第25話 「疲れただろ。」
〇二階堂咲華
「疲れただろ。」
「ううん。大丈夫。」
今夜は…初めて、二階堂の本家にお泊り。
昼間、ここの敷地内にある東さんにお邪魔して…ご両親に挨拶をした。
しー…志麻さんとの事。
ご両親はあっけない程、あたしに『幸せになって下さい』と。
ホッとした自分もいるし…
…彼に同情する自分もいた。
今も…あの日の彼の冷たい目を思い出すと…背中が冷たくなる。
あの時泉ちゃんが来なかったら…
彼はあたしとリズをどうするつもりだったんだろう。
「うちの親が桐生院家にはいつ挨拶に行こうって言ってるけど、高原さんに相談したら『もう少し落ち着いてからにしてもらっていいかな?』って言われてさ…」
海さんが、あたしの頭を抱き寄せて言う。
今日は東家に挨拶した後、父さんの所へまた行って…
それから一度桐生院に戻って…
本部から戻った海さんに迎えに来てもらって、一緒にここへ。
二階堂の皆さんがズラリ並ばれた前で…挨拶をさせていただいた。
「うん…ごめんね?お母様には、それとなく…事情を話しておいたんだけど…」
「ああ。心配してたけど、そういうんじゃないからって言っておいた。」
リズはとっくに夢の中。
時々急に笑ったりするから驚いちゃうけど、いい夢でも見てるのかな…?
「それより…お義父さんは大丈夫だった?」
「……」
あたしはその問いかけに、少し悩んで…素直に話す事にした。
「父さん…あたしの頭を抱き寄せて、ポロポロ泣き始めちゃって…」
「え?」
「あんな父さん初めて…」
「青天の霹靂だろうからな…きっと色々思い悩まれてるはずだ。」
「そうだよね…でも、母さんの事、嫌いになるなんてあり得ないって言ってくれたから…それは安心した。」
海さんの胸に顔を埋めてつぶやく。
…ここ数年は…父さんと門限の事で色々ケンカになったりして。
どうせ、あたしなんか…って。
勝手に思ってた。
だけど…
自分が結婚して、酔っ払った勢いで…でも、リズを娘に迎えて。
子育てをしていく間に、色々あたしなりに感じた事もあって…
「そう言えば、『リズ』って呼ぶようにしたんだ?」
海さんがあたしの髪の毛を撫でながら言った。
「うん…あたしの娘だから…って言い方は変かもしれないけど…」
「…分かるよ。」
「ほんと?」
「ああ。」
みんなに抱っこされても、ずっと笑顔のリズに…
あたし、本当は…少し妬いた。
あたし自身、まだリズのママとして成長出来てない。
ママになって、まだ一ヶ月。
手探りな事も多い。
小さな事だけど…
本当に、小さな事だけど。
『リズ』って呼ぶ事で、自分に言い聞かせる事にした。
あたしは、リズのママ。
って。
自信が持てるように。
「…今日ね、父さんが…海さんが現場に安心して行けるよう、毅然としてろって言ってくれた…」
「え…そんな事を?」
「うん…」
あたしはあの時…瞬時に色んな事を思い出した。
ふらふらするな。
毅然としてろ。
父さんには…以前にも、そう言われた事がある。
…その時の話はちょっと…まだ海さんには言いたくないけど…
「父さんがそう言ってくれて嬉しかった。なのに…」
「なのに?」
「あたし、今朝父さんがあたし達の事認めてくれた時、別居で気が動転して認めてくれたのかなーなんて…」
「……」
「それに…アメリカに行く前、あたし…父さんに『嫌い』って言っちゃったの…」
「…それは…堪えただろうな。」
「うん…あたし、娘失格。」
本当……自分にガッカリ。
唇を尖らせて目を閉じると。
「…俺は、お義父さんは…純粋な人だなって思ったよ。」
海さんが小さく笑いながら言った。
「…純粋?何だか…照れくさいな…」
「不器用な人だとも思ったけど、それよりも純粋だって。それに…自分の間違いに気付いたら、それを改める事が出来る人だ。」
「…海さん、父さんを分析しちゃったの?」
「あ…つい、仕事柄…これは内緒で。」
海さんは唇の前に指をおいて『しー』って言った。
「…でも、嬉しい。父さんの事、ナイフみたいって言う人が多いから。」
頬にキスして言うと。
「お義父さんには、ナイフみたいにしてなきゃいけない理由でもあったんじゃないかな。」
海さんが…意外な事を言った。
「…理由?」
「そう言った鎧をまとわないといけない理由。まあ…今となってはもう習慣と言うか…育った環境も関係してるとは思うけど。本来はそんな人じゃないと思う。」
「……」
そう言われると…
いくつか気になる事が浮かんだ。
「…沙都とトシは二ヶ月こっちにいるらしい。」
海さんが耳元で言った。
「そうなの?」
「ああ。だから、咲華も向こうに戻るのは沙都達と一緒にしたらどうかな。」
「…海さんの現場、そんなに長くかかるの?」
「いや、そんなにはかからないけど…ご両親の状態がこんなままじゃ、咲華もほっとけないだろ?」
「うん…」
本当は…海さんと長く離れていたくないけど…
両親の事が気になるのも本当。
だけど…
「大丈夫。現場が終わったら、こっちにも帰るから。」
あたしが不安に思ってると、海さんがあたしの前髪をかきあげて額にキスをした。
「…ほんと?」
「ああ。だから、しばらくこっちで俺を待ってて。」
「…うん。分かった…」
しばらく会えない。
ずっと…一緒にいたから、それはすごく寂しい気がしたけど…
「次に咲華とリズに会う日が、もう待ち遠しい。」
そう言いながらキスする海さん。
「ふふっ…あたしも…」
背中に手を回して…ギュッと抱きしめる。
そして、気持ちを込めた。
必ず…元気で戻って来てね…って。
〇神 千里
「よお。」
「よお…って、早いな。」
高原さんのマンションに住み始めて十日。
華月に教わって洗濯機も使うし、咲華に習ったように干して取り込んでたたむ。
アイロンもかける。
何となく掃除機をかけたりもするし…料理はしないが、休まず仕事も行く。
そして深酒をする事もなく寝る。
…眠れない日もあるが…寝る。
今日は午後から仕事だ。
そんなわけでのんびりした朝を過ごしてると…
「親父、意外とちゃんとしてるんだな。」
華音が来て、部屋の中を見渡して言った。
「元々高原さんの部屋だからな。散らかすわけにはいかない。」
「それにしてもだよ。親父が洗濯してるなんてビックリだ。」
「……」
アイロンもかけてる。とは言わずにおいた。
まあ、咲華から聞いてるかもしれないが。
数日前、海が仕事で渡米した。
咲華とリズはこっちに残ったまま。
華月は二日目に一度来て、腹を立てて帰ったが…その二日後、また何もなかったかのような顔で来て。
『ドレス買ってくれる約束、忘れてないよね?』
…真顔で言いやがった。
咲華は…毎朝、俺が仕事に行くまでの時間に来る。
リズを連れて。
だから、てっきり…咲華が来たのかと思ったが…
「F's、アルバムでも作んの?」
華音がコーヒーを飲みながら言った。
わざわざ来なくても、事務所でも会うのに。
そう思いながら、俺も華音の向かい側に座ってコーヒーを飲む。
「なんで。」
「アズさんの個人練を見学させてもらったんだ。新曲ばっかじゃん。」
「…暇だから作っただけだ。」
「歌詞も出来てんの?」
「ああ。」
俺の言葉に華音は首をすくめて。
「ま、曲作りに専念出来るっつー事で…」
なんてつぶやいた。
「…知花は元気か。」
組んだ足元を見たまま問いかける。
「事務所で会わねーのかよ。」
「会わないから聞いてる。」
「……」
華音は大きく溜息をついて深く沈み込むと。
「なんなんだろーなー…母さん、一人で広縁座ってる事が増えてさ。」
両手を頭の後ろで組むと。
「ばーちゃんは時間をやってくれって言ってたけど、何の時間だ?って思っちまう。」
唇を尖らせてボヤいた。
「俺らから見ても不自然過ぎる。親父と母さんが一緒にいない事が。」
「…あいつがこれを望んだんだ。仕方ない。」
「親父は理由を?」
「さあ。思い当たる事があったとしても、正解かどうかは分からない。知花は何も言わないし。」
「マジかよ。それ、へこむな。」
華音の言いぐさに小さく笑ってしまった。
華月と咲華と続けて来て…
華月は知花の肩を持った。(と、俺は受け取った)
咲華は…さりげなく知花の話題を出しつつも、俺の助けになろうとしてくれている。
華音は思い切り俺寄りだ。
だが、そんなのはどうでもいい。
今俺が思ってるのは…
親として情けない。
これに尽きる。
「…俺の事はいいとして…おまえはどうなんだ。」
コーヒーを一口飲んでそう言うと。
「…何が。」
華音は目を細めた。
「付き合ってる女の事だ。」
「…そんなのいねーし。」
そう言った華音はすかさず唇を触って。
「あー、俺そろそろ事務所行くかな。」
立ち上がった。
…ふっ。
いるんじゃねーか。
〇桐生院知花
「出かけるの?」
玄関で座って靴を履いてる咲華に問いかけると。
咲華は驚いたように振り返って。
「あ…れ?仕事に行ったんじゃ?」
目を丸くして、首を傾げた。
そんな咲華を、抱っこ紐で抱えられたリズちゃんが、キョトンとした顔で見てる。
「行ったんだけど、急遽オフになったから帰って来ちゃった。」
咲華の隣に座って、リズちゃんの顔を覗き込むようにして頬をツンとする。
すると、リズちゃんはくすぐったそうな顔をした後、可愛らしい声で笑った。
「ふふっ。可愛い。」
本当、こっちも笑顔になる。
あたしがそうやってリズちゃんと笑い合ってると…
「…父さんの所、行って来るね。」
咲華が立ち上がった。
「あ…そうなの?」
あたしより視線の高くなったリズちゃんを見上げる。
「うん。」
「…もしかして…毎日行ってた?」
「うん。」
「……」
つい…うつむいてしまった。
別に、いいじゃない。
みんなが…千里と会ってたって。
「母さんも行く?」
「…えっ?」
顔を上げると笑顔の咲華がいて。
「おもしろいわよ?今から行ったら、洗濯物を干す父さんが見れるかも。」
何だか…千里と険悪だった子とは思えないほど、わくわくした顔。
だけどあたしは…小さく溜息をついて、首を横に振ってしまった。
「…母さん。」
「…ん?」
「…ううん。何でもない。行って来るね。」
「あー。ぱっ。ばっ、んばっ。」
手を振る咲華につられて、手をパタパタとさせるリズちゃん。
本当は…居て欲しかったけど…
「気を付けてね。」
何とか作れた笑顔を向ける。
「はーい。リズ、行って来まーすって。」
「ばっばっ。」
「あはは。可愛い。」
咲華がリズちゃんの手を持ってパタパタと一緒に振って。
あたしも、二人に手を振った。
「……」
咲華を見送って…小さく溜息。
きっと咲華は…別居の理由を知りたかったんだと思う。
…そうだよね…
ついこの前まで…普通の顔して一緒にいたのに。
最近は、事務所でも千里に会う事がない。
あたしも極力ルームやオタク部屋から出ないし…たぶん千里もそう。
…会わないって…意外なほど簡単なんだと思った。
そう言えば昔も…あたしは千里と話がしたくて探し回ってたのに、全然見つからない事があったっけ…
…離婚の話をした時だ。
きっとみんな戸惑ってる。
それは、千里が一番…そう。
…単なるあたしの我儘でしかない。
分かってる……ううん、分かってない…か。
あたしは今になって、みんなを振り回してしまってる…
でも…どうすればいいの…?
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