第10話 「まだ食うのかよ。」

 〇桐生院華音


「まだ食うのかよ。」


 隣にいる咲華が、いつものように爆食いするもんだから…

 ついつい、眉間にしわを寄せてしまう。

 今日は親父も母さんも遅くなるって事で、俺が晩飯を作った。

 本当なら…紅美と飯食って帰りたい所だったが…

 いやいや、いきなり…それは…と。


 一昨日、学の嫁であるチョコちゃんから電話があった。


『華音さん、今…ただならぬ雰囲気の女の人が来て、紅美ちゃんと出て行きました。何となくだけど…紅美ちゃんをライバル視した感じの人です。お茶するぐらいだからって言ってたから…ダリアに行くかも…』


 薫だ。

 直感でそう思った。

 車を飛ばしてダリアに行くと、二人は奥のテーブルで俺と栞の事を話していた。


 …薫の話を聞いてて…少しだけ、あの頃を思い出した。

 栞は、いつも笑顔で。

 俺の味方だった。

 だから、栞に何かあった時は…俺が味方になる。

 そう思っていたが…

 さすがに、俺にもダメな事はあった。


 栞の嘘と…自分の弱さ。



 薫は次第に思い出話を始めて…結局、何のために紅美に会ったんだ?って笑いそうになったが…

 最後は手を振って紅美と別れた。


 ずっと打ち明ける事はないと思っていた。

 だが…紅美に知られた色々な事。

 その中で、栞だけが悪者になるのは…嫌だった。


 それで俺は…全てを紅美に打ち明けた。

 …全てじゃないな。

 ほぼ、全て。

 それがキッカケになったのかどうか…

 俺と紅美は、付き合う事になった。


 …が、色々過剰反応する陸兄の心情を察してかどうか…

 紅美が。


『もうしばらく、周りには秘密でいい?』


 …仕方ない。

 周りにと言うか、親にはな。って事になって。

 そうするとまず俺は…



「…咲華。」


「ん?」


「俺…紅美と付き合う事になった。」


「…………」


 咲華の箸が、口に入ったまま…長く止まっている。

 そして、そのままゆっくり顔を上げて俺を見て。


「……」


 ゆっくり箸を口から出すと、もぐもぐとゆっくり口を動かして…ゴクン。とそれを飲みこんで。


「……」


 大部屋には俺達しかいないっつーのに…少しキョロキョロとして。


「…おめでと。良かった。」


 笑顔になった。


「…サンキュ。」


「それにしても、紅美ちゃんいいのかしら…こんな細かい男で…」


 箸を持ち直して、再び食い始めた咲華。


「細かい男?俺のどこが細かいんだよ。」


「えー?さっきあたしが食べ始める時、ドレッシングの使い方に文句言ったじゃない。」


「それは、おまえがこのサラダの美味さを台無しにするようなチョイスをするから。」


「自分が美味しく食べれるなら、どんなチョイスでもいいじゃない。」


「うっ…」


「いい?紅美ちゃんには自分を押し付けないのよ?」


「…お…おう……分かった…」


 く…くそっ。

 一本取られた気分だ。


「…何でうちにいるの?」


 咲華が思い出したように、丸い目をして言った。


「あ?」


「こんなに早く帰らなくても、仕事の後にデートとか。」


「…飯当番…」


「そんなの、あたしがしたのに。」


「いーんだよ。毎日会うから。」


「……あ、それもそうね。」


 あ。

 しまった。

『毎日会う』に、咲華が反応した。

 志麻とは全然会えねー感じだもんな…

 今こんな流れじゃ、志麻の事も聞きにくい。



「陸兄が紅美の事で過敏になってるから、しばらく親には内緒で頼む。」


 俺が唇の前に人差し指を立てて言うと。


「カンカンの練乳パンよろしく。」


 咲華は笑顔で言った。



 …俺と紅美の秘密は、練乳パンぐらいのもんか!!





 〇桐生院 聖


「咲華と志麻が別れた。」


 仕事から帰ると、ノン君と華月が大部屋で紅茶を飲んでて。

 親父と姉ちゃんが風呂から上がって来ると、さりげない笑顔でシュークリームやら麦茶をポットごと持って。

 着替えるって言ってる俺の部屋に入って…その言葉。



 今日、華月は咲華と映画に行ったらしい。

 で、ノン君には…あいつから連絡が。


 あいつ。

 東志麻。


 咲華と連絡がつかないって言われて、咲華に電話したら電源オフられてて。

 華月に連絡したら…


「別れたっ。て明るく言われて…なんかもう…あたしが泣きそうになっちゃったよ。」


 …華月は唇を尖らせて、今にも泣きそうな顔。


「待ち疲れたっつってたらしい。」


「…待ち疲れた。咲華が?」


 普通の奴なら待ち疲れても仕方ねーけど…

 咲華が待ち疲れた。

 …あいつの事、相当好きなはずの咲華が。



「…ま、いんじゃねーの?こんだけ待たされたんだから、咲華も次見付けた方がいいって。」


 元々、あいつの事があんまり好きじゃなかった俺は、つい…そっけなく言ってしまった。

 だってさ…

 うちの近くで咲華にキスしようとしてたんだぜ?

 西野と別れてすぐの咲華に。

 つけこんでるとしか思えなかったっつーの。


 第一印象がアレだから、どんなにあいつが優秀な人間かって聞かされた所で…

 俺の中での東志麻は、全くレベルが上がらなかった。

 …何だろーな。

 泉と近い人間って事で、妬いてたのもあるのかもな。



「いつ別れたって?」


「七夕の日。」


 …二週間も前かよ。


「…全然気付かなかった。普通に笑ってたよな…」


 誰にも言えなかったとしても…ずっと普通にしてた咲華を思うと、胸が痛んだ。

 俺は、泉と付き合ってた事…そんなに周りに言ってなかったから…

 何となくフェードアウトって感じでおさまってるけど。

 …咲華は婚約してたからな…


「あいつ、何で言わねーんだよ…ってマジムカついた。俺、知らなかったから…あいつが別れた次の日、紅美と付き合ってるって言っちまったんだよなー…」


 ノン君が頭をくしゃくしゃにして言った。

 そう。

 ノン君は…イトコの紅美と付き合ってる。

 何でも、昔から好きだったみたいで…

 紅美と言えば沙都。みたいな図式が昔からあった俺としては…

 すげー違和感もあるんだけど…


 付き合い始めて間もないのと、紅美が慎重になってるからって事で。

 まだ親父も姉ちゃんも知らないらしい。

 …あんま慎重になってると、タイミング逃しちまうと思うけどな…

 俺とか咲華みたいに。


 結婚考えてるなら…結婚は、勢いだ。



「紅美ちゃんと付き合ってるって言った時、お姉ちゃんはなんて?」


 華月がノン君に問いかけると。


「…おめでとうってさ。」


 ノン君は少しバツが悪そうに答えた。


「あ~…お姉ちゃんの気持ちを思うと、痛い。お兄ちゃん痛すぎる。」


 華月の言いぐさに笑ってしまった。

 ノン君は片想いが成就しただけなのに…酷い言われようだ。


「うっせーな。もとはと言えば、あいつが別れたってすぐ言わねーからだ。」


「双子なのに気付かなかったの?お姉ちゃんの様子がおかしいとかさあ。」


「それどころじゃなく浮かれてたからな。」


「もうっ。」


「おまえだって今日まで何も気付かなかったじゃねーかよ。」


「あたしはお姉ちゃんと双子じゃないもんっ。」


「まあまあまあまあ…」


 ノン君と華月の言い合いなんて珍しくて、つい眺めてたけど…

 さすがに二人とも目が細くなって来たから…間に入った。


「咲華がノン君の幸せを喜ばないわけないよ。時期は悪かったけど、おめでとうは本心だろ。」


 俺がそう言うと。


「……………ぷはっ。時期は悪かったけど、は余計だな。」


 ノン君は麦茶を一気飲みした後、低い声でそう言った。



「…ところで、俺、飯食ってないんだけど。」


 二人にそう言うと、ノン君が無言で麦茶を入れて、華月がシュークリームを差し出した。


「……」


 とりあえず差し出された物を食って。

 足りるわけねーし。と思って大部屋に降りようとすると…


 ♪♪♪


 メールが来た。


『聖、今日もお疲れ様。近い内にうちに来ない?たまには三人でご飯でも食べよう?』


 母さんからだった。



 複雑な関係図の桐生院家。

 俺も本当なら…親と一緒にマンションに住めばいいのかもだけど…

 ここで生まれ育ったし。

 高原のおっちゃんを『父さん』と呼び始めて、より…桐生院の父さんの事を身近に感じるようになった。

 だから…ここに居たかった。


 …ま、あの二人には離れて居た間の分も、遅い新婚気分を十分味わってもらえばいいや。



「誰から?」


 華月が目を細めて問いかける。

 泉と別れた事、深くは聞いて来ないけど…納得もしてねーだろうからな。


「母さん。たまには三人で飯食おうって。」


 母さんは…毎晩メールをくれる。

 俺はそれに返事をしたりしなかったり…

 …色々複雑なんだよ、俺も。


「ばーちゃん達、いつこっちに帰ってくんのかな。」


 ノン君が麦茶ポットを持って立ち上がった。


「…どーかな。帰る気なんて、あんのかな。」


 階段を下りながらつぶやくと。


「なんだ。反抗期か?」


 ノン君が俺の頭をパコンと叩いて笑った。



 …複雑なんだってば。




 ここんとこ、ずっと帰りが遅い俺は…なかなか咲華に会う事もなかった。

 咲華どころか、下手したら家族の誰にも会わない日もあった。

 会社の近くのホテルに泊まる事もあったし…夜遅く帰って朝早くに出る事もあったし。

 そんな時は、反対に昼間に時間が取れる事もあって…



「…あまり顔出さなくてごめん。」


 マンションに行って、誰も居なきゃ居ないでいいとして…

 居れば昼飯でも。って。

 連絡もせずに訪れるあたり…

 たぶん俺、居なきゃいいなって思ってた気がする。



「忙しいんだろ?知花が『聖と三日会ってない』って言ってたぞ。」


 父さんだけが…マンションにいた。

 母さんは、教室に行ってた。

 教室。

 何のかと言うと…

 実は母さんは、昔々…フラワーアレンジメントの先生をしていた時期があって。

 それこそ生徒さん達は何も疑ってなかったと思うけど、俺達身内は『マジでやんの?できんの?』って思ってた。

 でも何でか人気があって、文化センターでやってる教室は空きが出るのを待ってる人がいるほどらしい。



「姉ちゃんは会ってる方だよ。裏口から入ったら、みんなを起こすと思ってわざわざ玄関から入ったのに起きて来たりさ。」


「ははっ。知花らしいな。」


 父さんは…話しながら、キッチンで何か作ってる。

 …桐生院の父さんには、有り得なかった事。



「で?」


 目の前に並んだのは、サラダとオムライスとコンソメスープ。

 こんなのをチャチャッと作れる年寄り…それが高原の父さん。

 世界の…高原夏希。


「で…とは?」


「何か悩んでる顔してるぞ?」


「……」


 父さんの言葉に、スープをすくいかけたスプーンを止めた。


 何か…

 俺、何悩んでるんだろ。



「…別に悩んでるってほどじゃないよ。」


 そう言って、スープを一口。

 んー、美味い。


「じゃ、愚痴でも聞こう。」


「……」


「貴司の代わりにもならないと思うが、俺は…貴司にもばーさんにも、おまえを頼むと言われてるからな。」


 つい…小さく笑ったついでに溜息が出た。

 俺って、こんなに分かり易い奴だったかな。

 上手く隠してるつもりなのに、バレバレなのか?



「俺の事を父と呼ぶのが嫌なら、前のように『おっちゃん』って呼べばいい。」


「はっ?何だそれ。もう二年は『父さん』って呼んでるけど。」


「そう呼ぶようになって、会う回数が減った。」


「……」


「俺としては、会える方がいい。おまえにとっての父親が貴司であるなら、それでいいんだ。」


 えー…と。

 俺…今、なんか…

 すげースッキリした気がする…


 でもさ…別に『父さん』って呼ぶ事を嫌だって思ってるわけじゃない。

 敷居は高いって思ってたけど…



「…俺に会いたいって思ってるんだ?」


 何となく視線を泳がせながら聞いてみると。


「大事な息子に会いたくない親なんていない。」


 父さんは少し驚いたような顔で言った。



 俺が…『父さん』って呼び始めたのは、あのイベントの後から。

 ステージの上で、まるで二十代みたいな二人が結婚の約束を交わして…

 みんなから祝福を受けた。


 俺は母さんの幸せそうな顔に満足したし、桐生院の父さんの罪悪感が消え去る思いだった。

 それと同時に…


「…俺、妬いてたのかも。」


 小さく笑いながら、うつむき加減で言う。


「誰に。」


「誰にっつーか…みんなに?なんか、どこにいても蚊帳の外って気がして。」


「……」


 うちは…複雑な関係図で。

 俺より年上の甥と姪がいたり。

 その年上の甥と姪の祖母が、俺の母さんだったり。

 だからなのかなー…


 ノン君が俺の母さんに『ばーちゃん』って甘えるみたいにして甘えられなくて。

 俺は小さな頃から…なんつーか…

 甘える事を知らなかった気がする。


 それに、母さんは…『高原さくら』になった。

 だけど俺は『桐生院 聖』のまま。

 まあ…仕事をする上でも、俺はこのままの方が良かったけど…

 父さんも母さんも、俺に『高原』の姓を名乗る事について聞かなかったから…

 疎外感だったのかもな…



「…さくらは、聖が華月と一緒に知花に甘えてて自分に来ないのは、『自分のお母さんがおばあちゃんって呼ばれてるのが嫌だからなのかなあ』って悩んでたぞ。」


「えっ?」


 久しぶりに顔を上げて父さんを見た。


「おまえ、華月とは双子みたいだったからな…知花の息子みたいになってただろ?」


「そ…それは、あの家族構成の中にいたら、そんな事になっても…」


「仕方ないよなあ。それに、華音がガッツリな『おばあちゃん子』になってたし。」


 そーだよ!!

 だとしたら…

 俺のこういう想いって、ノン君のせいだ!!(って事に)


 ほんっと…いつもいつも、俺の母さんなのに『ばーちゃんばーちゃん』ってベッタリで…



「おまえも、普通に甘えたかったんだな。」


 父さんが、スプーンを置いて頬杖をつく。

 優しい顔してそんな事言われると…いい歳した男なのに恥ずかしくなった。


「甘えたかったって言うか…いや…でも桐生院にいたら…誰かしらいたし…」


 実際、みんなにとっての『大ばーちゃん』は…すげー俺を可愛がってくれてたし。

 …俺、何卑屈になってたんだっけ?


 こうして色々思い出してみると…

 俺、すげーみんなから大事にされてたじゃん…



「…ごめん、父さん。」


「ん?」


「なんか…いっぺんに生活が変わって、もう二年も経ったのに…まだいっぱいいっぱいなのかも。」


「……」


 俺のつぶやきに父さんは首を傾げて小さく笑うと。


「まだ二年さ。十分頑張ってるおまえを、貴司はきっと誇りに思ってる。もちろん俺も。」


 手を伸ばして…俺の頭を撫でた。


「俺もさくらも、おまえと一緒に居たいって思ってるよ。」


 そう言われて…ここんとこ溜まりまくってた黒い塊みたいなのが無くなってく気がした。


「…じゃあ、新婚気分を満喫したら…桐生院に来てくれる?」


 たぶん、みんなが切望してるクセに、ハッキリ言えない事を言ってみると。


「可愛い息子がそう願ってくれるなら、必ず。」


 父さんは…満面の笑みでそう言った。

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