第16話 「知花、風呂入ろうぜ。」

 〇神 千里


「知花、風呂入ろうぜ。」


 仕事から帰って、キッチンにいる知花に声をかけると。


「…あたし、寝る前に入る。」


「……」


 あれ?

 どうした?

 今、すげーそっけなかったが…

 昨夜の可愛い知花はどうした?


「…じゃあ俺もそうするかな…」


 つぶやきながら座ろうとすると。


「手洗った?」


「…洗ったけど?」


「…そう。」


「……」


 うちは…裏口から帰ると、すぐに手洗い場がある。

 だから、帰ってすぐの手洗いうがいは習慣みたいなもんだ。


 それにしても…なんだ?

 やけに、つっけんどんだな。



「ただいまー。」


 俺が座って新聞を開いた所に、華月が帰って来た。


「…今日は早かったな。」


「え?あたし、いつも早いよ?」


 華月は、俺の向かい側に座ってニッコリ。


 嘘付け。

 最近、早乙女家に入り浸りじゃねーか。

 俺が無言で追究しようとすると。


「それより父さん、今日ナンシーから『あなたのパパってセクシーね』って言われちゃった。」


 華月は話しを逸らした。


「…ナンシー?」


 眉間にしわを寄せて問いかけると。


「Angel's Voiceのリーダーよ。モデルもしてるの。F'sとの撮影が終わった後、あたしとも撮影したのよ?」


 華月は『知らないの?』と言いたそうな顔で言った。


「あの衣装でか?」


「あの衣装って?どんな衣装だったの?」


「出てる範囲の方が多かった。」


「…だから広報の男性陣がくっついて来てたのね。あたしの時は、ジーンズだった。」


「そりゃ奴らは残念だったな。」


 新聞を開いて、興味なさそうにつぶやく。


 お、幸太の会社が載ってる。

 日本に帰る気はねーみたいだな。



 華月が立ち上がって知花の所に行って、撮影の話を始めた。

 すると華音が帰って来て、知花の手元を覗いてつまみ食いをする。

 …咲華が旅立つ前と、なんら変わらない光景。

 なのに…何かが微妙に違う。


 晩飯の後、華月が華音と洗い物を始めて。

 俺が睡魔と闘ってる間に…

 知花が。

 一人で風呂に入った。


 大部屋に取り残されてた俺は…


「何で誘わない。」


 少し拗ねた。


「…眠そうだったから。」


「……」


「入って来たら?」


 知花はそう言って、うつむき加減に部屋に入った。



 …ああ。

 一人で入るさ。

 俺だって一人で風呂ぐらい入れるんだ。


 ただ…

 知花と一緒じゃねーと…寂しいだけだ。




 それから…

 知花はいつも通りだったり、また少し冷たいなと感じさせたり。

 日によって違った。

 だが、一緒に風呂に入れば笑いながらその日の事も話すし、何の心配もないように思えた。


 やがて、咲華が旅立って一ヶ月が経とうとして。

 俺は…その事が頭から離れなくなった。


 咲華は…ちゃんと連絡して来るのか。

 その場合、俺にもそれは来るのか。

 それとも、誰かだけに来るのか。



「…そわそわしてる?」


 風呂で、知花が俺を振り返った。


「…なぜ。」


「…何となく。」


「……」


 こいつ…分かってるクセに、聞きやがったな?


 ああ。

 そわそわしてるさ。

 こんなに一ヶ月が長いと感じる事はなかったが…

 今となっては、心の準備のためにもう少しあっても良かった気もする。


 …何だって俺は…

 娘にビクビクしてんだ?



「あー、あちー。」


 風呂から出て大部屋に行くと。


「父さん、お姉ちゃんからメール来たよ。」


 華月が嬉しそうにそう言った。


「…そうか。」


 見ると、華音も聖もスマホを手にしている。

 …ちゃんとみんなにメールをしたのか…


「……」


 俺にもそれは来てるのか?

 ドキドキしながら、さりげなく…なつもりでスマホを手にする。


 …来てる。


『咲華です。元気です。心配かけてごめんなさい。旅立たせてくれて、ありがとう。週末に帰ります』


「……」


 メールの文章はいいとして…宛先に…七人の名前。

 顔を上げると、みんなが俺を見てた。


「…ま、咲華らしーよな。一括送信。」


 華音が苦笑いをしながら、フォローのつもりで言ったんだろうが…


「…義母さん達にも一括送信か。」


 渡米を後押ししてくれた義母さん達にも一括送信とは…

 どこの恩知らずだ?

 俺が少しイライラし始めると。


「えー?咲華からメール?ちゃんと覚えてたのね。ちょうど一ヶ月だもんね。」


 ちゃんと髪の毛を乾かした知花が大部屋に入って、スマホを手にした。


「お土産頼んじゃおうっと。」


 …俺とは正反対に、嬉しそうだ。


 おまえ、一ヶ月の間…イライラしたりモヤモヤしたりしなかったのかよ。

 当初里中から聞いた話とは、酷く違う気がするぞ。



「千里、返信した?」


「…別にいーだろ。」


「どうして?待ってたんじゃないの?」


「…おまえが返信したなら、俺はいい。ビール。」


「…はいはい…」


 …はいはい?

 おまえ、めんどくさそうに言ったな?

 俺は首だけ振り返って知花を見る。


 知花は冷蔵庫の前に立つと。


「ビール飲む人ー。」


 振り返ってみんなに聞いた。

 …ほんのり、笑顔で。



 全く…

 勝手に婚約を解消して、一ヶ月誰とも連絡を取らないなんて言って。

 約束の一ヶ月が経ったと思ったら、一括送信。

 咲華は、こんなに気配りの出来ない娘だったか?

 本当にみんなに心配をかけたと思ってるなら、個別に連絡するのが筋じゃねーのか?


 俺がムカムカしながらビールを手にすると。


「父さん、明日時間ある?」


 隣に華月が来た。


「明日?」


「買い物行かない?」


「…買い物?何の。」


「…嫌ならいいもん。」


「嫌とは言ってない。」


「…じゃ、気が向いたらでいいや。あたし、オフだから家でゴロゴロしてるから連絡して。」


 少し拗ねた風な華月を見て、俺は自分が不器用な事に(今更)気付いた。

 咲華の事で、少なからずとも落ち込んでる風に見えただろう俺を、励まそうとしてくれてる華月。

 …だが、今はその華月の力を持っても…俺の機嫌は直らなかった。


 咲華は…ただ単に、俺に個別に出す事をためらったから、一括送信したんだ。

 きっとそうだ。


 そうこうしてると、華月のスマホに咲華から連絡が来たらしい。


「あ…あたしは…ほら、返信したから…」


 そうか…と思ってる矢先、知花と華音と聖のスマホも続けて鳴った。

 …どうせ俺は返信してねーし、咲華は返信がない奴には連絡しないって事だよな。


「…寝る。」


 おもしろくなくて、ビールを一気に飲んで立ち上がった。


「えっ、でも…まだこんな時間だよ?」


「別にいい。」


 週末なんか来なくていいのに。

 なんて、我儘なガキみたいな事を思ってると…


 ♪♪♪


 俺のスマホが鳴った。

 ゆっくりスマホに視線を落とすと。


『この一ヶ月があたしにはすごく宝物になりました。すごく怒ってたかもしれないけど、本当に感謝してます。ごめんね、父さん』


「……」


 …なんだよ、おまえは。

 最初からこうやって…


 …ごめんね、父さん…か。


 ふっ…と。

 気持ちの糸が緩んだ。

 俺は今、何に怒ってた?

 俺だけが蚊帳の外みたいな気になって…腹を立ててたのか?

 咲華は、この一ヶ月で志麻との別れを清算出来て、ちゃんと俺にも…感謝してくれてる。

 …俺は…自分の娘の事を信じてなかったのか…

 サイテーだな…


 俺が、本当に小さく溜息をつくと。


「…千里、もう一杯飲む?」


 知花が立ち上がった。


「…ああ。」


 俺はもう一度座って。


「明日、香津で昼飯食って買い物行くか。」


 華月に言った。


「うん。行く行く。」


 ふっ。

 可愛い娘め。



 それから…

 風呂上りの華音を交えて、Live aliveの映像を見た。

 ぶっちゃけ…全然頭になんか入って来なかったけど、みんながそこにいて笑っていられたのが良かった。


 俺の大事な家族。

 いつかは結婚してこの家を出て行くかもしれないが…

 それまでは、出来るだけ…

 こうしてみんなで笑っていたい。



 深夜に解散して、ベッドに入ったが…

 神経が高ぶってるのか、すぐに目覚めてしまう。

 それでも何度か眠ろうと努力したが…

 四時過ぎにはそれを諦めて、一人大部屋に座った。



『とーしゃーん。しゃく、こっかあとびゅよ?』


『待て。そんな危ない事するな。』


『ろんがしたみたいにしゆのー。』


『華音と同じにしなくていい。』


『とびたいー。』


『じゃあ待て。父さんの手の中に飛べ。』


『うん!!しゃく、とうしゃんのとこ、とびゅー!!』


『よし、来い。』


『えーい!!』


『うおっ…おまえ、重くなったな…』


『かーしゃーん!!つぎは、かあしゃんとこ、とびゅよー!!』


『え…えっ?母さん、受け止められるかな…』


『かあしゃんのあとは、じーだよー!!』


『おっ…おお。じーのとこ、いいぞ?』


『んっとね、じーのあとはぁ、おおばーちゃ!!』


『大ばーはやめとけ。さくらちゃんにしろ。』


『しゃくりゃちゃん、ろんがいゆから、いちあんしゃいごー!!』



「……」


 俺は懲りもせず…また子供達の小さな頃の映像を見始めた。



 咲華は…大人の顔色を見る子供だった。

 華音が義母さんにベッタリで、その分俺と知花が寂しく思ってるんじゃないかと、子供ながらに気を利かせてくれてたように思う。


 華音が義母さんにだけにベッタリだったのに反して…咲華はまんべんなく、誰の所にも行って笑顔を見せた。


 …華月は俺に似てクールだったから、誰の所にも行かない子供だった。

 来る者は拒まないタイプだったが…。



 咲華からのメールの後、華音が沙都のマネージャーになった曽根酒店の息子とメールのやりとりをしていた。

 週末に沙都と共に帰国するから、うちに泊めてくれ、と。

 俺は咄嗟にそれを了承した。


 …咲華が帰って来る。

 その時…大勢の奴らに咲華を出迎えて欲しいと思った。

 何なら、その日オフのメンバーは全員来て欲しいぐらいだ。

 咲華の小さな頃を知ってるSHE'S-HE'Sの面々には特に…

 あの咲華も、こんなに大きくなったんだぞ…って…



「…ふっ…」


 俺は…本当に親バカだな。

 一ヶ月前には、咲華を忘れる。なんて言うほど腹を立ててたのに。


「……」


 俺は時計に目をやって、スマホを手にする。

 咲華に…メールの返信もしてなかった。

 この時間…咲華は何をしてるのか。


『待ってる』


 一言、そう書いて送ると。

 間もなくして…


『もう起きてるの?』


 返信があった。


「……」


 しばらくそれを眺めた。

 咲華からの返信に、本当は飛びあがりたい気分だった。


『目が覚めた』


『年寄りは朝が早いって言うものね』


『誰の事だ?』


『今、F's聴いてた』


『どの歌だ』


『Never Gonna Be Alone』


「……」


 離れた地で…娘が俺の歌を聴いてくれている。

 それも咲華が、だ。

 咲華は音楽の道に進んでいないだけに…歌についてどう思ってるかなんて話す事もない。


 スマホにでも入れてくれてたのか?

 聴ける状況にしてくれていた事が嬉しい。

 今まで誕生日や父の日にもらったどのプレゼントよりも、嬉しい気がした。



『名曲だな』


『自画自賛?』


『そうとも言う』


『あたし、彼の事吹っ切れたよ』


「……」


 テンポよくメールをしていると、思いがけない返事が来た。


 …吹っ切れた…か。

 正直、俺なら一ヶ月そこらで吹っ切れる気はしない。

 だが、咲華は吹っ切れたと言う。

 それは…この旅が正解だったと認めるべきだ。


 …俺は最後まで反対したが…結果咲華には良かったって事か…。

 俺も父親として、まだまだだな。



『おまえになら、すぐにいい男が現れる』


 ただの慰めの言葉しか思い浮かばなかったが、本音でもある。

 咲華になら…本当にすぐに、いい男が見つかるはずだ。

 志麻のように…いや、志麻以上に。

 そして、もっと早くに咲華をかっさらいに来てくれる奴…が、俺はいい。


『週末にね』


 その咲華からの返事で…俺はメールを終えた。

 思えば、咲華とメールなんて…した事があったか?

 俺はメールが面倒で、すぐに電話をする。

 咲華は、普段あまり誰とも連絡を取らないから、と携帯を部屋に投げっ放しにしてたりする。


「……寝るか。」


 俺はもう一度部屋に戻って、知花の隣に潜り込むと…



「千里、起きて。」


「…まだ寝る…」


「何言ってるの。華月と約束したでしょ?」


「…まだいい…」


「…冗談でしょ?もう、早く起きてってば。」


「…キスしてくれたら起きる…」


「も…もう…」


「…おふくろ、してやれよ。」


「…華音もいるのか…」


「だから…早く起きてってば…」


「…だから…キスしてくれたら起きる…」


「…俺、仕事行くわ。」


「…いってらっしゃい。」


「親父、あんま母さんに面倒かけんなよ。」


「…黙れ…おまえは仕事行け…」


「はいはい。」


「千里。約束でしょ?」


「…耳元で…優しく言ってくれ…」


「…もうっ…」


 …華音を従えてまで、俺を起こしに来た知花を。

 イライラさせるほど…寝坊した。

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