついて問いかけると。

 知花ちゃんは無言のまま、ゆっくりと頷いた。


「そっか…我慢してたんだね。これからは、どんどん言っていいから。」


 俺がそう言うと、知花ちゃんは目を丸くして顔を上げて。


「え…っ…でも…」


 なぜか驚いた顔で、俺を見た。


「ん?」


「…でも…みんな傷付くかも…」


「ははっ。今までみんな優しい知花ちゃんに甘え過ぎてたからな。俺が叱った所で『またかー』で済むけど、知花ちゃんからカウンター食らったら、どうなるんだろ。」


「……」


 俺が少し楽しそうに言ってしまったからか、知花ちゃんは眉間にしわ。


「あっ、ごめんごめん。でもさ、せっかく一緒に仕事してる奴らに遠慮なんかいらないじゃん?」


「…そうでしょうか…」


「…もしかして、俺にもイラッとしてた?」


 顔を覗き込むようにして問いかけると。


「ま…まさか。里中さんは、いつも完璧です。」


「……」


「ほんと…一緒に作業する時なんて、あたしの思う通りの工具さばきで…気持ちいいです。」


 …やばい。

 耐えろ、俺。

 今…めちゃくちゃ嬉しかったが…ダメだ。

 耐えろ。

 知花ちゃんは、神の嫁だぞ。


 だが…

 俺は本当に彼女の技術に惚れこんでいる。

 そんな彼女から…『気持ちいい』なんて言われ…

 あ、そこだけ切り取るな…俺…




 俺は焦った。

 とにかく…神に釘を刺されなくては。と思った。

 だが、探してもなかなか神に会えなくて…

 スタッフ全員に『これからは知花ちゃんにも相当厳しくしてもらう事にしたから、全員気を引き締めて』と言い渡して。

 俺は、神探しに出かけた。


 高原さんに聞いたら、オフじゃなかった。

 アズと京介は雑誌の取材。

 ベースの映はスタジオで個人練。


 …神はどこだ?

 ルームにもいなかったし…

 BackPackの練習は終わってる。



 エレベーターに乗って、どの階を探そう…なんて思ってると。


「あ。お疲れ様です。」


 八階から、朝霧が乗って来た。


「ああ…あ、神…どこにいるか知らないかな。ずっと探してるんだけど。」


 知らないだろうな~とは思いつつ、ついそう聞いてみると…


「神さんなら、ぼっち部屋でギター弾いてますよ。」


「……え?」


「ちょっと興味深かったんで、しばらく眺めてました。」


 朝霧は首をすくめて笑いながら。


「全然弾き終わらなかったから、声をかけるには勇気を持って。」


 右手で拳を作った。


 …それは何を意味するかと言うと…

 集中してる神に、それを中断させるには…それだけの勇気がいるぞ…と。


「サンキュ。」


 俺は六階でエレベーターを降りると、階段…は、やっぱ疲れるから、またエレベーターに乗った。



 ビートランドのスタジオには、色んな種類がある。

 今までは最小で六畳ほどのスタジオから、ツアー前に徹底して練習するための鏡張りの50畳ぐらいのスタジオまで、用途によって使い分けられるよう、様々な広さのスタジオが階をまたいで20室あった。


 それに加えて…今年、『ぼっち部屋』なるスタジオが作られた。

 正式名は『集中室』っていう、一見スタジオとは思えない名前。

 ギターやベースの個人練で、立って弾くには小さなスタジオを使うが、座って(まあ立っててもいいんだけど)ヘッドフォンをして集中して弾きたい時は…ぼっち部屋。


 主にそこを使うのは、ボーカリストだ。

 神もボーカリストだが…


「……」


 8室並んだ『ぼっち』の中に、神を見付けた。

 ここのドアは部屋の中が見えるように、中央にガラスがはめ込んである物。

 ヘッドフォン使用ではるあけど、ボーカリストがシャウトしたりもするから当然防音。

 そんなわけで、外から声をかけるには…


「……」


 俺はゴクリ。と唾を飲みこんで、部屋のドアの横に取り付けてあるスイッチを押した。

 これは何かと言うと…ぼっちに入り込んでる人を呼び出すスイッチ。

 俺がそれを押した途端、神の目の前にある赤いランプが光った。

 ギターを弾いてた神は、なかなかそのランプに気付かなかった。

 目をつむって弾いてるのか?

 が、しばらく点滅を続けたランプにようやく気付くと、ゆっくり俺を振り返った。


「……」


 無言で手を上げる。


『……』


 神も無言で俺を見つめ返した後…ヘッドフォンを外して立ち上がった。


「何だ?」


 ドアが開いて開口一番、神は低い声で言った。


「…ちょっと、話がしたい。」


「……」


 神は無言で俺を見た後。


「30分後に社食でもいいか?あと一曲ほど仕上げたい。」


 前髪をかきあげた。


「……」


「なんだ。」


「いや…あと一曲って、何曲作ってんのかなーと思って。」


 本当は…神がカッコ良くて見惚れたんだけど。

 んな事言えねー…


「あー…最近ちょっと調子に乗ってっからなー。」


「へえ…」


「ま、とにかく後で。わりーな。」


「分かった。」


 神は首にかけてたヘッドフォンをかけ直して、ドアを閉めた。

 その一連の動作さえカッコいい。

 …また一段と男に磨きをかけたように思えるが…



「……」


 俺は…何勘違いしてんだ?

 今の神を見ても分かるように…神があれだけカッコ良くいられるのは、知花ちゃんと上手くいってるからだ。

 間違いなんて、あるわけがない。

 俺の知る限り、いまだに相思相愛のトップを行く夫婦だ。


 …バカだな。

 わざわざ釘なんて刺されなくても…



 俺はスタジオのインフォメーションでメモをもらうと、そこに『やっぱいいや。曲作り頑張れ』って書いて。

 部屋のドアにテープで貼りつけた。


 …さー…

 作業に戻るか。

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