第13話 「……」

 〇神 千里


「……」


 俺はその後ろ姿を見て。

 カレンダーを見て。

 もう一度、後姿を見て。


「知花。」


 声をかけた。


「…え?」


「おまえ、今日スタジオじゃねーか?」


 カレンダーを指差して言うと。


「あー…休み取ったの。」


 知花は小さくそう言った。

 …休みを取った?


「どうして。」


「ちょっと…」


「…ちょっと?」


 知花に近付いて、顔を覗き込む。


「…なんて言うか…色々…」


「色々?」


「……」


 知花は俺と目も合わさず、少し辛そうな顔をした。


 …咲華が旅に出てからと言う物…知花は元気もないし思い悩んでいるようにも見える。

 昔、義母さんが聖を産んだ後に産後鬱と診断されてボンヤリしていた事があったが…

 それに近い気もする。

 …精神的な物だとしたら…少し色々休んだ方がいいのかもしれない。


「俺は今から出るが…一人で平気か?」


 頭をポンポンとしながら言うと。


「…うん…大丈夫…」


 知花は相変わらず俺を見ないまま答えた。



 いつもはチャリや徒歩で出勤するが…今日は車で行く事にした。

 もし知花から何か連絡があったら、すぐ帰るれようにだ。

 裏口から出ようとして、廊下を見渡す。

 …いつもなら、知花が見送ってくれるんだが…

 今日はその姿もない。


 最近…風呂もさりげなく拒否られる事が増えた。

 用事が終わらないからだとか、寝たふりしてたりとか。

 以前はそれでも一緒に入ってたが…ここの所、『ダメ』とか『無理』とか『イヤ』とか…

 知花から、そういうワードが出て来ることが増えた気がする。



「……」


 気になった俺が大部屋に行くと、そこは無人。

 部屋にも…知花はいない。

 広縁に行ってみると、そこで知花は…ボンヤリと外を眺めてた。


 ……そっとしておくか…。


 本当なら抱きしめて、しばらくそうしていてやりたいが…

 最近の知花の態度を思うと…俺のそれに効力があるとは思えなかった。

 気にはなったものの…俺は知花を残して事務所に向かった。





「あたしの妹、絶不調みたいなんだけど、どうしたの?」


 事務所のエレベーターに乗り込んですぐ。

 扉が閉まると同時に乗り込んで来た瞳が…至近距離に立って言った。


「…近い。」


「知ってる。」


「……」


「ケンカでもしてるの?」


 陸には…東家側がどうなってるのか知りたかった俺が話したが、知花はメンバーにも言ってないままなのか。

 でも、瞳の一人息子の映。

 その映の嫁は…志麻の妹だぜ?

 話しが伝わってねーのか?


「ケンカなんてしてねーよ。調子は悪そうだが。」


「ふーん。知花ちゃんの調子が悪いと、千里と何かあったのかなって。」


「いつも俺のせいか。」


「そうじゃないの?」


「……」


 俺は小さく溜息をついて。


「…咲華が婚約を解消して傷心旅行に出かけたんだ。知花はあれから元気がない。」


 正直に話した。


「……はっ?」


「…そういう事だ。」


「……」


 瞳は『はっ?』の顔のまま、口を開けて俺を見て。


「…サクちゃんの婚約者って…朝子ちゃんのお兄さん…」


「だな。」


「…えーと…いつ?」


「別れたのは七月らしいが、本人達が何も言わなかった。」


「……」


 瞳は呆然としたままだが、エレベーターがスタジオ階に着いた。

 俺はそのまま降りようとしたが…


「ちょっと待ってよ。」


 瞳がガシッと俺の腕を掴んだ。


「どうして?確かに婚約しても、一向に結婚の話にはならなかったみたいだけど…」


「…咲華が待ち疲れたらしい。」


「それでサクちゃん…どこへ行ったの?」


「……」


 俺は仕方なく、瞳が押した最上階まで付き合う事にした。


「…たぶんアメリカだろうな。」


「たぶんって…」


「一ヶ月、誰とも連絡取らないって言いきって出て行った。」


「…そんな…」


 瞳は眉間にしわを寄せまくって。


「それで知花ちゃん…最近ずっと…」


「…ま、俺も誰にも言いたくなかったからな…あいつもそうだったと思う。許してやってくれ。」


 里中には話したが…それは言わずにおこう。


「許すだなんて…知花ちゃん、サクちゃんの結婚、ずっと楽しみにしてたのに…」


「……」


 知花が楽しみにしてたのは…結婚つーより『孫』なんだけどな。

 そこも言わずにおいた。


「…父さん知ってた?」


 最上階に近付くランプを見ながら、瞳が言った。


「ああ…」


 俺がそう答えると、瞳はキッと顔付きを変えて。


「父さんぐらいは、あたしに話してくれてもいいのに!!あっのくそジジイ!!」


 低い声でそう言った。

 …世界の高原夏希に『くそジジイ』なんて言えるのは、こいつぐらいだな…






 〇東 瞳


「父さん!!」


 バーン!!とドアを開けると。


「なっ…何だ?」


 中に居た父さんは、ビクッと肩を揺らせてあたしを見た。


 千里から、サクちゃんが婚約解消をして…傷心旅行に出た。って聞いて。

 あたしは…


「どうして教えてくれなかったのよ!!」


 父さんに、問い詰めた。


「…は?何を。」


「サクちゃんが婚約解消して、旅立ったって!!」


「……」


 父さんはパチパチと瞬きを繰り返して。


「俺から話す事じゃないだろ。」


 両手を上げて、『降参』みたいなポーズをして言った。


 千里はこうなる事が分かってたのか、エレベーターでここまで付き合ってはくれたけど…

 エレベーターから出る事なく、また八階のボタンを押して降りて行った。


「でも!!」


「いいからほっといてやれ。桐生院家の問題だ。」


「~……」


 そう言われると…何も言えない。

 だけど、心配なのよ…!!



 最近、知花ちゃんは歌声にも迫力がない。

 新曲が出来ても…何となく、しっくり来ない。

 それはみんなも感じてて…だけど『また』千里との間に何かあるんじゃないか…って。


 て言うのも…

 知花ちゃん、ここの所、オタク部屋に通い詰め。

 千里が超ヤキモチ焼きって知ってるはずなのに…里中さんと、修理にメラメラと意欲を燃やしてる。


 …はっ…そうか…

 気を紛らわせるための…オタク部屋だったのね…

 だから千里も、黙認してるんだ…



 それにしても…

 映も朝子ちゃんも何も言わない。

 お兄さんの結婚式が決まったら、真っ先に教えてね。って言ってあったから…

 こういう事になったなら、教えてくれてもいいはずなのに。



「で?何の用だ?この事か?」


 父さんの声で我に返る。


「あ、そうだ。今度、うちで食事しない?って言おうとしたんだけど…今はやめとくわ。」


「なぜ。別に食事ぐらい、いいだろ。」


「知花ちゃんが辛そうな時は、やめとく。」


「……」


「あたしにとって、彼女はバンドメンバーでもあるし尊敬するシンガーでもあるけど…可愛い妹なのよ?」


「…そうだな。」


 父さんは椅子から立ち上がると、あたしの前まで来て。


「ふっ…おまえがこんなに優しい『お姉ちゃん』になるとはな。」


 鼻で笑いながら…あたしを抱きしめた。


「もう…グレイスの事?あれは…反省してるわよ。」


「…届いてるさ。」



 病気をして、痩せた父さんの腕。

 今は…さくら母さんと幸せでいてくれるのが…あたしの一番の願い。

 長い長い遠回りをさせてしまったあたしは…

 父さんが、さくら母さんと一緒に笑ってくれてるのが…

 あたしの幸せでもあるのよ…。



「あっ、こうしちゃいられない。」


 あたしがそう言って父さんの腕から離れると。


「なんだ?あまり悪い事を企むなよ?」


 父さんは苦笑いをしながら言った。


 悪い事を企むなって、どういう事よー!!





 〇東 映


「…映、ちょっと行って来い。」


 京介さんとスタジオに入ってると、母さんがガラスにへばり付いて見てて。

 それを見た京介さんが、ドラムを叩くのをやめてそう言った。


「…すいません…練習中に…」


「いや、俺も休憩したかったから。」


 タオルを持って立ち上がった京介さんを見て、俺もベースを下ろす。


 その一連の動作を…

 スタジオの外の母さんは、ずーっと両手をガラスにつけたまま…見てた。



「何だよ。」


 スタジオを出てそう言うと。


「こっち。」


 母さんは俺の腕を取ると、空いてるミーティングルームに入った。


「何。」


「あんた、朝子ちゃんから何か聞いてる?」


「は?」


 母さんから朝子の名前が出るなんて、珍しい。

 嫁姑仲は悪くないけど、良好!!とも言えない。

 つーか…分からねー。

 なぜなら、うちの親は二人とも昔から放任主義。

 俺達の生活にも、そうズカズカ入って来ない。

 何なら、ほったらかしってやつだ。


 ま、たまに思い付きで一緒に飯食ったりはあるけど…。


「何かって何。」


「お兄さんの事とか。」


「…は?」


 朝子の…兄貴、東志麻…さん、は。

 なんつーか…

 嫌味なほど出来る男で。

 なんなら、少しシスコンで。

 朝子を大事に想ってくれるのはありがたいが…

 俺からしてみると、ちょっとウザイ。


 いや、まあ…いい兄貴なんだけどな。

 入籍に関しても、朝子の両親を説得してくれたのは…兄貴だし。

 でも俺は…ぶっちゃけ、そりが合わない。


 その兄貴は…

 俺の従姉妹である、桐生院家の長女サクちゃんと婚約中。

 …婚約して二年以上経ってっけど。


「ドイツに行ってる事か?」


「ドイツに行ってるの?」


「何の事だよ。」


「婚約解消の事よ。」


「…………はっ?」


「…その反応って事は…あんたも知らなかったのね。」


「こ…婚約解消って…朝子の兄貴とサクちゃんが?」


 ちょっと…動揺した。

 何となくだけど…兄貴には女がいるから。って事で…朝子に対する執着度も今ぐらいで済んでる(俺には度が過ぎてると思えるが)と感じるが…

 別れたってなると…

 ますます朝子に来るんじゃねーか!?


 って。

 俺は瞬時にそう思った。


 …って…


「それ、誰に聞いたんだよ。」


「さっき千里に。」


「…別れたのって、いつ。」


「先月だって。」


「はあ?」


 朝子からは何も聞いてない。

 もしかして、朝子も知らない…とか?


「あ~…何だかショック…」


「…何で母さんが。」


「だって、お似合いだと思ってたんだもん。」


「……」


 俺は一緒にいる所を一度も見た事ないから、何とも言えないけど…

 俺に対しては、あんな鋭い目しか見せない兄貴も…サクちゃんには、穏やかな顔してる…って、朝子が言ってたもんな。

 そうだとしたら、たぶんお似合いだった…はず。


「…近い内に、ちょっと朝子と東の家行ってみるわ。」


 俺はあまり歓迎されてない気もするが…朝子の両親は、朝子が家に帰るのを喜ぶ。


「うん。そうして。で、しっかり色々聞いて帰って。」


 母さんはそう言って、俺の両腕を掴んでブンブンと振った。


 …本当に心配してんのか?




 〇東 朝子


「…え…っ?」


 あたしは…仕事から帰って来た映が。


「…朝子の兄貴、婚約解消したって…本当か?」


 そう言ったのを聞いて…

 つい…


「…え?」


 二度…聞き返した。



 だって…

 お兄ちゃんと咲華さん…?

 婚約解消って…


「やっぱ知らなかったのか…」


 映はそう言って、小さく溜息をついた。


「ちょ…ちょっと待って…お兄ちゃん…そんな…」


「先月別れたらしい。」


「…先月…?」


 確か…今、お兄ちゃんはドイツ…


「……」


 あたしはカレンダーを見て、ある事に気付いた。

 先月メールが来て、ドイツには…一ヶ月って書いてあった。

 だけどとっくに一ヶ月経ってるし…

 その次の現場の事も、帰国の連絡もなかった。


 あたしはスマホを手にすると、母さんに電話をした。


『もしもし。珍しいわね。』


「あの…今、家?一人?」


『ええ。明後日までは一人よ。』


「…ちょっと…今から行くから。」


『え?朝子、何』


 プツッ。


 あたしは電話を切って。


「映、あたしちょっと…」


 映を振り返ると…


「さ、行くぞ。」


 映は…車のキーを持って玄関に立ってた。


「……」


「早く。」


「…うん。」



 お兄ちゃんと咲華さんが別れた…

 理由は…何なんだろう。



 車の中、あたしは…ずっと無言だった。

 幸せに…なってもらいたかったのに…

 なぜ…?



「そう…聞いたの。」


 実家に帰ると、母さんはお茶を二つ出して待ってた。

 映と行く。なんて言わなかったのに。


「どうして…教えてくれなかったの?」


「母さん達が知ったのも、最近なのよ。」


「えっ…?」


「志麻が現場でミスをして…頭が現地入りして話を聞いてくれて分かった事なの。」


「……」


「…現場でミスをするなんて…」


 それは…二階堂の考え方だと思った。

 何があってもミスは許されない。

 小さなミスも命に関わってしまう。

 だけど…


 婚約者と別れても、完璧を望まれるお兄ちゃんを…かわいそうに思ってしまった。


「それで…お義兄さんは今は?」


 映がそう言うと。


「現場を外されてからは、ずっと書類整理をしてたみたいでね。今は帰国して…本部に入り浸りよ。」


 母さんはこめかみ辺りを押さえて、小さく首を振った。


「帰国してるの…?」


「ええ。でも、私もまだ会ってないの。ずっと本部の資料室から出て来ないって。」


「……」


「…仕方ないわ。もう大人だから…本人同士で決めた事に、周りが口を挟むべきじゃないし。」


 母さんが溜息をつきながらそう言うと。


「…でも、ミスをしないようなお義兄さんがミスをしてしまったんでしょう?それぐらいのダメージがあるって事っすよね。」


 映が…険しい顔をして言った。


「口を挟むべきじゃないとか、本人に任せるとか…そうじゃなくて。大人でも辛い時は辛いっすよ。腫れ物に触るようでも、もっとこう…何か…してあげられる事ないですかね…」


「映…」


「二階堂には二階堂のやり方があるのかもしれませんが、そのやり方で恋とか愛とかの気持ちをねじ伏せて消してしまうのは…どうかと思います。」


 映の言葉を、母さんは黙って聞いてたけど…

 やがて立ち上がると。


「…そうね。でも…志麻はずっと…お相手の方を待たせて…しかも夢を持たせたまま待たせていたのよ。」


 カーテンを少し開けて、外を見ながら言った。


「それがどんなに残酷な事か…分かるでしょう?」


「……」


 その言葉には…映も何も答えなかった。


「決断出来なかった志麻が悪いの。だから志麻には…色々考えて欲しいと思う。自分の…二階堂での在り方や…咲華さんに与えた苦痛…」


 …咲華さんに与えた苦痛…

 母さんのその言葉が…何だか胸に刺さった。


 咲華さんは…待つ事に苦痛を感じてたの…?

 そう言えば、『あずき』で会った時…咲華さんは笑顔だったけど、どこか寂しそうだった。

 あたしとお兄ちゃんの事、仲のいい兄妹で羨ましいって笑ってくれたけど…

 …寂しそうだった…。

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