第11話 最近…

 〇神 千里


 最近…

 我が子達(華音かのん咲華さくか華月かづき)と義弟(きよし)の仲が、すこぶるいいように感じる。

 元々仲は良かったが…最近は特に。


 こういう時は…アレだな。

 何か秘密がある。



 8月になって、新しいカレンダーにみんなのスケジュールが書き込まれた。

 俺は大部屋と廊下の壁をまたぐように貼られたそれの前に腕組みをして、仁王立ちで眺めた。

 相変わらず咲華だけ何もないが…先々週は珍しく有休を取って華月と映画に行ったようで。

 そういうのを、なぜここに書かない。と思った。

『休み』と書いてあれば…俺だって咲華を連れ出す事もあるかもしれないのに。


 …咲華が嫌がるか。



「あれっ…親父、今日オフ?」


 声を掛けられて振り向くと、スーツ姿の聖がいた。


「…ああ。おまえは珍しい時間に帰って来たな。」


「三時まで空いたから戻って来た。間違いなく二日ぐらい帰れないから、着替えとか取りに。」


「……」


 あれだけ大きな会社の社長が、家に帰れないほど働く事があるのか?と思わない事もないが…

 聖は桐生院の親父さんの後を、想像以上に早く引き継ぐ事になって。

 それによって幅を利かせ始めた幹部役員達を黙らせるために、全てにおいて『完璧』を追求しているらしい。

 …そんな事が出来るのか。と思うが…聖はやりそーだよな。



「何か食いに行くか?」


 知花がいないと何も出来ない俺は、一人のオフの日の昼は食いに出かける。

 華音や華月がオフなら作ってくれるが…残念ながら、今日は一人だ。


「いや、何か…」


 聖は上着を脱いで冷蔵庫を開くと。


「…オムライス作るよ。」


 そう言って顔だけ振り返った。



「…おまえも飯を作れたとは…」


 聖の作ったオムライスを食いながら、俺は若干ショックを受けていた。

 今時の男は…みんな料理が出来るのか?

 …まあ、俺らの世代でもアズは料理をするが…


「俺の知ってる限り、俺の周りで料理出来ねー男は親父ぐらいだな。」


 聖の要らない情報が、俺のショックを倍増させた。


「親父って、典型的な亭主関白っつーか…古いタイプの人間だよな。」


「余計なお世話だ。」


 聖の言葉が、やけに冷たい気がした。

 俺が何かしたか?



「…あのさ。」


「なんだ。」


「最近…何かおかしいっつーか、家の中で変化を感じる事ある?」


「…変化?」


 聖の作ったオムライスを美味いと思って食ってる所に、そんな事を聞かれて。

 俺はスプーンを止めて…考えた。


「家の中とは?どこか老朽化してるとかそういうのか?それとも家族の誰かがか?」


「…後の方。」


 後の方。

 つー事は…

 家族の誰かに変わった様子を感じるか…か。


「…華音が浮かれてる気がする。」


「ぷはっ。」


 まず一番に思った事を言うと、聖がお茶を噴き出した。


「そっ…そこに気付いてるんだ?」


 聖はそばにあったタオルで噴き散らしたお茶を拭いてるが…

 そのタオル、華月のじゃねーか?

 バレると叱られるぞ?


「本人は普通にしてるつもりなんだろうけどな。女でも出来たのかなとは思ってるが…あからさまにすると、知花が孫孫ってうるさいから言わないようにしてる。」


 本当に。

 知花の奴、ここ数年…

 プレッシャーをかけちゃマズイとでも思うのか、咲華と華月には言わないが、華音には『彼女いないの?』『結婚する気ないの?』『子供っていいわよ?』と、さりげないつもりなんだろうが言いまくってる。


 男にプレッシャーがかからないとでも思ってんのか?

 女同様、男にだってそれはあるんだぜ?

 それに…孫なんて、まだいい。

 子供達には、まだまだ子供達のままでいて欲しい。

 …いい歳にはなってるが。



「ま、あいつが自分で言ってこないうちは、こっちからは聞かない。」


 華音には…少なからずとも傷がある。

 大学時代、仲の良かった女友達が自殺した。

 そして…全て華音のせいにされた。

 俺は…華音を守れなかった。

 だから華音には、本当に…


「…ノン君以外の事は?何か思う事ある?」


 聖は使ったタオルをたたんで…る途中、それが華月のだと気付いて『やべっ…』と小さくつぶやいた。


「…華月は詩生と上手くいってる。」


「華月が言ってた?」


「あいつは落ち込んだら顔に出る。」


「…確かに。」


「…咲華は…」


「……」


 俺は完全にスプーンを置いて、麦茶の入ったグラスを手にした。


 咲華は…相変わらず俺と話さない。

 だから俺にも分からない。

 だが…


「咲華は、少し前にちょっと様子がおかしいって知花が言ってた。」


「え?姉ちゃん、そんな事言ってたんだ?」


「ああ。俺は…分からなかったけどな。」


「……」


 麦茶を飲んで、再びスプーンを手にする。



「…最近、おまえら何か秘密の共有してるだろ。」


 俺がオムライスを口に運びながら言うと。


「ぶふっ。」


 聖はまた…麦茶を噴き出した。

 そして、華月のタオルだと気付いてたたんでおいたはずのそれで、もう一度テーブルを拭いた。


「……親父。」


「何だ。」


「咲華の事、嫌ってるわけじゃねーよな?」


「嫌う理由がない。俺は嫌われてるままだが。」


「……」


「俺は咲華に厳しいって知花にも言われるが、そんなつもりもない。ただ大事に想ってるだけだ。」


 そう口にしながら、それすら届いていない事も分かっている自分に…少し呆れた。

 分かってるなら、動けばいいものを。

 娘の事は…母親の方が分かるのかもしれない。

 全部を知ろうとすると、気付かない自分がダメな親と思えて空しくなる。


 …子供達も、もう立派な大人だ。

 知らなくていいんだ。

 そう言い聞かせるものの…



「…咲華、あいつと別れたんだってさ。」


「……」


 聖の告白に、顔を上げる。

 華音の秘密は言わなかったクセに…咲華の事は言うのか?


「たぶん…姉ちゃんが咲華の様子がおかしいって言ってた頃だと思う。七夕に別れたってさ。」


「……」


 七夕…

 まさに、知花が言ったのはその夜だ。


「…おまえはそれを咲華からいつ聞いた?」


 聖の顔を見ないまま問いかけると。


「あいつ、誰にも言わなかったんだよ。」


「…え?」


「華月と映画に行った日に、華月が問いかけて初めて言ったらしい。」


「……」


「実際、俺は咲華から聞いてないよ。華月とノン君から聞いた。」



 咲華と志麻が…別れた…?

 あいつらは、仮にも婚約してたんだぞ?

 それを…どうして言わない?


「志麻から振ったのか?」


「咲華が待ち疲れたんだってさ。」


「……バカな。」


 つい、そう答えていた。

 咲華が志麻を待ち疲れるなんて…


「ノン君も華月もそう言ってたよ。でも、もういーんじゃね?咲華、よく待ったよ。もう次に行くべきだ。」


「…おまえは志麻が嫌いなのか。」


「…好きか嫌いかって言われると、嫌いな方かも。」


「なぜ。」


「なぜって…別にちゃんとした理由はねーけど。親父だって、生理的に合わない奴っているだろ?」


 そりゃあ、いる。

 それも、ごまんと。

 が…

 聖にそういう存在がいるとは思わなかった。

 しかもそれが志麻とは。



「…これ、咲華が自分から言うまで、そっとしといてやってくれる?」


 聖が小さく溜息をつきながら言った。


「…どうして俺に話した?」


「傷付いてる咲華に、もう少し優しくして欲しいって思ってるからかな。」


「……」


「ま、親父なりに優しくしてるつもりなんだろうけど…もう少し分かり易く優しくしてやんないと、うちの女性陣は鈍いから届かないぜ?」


「…ふっ。」


 聖の言葉に鼻で笑って。

 残りのオムライスを静かに食った。



 傷付いてる咲華に、優しく…か。

 だとしたら、今俺にできる事は…


 咲華と距離を持つ事ぐらいだな…。




 咲華と志麻が別れた。

 それを聖から聞いたものの…

 俺は知花には話さなかった。

 咲華の口から聞いた方がいいと思ったからだ。


 婚約解消について、向こうの家族と話をしなくては…とも思ったが…

 婚約していたと言っても…向こうの家族とはほぼ会った事がない。

 何なら、うちが勝手に盛り上がっていただけのようにも思える。


 特殊な仕事をしているとは言え…息子の結婚だと言うのに、全く乗り気でなさそうな東家には、正直悶々としていた。

 しかし、そういうスタンスであってくれるなら、俺は咲華を遠くへやる必要もないと思い納得していたが…

 いつ志麻が咲華を迎えに来るのか。

 それを楽しみにしていた俺もいる。


 なのに、別れた事を咲華も志麻も言って来ない。


 …これを俺から咲華に言うと、傷をえぐりかねない気がする。

 本人から告白する気になるまで、このまま…知らん顔をしておこう。


 そう決めた数日後…


「…ちょっといいかな。」


 晩飯の後。

 久しぶりに聖が早く帰って、全員が揃っている所に…咲華が言った


「あたし…彼と別れた。」


 やっと言ったか…と咲華を見つめたまま黙っていると。


「それと…会社も辞めた。」


「は?」


 つい、聖を見た。

 すると聖は少しだけ首を傾げて眉間にしわを寄せた。

 …知らなかったのか。



 それから咲華は、最近聞いた事がないほど…たくさん喋った。

 自分が自分をどう思っていたか。

 志麻のどんな所に惹かれたか。

 もしかすると、またよりを戻して同じ事を繰り返してしまうかもしれないと思い…苦しみながらも別れた事。


 …それらを聞いていると…知花と別れた頃を思い出した。


 バンドか俺か。

 知花には…両方を選ぶ道はなかった。

 離れてしまうとダメになる。

 若かった俺には…知花のそんな決断を『間違いだ』と否定してやる事も出来なかった。

 ただ、知花の決めた事を…すんなり受け入れるしかなかった。


 …志麻は…なぜ咲華を迎えに来なかったんだ。

 咲華を愛していたなら…

 なぜ、咲華がこんなになるまで、待たせたんだ。



「それで…あたし、少し旅に出たいんだけど。」


 一通り話し終えた咲華が、本当はこれを一番に言いたかったと言わんばかりの声で言った。


「どこへ。」


「…さあ…どこか外国。」


「ダメだ。」


「千里…頭ごなしに言わないで。」


「だいたい、男と別れて会社を辞めて外国へ旅行だと?そんなの、隙だらけの自分を誰かに見付けて欲しいって言ってるようなもんじゃねーか。」


 確かに…こんな言い方じゃ何も伝わらない。

 実際、華音も華月も聖も、半ば呆れ顔で俺を見てる。

 咲華に関しては、もう…嫌悪感丸出しだ。


 冷静に話し合いたいとは思う。

 だが…別れた事も一ヶ月黙っておいて、打ち明けたと同時に海外へ行きたいだと?

 どうしてそうなる。


 まるで…

 まるで、数日離れてた間に離婚を決めて指輪を突き返して来た…

 知花と同じじゃねーか。



「いいんじゃない?あたしは大賛成。」


 ふいに廊下から聴き慣れた声。

 そこには、義母さんと高原さんがいた。


「おばあちゃま!!おじいちゃまも!?」


 華月が立ち上がって、二人に駆け寄る。


「会いたかった!!」


「ほんと?知花には帰るって言ってたんだけど、もしかしてサプライズだった?」


 その言葉を聞いた知花は。


「…忘れてた…」


 バツの悪そうな顔で小さくつぶやいた。


「…せっかく帰ってもらったのに、こんな所を見せてすいません。」


「爆弾発言だったな。」


 俺の隣に腰を下ろした高原さんに。


「…どう思いますか?」


 問いかける。


「千里の気持ちも分かるし、咲華の気持ちも分かる。俺はあえて中立でいる。」


 …分かってはいたが…少しガッカリした。

 こんな時、俺の味方なんていねーんだよな…




「…千里、知ってたの?」


 知花に遅れてベッドに入ると、知花は消え入りそうなほど細い声でそう言った。


「何を。」


「咲華と志麻さんが別れた事。」


「……」


「やっぱり…だから驚かなかったのね?」


 小さく溜息をつきながら横になる。


「俺が話してたら、おまえ咲華に余計な気使ってただろ?」


 サイドボードの明かりだけをつけて、天井を眺める。

 …こんな模様だったっけか?


「気を使うって…婚約を解消したのよ?志麻さんのご両親に挨拶だって…」


「それは咲華を待たせ過ぎた志麻が悪い。謝罪なら向こうから来るべきだ。」


「……」


「寝る。」



 結局…咲華は一人で旅に出る事になった。

 反対してるのは俺一人。

 みんなから行って来いと言われた咲華の中で、俺の反対なんて一票にも満たなかったらしい。


 しかも…

 一ヶ月、誰とも連絡を取らないって、ふざけるのもいい加減にしろと思ったが…

 それについても、みんな反対しなかった。


 こういうのを、腫れ物に触るって言うんじゃないのか?

 そんなに言う事を聞いてやらなきゃいけないのか?

 やりたい放題にしか思えねー。


 …だが、昔、俺も逃げ出した。

 誰にも行先を告げず。

 あれを引き合いに出すとか…高原さん、結局は中立なんかじゃなかったよな。



 眠ろうと思っても寝付けなかった。

 目を閉じても、まぶたの裏に張り付いたみたいに見えてくる…咲華の泣く姿。

 別れたのに涙も出ない。と言っていたのに…

 なぜか俺には、咲華がずっと泣いているように見えた。


「……」


 知花を見ると…背中を向けて寝ている。

 俺はゆっくりとベッドを出ると、静かに部屋を出た。


 大部屋で一人で飲もうと思ったが…ふと窓辺に置いてある家族写真を手にした。

 桐生院家の家族写真。

 義父さんと、ばーさんも写っている。


「……」



『とうしゃ~ん!!』


『咲華、こっち向け。華音、いい顔しろ。』


 照明をつけないまま、DVDを見始めた。

 子供達の記録。


『とうしゃん、しゅき。しゃく、ちゅしてあげゆよ?』


『いいか?ちゅは父さんだけにしとけよ?誰にでもするなよ?』


『とうしゃんだけにしゆー。』


『ふっ…聞いたか?知花。咲華は俺以外にキスしないらしい。』


 画面の中の自分を見て、鼻で笑ってしまった。

 どれだけ親バカなんだ。

 だが…本当に、俺にとって子供達は…

 月並みな言葉だけど、目に入れても痛くない存在で…

 ずっと、そばにいて欲しいと思ってしまう。



『咲華…』


『千里、泣かない泣かない…』


『とーしゃん!!どちたの!?』


『…咲華、ずーっと父さんのそばにいてくれ。』


『そしたら、とーしゃんわやう?』


『ああ。』


『じゃあ、しゃく、じゅーっととーしゃんといゆよ~!!』


『…なんて可愛いんだ…俺の娘は…』


『…親バカね。』



 ずっと父さんといるよ…か。

 そんなのは大人になったら変わってしまうと解っている事なのに…

 俺は今もそれを、真実と思いたいのかもしれない。



 俺は…親と離れて育った。

 自宅がある頃も、どちらかと言うとじーさんの家に『帰らされる』事が多かった。

 俺を育ててくれたのは、じーさんと篠田だと言っても過言じゃない。


 そんな二人が立て続けに他界した時、俺の中に大きな穴が開いた気がした。

 これから、誰が俺に助言してくれるんだ?って。

 いつも顔を合わせなくても、その存在は大きかった。

 俺も、子供達にとって…そんな存在でいたいと思っていたが…

 …俺の器じゃ…無理だな…。

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