第9話 「はー…疲れた…」

 〇桐生院華月


「はー…疲れた…」


 7月に入って、一気に暑くなった感じ。

 あたしは胸元をパタパタとさせながら、大部屋に向かって歩いた。


 今日は打ち合わせの後に、事務所のジムでトレーニングをして。

 エレベーターの前で会った朝霧さんに『華月ちゃんは歌わへんのん?』って言われて。

 そう言えば、事務所に入った頃、色んな人からそんな事言われたなあ…って、一人で思った。

 両親も、祖父母もシンガーなんて。

 それはそれはそれはー…あたしにはとてつもない素晴らしい血が流れてるよね。

 俗に言う『サラブレッド』ってやつ。

 それも、超超超サラブレッドのはず。


 だけど残念ながら、自分が歌うって事には全く興味も何もないあたし。

 今は地道に色んな撮影をこなしながら、自分磨きをしてる最中。

 …いつまで磨いてんだ。って、父さんには言われるけど。


 あたしは…自分磨きには終わりはないって思ってる。

 だって、あたしの母さんも、おばあちゃまも…

 いつまで経っても綺麗だし可愛いし。

 それは、見た目って事じゃなくて。(あ、二人の見た目を否定するわけじゃないけど)

 内面から出てる何かって言うのかな…


 …まあね…

 二人とも、驚くほど深い趣味持ってるし…。

 あたしも、そこまでの何かが欲しいなあ。



 桐生院家唯一のOLであるお姉ちゃんは、自分で『普通』って言うけど。

 あたしから見ると、お姉ちゃんはすごく出来た人だなって思う。

 学生時代は成績も良かったし、人当たりもいいから誰からも好かれてたし。

 …意外なのは、友達がいない事。

 ま、あたしも友達はめったに会わない泉だけ…だけどね。


 お兄ちゃんいわく。


「咲華は家が好きだから、ダチなんていらねーんだよ。」


 …どういう意味?って思ってると…


「友達作ると、やれ家に遊びに行っていいかとか、遊びに来いとか…どこそこに出かけようだとか。あいつ、そういうのが苦手なんだよ。」


 …なるほど。

 それはー…何となく分かる気がする。

 お姉ちゃんもあたしも、休みの日は家でのんびりしたいタイプ。

 自分の好きなように時間を使いたい。


 そういうお兄ちゃんも、友達は曽根さんだけなのに…昔から割とアクティブ。

 習い事も色々してたし…友達じゃない知り合いの人達と、テーマパーク行ったり旅行したり…


 でも…うちで一番社交的なのは、聖だなあ。

 聖って、あたしとは双子みたいに育ったから…いて当たり前だし、あたしと似てる所があるって勝手に思ってたけど。

 昔ほど一緒にいる時間がなくなってくると…今まで見えなかったものが見えてきたと言うか…


 聖は、何て言うか…

 大勢の中に居ても、孤独を感じさせる。

 …誰かに似てる気がする。



「ただいま。あれ?お姉ちゃん、一人?」


 大部屋に入ると、そこにはお姉ちゃんだけ。


「うん。父さんと母さんはお風呂。」


 なるほど。

 家族のボード、父さんと母さんのマグネットが『お風呂』にある。


「お兄ちゃんと聖は?」


「まだ。」


「ご飯食べた?」


「まだ。」


 え?


「……」


 あたしが無言でお姉ちゃんを見てると。


「何?」


 お姉ちゃんは、眺めてたボードから視線をあたしに移した。


「こんな時間に、お姉ちゃんが何も食べてないって。」


「あっ、何それ。あたしにだって、食べるのをためらう時ぐらいあるわよ。」


「えー?調子悪かったの?」


 あたしも食べるのは好きだけど…お姉ちゃんの食欲は、桐生院家第一位だ。

 そんなお姉ちゃんが食べるのをためらうって…やっぱ…あれかな…


 先月、お姉ちゃんは仕事で嫌な事があったらしくて…連絡もせず、遅くまで帰って来なかった。

 志麻さんが探してくれて、無事に送り届けてくれたけど…その後はもう…父さんとバトル。

 お姉ちゃんには口うるさい父さんに、ついに…お姉ちゃんがキレて。


「父さん嫌い。」


 あ~…言っちゃった~…って思った。

 あの後、父さんは抜け殻だったし、翌日から二人が顔を合わせる事が減ったようにも思う。


 あたしから見たら…確かに父さんは鬱陶しかったり、頭ごなしに怒鳴ったりもするから腹が立つ事もあるけど…

 引きずらないし、ちゃんと見ててくれるから…あたしは大好きなんだけどな。


 でも…お姉ちゃんに対しては…色々根に持つ父さん。

 溺愛しちゃってるんだよね…

 全然伝わってないけど。



 冷蔵庫を開いて、おかずを確認してるお姉ちゃん。

 ここ一ヶ月、ほんとギクシャクしてて。

 それがストレスで食欲ないのかな…?


「あ、作ってある。」


 …大丈夫か。


 それから…お風呂から上がった父さんと母さんと、四人で晩御飯を食べた。

 父さんもお姉ちゃんも、全然視線を合わせない。

 あたしと母さん…顔を見合わせて苦笑い。



「華月、SHE'S-HE'Sのミュージックビデオが決まったらしいな。」


 父さんがビールを飲みながら言った。


「えっ、華月、すごいじゃない。」


 お姉ちゃんが笑顔になった。

 ああ…嬉しいな。


「んー…でも難しいのよね。父さんの時は泣くだけだったけど、今度は泣いて最後は優しく笑うんだもん。」


「おまえ、泣くだけだったとは失礼だな。」


「だって本当だもん。」


 あのPVの事は、少し痛い思い出なんだけどな…

 父さん、空気読んでー…


「泣くだけにしても、あの涙には深い意味があるんだぜ?」


「あたしは窓辺で泣けって言われただけだもーん。」


 あたしは…あえて笑った。


 あの撮影は…詩生が絵美さんを妊娠させたって…知った後。

 座ってるだけで…涙が出た。

 泣いてると…詩生のお父様が来られて、詩生を殴った。

 …もう、過去の事。


 それに、あたしは詩生と生きるって決めたんだもん。

 過去の事を今の詩生と重ねたくないのに…時々そうやって、辛い場面を思い出すと…



「華月。」


 ご飯を食べ終わって、お姉ちゃんがお風呂に入って。

 あたしがテレビの前で身体を伸ばしてると…父さんが隣に座った。


「何?」


「…おまえなら、出来る。」


「……」


 真顔で…父さんを見つめた。


「泣いて、最後に笑う。おまえだから出来るんだ。」


 …あたしだから…出来る…?

 無言のままでいると、父さんはあたしの頭をポンポンとして。


「詩生は、おまえに永遠の想いを捧げるって…そう歌っただろ?」


 テレビを見ながら…そう言った。


「おまえのために強くなるって、みんなの前で誓ったんだ。こんなに笑える事ないよな。」


「……」


 あたしが出るPVは…

 巡り合えない恋なら捨ててしまおうって、切ないバラードなんだけど…

 あたしも、一度捨てた恋。

 そして…自分から手繰り寄せた恋。

 相手が同じ詩生でも…あの捨てた恋とは別に、始めたんだ。

 人知れず思い切り泣いて…叫んで…それでもあたしは詩生が好きだった。


 …うん。

 あたしだから、出来る。



「…父さん、失礼だな。あんなにとびきりのラブソングだったのに、こんなに笑える事ないなんて言って。」


 あたしが唇を尖らせながら父さんの肩にぶつかると。


「ふっ…そりゃ悪かったな。」


 父さんは鼻で笑いながら身体を揺らせた。


「…ありがと。」


「…何の事だ?」


「シュークリーム食べる?」


「飯食ったばっかだぞ?」


「母さーん、シュークリームまだあるー?」


 立ち上がって冷蔵庫の前にいる母さんの隣に並ぶ。


「俺は要らねーからなー。」


 背中に父さんの声を受けながら。


「…母さん。あたし、父さんの事大好き。」


 小声でそう言いながら、母さんの腕に抱きつくと。


「もう…可愛い子ね。誰の娘かしら。」


 母さんは、まるでおばあちゃまみたいな事を言って、あたしをギュッと抱きしめた。



 〇神 千里


「ねえ千里…」


 ベッドに横になってすぐ、知花が言った。


「あ?」


「今夜の咲華…ちょっとおかしくなかった?」


「……」


 咲華がおかしくなかったか。と聞かれると…俺には分からない。

 なぜ分からないかと言うと…

 咲華を見てないからだ。


 正確に言うと、咲華も俺を見てない。

 お互いを見てないから、さっぱり分からない。



 熱を出した俺の誕生日以降、知花との関係は良好。

 家族とも、そこそこ平和に過ごしていた…はずだったが…

 先月、咲華が携帯の電源を落としたまま帰って来ないという出来事があった。

 みんなで探し回ったし、心配もした。

 だが、そういう時いつも咲華を見付けてくれるのは…志麻だって事も分かってた。

 案の定、志麻が咲華を見付けて連れて戻ってくれた。

 それには感謝する。

 が、おもしろくない。


 婚約してると言うのに、いつまで経っても迎えに来ない志麻。

 会う回数も、電話の回数も少ないはずの志麻に、どうして見つかるんだ咲華!!

 そんなヤキモチも入った怒りに…俺はつい咲華に厳しい口調になった。

 そこで咲華が放った一言は…


『父さん嫌い』


 ……咲華が…俺を嫌いと言った…

 あれ以来、俺は咲華の顔が見れない。

 咲華も俺を見ない。

 朝も…とりあえず食卓には居るようにはしているが、その分咲華が早く出かけて行ったり、朝飯を抜くようになった。


 知花は中立。

 どちらにも普通に接して、仲直りも無理強いしない。



「…俺には普通に思えたけどな。」


「そうかな…何だか様子がおかしかったんだけど…」


「どういうところが?」


「んー…いつもよりずっと伏し目がちだったし、冷蔵庫を開いて見てたから咲華の好きな羊羹があったのも知ってるはずなのに、お風呂入ってそのまま来なかったし…」


「…俺がいたからじゃねーのか?」


「…もう。まだ根に持ってるの?」


「……」


「娘の事、もっと信用したら?」


 その知花の言葉に、俺は軽く…軽くだが、ムカついた。

 おまえはいいよな。

 嫌いなんて娘達から言われる事もなくて。

 気になる事があったとしても、叱らなきゃいけない事は全部俺に言わせて。


「俺が咲華を信用してないって言うのか?」


「咲華に対して、少し厳し過ぎない?門限にしても外泊にしても…」


「それは咲華がふらふらしてなければ…」


「ふらふら?咲華がいつふらふらしたの?」


「……」


 つい、口をつぐんだ。

 おまえは…おまえは覚えてねーのか!?

 咲華が中学生の時、怪しい自称パティシエにストーカーまがいな事をされた事とか!!

 高校生の時、咲華目当てで配達に来てた小々森商店のバイトに、咲華がバターケーキで釣られかけてた事とか!!

 咲華は美味そうな物を目の前にチラつかされると、すぐふらふらしちまうじゃねーか!!


 …って、この様子だと知花は覚えてないな。



「…寝る。」


 ムカムカする気持ちを抑え付けて、俺は目を閉じた。




 〇神 千里


「~♪」


「……」


 昨夜、知花が『様子がおかしかった』と言った咲華は、朝から鼻歌。


「…何だ。ゴキゲンだな。」


 新聞を開いたまま、そう声をかけると。


「…そうでもないけど。」


 咲華は鼻歌とは正反対の、何なら少し暗い声でそう答えた。


 …そうか。

 まだ俺が嫌いか。

 そう思うと、こちらも溜息が出る。


 京介も言ってるが…

 娘というのは、何を考えてるのか分からない。

 いや…

 華月みたいに分かり易い娘もいるが。

 それは、ちゃんと口に出して言ってくれるからであって。



「……」


 そう考えると、俺も自己解決する事が多いだけに…

 知花や咲華には伝わっていない事は多いかもしれない。

 だが、ずっとこのスタンスで生活して来て…平和だったんだ。

 この先も変わる事はないと思ってた。



 先入観や固定観念は捨て去るつもりでいても、この環境じゃ目に見える物を信じてしまうのは当然で。

 その中で口にされた『父さん嫌い』の一言。

 そして、それからの咲華の俺に対する態度。

 …嫌われてるとしか思えねー。



「あら…オフじゃないの?」


 俺が珍しく玄関から出かけようとすると、知花が言った。

 知花もオフだが、オフの時の知花はだいたいオタク部屋に出勤だ。

 今日も作業する気満々な格好で、出掛ける準備万端。


「…ちょっとブラブラして来る。」


「…一人で?」


「おまえ、里中んとこ行くんだろ?」


「……」


 俺の言葉に、知花は自分の姿を見下ろして。


「そう…思ってたけど、ブラブラに付き合いたい気もする…」


「……」


 買い物に付き合う気にはなれねーし…

 今日一緒に出掛けたとしても、きっと俺は無言だ。


「いいから行け。俺は少し…一人で歩きたい。」


 そう言って引き戸を閉める瞬間。

 知花の寂しそうな顔が見えた。


 表通りじゃない方向に歩いて、昼飯時な事に気付いた俺は。


「…あそこに行くか…」


 ゆっくりと歩いて、『あずき』に向かった。



「いらっしゃい。」


 ここは…何年前になるか…まだ咲華が志麻と付き合う前。

 会社の帰りに一人で寄っている所を偶然見掛けて。

 定食屋に一人で入ってんのか!?と驚きもしたが…

 咲華が通うって事は、美味い店なんだろうなとも思った。


 咲華が来てなさそうな時間帯を選んで、俺も何度か通った。

 知花の飯が一番だが、外食するにも冒険をしない俺のベスト3に入れてもいいぐらいの店だと思った。


 声を掛けて一緒に入らなかったのは…

 ここは、咲華のテリトリーだと思ったからだ。

 …こうやってコッソリ来るのは、それを侵害してる気もするが。



「あら、お久しぶりです。」


 恰幅のいいおかみさんは、人の顔を覚えるのが得意らしい。

 しばらく来てないのに、覚えているとは。


「テーブル席でもいいですよ。」


「混む時間じゃないか?」


「あと40分は大丈夫ですよ。」


「…じゃあ。」


 奥のテーブル席に座って、壁に貼ってあるメニューを眺める。

 咲華はいつも、ここで何を食うんだろうな。


「…うちに、二十代の娘が二人いるんだが…」


 そばにいるおかみさんに、独り言のようにつぶやく。


「娘達は、この店に来たら、何をオーダーするんだろうな。」


「まあ、それはおうちが華やかですこと。うちにも二十代のお客さんは来られますけど…そうですね~…常連の娘さんの中には、カツ丼を大盛りで頼まれる方もいらっしゃいますよ?」


「……」


 大盛り。

 もはや、それは咲華でしかないと思った。


「…大盛りは食えないが、カツ丼を。」


「はいっ。カツ丼普通盛り。」



 同じ物を食ったとして、分かり合う事はない。

 咲華はいつも、俺との間に溝を作っている。

 その距離感が、普通の父娘だとしても。

 俺にはそれが…


 居心地が悪い。

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