第12話 「え?娘さんが傷心旅行?」
〇里中健太郎
「え?娘さんが傷心旅行?」
「…そうなんです…」
スタッフはホールの機材のメンテナンスに出向いてて、今日は俺と知花ちゃんが二人で音楽屋から回って来た『修理不可能』ってシールの貼ってあるスピーカーを分解している。
今日は朝から溜息ばかりの知花ちゃん。
普段、こんなに難易度の高い修理品を見たら、目をキラキラさせてるのに。
「しかも一ヶ月連絡取らないなんて言われたら…それはちょっと心配だねえ。」
「そうなんですよね…」
「よく神がその条件を飲んだね。」
「…千里は、反対したんです。」
「…だよね…」
苦笑い。
神が反対しないわけがなかった。
「えっと…神が反対したのに旅立ったって事は…賛成意見が多かったって事?」
並べた部品にエアガンを当てて、埃を飛ばす。
うおっ…何だ?この金属片…
「…そうですね…みんな賛成しちゃった…」
「知花ちゃんも?行かせたいって思ったの?」
「……」
知花ちゃんは少し唇を尖らせたまま、しばらく考え込んで。
「あたし…本当は行かせたくなかったのに…いい母親ぶったのかも…」
そう言って、すごくうなだれた。
「…そっか…俺は子供いないから、的確なアドバイスなんて出来ないけどさ…でも、もし俺が傷心旅行を考えてるとしたら…後押しされたいって思うかもなあ。だから知花ちゃんは間違ってなかったんじゃない?」
「……」
あれ。
無反応。
て言うか…むしろ考え込んでる。
「…あたし…」
「うん?」
「……」
知花ちゃんはそれまで大事そうに持ってた新しいドライバーを作業台に置くと。
「…あたし、そういう所がダメなんだなって。」
俺の顔を見ずに言った。
「…そういう所?」
「後押しなんかじゃないんです…あたしが反対したら、娘はガッカリするだろうなって思っちゃって…」
「……」
「千里だけが、悪者になっちゃった…」
ああ…
神は、なんて愛されてるんだろう。
本当、羨ましい。
「…神が悪者になったから、落ち込んでんの?」
少しだけ、顔を覗き込んでみる。
さっきからうつむいてばかりだ。
すると知花ちゃんは驚いたように顔を上げて。
「あたし…落ち込んでますか?」
丸い目をした。
「…とっても。」
「……」
パチパチ、と瞬きの音が聞こえた気がした。
知花ちゃんはしばらく黙ってたけど…
「あたし…」
やがて、ゆっくりと。
「昔から、自分を出すのが苦手で…だから…千里が知ってるあたしも…あたしじゃないかもしれない…」
とても…不安そうに、そう言った。
〇神 千里
「おっ、珍しい所で会ったな。」
アズと社食にいると…後ろから声がして。
振り向くと、里中がいた。
「わー、健ちゃん久しぶりー。」
…健ちゃん?
「その呼び方やめろよ…」
里中は苦笑いしながらアズの隣に座った。
テーブルに置いたのは…社食の一番人気らしい『きつねうどん』だ。
ちなみに、俺はアズのおススメで『天ぷらそば』を食った。
…可も無く不可も無く。な味だった。
「京介は?」
「映と合わせてんの。」
「ああ、なるほど。リズム隊、メンバー変わると大変だな。」
「京介は特に、人見知りだからねー。」
「あいつ、まだ酷いんだ?」
「神にも去年ぐらいに慣れたかな。」
「嘘だろ。」
笑って話してるアズと里中を尻目に、俺は頬杖をついて茶を飲んだ。
気を抜くと溜息が出続ける。
だから、この瞬間も気は抜かない。
娘が婚約解消して傷心旅行に出たなんて…言いたくもないし知られたくもない。
『東圭司~!!すぐスタジオ来~い!!』
ふいに館内放送で朝霧さんの声が響いて。
「はっ…」
アズは時計を見て。
「うわー!!やっちゃったー!!朝霧さんとクリニックするんだったー!!」
珍しく真っ青になって、走って行った。
「……」
「……」
アズの慌てた後姿を見て、それからつい…里中と顔を見合わせた。
「ふっ…相変わらずだなー、アズ。」
里中はそう言いながら、うどんに七味をかける。
…かけすぎじゃねーか?
「…健ちゃんって呼ばれるほど、アズと仲良かったのか。」
俺もさっさと席を立てばいいものを…
何となく、それは負けた気がすると言うか大人げない気がして、そんな質問をした。
「あー…Live aliveの後、アズのボード作ったりしたから。ただ、その呼び方はするなって言ってんのに。」
里中はそう言って、ズルズルと音を立てて…美味そうにうどんを食う。
「…知花、今日はおまえんとこか。」
「え?ああ…うん。」
…元気か?
聞きかけて…飲むこむ。
何だって、今朝一緒に家を出た嫁の事を…こいつに聞かなきゃいけないんだ。
俺の落ち込み方、相当なもんだな。
「…余計なお世話だとは思うんだけどさ…」
相変わらず、里中はズルズルと音を立ててうどんを食って。
その合間に…みたいな感じで言った。
「嫁さん、落ち込んでるぞ。」
「……」
「それも、相当。」
「………そうか。」
そこまで聞いて、俺は立ち上がった。
これ以上は聞きたくない。
そう思ったからだ。
知花は…里中に咲華の事を相談したのか。
相当落ち込んでるのか。
そうか。
俺には言わないのに。
里中にはそう言ったのか。
これが…陸や早乙女や朝霧、まこちゃんの誰かなら…どんなに良かっただろう。
だけど知花は、里中に話した。
陸でも早乙女でも朝霧でもまこちゃんでも…
俺でもない。
里中に、だ。
「ちょーっと待った。」
立ち上がって里中に背中を向けた俺の肩に、里中が手をかけた。
ガシッと。
テーブル越しに。
そんなわけで…里中の前に置いてあったうどんの器が、はずみで動いて…
里中の腰回りにかかった。
「うわっっつっ!!」
里中は飛び跳ねるようにして熱がったが、やがてそんなに熱くない事に気付いたのか…周りを少しだけ見渡して照れ笑いをした。
「まあ、座れよ。」
「……」
うどんの汁のシミが、股間付近に広がってる。
それを見て、何となく怒りが鎮まった俺は…
無言のまま、里中の前に座った。
「どうせ…あれだろ?知花ちゃんが俺に話したのが面白くないって腹立てたんだろ?」
器を持ち上げて、テーブルの上を拭きながら里中が言った。
「……」
図星過ぎて、俺が黙ったままでいると。
「メンバーは家族の事知ってるから、言い辛かったんじゃないかな。」
里中は股間にまで広がったシミに気付いたのか、紙ナプキンをパタパタとそこに当てた。
「…確かにな。」
それは…俺にも当てはまる。
誰にも知られたくないと思い過ぎて、溜息さえつくのを我慢しているアリサマだ。
…だが。
知花は、俺にも言わない事を里中に言ったんだ。
落ち込んでる、と。
俺の前では普通に笑ってるのに。
「彼女、おまえの事好きで好きでたまらないんだな。」
里中は残ったうどんを一気にすすって汁も飲み干して器をテーブルに置くと、両手を合わせて『ごちそうさま』とつぶやいた。
「…知花がそう言ったのか?」
「そうは言わないけど、おまえ一人を悪者にしたって落ち込んでた。」
「は?」
「本当は娘さんを行かせたくなかったってさ。だけどいい母親でいたかったのと、自分が反対したら娘さんがガッカリするかもって。だけどその結果神だけを悪者にした…って。」
「……」
「娘さんが意に反した事をしたのは今も納得いかないだろうけど、それはもう切り替えるしかないさ。ゆっくりでも日常に目を向けて、早くいつもの神に戻れよ。」
里中は言いたいだけ言って、紙ナプキンをまとめた。
「…いつもの俺ってなんだ?」
眉間にしわを寄せて、頬杖をついて問いかける。
俺は事務所では、平常心のつもりだ。
「会長室に呼び出されるようになってから、毒っ気が消え失せてるぞ。」
「……」
「色々あるんだろうけど、毒が前面に出てるおまえじゃないと、若手がピリッとしないんだよな。」
「…隠れ毒持ちのおまえに言われたかねーな。」
「ははっ。俺のはスタジオでしか発揮されないから。歩いてるだけで毒を撒き散らしてる神に敵う奴なんていないよ。」
「酷い言われようだ。」
「褒め言葉だぜ?」
里中はトレイに紙ナプキンの山を詰め込むと。
「じゃあな。」
返却口に歩いて行って、そのまま社食を出た。
…里中を見る目が、少し変わった気がした。
高原さんに呼び出されて以降の俺が、思い悩んでる事。
アズや知花でさえ気付かない。
…いや、知花が何か相談してる可能性もあるが…
「…歩いてるだけで毒を撒き散らすわけねーだろ…」
小さくつぶやきながら立ち上がる。
今日は…知花と帰るとするか。
〇桐生院知花
「…ただいま。」
「……」
「ただいま。」
「……」
「知花。」
「……えっ?あっ、おかえりなさい…」
気が付いたら、千里が至近距離にいた。
「…何に使うんだ?」
「え?」
何?と思って千里の指先を見ると…
「あ…」
「……」
「切り過ぎちゃった…」
ネットの中にあっただけのジャガイモ…全部切ってしまってた。
無意識のうちにボウルを出して、切ったジャガイモを山盛りにしてる。
「いつ帰った?」
「え?」
「一緒に帰ろうと思って迎えに行ったら、もういなかった。」
「……」
一緒に帰ろうと思って迎えに行ったら…
「えっ…迎えに来てくれたの…?」
「まあ…確認しなかった俺が悪いが…」
「う…ううん…あたしも…言えば良かった…」
「……」
今日、里中さんに咲華が傷心旅行に出た事を打ち明けて…
咲華が旅立って寂しい思いに勝ってたのは…千里一人を悪者にして、あたしはいい母親ぶってたって事。
千里が咲華と志麻さんが別れた事をあたしに話してくれなかったのも、最初はすごく腹が立ったし…悲しかったけど。
『おまえ、知ったら咲華に余計な気を使ってただろ』
千里のあの言葉を何度も繰り返して…納得した。
志麻さんと別れて、一度も泣けないって言ってた咲華。
あたしは…それが苦しい事だと思って、咲華を過剰に慰めたかもしれない。
志麻さんの事、大好きでたまらなかった咲華。
それは…千里に対するあたしに似てるとも思えて。
あたしはいつも、咲華の恋を応援してた。
待つって事が出来なかったあたしと咲華を比べて…
ずっと耐えて待ってる咲華を…頑張れって応援してた。
「…夕べは、酷い言い方をして悪かった。」
千里が…そっとあたしの頭を抱き寄せて、小さな声で言った。
「…え?」
「色々…冷たくあたった。」
「……」
千里が優しい声で言ってくれるもんだから…
つい、あたしは泣きそうになってしまって。
ギュッと目を閉じて、千里の胸に顔を当てる。
「…咲華の事を考えると、また頭に血が上る俺がいる。」
「…うん…」
「一ヶ月連絡しないって、あいつが言ったんだ。」
「…うん…」
「だから俺も…一ヶ月はあいつの事は忘れる。」
「……」
「冷たい父親か?」
あたしはそんな千里の声を受けながら…今日思った事を考えた。
…あたしは…
いつも思った事を口に出す前に、相手がどう思うか…自分がどう思われるか…って考えちゃってた。
…無意識に。
だから結果、千里だけが悪者になったり…
丸く収まったとしても、あたしは言いたい事が言えてなくて、一人で悶々と抱え込んでしまったり…
…上手く言えないけど…
四月に、あたしはこのままでいいの?って思うような事があったにも関わらず…何も変わらないあたし。
だけど。
咲華が旅立って…あたしも思った。
…変わらなきゃ…
あたし、違うままの…間違ったままの…偽ったままのあたしを、みんなに見せてる。
「…そうね…」
あたしは…顔を上げて千里を見る。
「可愛い娘の事、一ヶ月も忘れるなんて…」
「……」
「冷たい。」
…そう。
冷たい。
あたしは、一ヶ月連絡が取れなくても。
咲華の事、ちゃんと想うし…考える。
頭に来るから考えないなんて…
千里は…
冷たい。
〇神 千里
「……」
「…ただい……親父?何してんだ?」
俺がカレンダーを前に仁王立ちしていると、帰って来た華音が俺の肩越しにカレンダーを覗き込んだ。
「新しいスケジュールでも入ったのかよ。」
「…別に何も。」
「全員分暗記でもしてんのか?あー腹減った。母さんは?」
「…まだだ。」
「え?」
俺がカレンダーを見たまま答えると、キッチンに入りかけた華音はもう一度カレンダーの前に立って。
「今日、スタジオは四時終わりじゃん。またオタク部屋か?」
呆れたような声で言った。
「ああ。」
「ったく…咲…最近の母さんはシンガーなのかオタク部屋の社員なのか分かんねーな。」
華音は『咲華が旅立ってから』と言いたかったのかもしれないが…俺の反応を気にしてか、それを飲みこんだ。
そう。
咲華が旅立って二週間。
連絡を取らないと言われたからには…もちろん、こちらからも何もしていない。
その間に、陸が二階堂で話をして来たらしいが…東家の方では、『本人に任せている』しか言わなかったようで。
直接親からうちに連絡もなかった。
それはいいとして…
志麻からも何の連絡がないとは、どういう事だ?と思ってたが…
「あいつ、ダメージ大き過ぎみたいで…ミスって現場を外されてるらしいっすよ。」
陸がそう言った。
きちんとしてる奴だったのに、別人みたいになってる。とも。
…志麻にも、時間が必要だと思った。
時間が必要なのは、咲華と志麻と…他にもいた。
知花だ。
あれから知花は…SHE'S-HE'Sの仕事が終わっても、すぐには帰って来なくなった。
オタク部屋か…高原さんにボイトレをつけてもらったりして。
晩飯の支度までに帰る事もあれば、帰らない事もある。
一応俺に連絡はしてくるが…俺に連絡した所で、俺は晩飯を作れるわけじゃない。
あいつなりの寂しさの紛らわせ方なんだと思うと、反対するわけもいかない。
オタク部屋に通い詰めなのは…正直面白くないが…
ボイトレを高原さんに頼んでるのも…何で俺じゃないんだ?って面白くないが…
長年離れていた親子だ。
そんな時間があってもいい…。
「で?どこかに食いに出かけようとでも思ってたのかよ。」
冷蔵庫を覗きながら華音が言った。
「おまえが帰って来なければ、そうしようかとも思ってた。」
「華月は?」
「早乙女家で食って帰るらしい。」
「聖は…飲みか。んじゃ、何か作るか…」
華音がキッチンで料理を始めても、俺はカレンダーの前から動かなかった。
小気味いい具材を切る音。
華音の料理好きは、義母さんの影響が大きい。
咲華よりも丁寧で細かい。
…ついでに、華音に料理を教えたはずの義母さんよりも。
「ちょっと、この間にシャワーしてくる。」
テキパキと料理をした華音は、鍋を火にかけて弱火にしたままそう言った。
「吹きこぼれたり…」
「しねーよ。俺がシャワーから戻ったらちょうどいいぐらい。あっ、蓋開けて覗いたりすんなよ。微妙に味が変わるから。」
「……」
うちの事務所の次世代を担うバンドのギタリストが…煮物の鍋の蓋を開けるな、と。
それは正しいのかもしれないが、俺から言わせると…どうでもいい事だ。
ここに居ても開けるなと言われた蓋を開けたくなったら困る。と思って、広縁に行った。
まだほんのり明るい空に、少しずつ星が瞬き始めてる。
俺はそこに腰を下ろして…庭を眺めた。
数日前…知花もここで、ボンヤリと景色を眺めていた。
声をかけたが振り向かなかった。
必死で…何かを考えていたような気がして、それ以上は近寄らなかった。
咲華を行かせたくなかった。
里中にはそう言ったと聞いたが…結局知花は俺には一言も愚痴らなかった。
まあ…里中も言ってたが…
近い者にほど言えない事もある。
俺だって、知花に言わない事は多い。
俺の場合、言えないんじゃなくて…言いたくないんだが。
咲華の事を一ヶ月忘れると言ったら、知花から冷たいと言われた。
…そうか。
俺は…父親失格なんだろうな。
面と向かって『嫌い』と言われて以来、咲華にどう接していいか分からなかった。
その結果が…これなのかもしれない。
咲華は俺にも知花にも…とにかく、『親』に、志麻と別れた事を…旅立ちたいと言う日まで告白しなかった。
…言わせなくしてしまっていたのかもしれない。
いや…
本当なら…もうとっくに娘離れしてなきゃいけなかったんだ。
これがいい機会になったと思えばいい。
そう言い聞かせるものの…
咲華の事を考えると、溜息しか出ない。
「…親父、飯食おうぜ。」
気が付いたら、隣に華音がいた。
「…ああ。」
「そんなしけた面すんなよ。」
「息子の手料理が食える、幸せな父親って顔のつもりだが。」
「ぶはっ。笑わせんなよ。」
「…おまえは優しい奴だな。」
「…親父似かな。」
「……」
自然と、肩を組んで歩き始めた。
いつの間にか俺の背を越してた華音と、こんな風にするのはいつぶりだろうか…
少し…気持ちが上がった。
華音の作った美味い飯にも…感謝。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます