第26話 「知花。」

 〇桐生院知花


「知花。」


 呼ばれてハッとすると、隣に母さんがいた。


「…気付かなかった。」


「ボンヤリしてたものね。」


「…何?」


「ちょっと、親子でのんびりしようよ。」


 母さんはすごく笑顔で。


「しよしよ?ね?」


 なんて笑って…あたしの手を取った。

 何だかそれがおかしくて、小さく笑いながら立ち上がる。


「見て見てー、お休みスペース。」


 母さんが自慢そうにそう言ったのは、広縁。

 そこにはカラフルなヨガマットが敷かれてて、ちょっとミスマッチな気もしたけど…

 その端っこに寝そべってる父さんが。


「真ん中が知花な?」


 そう言って、隣をポンポンとした。


「はい、知花。そこに寝そべって?」


「……」


 言われるがままに、あたしは黄色のヨガマットに寝転ぶ。

 ちなみに、父さんは赤で、母さんはピンク。

 うちにあったかなあ?こんなの。

 華月のは紫だったと思うけど…


「見て。あの雲、魚みたい。」


「ふふっ…母さん、あれ魚に見えるの?」


「えー?知花には何に見えるの?」


「んー…コッペパン?」


「…俺には魚にもコッペパンにも見えないけどな。」


「えー、なっちゃんには何に見えるのよ。」


「…新潟?」


「…父さんのが一番ないわ。」


「あははは。」


「言ったな?知花。」



 …なんだろ。

 何だか…


 泣きたくなっちゃう。



「ねえ、なっちゃん。」


 しばらく無言で空を眺めたり、目を閉じたりしてると。

 不意に母さんが、あたしを飛び越した風に言った。


「幸せ自慢大会しない?」


「…幸せ自慢大会?」


 父さんと二人して、母さんを見る。


「そ。あたしとなっちゃんが幸せ自慢するから、知花はそれを聞いて、どっちの幸せが勝ちか判定して?」


「判定って…」


 母さんの言ってる事がおかしくて、あたしは眉間にしわを寄せて父さんを見る。

 父さんは小さく笑って『いいから』って小さく言った。


「じゃ、あたしからいくね?あたしの最初の幸せはねー…7歳の時、ヒロが学校で一番の成績を取った時。」


「…ヒロ?」


 あたしが問いかけると。


「あたしの幼馴染。」


 母さんは笑顔で言った。


 …幼馴染…

 母さんにそういう存在がいたなんて、初めて聞いた。

 あたしは父さんに顔を向けて。


「…知ってる人?」


 問いかけた。


「ああ。何度か会った事がある。」


「そうなんだ…ちょっと意外な登場人物だったから、驚いちゃった。」


 あたしは…母さんは『孤児だった』としか聞いた事がなくて。

 だから、父さんと出会う前の事なんて…何も知らない。


「幼馴染って言うか、まあ家族みたいなもんかなあ。一緒に育ったからね。」


 …珍しいな…

 母さんがこんな事話してくれるなんて。



「俺の最初の幸せは、母親を真似て歌って、それを誉められたことだったかな。」


 父さんは仰向けになったまま、前髪をかきあげて言った。


「…父さんのお母さんは、どんな人だったの?」


 その話も…貴重な気がした。

 父さんが…高原の愛人の息子だって話は、有名だった。

 業界のゴシップ誌で出回ってた事もあって、誰もが知ってたはず。

 そして、その事をいともあっさりと…父さんは、自伝に書いて出版した。

 だけどその自伝は、簡単な生い立ちと…Deep Redが活動休止してからの事。

 つまり、ビートランドを設立してからの事が書いてある。



「美人だったぜ?ホテルのバーで歌ってたんだ。」


「うわあ…じゃあ、シンガーになったのはお母さんの血のおかげね?」


「ははっ…でも16まではロックなんて聴いた事もなかったんだぜ?」


 あたしは…両親の幼い頃の話を聞いて。

 何だか、夢を見てるような気分になった。

 まだあたしは小さな子供で。

 両親に挟まれて…二人の昔話を聞く。



「んー…次はね、あたしの歌をヒロが誉めてくれた時かな。」


「その『ヒロ』くんは何歳なの?」


「あたしと同じ歳よ?」


「そうなんだ…ヒロくんのおかげでシンガー目指したの?」


「ヒロに誉められるより先に、もう夢は持ってたの。だけど、ヒロが誉めてくれたから決断出来たっていうのもあるかなあ。」


 母さんは…シンガー目指してた頃に、父さんと出会ってる。

 そのキッカケをくれた『ヒロ』くん…

 知らない人だけど、感謝したいと思った。


「俺はー…次は何かな。ナオトに出会った事かな。」


「ナオトさんとはいつ出会ったの?」


「15の時に母が亡くなって、高原に引き取られた。それから星高に入って…16の時だな。音楽屋でピアノ弾いてたナオトに一目惚れ。」


 父さんの言った『一目惚れ』に母さんが反応して。


「一目惚れなんて聞いてなーい!!」


 ガバッと起き上がって、そう言った。


「あはは。母さん、妬かない妬かない。」


「妬くー!!」


「仕方ないだろ?その時さくらとは出会ってないんだから。」


「ぶー…」


 母さんの可愛いブーイングを聞きながら、あたしは父さんの話の続きを聞く事にした。


「何だか…聞いててワクワクしちゃう。自伝にはなかった『Deep Redが出来るまで』って感じ。」


 あたしが素直にそう言うと。


「あははははは。ネーミングセンスないな、知花。」


 父さんは大げさに笑った。


「その時ナオトが弾いてたのは…クラッシックだった。それからジャズを弾き始めて『おっ』って思ったね。こいつのピアノで歌いたいって。」


「へえ…それで、ナオトさんに声かけたの?」


 すごく興味深くて、仰向けでいられなくなった。

 何だか…ソワソワしちゃう。

 あたしはうつ伏せになって顔だけ父さんに向けると、その体勢のままで足を少しだけ上げたりした。


「知花がストレッチ始めた。」


 母さんが笑う。


「何だか…じっとしてられなくて。」


「じゃ、あたしもしながら聞こっと。なっちゃん、続けて?」


 あたしと母さんがストレッチと言うかヨガと言うか…マットの上で動き始めたのを見て。

 両手を枕にして仰向けになってた父さんは。


「…俺はこのまま喋るぞ?」


 苦笑いした。


「弾き終えたナオトに『おまえのピアノで歌いたい』って正直に声をかけたら、あいつ…驚いてたな。」


「そりゃあ驚くよね。突然外人がそんな事話しかけて来たら。」


「星高って…父さんの頃はどんな制服だったの?」


 確か今は、紺のブレザーにグレーのスラックス…


「俺の代が最後の、黒の学生服だった。」


「……」


「……」


 つい、母さんと顔を見合わせてしまった。

 父さんの学生服姿…


「それ…写真見たいな…」


 あたしがつぶやくと。


「言われると思ったよー…」


 父さんは右手で目を隠して。


「ナオトにも散々笑いながら言われた。『似合わない学ラン来た外人に、日本語で偉そうに声かけられてビビった』ってな。俺のあの姿はお蔵入りだ。」


 泣き真似をして言った。


「だが、俺が熱烈な告白をしたにも関わらず、ナオトはもうピアノは弾いてないって言った。」


 父さんが起き上がって、あぐらをかいた。

 それにつられてあたしも…座って足の裏を合わせて…ストレッチをする。

 隣では母さんも同じ事を始めた。


「今はバンド組んでキーボードを弾いてるって言われてさ…しかもロックって聞いた時は内心ガッカリした。」


「…父さんがロックでガッカリなんて…信じられないわ。」


 あたしは静かに驚いた。

 あれだけのハイトーンで世界を魅了した、Deep Redの高原夏希が…


「ははっ。今となってはな。だがあの時は…まだ母の死を受けて入れてなかったんだろう。どこか…母と同じ事がしたいと思う自分がいた。」


「……」


 そっか…

 それは…何となくだけど、あたしも似てるような気がした。

 あたしは、母さんのお腹の中にいた時の記憶がある。

 今ではビートランドで知らない人はいない名曲となった『If it's love』を…

 母さんは、いつもあたしに歌いかけてくれてた。


 小さな頃からずっと…あたしの中にあった愛の歌。

 本当のお母さんに会いたい。

 そう思った頃から、あの歌を歌えば…どこかであたしを見付けてくれるんじゃないかって。

 そんな気持ちもあったけど…



「おっと。本当に『Deep Redが出来るまで』になりそうだ。次はさくらの番だな。」


 父さんがあたしの真似をして、足の裏をくっつけてストレッチを始めた。

 あ…意外と身体柔らかそう。


「もー…なっちゃんがそんな話始めたら、聞きたくて仕方ないじゃん…」


「俺だって、さくらの昔話を聞きたい。」


「…二人とも、知らないの?」


 あたしが父さんと母さんを交互に見ながら問いかけると。


「少しは知ってる。」


 二人は同時にそう言った。

 あまりのピッタリ具合にあたしが笑うと。


「あ~、やだなあ。相性バッチリ。」


「仕方ないだろ。」


 二人はあたし越しにハイタッチなんてしてる。

 …幸せそうだな…



「んー…次のあたしの幸せはー…Lipsってお店で初めて歌った時かな。」


「もうそこに飛ぶのか?」


「もうって…あたしその時14だもん。」


「あ…そうでしたそうでした…」


「えっ、母さん14歳の時からお店で歌ってたの?」


「年齢詐称してな?」


「年齢詐称!?」


「だって…そうでもしなきゃ歌わせてもらえなかったんだもん。」


「どー見ても21になんて見えなかったけどな。」


「騙されたクセにっ。」


「言い張るから騙されてやったんだよ。」


「……」



 別居して三週間。

 最初は…一人で眠るのがすごく寂しくて…

 だけど、それにも次第に慣れた。

 お風呂も…そう。


 千里と距離を取って、ちゃんと色々考えて…あたしの気持ちを話したいって思ってるのに…

 あたしは、逃げてる。

 逃げてるけど…


 今、父さんと母さんの話を聞いてて…羨ましくなった。

 あたしも千里と、どんな幸せがあったか…なんて、話してみたい。

 …素直な、あたしのままで。


 だけどそれを千里が受け入れてくれるかどうかが…

 あたしは…怖い。



 少しずつ…自分を出してるつもりでも。

 つい…子供達の顔色を見てしまう。

 そして、ああ…言わなきゃ良かった…って。

 だけど、それじゃ今までと変わらないから。

 千里と別居までして…あたしは自分を取り戻そうとしてるのに。


 …本当の自分って…

 みんな分かってるのかな。

 みんなにそれぞれ、本当ってあるのかな。


 あたしは…今までずっと自分を偽り過ぎて…

 もう、どれが自分なのかも分かんないよ…



「…なっちゃんに本当の歳を言うの、怖かった。」


 ふいに、母さんがうつむいて言った。


「あー…衝撃的だったな…」


「え…?本当の事を話したのって、付き合う前?」


 あたしが二人を交互に見て言うと。


「俺はもう惚れてたからな…かなり童顔の21歳に告白したら、実は…ってさ。」


 父さんは首をすくめて。


「あの時なっちゃん、すごく動揺してた。だからあたしもショックで…自分の事も責めたし、あたしが悪いのに…呆然としてるなっちゃんに八つ当たりした。」


 母さんは、唇を尖らせた。


「それからも…さくらには秘密だらけだった。」


「そ。あたしは秘密のさくらちゃんだったの。」


「何だそれ。」


「ふふっ。」


「……」


 秘密のさくらちゃん…

 それはきっと、あたしも知らない事なんだろうな…って思ったけど。

 あたしは…


「…母さん。」


「なあに?」


「本当の自分を知ってもらうのって…怖くなかった?」


「えっ?」


 あたしの質問に、母さんは目を丸くして。


「あー…」


 首をぐるーん…と回して、空をじっ…と眺めた後…


「…怖かったし、今も怖いなーって思う事あるよ?」


 笑顔で…言った。


「…今も?」


「だって、人ってきっと毎日変化がある。その中で、自分の知らない自分に出会う事だってあるかもしれないじゃない?」


「……」


「それを全て、周りの人が受け入れてくれるとも限らない。だから…あたしだって、言えない事はたくさんある。」


 そう話す母さんを、父さんが…すごく切ない目で見てる事に気付いた。


「でも…一度きりの人生だもん。言わなくていい事は置いといて…言いたい事や知ってもらいたい事は、言わなきゃ損じゃない?」


「言わなきゃ損…」


「あっ、そこを繰り返す?」


「最後だったから。」


「ふふっ。とにかく…大事な人が幸せならそれでいいって思うのは悪い事じゃないけど、大事な人はきっと…あたしにも幸せでいて欲しいって思ってると思うんだよね。」


「……」


 その言葉を聞いて…あたしは…


「…どうした?」


 父さんが、あたしの頭を撫でる。

 ポロポロと…次から次へと、あたしの目から涙がこぼれた。


 あたしは…

 あたしが黙ってれば…あたしが『うん』って言ってれば…って。

 周りが幸せでいられるなら、いいんだ…って。

 そう思ってた。


 本当は、全然いい子なんかじゃないし、優しい女でもない。

 ドロドロした気持ちもたくさん持ってるし、ヤキモチ焼きだし、すぐ拗ねるし僻むし…

 その時口に出して言い返したいのに…飲みこむ。

 笑顔で飲みこんで…腹の中で愚痴を言う。

 それが全部抽象的な英語の歌詞になって…

 …あたしには、素直な恋や愛の歌が書けない。


 ハードロックにはうってつけの歌詞と思われてるのかもしれないけど…

 あたしが歌いたいのは…


 千里への、溢れんばかりの愛の歌なのに…。

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