第22話 「うおっ…な…なんだ?」

 〇神 千里


「うおっ…な…なんだ?」


 仕事から帰って裏口のドアを開けてすぐに、知花がそこにいて驚いた。


「…おかえりなさい。」


「ああ…ただいま。どうした?」


「…話があるの。」


「……」


 ぶっちゃけ…最近少しトゲのあった知花が…昨日今日と、さらに冷たい気がして。

 そんな中での『話がある』は…少し嫌な予感がした。


 もしかして、昨夜部屋で眠らなかった事か?

 それとも、咲華が帰ってすぐ、結婚の報告にダメ出しした事か?

 しかしアレは当然だ。

 酔っ払って結婚したんだぞ?

 いくら今愛し合ってるとは言え、その課程に文句つけるぐらい普通にある。


 正直、リズを構いたくて少し早めに帰ったが…

 知花が真顔なもんだから、おとなしく部屋に入った。

 大部屋は賑やかなんだろうか。

 たぶん華音も華月も、今日は早く帰ったはずだ。

 なんたって…リズが可愛くて仕方ない。



「…千里、あたし…」


 部屋に入ってすぐ、知花が俺を振り返って言った。


「あたし…しばらく、父さんと母さんのマンションに行く。」


「……」


「……」


「……あ?」


 知花の言った事が、すぐには脳に伝わらなくて。

 俺は、首を傾げて知花を見たまま、もう一度。


「あ?」


 繰り返した。


「…少し…離れたいの…」


「……離れたい…」


「……」


「…離れたいって、何と。」


「…何って…あなたと…距離を置きたいの…」


「……」


 今…知花はなんつつった?

 距離を置きたい…

 俺と、距離を置きたい…つったか?


 …俺と。


「…あれか?前に…別れたいって言ったらどうするかっつって聞いてきた…あれか?」


 頭の中が混乱してて、支離滅裂だ。

 知花が…俺と距離を…


「…少し…離れて考えたいの。」


「何を。」


 知花の腕を掴む。


「何を考えたい。離れなきゃ考えられないのか?」


「い…痛い。」


「答えろ。何があって距離を置きたい?どうして俺から離れたい?」


「千里…離して…痛い…」


「答えろ。」


「は…なしてったら!!」


「……」


 知花に腕を振りほどかれて、ハッとした。

 俺は今…力いっぱい…


「…悪い…痛かったか?」


 知花の腕に触れようとしたが、知花は両手で自分を抱きしめるようにして…一歩退いた。


「……」


「あたし達って…何?」


「…は?」


「あたしと千里って…何?」


「何って…夫婦だろ?」


 何言ってんだ。

 おまえ、何言ってんだよ。


「…ビートランドの会長を引き継いで欲しいって話…されたでしょ?」


「…それが何だ。」


「どうしてあたしに話さないの?」


「…それが距離を置きたい理由か?」


「あたしが聞いてるの。」


「……」


 知花が…俺を見据えるような目で、低い声で言った。


 …なんなんだよ…

 おまえ…


「あたしに話したって、何も決まらないって思ったの?」


「…そんなんじゃねーよ。」


「じゃあどうして?悩んでる事、あたしには打ち明けられないの?」


「……」


 俺が大きく溜息をつくと、知花は目を細めて。


「あたしは、千里のご飯の支度をして、一緒にお風呂に入って一緒に寝てればいいって事?」


 吐き捨てるように言った。


「…何なんだよ。おまえらしくない。何かあったのか?」


「全然答えになってない。」


「……」


「あたしらしくないって何?これが本当のあたしだったら…千里は…あたしの事…」


「……」


「あたしの事…」


 知花が目いっぱいに涙を溜めて、うつむいた。


 これが本当の知花だったら?

 …そんなの…


 あるわけねーだろ。






「あはは。見て見て。リズちゃんたら、お兄ちゃんとお姉ちゃんの顔ばっかり見てる。」


「おい、リズ。俺がママだぞ。」


「やっやめてよ!!」


 …我が家の食卓は…リズのおかげでいつもよりさらに華やかで。

 みんなが笑顔だった。



 部屋で知花から別居話しを持ちかけられて。

 百歩譲って、俺が二階に部屋を移す。と『家庭内別居』を申し出たが…

 知花は断固として『あたしが父さんのマンションに行く』と言い張った。


 咲華が帰ったばかりだ。

 孫を欲しがってた知花が、リズから離れるこたーない。

 …俺が高原さんのマンションに行く事にした。


 晩飯の前に、その事を二階にいる高原さんと義母さんに話しに行った。

 どうか…二人にはこのまま桐生院に戻って欲しい、と。

 二人はすでに話を知っていたのか…特に驚く様子もなく。


『すまないが、知花に時間をやってくれ』


 と高原さんに言われた。

 …時間…な。



 みんなには特に何も話さず出て行く事にした。

 高原さんのマンションは、昔アズと瞳と三人で暮らしていた事もある。

 空いてる部屋を使ってもいいと言われて、自分の荷物を簡単にまとめると、俺は一人でマンションに向かおうとしたが…


「今夜は俺も一旦帰る。」


 高原さんが、車に乗り込んで来た。



「……」


「大丈夫か?」


 マンションについて、高原さんが酒を出してくれた。

 それをチビチビと飲みながら…俺は無言だった。


 今日だぜ…?

 今日…

 いつもみたいに、仕事から帰ったら風呂に入って晩飯食って…

 昨日帰って来た咲華とリズと…仕方ないが海も交えて。

 寝るまでの時間を、笑って過ごすはずだった。

 それが…


「……大丈夫じゃないっす…」


 俺がビートランドの引き継ぎの件を話さなかったから?

 …バカ言うな。

 くだらねーな…

 くだらねーよ…



「…知花と初めて会ったのは、ビートランドの会長室でだった。」


 高原さんが、話し始めた。


「ウィッグと似合わないメガネ。どこかボンヤリもしてるような子で…そうそうたるメンバーを従えて歌ってると知った時は、バンドにそぐわない実力ならメンバーごと千里に…なんて思ったもんだ。」


「……」


「あの頃すでに…知花は自分を抑えてたんだな。」


「…抑えてた?」


「あんなに実力のあるシンガーなのに、歌ってる時以外は常に自信がなさそうだった。」


「……」


 それは…

 昔、聖子にも朝霧にも陸にも言われた事だ。

 知花がいつも自信を失くすのは、俺の事が絡んだ時。


 だけど二度目の結婚をして…ずっと平和にやって来たのに…

 なぜ…



「もし…知花が千里の思ってる知花と違ったら、おまえは知花を嫌いになるか?」


「まさか。」


 高原さんの問いかけに、鼻で笑ってしまった。

 そんな事、あるわけがない。


「忠実におまえの意見を聞き入れるのが知花だ。って思ってないか?」


「…え?」


「桐生院家では、ずっとおまえは絶対だったんだろう?」


「……」


「知花の意見を聞いて、それを優先したり取り入れてやった事はあるか?」


 …急にそんな事を言われて、俺は戸惑った。

 戸惑ったけど…


「…俺がそういう性格だっていうのは、あいつも知ってるはずですけど。」


 俺が高原さんの目を見て答えると。


「……ま、いい機会だと思って、お互いの存在価値を確かめてみる事だな…」


 高原さんは目を細めてそう言った。


 …存在価値?

 俺にとって、知花は欠かせない存在だ。


 …だが…

 あいつには…?




 〇高原さくら


「………別居?」


 あたしは、華音・華月・聖・咲華・海さんを前に…今、ここに千里さんがいない経緯を話した。


「あ…えーとね、でも、そんなぎょうぎょうしい事じゃないの。」


「別居だろ?十分ぎょうぎょうしいじゃねーか。何があったんだよ。」


 華音がテーブルに前のめりになって、早口で言った。


「そうだよ…さっきまで一緒にいたのに…」


 華月が泣きそうな顔で、唇を噛んだ。


「…姉ちゃんから切り出したのか?」


 聖が沈んだ声でそう言って。

 あたしは…


「うん…でも、これって別に最悪な事態に至る別居じゃないから。」


 両手でグラスを囲むようにして言った。


 …そうだよ。

 別れたいわけじゃないの。

 知花は…千里さんの事好き過ぎて、何かと闘ってるんだよ…

 その何かが、あたしには分からないんだけど…



「…何だよ。おまえは知ってたのか?」


 華音が咲華にそう言うと。


「…知ってたって言うか…母さんとおじいちゃまが話してるの聞いちゃって…」


 咲華はバツの悪そうな顔で首をすくめた。


「えっ?お姉ちゃんが聞いたって事は…昨日…今日?」


「…今日…だから…そんなすぐにこうなるなんて思わなくて…」


「今日って…マジかよ…姉ちゃん、どうしたんだろう…」


 みんなが難しい顔をしてうつむいてると…


「…ごめんね?こんな事になって…」


 部屋で待機してるはずの知花が、リズちゃんを抱っこして大部屋の入り口に立ってた。


「…ほんとは、あたしがあっちに行くつもりだったんだけど…」


「親父が何かしたのか?浮気とか?」


「違うわよ…ただ少し…本当に少しだけ、離れてみたいなあって。」


「離れてみたいなあって…」


 少し呆れた口調でそう言った華音に、知花は目を細めて。


「千里をかわいそうって思うなら、華音もあっちに行けば。」


 すごく…

 すごく、らしくない口調で、らしくない事を言った。


 当然、みんなが無言になって知花を見てると。


「…やっぱり…そうだよね。みんな、そんな目で見るよね。」


 何だか…知花はガッカリした顔をして。


「…おやすみ。」


 リズちゃんを抱えたまま、部屋に戻って行った。



「……今の、どういう事?」


 華月が誰にともなく問いかける。


「…あれが本当の母さん…って事なのかな…」


 咲華がそう答えると。


「…咲華とか華月に言われるならともかく…母さんに言われたと思うとズキズキする。」


 華音が胸を押さえて。


「…ノン君には悪いけど、俺は今の姉ちゃんにスカッとしたかな。」


 聖が…腕組みをして言った。


「姉ちゃん、ずっといい妻でいい母親だったからなー…もちろん俺にとってもいい姉だし。でも、どこかで無理してたんじゃね?」


「…無理…」


「自分がこうしてれば、全部丸くおさまる、とかさ。」


「……」


 聖の言葉に、誰も何も言わなくなった。

 それは、みんながそれに思い当たったから。


「しばらくほっといてやろーぜ。姉ちゃんも親父も。」


 聖は軽い感じでそう言って。


「俺、ビール飲も。」


 立ち上がって冷蔵庫に向かった。



 …聖ー!!

 ありがとう!!




 〇東 圭司


「どうしたのかな。久しぶりに神から変なオーラが出てる…」


 俺がそう言うと、京介は超目を細めて。


「…俺は何も見なかった事にする…」


 そう言って、神とは少し離れた場所に座った。


「…親父、何かやらかした?」


「え?何で俺が何かやらかしたら、神からあのオーラが出るわけ?」


「……」


「映がいつまでたっても『Why?』のベースソロをミスるからじゃない?」


「う…」


「冗談だよー。」


「くそ親父め…」



 神、昨日は孫に会いたいからって早く帰ったんだよね。


 …じゃあ、もしかして…

 孫に嫌われたとか?

 リズちゃん可愛かったもんな~。

 あの子にプイッとかされたら、神泣いちゃうかも?



「かーみっ。」


 俺が飛びつくようにして神の隣に座ると、後ろから『おまえの親父は命知らずだな…』って映に言ってる京介の声が聞こえた。

 命知らずって、大げさだなあ。


「どした?何か落ち込んでる?」


 肩に手を掛けて顔を覗き込むと…


「…神…?」


「……」


 神が無言で俺を見た。

 あれ…?

 こんな顔の神は…ちょっと見た事ないかなあ…

 …って言うぐらい…


 こ…

 怖いっ!!


「……」


 無言でゆっくり立ち上がって、そーっと京介と映を連れてルームから出る。


「…何だよ。」


「しっ…食堂行こ。食堂。」


「えー…」


 渋る二人を連れて、俺は食堂に行って。


「神が…ナイフみたいだった。」


 すっっっごく、声を潜めて言った。


「……今更。」


「バカだなあ京介。ナイフみたいって言われたのは大昔だよ?再婚してからの神は、全然ナイフじゃなかったじゃん。」


「…そっかな。俺にとっては、神さんはずっとナイフだったけど…」


「物言いがキツイってだけだろ?気持ちは誰よりも優しい奴なんだけどなー。」


 ほんとに。

 神って、俺から言わせると誰よりも優しいよ。

 俺の愛する瞳よりもね。

 さりげない気遣いなんかが特にさ。


 …気になるなあ…

 あんな様子の神…



「俺、ちょっと戻る。」


 立ち上がってそう言うと。


「はあ?おまえが連れて来たクセに?」


 京介は呆れたように言ったけど。


「だってさ、やっぱり気になるから。」


 そう言いながら、俺はもう駆け出してたよ。

 あー、何で神を一人にしちゃったかなあ。

 ナイフみたいだとしても、神って…

 すごく寂しがり屋なんだよ…。



「……」


 少し遠慮がちにルームのドアを開けると…


「…神?」


 神は、テーブルに突っ伏してるような低い体勢で…何かしてた。


「…何してるのかな~…」


 小声でそう言いながら、背後から神の手元を覗き込む。


「……」


 えっ。


 俺、心の中で叫んでた。

 俺達が社食に行ってたのって…ほんの数分だよ?

 今の間に…こんなに!?


 テーブルには、神が殴り書きみたいに書いてる歌詞の紙が三枚もあって…

 さらに書き続けてる。


「……」


 一枚を手にして読んでみる。

 F'sは全部英語歌詞で、俺はあんまり得意じゃないけど瞳にも特訓されて喋れるぐらいではある。

 …でも、この歌詞って…


 何だろ。

 ぞくっとするような攻撃的な歌詞に思えるけど…

 なんて言うか…


 神…

 悲しんでる…?




 〇二階堂咲華


「…母さん。」


 あたしがリズちゃんを抱っこして呼びかけると。

 広縁にいた母さんは少しだけ振り返って。


「あ、リズちゃん起きたの?」


 笑顔になった。


「うん。お腹すいちゃったみたい。」


「ふふっ。食いしん坊さんね。もう食べた?」


「ううん。今から。ちょっと見ててくれる?持って来るから。」


「ええ、もちろん。はい、リズちゃんおいで~。」


「あー。」


 母さんの伸ばした手に、リズちゃんを預ける。

 今は…リズちゃんが母さんの癒し。

 …良かった。



 大部屋に行くと、おばあちゃまと海さんがいて。

 何か…図面みたいな物を開いてる。


「…何?それ。」


 あたしが目を丸くして問いかけると。


「防犯カメラをつけようと思って。」


 おばあちゃまは、笑顔。


「…そう。」


 あたしも笑顔で答える。

 普通はそういうのって警備会社に頼んだりするんだよ?って内心思ったけど。

 うちでは当たり前みたいに…おばあちゃまや母さんがそういう物を作ってしまう。


「リズ、起きたのか?」


 海さんがボールペンを持ったまま顔を上げて、それだけの事なのにあたしは少しキュンとしてしまった。

 だって…

 仕事は持ち帰らない人だから…こんな風に図面を前に何か書き込んでる姿って…

 カッコいい。

 あ…あたし…ほんと…恥ずかしいぐらい『あばたもえくぼ』なのかもしれない…


「咲華?」


「あっ、え…ええ。今母さんに見てもらってる。」


 キッチンでリズちゃんのご飯を用意して。


「じゃあ、ここにDOKLを取り付ければいいのかな?」


「そうですね。そうすれば広範囲に渡ってセンサーが察知して認識作業に入ります。」


「認識作業はどれぐらい?時間がかかるのはいただけないよね。」


「そうですが…屋外でのそれには少なくとも5秒はかかると思います。」


「5秒か~…あっ、でも、DOKLのチップにSLを埋め込んだら速くならないかな。」


「チップにSLを?SLって、チップに対応出来る強固さはないと報告を受けてますが…」


「えへへ…それがあたし、補強方法見付けちゃったんだよね。」


「えっ?そ…そうなんですか?……さすがですね…」


 二人の会話を聞いてて…少し『ん?』と思った。

 おばあちゃまが電気系統に詳しいのは知ってるけど…

 海さんに『さすが』って言われるのは…何となく違和感だったから。

 向こうで面識はあったって聞いてたけど、そこまで知ってたのかな?


 あたしはリズちゃんのご飯と、母さんのお茶を乗せたトレイを持って広縁へ。


「お待たせ。」


 ゆっくりとトレイを床に置くと、リズちゃんは早く早く!!と言わんばかりに前のめりになった。


「あはっ。もう…咲華にそっくりな食いしん坊。」


「…みんなに言われちゃう。」


「可愛い子ね…はい、リズちゃん。あーんして?」


 リズちゃんは嬉しそうに口を開けて、母さんに食べさせてもらった。



 あたし、何か母さんに言ってあげられる事ないかな…

 …だけど、理由が分からないから…何も言えない…


「…咲華。」


「ん?」


「咲華は…海さんに何も遠慮しないのよ?ありのままの咲華で…海さんにぶつかるのよ?」


「……」


 それを聞いて…

 聖が言ってた事が、別居の理由なのかな…って思った。


「母さんは、父さんに遠慮してたの?」


 リズちゃんの頬についたご飯粒を取って食べると、母さんは小さく笑って。


「そうね…遠慮って言うか…それが正解って思ってたのかな…千里の事好き過ぎて、自分が分からなくなっちゃった…」


 笑ってるんだけど…

 悲しそうな目で、そう言った。

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