第17話 「えー?あたしは連れてってくれないの?」

 〇神 千里


「えー?あたしは連れてってくれないの?」


 目の前で、知花が唇を尖らせた。


「…今日は華月と約束してるんだ。」


 そう。

 今日は華月と約束をしている。


 昨日、咲華から『週末に帰国する』と連絡があった。

 俺の歌を聴いてる、とも。


「…いいわよ…一人で出かけるから…」


 知花が可愛らしく唇を尖らせる。

 そんな事してもダメだ。

 今日は華月との約束だからな。


「父さん、母さんも一緒に…」


 華月が気を使ってそう言ってくれたが…


「おまえ、いちいち娘に妬くな。」


 俺は知花にピシャリ。

 今日は華月のための買い物だ。

 三人で買い物なんて、俺には無理だ。

 なぜなら…

 知花に集中してしまうからだ。



「そうね。二人で楽しんで来て。」


 知花は少し首を傾げて、ニッコリな笑顔になると。


「行ってらっしゃーい。」


 俺と華月の背中を押して、玄関から追いやった。

 カラカラと音を立てて締まる引き戸。

 俺はそれを背に受けながら歩き始めたが…


「…父さん、どうして一緒じゃダメなの?」


 華月は拗ねたような口調で言った。


「知花とは二人で出掛けたいだけだ。」


 それしかない。


「それって、ちゃんと言わないと母さんに届いてないと思うよ?」


「別にいい。」


「別にいいって…あたし前から思ってたけど、こんなんじゃいつか母さん、浮気しちゃうよ?」


 ムッ。


「今までしなかったんだ。これからもするわけがない。」


 俺が堂々とそう答えると。


「すごい自信…まあ、もし母さんが浮気しても、あたしは母さんの味方しちゃうけどね。」


 華月は…イラッとする事を言った。


「おまえ、自分が浮気された時の辛さを忘れて言ってんのか?」


 足を止めて、華月の顔を見て言うと。


「…父さんって…」


 華月は…誰かにそっくりな、唇の尖らせ方をして。


「もういい。買い物行かない。父さん一人で香津で食べて仕事行けば。」


 ケンカ腰にそう言って、玄関に戻ろうとした。


「おまえが誘っておいて、それはないだろ。」


「それはないだろは父さんよ。」


「あ?」


「自分がイチャイチャしたい時だけ母さんに優しくて、母さんが買い物したかったりどこか行きたいって言った時は、いつだってのらりくらり理由つけて断っちゃってさ。」


「……」


「母さんがかわいそう。父さんとイチャイチャしてる時より、事務所で里中さんとアンプ直してる時の方が、母さん楽しそう。」


「……」


 グサッ。

 グサグサグサッ。


 今俺は…華月に胸を何度も突かれたぞ…

 い…痛い…


 しかし…

 痛いって思うって事は…図星だって事だ。


 華月はくるっと俺に背中を向けて、足早に庭を歩いて潜り戸から出て行った。

 俺は…しばらくそこで途方に暮れていたが…


「…買い物…」


 もう、それはないと思いながらも…歩いて外に出た。



「……」


 当然だが、華月はさっさとどこかに行ったらしく…その後ろ姿さえ見えない。


『自分がイチャイチャしたい時だけ母さんに優しくて、母さんが買い物したかったりどこか行きたいって言った時は、いつだってのらりくらり理由つけて断っちゃってさ。』


 俺がくっつきたい時だけ優しい…?

 なら、俺はいつだってくっつきたいから、常に優しいって事じゃねーか。


 知花の希望を、のらりくらり理由をつけて…断ってるか…?

 …断ってるな…


『母さんがかわいそう。父さんとイチャイチャしてる時より、事務所で里中さんとアンプ直してる時の方が、母さん楽しそう。』


 …里中とアンプを直してる時の知花は…確かに楽しそうだ。

 だがそれを、俺とくっついてる時より楽しそうだ…と。

 娘に言われるなんて。


「…ダメージ大き過ぎる…」


 なんなら、この道の真ん中にでも倒れてしまいたいぐらいのダメージだ。

 俺はそんなに…知花に対して酷い男か?


 そりゃあ…買い物には、あまり付き合わない。

 俺と買い物に行ったって、買い物が進まないに決まってる。

 俺は、知花が何かを選ぶのが可愛くてたまらないが…

 知花がそっちに真剣になると、つまらないからだ。

 …知花の『欲しい物』にヤキモチだ。



「……」


 しばらく門前に立ち尽くしてしまった。

 だがもうどこにも出かける気力がない俺は…裏口に回って家に入った。


 大部屋に入ると、知花は…一人で映像を見ていた。

 …昔々の…SHE'S-HE'Sの映像…

 大部屋の入り口に立ったまま、その様子を眺める。


 歌う知花は…刺激的だ。

 攻撃的だったり、妖艶だったり…

 いつも俺の腕の中にいる女とは…別人になる。

 そんな知花をカッコいいと思うし、誰よりも優れたシンガーと尊敬もしている。


 だが…何より…

 世界一、可愛い女だ。

 そんな知花が俺の妻でいてくれる事は…


「…千里?」


 ふいに、知花が俺に気付いて…映像を停めた。


「…どうして停める?見てていい。」


「どうしたの?華月は?」


「……」


「…千里?」


 俺はゆっくり大部屋に入ると、座ってる知花の隣に腰を下ろして。


「…俺は…おまえの夫として、最低か?」


 知花の目を見て言った。


「…え?」


「華月に言われた。知花の望みを叶えないって。知花は俺といる時より、里中とアンプ直してる時の方が楽しそうだってさ。」


「……」


 知花は大して驚きもせず…無言で俺を見つめる。

 ゆっくりと横になって、知花の膝に頭を乗せた。

 華月に言われた言葉が…痛過ぎた。


「…グサグサ来た。」


 前髪をかきあげると、知花が優しく…頭を撫で始めてくれた。

 …あー…癒されるな…


「まさか華月にあんな事言われるとは…」


「あたしが華月の前で拗ねたのがけなかったわね。ごめんなさい。」


「…もとはと言えば、俺…だよな…」


 目を閉じて、溜息をつく。

 咲華が帰って来るというのに…今度は華月と…


「…ねえ、千里。」


「ん?」


 俺の頭を撫でながら、知花が言った。


「もし…あたしが別れたいって言ったら…どうする?」


「………え?」


 すぐには、その言葉が理解出来なかった。

 今…知花は…なんて言った?

 …別れたい…?


「おまえ…別れたいのか?」


 俺は知花の膝から起き上がって、問いかけた。


 嘘だろ…?

 別れたいって…


「…もしって言ったじゃない。」


「もしなんかあるか。」


「……」


「どうしてそんな事言う。」


「…何でもないの。聞いてみただけ。」


「それを聞きたくなった理由を言え。」


「……」


 つい、まくしたてるように言ってしまうと、知花は溜息をついて…


「…理由…なんだろ。よく分かんない。」


「分からない?」


「分かんない…ほんと…」


「…知花…」


 俺は…知花を抱きしめて。


「俺にはおまえしかいねーんだよ…」


 耳元でそう言った。


 本当に…

 俺には、知花しかいねーんだよ。



 しばらくそうしていると、知花は俺の胸に身体を預けるように寄りかかって。


「…ごめん…おかしな事言って…」


 小さくつぶやいた。


「…俺に不満があるな」


「そんなの、ないから。」


 俺の言葉を遮るように、そう言った知花。


「そんなの…ほんとにないから…」


「……」


 ないのに…

 なんでおまえ、そんなに泣きそうな声なんだ…?



 〇里中健太郎


 今日も腕が鳴る修理品がてんこもり。

 こんな日に知花ちゃんがいないのは残念だ…なんて思いながら、難易度Gぐらいのアンプを分解してると…


「里中さん…あの…あの…」


 スタッフが、こぞって通路を指差した。


「ん?」


 通路を見ると、神がそこにいて。

 俺と目が合うと、右手の人差し指をクイックイッと。


 …来いって?

 俺?


 自分を指差すと、神はコクコクと頷いた。


「さっ里中さん、神さんと仲良しなんですか?」


 一気にスタッフが色めき立つ。


「いや、仲良しっつーか…まあ、話しぐらいはするけど。」


「えっ、いいな~!!神さんと仲良しなんて!!」


 だから。

 仲良しとは言ってないって。


「て言うか、知花ちゃんの旦那さんだぞ?彼女の方がすごいし。」


 作業用のエプロンを外しながら言うと。


「それはとっくに分かってます。神さんの奥さんって事を抜きにしても、あれだけのボーカリストですし。」


「そのうえ、機械いじりも天才的ですもん。」


「そそ。だから知花さんに話しかけるのもド緊張。」


「この部屋で一緒に作業してるなんて、いつも夢みたいって思ってます。」


 スタッフ達は、神の視線を気にしながら…そんな事を言った。


「はは……じゃ、ちょっと出て来る。」


「行ってらっしゃーい!!」


「……」


 元気良く送り出されて、部屋を出ると。


「…わりいな。仕事中。」


 神が、申し訳なさそうに言った。


 …あれ?

 元気ないな。

 この前見掛けた時はスキップでもしそうな勢いで、つい笑ってしまったのに。



「一昨日、知花来てたよな。」


「え?ああ。」


「あいつの様子…どうだった?」


「…知花ちゃんの様子?」


「ああ。」


「どうって…普通に作業してたけど…」


「そうか…」


 神は深い溜息をつくと。


「……あいつに…」


 すごくゆっくり…初めて聞くほどゆっくり…


「あいつに……」


「……」


「…あいつ……」


「早く続き言えよ。じれったい。」


 つい、イラッとして言ってしまうと。

 神はあからさまにムッとして。


「悪かったな。」


 前屈みになってた身体を起こして、前髪をかきあげた。


「何だよ。言いにくい事か?」


 話は聞こえないものの、こっちをチラチラ見てるスタッフの目が気になった俺は、神を一階のミーティングルームに誘った。



「…知花の『友人』として、おまえから意見が欲しい。」


 どういうわけか、神が俺にコーヒーを買ってくれた。

 ありがたいが、違和感しかない。


「…友人…」


 知花ちゃんの友人。

 それは…ちょっと複雑な気がした。

 友人…

 うーん…

 仕事仲間だけど…友人かと言われると…

 俺はぶっちゃけ、恋心に変わりそうな気持ちを必死で抑えてるぐらいだからな…


 あまり友人って立場には…憧れがない。

 それが、永遠にそばにいられる立ち位置だとしても、だ。

 …て事は。

 俺、あわよくば…って思ってる事になるあ。

 ははっ。


 一人で自己分析して笑いそうになってると。


「知花に、『別れたいって言ったらどうする』って聞かれた。」


「……」


「……」


「……はあ?」


 神の告白に、俺は顎が外れそうになるほど驚いた。


 わ…別れたい?

 知花ちゃんが、神と?


「い…いやいやいやいや、それはないだろ。」


 俺が右手をブンブン振って言うと。


「なぜ言い切れる?」


 神は目を細めた。


「だってさ…知花ちゃん、マジでおまえの事大好きだよ。」


「……」


「好き過ぎて辛いなんて言うんだぜ?まったく…大きな子供もいるのにさ、そんなに長く愛されてるなんて、俺は神が羨ましいね。」


 あ。

 つい…羨ましいと言ってしまった。

 が…


「…知花がそんな事を?」


 神は…『好き過ぎて辛い』の方に感激してた。


 …ホッ。


「別れたいなんて…な…何でそんな事言ったんだろうな。理由聞いたのか?」


『羨ましい』を消し去りたくて、早口で問いかける。


「理由を聞いたら、分からないと言われた。」


「え?」


「別れたいと思う理由を聞いたら、分からないって。」


「……」


 神は…こう見えて愛妻家で有名だ。

 テレビ出演でも指輪は絶対外さないし、雑誌のインタビューでプライベートな事を聞かれても、自分については多くを語らないけど『俺の嫁は』になると素性を明かしてない知花ちゃんの自慢が止まらない。


 事務所でもいたる所で知花ちゃんを捕まえてはイチャイチャして…『帰ってやれ』ってみんなに言われて嬉しそうにして…

 周年ライヴなんかでも、仲睦まじい様子を見せ付けるし…


 知花ちゃんにとっては、何の心配も不安もないはずだけど。

 …でも彼女は、自分に自信が持てないって言う。


 何でだろうな…


 あれだけ歌えて、神に溺愛されて…

 それでも…足りない?



「娘さん、もうすぐ帰ってくるんだろ?」


「ああ…今週末。」


「それも関係あるとか?」


「連絡があった時、嬉しそうに返信してたぜ?」


「んー…本当は行かせたくなかったって言ってたぐらいだから、彼女の中でも色々葛藤があるとか…?」


「……」


 俺は憶測でしか言ってないが、神はテーブルに肘をついて、組んだ指を口元に当てて。


「…子育てに関しては、ずっと知花に任せっぱだったからな…あいつの方が思い悩む事多いよな…」


 後悔してる…って感じの声。

 …昔はナイフみたいな男だって言われてたけど、実際神は優しい奴だと思う。

 昔から。

 ただ、もっとちゃんとした言葉で、知花ちゃん自身に伝えた方がいいと思う事を…言ってないんだろうな。

 だから、それが彼女に伝わってないのかもしれない。



「…週末、良かったらうち来いよ。」


 立ち上がりかけた神が、俺に言った。


「…はっ?」


 驚いて、丸い目で神を見上げる。


「娘が帰って来る。」


「それは聞いたけど…なんで俺?」


「大勢で迎えてやりたい。」


「…わけ分かんねーなあ…神。」


「行く事には反対したが、本人にとっては正解だった。」


「正解?」


「吹っ切ったって連絡が来た。」


「…それなら大勢より、家族だけで温かく迎えてやれよ。」


 ほんと。

 それが正解じゃ?


「…昔から、みんなに愛される娘だった。だから、大勢でおかえりって言って、笑顔で迎えてやりたい。」


「……」


「おまえがどうなっても、ちゃんと見てくれてる人はいるし、迎えてくれる人もいるんだ、ってな。」


 そのやり方は…ちゃんと伝わるかどうか謎だと思ったが。

 神の愛は意外と…

 俺が思うより、ずっとずっと大きいんだなと思った。


「…気持ちは嬉しいけど、俺、明日からイギリスに出張。」


 立ち上がりながら言うと。


「そうか…残念だ。」


 神は小さく鼻で笑った。


「くだらない事で呼び出して悪かった。」


「くだらない事か?一大事なんだろ?」


「ああ…まあそうだな。」


「娘さんが帰ったら、状況も変わるかもな。」


「…それもそうだな。」


 肩をポンポンとしてミーティングルームを出る。

 神はそのままロビーを歩いて行ったが、俺は神の後姿を見てた。


 …あわよくば…なんて、浅はかだ。

 知花ちゃんはとても魅力的だけど、神みたいに完璧な男が旦那じゃあな…

 もしかして知花ちゃん、神の事、試してんのかな?


 ボンヤリとそんな事を考えてると、神がクルッと向きを変えて。

 まだ俺が立ってるのを見付けると、足早に近付いて来て。


「言い忘れた。」


 真顔で言った。


「あ?何を。」


「サンキュ。」


「……」


「じゃあな。」


「…ふっ。ああ。」


 ポケットに手を入れて、神を見送る。


「……さ、仕事に戻るか。」


 あいつは…

 周りが思うよりずっと…

 純粋で優しい男だな。

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