第24話 「よお。」
〇神 千里
「よお。」
「あ、お疲れ様です。」
「……」
「えーと…知花ですか?」
「いや。」
「…陸?」
「おまえ。」
「……俺?」
SHE'S-HE'Sのルームの近くで、早乙女を待ち伏せた。
早乙女はキョトンとした顔で周りを見渡して。
「俺、何かしましたか?」
目を細めた。
「何でだよ。話しがある。時間あるか?」
エレベーターを指差して言うと。
「俺一人?」
「ああ。」
「…大丈夫ですけど…」
早乙女は眉間にしわを寄せたまま、少し猫背になってついて来た。
…何かやましい事でもあんのか?
そう聞いてしまいたくなるほど、早乙女がビクついてる気がする。
「…知花に何か聞いたか?」
エレベーターに乗って問いかけると。
「な…何かとは…何でしょう…」
「……」
狼狽えてる。
「何も聞いてないのか?」
「か…神さんは知花から聞いたんですか?」
「……」
知花から聞いたか?
「何を。」
「え?」
「知花から何を聞いたかって?」
「……」
早乙女の顔から、サーッと音がするほどの早さで血の気が引いた。
元々色白だが、蒼白もいいところだ。
詳しく聞きたい所だが…知花との仲をこじらせたくない。
社食に行くと、いつもより人が少ない気がした。
本当はミーティングルームにしようと思ったが、早乙女を待ち伏せる前に調べたらどこも塞がっていた。
「お茶取って来ます。」
「ああ…サンキュ。」
早乙女は少し動揺した様子のままで、紙コップにお茶を入れて戻って来た。
「…二階堂海は、おまえの子か。」
「……」
思いがけない質問だったのか、早乙女は丸い眼鏡の向こうで目を見開いた。
しばらく沈黙が続いたが…
「…いつも声でバレてしまいます。」
早乙女はうつむいて小さく笑った。
「詩生達は知ってるのか?」
「息子がいる事は。でも接点がないと思ってたので、誰とは言ってません。」
「…接点がないと思ってた…まあ、当然だな。」
「はい…」
二階堂海は…二階堂のトップ。
外の女とは結婚しないはず。
誰もがそう思ってた事だろう。
だが、海は咲華と結婚したし…
詩生はいずれ華月と結婚する。
そうなると…
海と詩生は義理の兄弟だ。
…その前に、すでに腹違いの兄弟か…。
「海は知ってるのか?」
テーブルに肘をついて、両手の指を組む。
親指で唇を触りながら、華音が嘘をつくと唇を触るクセがあったのを思い出した。
「はい。」
「…じゃあ、この前うちで会った時は…」
「驚きました。まさかサクちゃんと結婚するなんて…」
「……」
「…神さん。」
早乙女は背筋を伸ばすと。
「俺は…彼は二階堂環さんの息子だと思ってますが、自分の血を分けた息子だとも勝手に思ってます。だけど、ただ血を分けただけの俺が偉そうに父親ぶる事は許されないとも思ってます。だから本当は、こんな事言える立場ではないのですが…」
俺の目を見たり、少しうつむいたりしながら言った。
「海は…いい男です。とても優しくて…正義感に溢れて…少し不器用かもしれませんが、先日の幸せそうな顔…本当に…」
「……」
「本当…」
早乙女はうつむいて眼鏡を外すと、手の甲で涙を拭いた。
SHE'S-HE'Sは…本当に仲のいいバンドで、それこそ家族のような。
だから、きっとみんなこの事は知っているはず。
だけど、その事を家族にまで言うかどうかは…それぞれの想い次第。
『センには、若い頃に結ばれなかった彼女との間に子供がいる』
遠い昔の話。
俺はそれを、知花から聞いたか噂で聞いたかも思い出せない。
「…嫁さんは知ってんのか?」
「知ってます。この前…桐生院の外で海を抱きしめて喜んでました。」
「…ふっ…」
「神さん、どうか…二人の結婚を…」
俺は大きく溜息をついて紙コップを手にすると。
「今朝一緒に飯を食った。『神さん』って呼ぶのをやめろと言っておいた。」
そう言って、お茶を飲んだ。
「え…っ…」
「俺も…復縁する時は桐生院の親父さんに、だいぶ嫌われてたのを思い出した。」
「……」
「一瞬だったけどな。」
お茶を飲み干して立ち上がる。
「とりあえず、モヤッとしたから確認に来ただけだ。時間取らせて悪かったな。」
「…いえ、ありがとうございます。」
早乙女は立ち上がって俺の手から空の紙コップを取ると。
「今度…飲みに行きませんか?」
珍しい事を言った。
「茶じゃねーだろーな。」
「ははっ。それもなかなかいいですけどね。アルコールを。」
「ああ。都合のいい時に誘ってくれ。」
「必ず。」
早乙女とはそこで別れた。
海の親とはまだ会えてないが…麗の結婚式で面識はある。
ただ、当時二階堂は秘密組織で…あまり外部の者と接触しないと言われた。
だから、桐生院の親父さん達も…麗の結婚式以来、年に数回の電話のやりとりぐらいしか接点がなかったと聞いた。
うちの子供達は、陸経由で遊びに行ったりもしていたようだが…
「……」
知らなかったのは俺だけじゃねーだろーな。
「……」
マンションに帰ると…
「あ、おかえりー。」
咲華がいた。
「…ただいま…って、おまえリズは。」
「寝てる。」
咲華が指差した和室に、リズはバンザイのポーズでスヤスヤと眠っていた。
つい…目元が緩む。
「…海は。」
「お仕事。」
「……」
咲華は、今朝一緒に洗濯して干した俺の服を、ベランダから取り込んでくれていたらしく。
「さ、これたたんで。」
カゴを俺の前に差し出した。
「帰ってすぐそんな事を…」
「母さんは帰ってすぐ、料理したり洗濯物たたんだりしてるよ?」
「……」
なんで俺が知花と同じようにしなきゃなんねーんだよ。
今もハッキリと分からない別居の理由。
その原因の一つに…俺が何も出来ない事っつーのが入ってるなら?
まあ…やらなきゃいけねーんだろーなー…とは…思う…
まずは手を洗って、ソファーに座っている咲華の隣に腰を下ろした。
「…おまえは二階堂に行かなくていいのか?海は明日向こうに行くんだろ?」
咲華を見ないままそう言うと。
「行ったよ、今日。今夜もあっちに泊まる。」
咲華も…手元を見たまま言った。
「今日行って…東さんのご両親に…挨拶して来た。」
「……」
『東さん』…な。
「何か言われたか。」
「…幸せになって下さいって。」
「問題はないんだな?」
「…ご両親とは…ね。」
「……」
「…帰国する前に…向こうで会ったの…」
「…志麻とか。」
「…うん…」
咲華を見る。
伏し目がちの咲華は、俺の二日分の洗濯物をカゴから仕分けしているようだ。
「一瞬…誰だか分からないぐらい…痩せて…って言うか、やつれてた。」
「……」
「目付きも…あたしの知ってる彼じゃなくて…」
「…咲華。」
「…え?」
「今、あいつには時間が要るんだろう。だがそれは咲華が気に病む事じゃない。」
「……」
咲華の手元からタオルを取ってたたみ始める。
「志麻には志麻の道があるはずだ。おまえはもう違う道を歩いてる。」
「…うん…」
「確かに、違う意味で近い存在にはなってしまったかもしれないが…それでも毅然としていろ。海だって気にならないわけはない。だがおまえが毅然とする事で、海は安心する。」
「……」
「現場に出向く海に、不安な顔は見せるな。」
「……うん。そうだね。」
タオルをたたんでるだけなのに、大仕事な気がした。
そんな自分に小さく笑いたくなった。
はー…
ほんとに俺は…。
それからしばらく無言で洗濯物をたたんだ。
こうしてると…知花がどれだけいつも几帳面に片付けてくれていたか分かる。
元々、家の事をするのは好きだと言っていた。
最初の結婚の時も…こういう言い方はどうかとも思うが…完璧だった。
若干16歳で、家事全般が。
高原さんの話だと、義母さんもそうだったと。
うちの子達は、義母さんと知花にベッタリだったから…自然と家の事も出来るようになっていたのかもしれない。
俺は勝手に、そこは俺のテリトリーじゃない。なんて思ってたのか…
いつも高みの見物だった。
…まさか咲華と並んでこんな事をするなんて、夢にも思わなかった。
俺と咲華はなぜか…よく険悪になってたしな。
周りにも『華月には甘いのに咲華には厳しい』って言われたが…
「…咲華。」
シャツにアイロンを掛けようと言われて、生まれて初めてのアイロンを手にして。
「…何?」
「俺は厳しいか?」
これまた…咲華の顔を見ずに問いかける。
「……どうしてあたしにだけ?って思ってた時期もあるけど、別にもういいよ。」
「おまえにだけ厳しくしてたつもりはないが…一緒にいる時間が少なかった分、そう取られても仕方なかったとも思う。」
「…だから、もういいって。なんか…こんな言い方したら…父さんに悪いけど…」
咲華は少し言いにくそうに、だけど俺のアイロンを持つ手つきが怖かったのか『もっとしっかり持って』と言ったあと…
「この別居…あたしにとっては良かったなあ…って。」
小声で言った。
「……」
その言葉に、俺がフリーズしてしまうと。
「あっ、ごめん。でもさ…なんか…桐生院にいると、絶対誰かいるし…こんな風に父さんと話すなんて出来なかったと思うから…」
咲華は慌ててそう付け足した。
「別に大家族が嫌いなわけじゃないし、居心地が悪いわけでもないんだけど…あたし、なんて言うか…」
「……」
「一人だけ蚊帳の外…って思う事がよくあったから…」
それを聞いた俺は、アイロンをゆっくり置いて。
咲華の頭を抱き寄せた。
「なー…なっ、何?」
「悪かった。」
「……」
「そんな想いをさせて…悪かった。」
「…父さん…」
「……」
涙が出た。
娘の前で泣くなんて…俺も歳を取ったなー…
「…あたしの勝手な被害妄想だよ…父さんも母さんも、あたしにとってはカッコいい両親だし…華音だって華月だって…おじいちゃまもおばあちゃまも聖も…最高の家族だもん…」
咲華が俺の背中に腕を回して、ポンポンとする。
「あたし…そうやって卑屈になって、ちょっと忘れちゃってたけど…」
咲華も涙声で。
それが…よりいっそう俺の涙を止まらなくした。
「思い出したよ…父さんがあたしの事、いつも…守ってくれてた事…」
「……」
「嫌い…なんて言って…ごめん…」
「ふ……っ…」
…こんなに泣いたのは…何年ぶりだろう。
知花から別居を言い渡されて、かなり堪えた。
誰にも会いたくないほど。
それでも仕事には行かなきゃなんねーし、歌う事もやめられない。
ここ数日で俺の生活は激変して、自信も…なくなりかけてた。
「…母さん、言ってた…父さんの事好き過ぎて、自分が分からなくなった…って。」
「……」
「だから…母さんの事、嫌いにならないで…時間をあげて?」
俺は涙を拭って顔を上げると。
「…安心しろ。あいつを嫌いになるとか、有り得ねーから。」
まだ少し心細い気持ちを隠しながら…そう言った。
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