第21話 「知花。」

 〇桐生院知花


「知花。」


「え?」


「ちょっと広縁においで。」


「…じゃあ、紅茶入れるね。」


「ああ。」



 父さんに誘われて…あたしは一度キッチンで紅茶を入れて、チョコレートやクッキーも一緒にトレイに乗せて…広縁へ。


 ここは、景色が良くて。

 何か…少し心の内を話すには、最適な場所。

 って…

 父さん、何か気付いてるんだね…。



 昨日は…咲華が帰って来て。

 一ヶ月前一人で旅立ったけど、昨日三人で帰って来て。

 なもんだから…すごく揉めて。


 だけど。

 結局は…夕べは大宴会で。

 あんなに反対してた千里も華音も…今朝は、リズちゃんの可愛らしさにメロメロになってた。



「咲華、幸せそうだ。」


 あたしが腰を下ろしてすぐ、中の間でリズちゃんと横になってる咲華を見て、父さんが言った。


「…ね。本当。」


 海さんは朝方まで起きてたにも関わらず、今朝はきちんと起きてみんなと朝食をとって。

 みんなが仕事に行って、少しして…


「私も一度二階堂に戻ります。」


 リズちゃんに釘付けになってる、あたしと母さんに言った。


「…そうなの…?」


 あまりにも、あたしと母さんがガッカリな顔をしたのか。


「…あ、咲華とリズは置いて行きますので、どうか…宜しくお願いします。」


 海さんはすごく…遠慮がちにそう言ってくれた。

 …悪かったなあ…



 咲華は緊張が解けて、やっと…時差ボケが来たみたいで。

 海さんが出かけてからは、リズちゃんと寝てばかり。

 母さんは、沙都ちゃんと曽根君と出かけようかな~なんて言いながらも、父さんをほっとけなくて。

 そうすると、それに気付いた父さんが。


「さくら、沙都と仁志を事務所に連れて行って、新しくなった部屋を見せてやってくれ。」


 そう言って、三人を送り出した。


 仁志…

 あ、曽根君か。


 今、うちにいるのは…父さんとあたしと、咲華とリズちゃんだけ。

 休みをもらえた聖は華月と出掛けて。

 千里も、一時間ぐらい前にようやく…出掛けたくなさそうな顔をして、仕事に出た。



「知花。」


「え?」


「…ちょっと、寝転ぶか。」


「えっ?」


 突然、父さんが座布団を何枚か持って来て。


「ほら。横になって話そう。」


 あたしの隣に、ごろんと横になった。


「……」


「さ、ほら。」


 トレイを挟んで、あたしと父さんは座布団を敷布団みたいにして…寝転んだ。



 庭の下の方にある木から、セミの鳴き声が聞こえる。

 今年は少ないなあって思ってたけど、あたしの耳がそこに向いてなかっただけなのかな。

 …なんて…

 大して気にもなっていない事、考えてしまう。


 だって…

 父さんと、こんな所で寝転ぶなんて。



「…知花は…小さな頃からずっといい子だったそうだな。」


 ふいに、父さんが話し始めた。


「…え?」


 あたしは自分の右腕を枕にしてたけど、少し顔を上げた。


「貴司とばーさんが言ってた。麗と誓の面倒をよく見てくれて、家の手伝いもよくしてくれてたって。」


「…父さんとおばあちゃま…そんな事を?」


「ああ。手のかからない、いい子だったって。」


「……」


 並べた座布団の上、両手枕で仰向けになってる父さんの目は、閉じられたまま。


「貴司が気にしてた。大人の顔色を見る子にさせてしまったって。」


「…そんな事…ないよ…」


 な…なんだろ…急に…

 何だか落ち着かなくて、寝転んでなんかいられなくなった。


「…知花。」


「…ん?」


「……」


 父さんは目を開けてむくっと起き上がると、トレイをずらして…


「…えっ?」


 あたしの乗った座布団二枚をギューッて、自分の隣に引っ張って…


「よし。」


 笑った。


「お…重かったんじゃないの?無理しないでよ…」


「まだこれぐらいはイケるぞ?ジジイだから無理だって思ったのか?」


 父さんは前髪をかきあげながらそう言って、またゴロンと寝転んだ。


「……」


 どうしたらいいか分からなくて…座ったまま父さんを見下ろしてると。


「どうした。横になれよ。」


 父さんは、片手で座布団をポンポンとした。


「……うん。」


 ゆっくりと…父さんの隣に横になる。

 ちょっと緊張…


 だって、桐生院では…自分の部屋以外で寝転ぶなんて、した事ないし…

 ましてや、父さんの隣だなんて…



「…瞳とはずっと昔、あいつが辛い時に…こうして隣で横になった。」


「…そうなんだ…」


 ゆっくり流れて行く雲を眺めながら、小さく返事をした。


「何か、思い悩んでるんじゃないか?」


「……」


 問いかけられて…一瞬、口に出してしまいそうになったけど…飲みこんだ。

 あたしの悩みなんて…

 瞳さんが辛かった事と比べたら…


「何でもいい。思ってる事、ちゃんと話せ。人の顔色を見て、自分の気持ちを飲みこむな。」


「……」


 人の顔色を見て…自分の気持ちを飲みこむな。

 そう言われて、少し胸が痛んだ。

 やっぱり…昨日のあたしを見て、みんな違和感って思ったのかな。


「…あたし…」


「うん。」


「…あたしは、黙って千里の言う事を聞いてれば、このまま家族みんな幸せでいられるのかなあ…って…」


 あたしがそう口にすると、それまで仰向けになって空を見てた父さんが、ゆっくりあたしを見た。


「…色々我慢を?」


「我慢…我慢って言うのとは違うかもしれないけど…」


 千里は…いつも自分の意見を通す。

 それが正しいと思うあたしもいるし、あたしの意見に耳を傾けてくれない千里に…

 あたしは何なのかな。って…強く思い始めたのも事実。


 ずっと、こんな感じでやって来て。

 それで家族が幸せでいられるなら、それでもいいのかもしれない。って…自分で納得させてた事もある。


 …だけど。



「…ねえ。」


「ん?」


「父さんから見て…最近のあたしは、おかしい?」


 あたしがそう問いかけると、父さんはあたしの前髪をゆっくり撫でて。


「おかしいと言うより…考えながらそうしてるって感じに思えるかな。」


 優しい声で言った。


「そうしてる?」


「千里に少し冷たくしてないか?」


「……」


「千里と何かあったのか?」


 あたしの頭を撫でてる父さんの手と、声が優しくて…


「…あたし…」


 我慢が出来なくなったあたしは…


「ああ、どうした?知花。」


 つい泣いてしまって…


「ははっ…知花が思い悩んで泣いてるのに…笑ってすまない。」


「…いっ…いいの…っ…」


「大丈夫だ。何があっても、知花の味方はたくさんいる。」


 父さんはあたしの頭を抱き寄せて。


「おまえは、貴司にとっても俺にとっても…可愛い娘だ。いつだって…そばにいるし、力になる。」


 そう言って…何だか少し嬉しそうに…笑った。





 〇二階堂咲華


「……」


 その時あたしは…起きてる事を悟られないように、母さんとおじいちゃまに背中を向けて寝てた。


 …知らなかった…

 母さん…そんな事思ってたんだ…



 おじいちゃまが、母さんに『そばにいるし、力になる』って言った後。

 母さんは、涙声で…


『ずっと自分を隠して生きて来た。だから本当のあたしを知ったら、みんな幻滅すると思う。』


 …そう言った。

 おじいちゃまはそれに対して…


『そんなのは誰にでもある事だ。知花に限った事じゃない。』


 そう言ったけど…母さん…自分を隠して生きて来たって…どういう事?

 あたしの知ってる、ふわっとして優しくて可愛い母さんは…本当の母さんじゃないって事?


 確かに…昨日、父さんと華音に冷たい顔をした母さん。

 あたしの味方をしてくれた。って…その時は力強く思っただけだけど…

 よく考えると、おかしいよね。


 だって母さん。

 今までなら…父さんの言う事は絶対だから…

 諦めて呆れた顔をするだけか…

 海さんが土下座してくれた時も…本当なら、あたしより先にしちゃうタイプだよ。


 なのに昨日は、土下座をするどころか。

 父さんに食ってかかった。

 父さんから、目を逸らさなかった。

 父さんが負けてた。


 …あたしがいない間に、何があったの?



「…ごめん…」


「なぜ謝る?何も謝る事なんてないぞ?」


 しばらく黙ってた二人が話し始めて。

 あたしは耳を澄ます。


「…あたし…父さんが思ってるような娘じゃないのよ…?」


「俺が知花をどんな娘だと思ってるって?」


「……」


「ふっ。俺とさくらの娘なら完璧だって思うとでも?」


「そうじゃないけど…」


「現状が嫌なら何か変えればいい。小さな事でも。ただ、それに対しての人の反応を気にするな。」


「……」


「図星だろ?」


「…うん。」


「考えがあって千里に冷たくするならそれもいい。だが、一番いいのは話し合う事だぞ?」


「…言葉に…出来ないの。」


「それを言い訳にするな。」


「……」


「わけも分からないまま冷たくされる千里の気持ちも考えてやれ。」


 おじいちゃまの言葉は…正しいけど厳しかった。

 あたしなら泣いてしまうかもしれないレベルだけど…


「…そうだよね。」


 母さんは、さっきよりずっとハッキリ答えた。


「あたし…言葉に出来ないなんて…言い訳。言葉にするのが怖いだけ。」


 …どういう事?

 母さん…


「…父さん。」


「ん?」


「あたし…しばらく父さんのマンションに居候していい?」


「え?」


 えっ!?


「千里と…距離を置きたいの。」


「…知花…」


 か…母さん!?

 距離を置きたいって…


 べ…

 別居!?



 〇高原さくら


「………え?」


 その時あたしは、真顔のなっちゃんに首を傾げて。


「…え?」


 何度も…『え?』って繰り返した。

 だって…


「知花が、千里と距離を置きたいそうだ。」


 なっちゃんが冗談言ってる。


「冗談じゃないぞ?」


「…なんで分かったの?」


「笑ってるから。」


「えっ、あたし笑ってた?」


「ああ。」


 なっちゃんはあたしの頬をギュッとして。


「ニヤニヤしてる。」


『めっ』とでも言いたそうな顔をした。


「…ニヤニヤなんてしてないよ~………でも…信じられなくて笑ったかも。」


 なっちゃんの手を取って、そのまま両手で包む。


「…距離を置きたいなんて…どうしてかな…」


「…泣きながら、人から思われてるような自分じゃないって言ってた。」


「……」


 そんなの…

 そんなの言ったら、あたしだってそうなのに。

 あたしなんて…みんなに秘密だらけ。

 消したい過去だってある。

 だけど、今が大事だから…


「ずっと自分を隠して生きてきた…とも。」


「……」


 それを聞いて、あたしは胸が痛んだ。

 知花…


 全てが今となっては…だけど。

 貴司さんは、あたしに『死産だった』って言った。

 そして、出て行けって言われたあたしは…桐生院を出た。

 どうしてあたし、あの時…素直に受け入れちゃったんだろう。

 出て行けって言われても、ここに居れば…



 貴司さんもお義母さんも、あたしにはハッキリ話さなかったけど。

 二人とも、なっちゃんには話してた。

 たぶん…自分の罪を誰かに話しておきたかったのだと思う。

 二人は、あたしをとても愛して大事にしてくれたけど…罪悪感もたくさんで、真実は話してくれなかった。


 そして、あたしは…それをなっちゃんに。

 あたしを傷付けるから言わないっていうのは無しで、ちゃんと話して欲しいって伝えた。

 あたしの知らない貴司さんとお義母さんの事。



 なっちゃんがあたしを受け入れてくれて、二人の時間はたくさんあった。

 時間をかけてゆっくり…あたしの記憶が戻るのを把握しながら。

 なっちゃんは…たぶん全部じゃないけど…

 色んな事、話してくれた。


 知花がインターナショナルスクールの寮生になる羽目になった経緯や。

 次第に…二面性を持つようになってしまった事。

 寮生として学校で過ごしていた頃の知花と、桐生院での知花は違う。

 ウィッグをつける事で、仮面をつける事も覚えてしまった知花。

 …もしかして、今も…

 仮面をつけたままだと言うの?



「…知花、千里さんと話し合うって…?」


 なっちゃんの胸に寄り添って言うと。


「どうかな…知花自体、色んな事で揺れてるみたいだから。」


 なっちゃんは、あたしの頭を撫でながら答えた。


「色んな事?」


 その言葉に引っ掛かって、なっちゃんを見上げると。


「…ここから先は、俺と娘の秘密。もう少しハッキリしたら話す。」


 なっちゃんは、自慢そうに唇の前に指を立てて言った。



 …ずるいー!!




 〇二階堂 海


「えっ?」


 その時俺は…背中にへばりついて泣きそうな声の咲華に問いかけた。


「それ…いつ聞いた?」


「…海さんが二階堂に戻ってる間…」


「それで眉間にしわだったのか…」


「えっ?そんなに?」


 咲華は俺の背中から離れると、両手の平で顔のあちこちを押さえた。


「ははっ。大丈夫。」


 そんな咲華の腰を抱き寄せて、額にキスをする。

 向こうではいつもしてた事だが…ここは日本で、咲華の実家。

 昨日ここに挨拶に来たが、咲華の部屋に入るのは…これが初めて。

 昨夜は大部屋で神さんと華音に挟まれてうとうとして。

 先に部屋で休んでた咲華とリズとで寝たいと思ったが…何となく、和室で寝る事を選んだ。


 まだちゃんと認められてない。

 そう思ってる俺には、桐生院で咲華と普段通りにするのは気が引けた。


 沙都とトシの寝言を聞きながら。

 そして、咲華の叔父である聖の微動だにしない寝姿に心配になりながら。

 怒涛の一日を思い返して…少しだけ眠った。



 今日は二階堂に顔を出して、それから本部に行って。

 仕事の段取りを色々と済ませて桐生院に。

 リズは知花さんが大部屋であやしてくれてて。

 二階に高原さんとさくらさんがいる。と聞いた以外…誰もいない。


 昨日、今朝とあれだけの人を見ていただけに、六人いても寂しい気がする。

 それほどに広い家。



「思いもよらなかった…母さんが父さんと距離を置きたいなんて…」


 咲華の泣きそうな顔を見て、俺も少し気持ちが沈んだ。

 俺の知る限り…神さんは愛妻家で有名だし、知花さんも神さんを愛して止まない。

 とても愛の溢れた夫婦で、それを見習いたいとも思っていた。

 …その二人がそれじゃ…

 咲華は、しばらく向こうに帰る気になんてならないかもしれない。


 少しの間、日本にいたいと思ったが…

 俺が滞在できるのは、長くても三日。

 別々に帰る事になるだろうとは思っていたが…


「咲華。」


「ん?」


「俺は…あと三日しか居られない。」


「……」


 俺の告白に咲華は少し瞬きを多くしたが、それ以外は普段と変わらない様子で。


「そっか…仕事もあるし、そうだよね…」


 そう言って…俺の胸に来た。


「…海さん…」


「分かってるよ。こんな状態で帰れるわけがない。咲華とリズだけでも、しばらくこっちに居るといい。」


 咲華の頭を撫でながらそう言うと。


「…いいの?」


 咲華が顔を上げて俺を見た。


「もちろん。俺もそうして欲しい。」


「…でも寂しい。」


「それは俺も。」


 軽く唇にキスをして、頬に触れる。


「だけど、こういう時だからこそ…リズの存在が大きいと思うんだ。今も知花さんベッタリだしな。」


「…そうだよね……ところで…」


 咲華は少し間を空けた後。


「あたし達、もう結婚してるのに…どうして『神さん』とか『知花さん』って言うの?」


 少し拗ねた唇で言った。


「…お義父さんお義母さんって呼んだ方が?」


「うん。」


「…だよな。」


「抵抗ある?」


「まだちゃんと認められてないって思ってるからな…」


「……」


 俺の言葉に無言って事は、咲華もそう思ってるらしい。


「大丈夫。俺が咲華の夫として認めてもえらるのは、そう遠くない気がする。」


「ほんと?」


「…どうかな。」


「もうっ。」


「ははっ。まあ、一度に全部を欲張るのもな。とりあえずは迎え入れてもらえただけでも。」


「…うん。」


 そう。

 今は…咲華のご両親の事が…重要だ。

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