第8話 「ただいまー。」

 〇桐生院華音


「ただいまー。」


 事務所の帰りに華月に会って、一緒に帰った。

 俺は新生DANGERのスタジオ練習の毎日。


 がく沙都さとのように踊り出しそうな足元じゃないし、まだ笑顔で弾き倒す余裕はなさそうだが…

 音が正確だ。

 沙都よりも。

 だからその分、曲もしっかりして聴こえる。

 …間違いなく、俺達は上に行ける。



「おかえり。あら、一緒だったの?」


 母さんがいい匂いのするキッチンで振り返った。


「帰りにお兄ちゃんに拾ってもらったの。」


「ラッキーだったわね。」


「お邪魔しております。」


 母さんに続いて聞こえた低い声に、俺と華月は…大部屋の隅を振り返った。


「…志麻?」


「ご無沙汰をしております。」


「咲華が帰るの待って下さってるの。」


 …珍しい。

 志麻がうちに来るなんて。



「待ち合わせしてなかったのか?」


 冷蔵庫からビールを出して、志麻に見せると。


「時間までは…あ、結構です。」


 志麻は右手を出して、ビールを断った。


 ちっ。

 おもしろくねー野郎だ。



「お姉ちゃん、残業って連絡あったの?」


「まだよ。」


 母さんの言葉を聞いて、スケジュール表に目をやる。

 聖の欄は毎日真っ黒になるほどで…今夜も少し遅くなりそうだ。

 親父は雑誌の取材が8時終わり予定。

 咲華は…ま、あいつの残業とかはその日になんねーと分からないもんだろーしな。

 このスケジュール表、家族全員の予定が分かるからいいって、大昔に親父が作ったが…

 就職した時、咲華は『あたしのは要らないよねー』と笑った。


 …笑ってた咲華は、本当はどんな気持ちだったんだろう。

 俺だったら…疎外感たっぷりだ。



「…それにしても、連絡がないわ。」


 母さんがスマホを手にして言った。


「咲華から?」


「ええ。残業の時も6時までには連絡してくれるのに。」


「志麻と会う約束だったなら、前の日に言うしな。」


「そうなのよね…」


 うちは…本当に家族ベッタリだと思う。

 …隠し事は多いが。


『残業か?』


 咲華にメールして、俺と華月だけ晩飯を始めた。

 志麻にも勧めたが、咲華が帰るまで待ちます。と言われた。

 俺は、できればさっさと食って、部屋でギターを弾きたい。

 今までの曲、ギターソロも少し変えたり、ハモリのパートも増やしたい。



「…咲華の携帯、電源が入ってないみたい。」


 母さんがスマホを手にして言った。

 そう言われて俺もスマホを見るが…返信はない。

 咲華は仕事中も電源は落とさない。


 咲華の門限は10時。

 もうすぐ親父も帰って来る。

 まずいぞ?咲華。

 親父はおまえの帰りが遅いと、機嫌がわりーんだ。



「…私が探してまいります。」


 ふいに志麻が立ち上がった。


「あてはあるのか?」


「充電が切れている事に気付いていない可能性もありますから、まずは会社と…あと、思い当たる場所をいくつか探して来ます。」


 充電が切れてる事に気付いてない。ってとこには、俺と華月と母さんは目を細めた。

 俺達はぬかりないが…咲華はよくそれをする。

 …バッテリーがなくなるほど、スマホ使わないから。って…よく投げっ放しにしてたりするからな…



「志麻さん、ごめんなさい…よろしくね。」


 母さんがエプロンを外しながら言うと。


「尽力いたします。」


 たぶん俺と同じで、親父が帰って来るのと咲華の門限が気になってるからか。

 華月と母さんは柱に掛かってる大きな時計と志麻を交互に見ながら、心配そうな顔。


「…見付けたら、連絡いたします。」


 志麻がそう言って俺を見た。


「ああ…頼む。」


「では、行ってまいります。」


 玄関先で志麻を見送る。


「…咲華…大丈夫かしら…」


「……」


 三人で少し黙ってしまってると…


「あー…疲れた。」


 親父が…帰って来た。




 〇桐生院華月


「……」


「……」


「……」


「……」


 大部屋は…息が詰まりそうなぐらい…空気が張り詰めてる。

 最初はお姉ちゃんの事を口に出さなかった父さんも…

 10時を過ぎた頃。


「咲華は。」


 低い声で一言。


「ざ…残業って言ってなかったかなあ?」


 あたしがそう言うと。


「あ…そ…そうだったかしらね。」


 母さんが、少ししどろもどろで言った。

 だけど…そんなあたし達の咄嗟の嘘なんて。

 父さんには、すぐバレちゃう。


「帰ってないのか。」


「親父。あいつにも付き合いはあるんだぜ?たまには門限過ぎたって構わねーだろ?」


 お兄ちゃんがそう言って庇ったけど…


「連絡もせずに門限を破るのは、ルール違反だ。」


 あーーーー…

 父さん…

 もう、超ご機嫌斜め…


「……」


 父さんは無言でスマホを手にして、お姉ちゃんに電話をかけてるようだった。

 だけど、それは電源が落とされててかからない事を知ってるあたし達は…

 ただヒヤヒヤして眺めるだけ。


 うちでは…父さんの言う事は絶対。

 お兄ちゃんが言ったように、お姉ちゃんにだって色んな都合があるんだから…たまには門限なんて破ったっていいじゃないって思うけど…

 お姉ちゃんへの門限は、絶対。

 それってきっと、お姉ちゃんだけが…桐生院家で唯一のOLだから。

 父さんは心配でたまらないんだと思う。

 だけど、それは口に出して言わなきゃ伝わらないよ~…って思うんだけど…



 時計の針が10時半を過ぎた頃…


「…親父、どこ行くんだよ。」


 立ち上がった父さんを見て、お兄ちゃんが言った。


「…探して来る。」


「は?志麻に任せとけよ。あいつなら咲華の事分かってるし、プロだぜ?俺らがやみくもに探すより…」


「とにかく行って来る。」


「えっ、親父……ったく~…」


 お兄ちゃんはあたしと母さんを振り返って、『連絡する』って小声で言って父さんの後を追った。


「……は…」


 ふいに母さんが立ち上がってキッチンに立った。

 あたしはすぐに母さんについて行って。


「母さん…大丈夫?」


 母さんの背中に触れた。


「ええ…ちょっと…ノドが渇いたから…」


 母さん…顔色悪い…


「あたしがするから、座ってて?」


「ええ…ありがとう…」


 …お姉ちゃん…いったいどうしちゃったんだろ…



 カモミールティーを入れて、母さんと並んで座って飲んだ。

 こんな時は時間が経つのも遅い。


「あっ…おばあちゃまの所とか…?」


「さっきメールしてみたの。心配かけたくないから、今何してる?って書いたら、二人で映画観てるって。」


「そっか…おばあちゃまの所にも行ってないんだ…」


 こうしてみると…あたし達、お姉ちゃんの行きそうな所って思いつかない。

 …何だか悲しくなって来た…


 ########


 11時を過ぎた頃、母さんのスマホが鳴った。

 あたしは、それを飛びつくように取った母さんを見る。


「もしもし…ああ…あ、いた?」


 母さんはあたしの顔を見て。


「良かった…ええ…分かったわ。気を付けてね。」


 そう言って電話を切って。


「志麻さんが見付けてくれたみたい。」


 その言葉に、あたしは胸をなでおろした…けど…



 〇桐生院華音


「待てよ親父。」


 志麻が咲華を見付けてくれた。

 で、今から送ってくれる…と。

 親父は迎えに行く気満々で、どこにいるか聞きたそうだったが…俺はそのまま電話を切った。


 咲華には、今から親父とのバトルが待ってる。

 となると、志麻との時間は必要だ。



「家の中で待ってればいいだろ?」


 一旦家に帰ったものの、なかなか戻って来ない咲華と志麻にイラついた親父は。

 母さんが入れたお茶を前にしても、一口も飲まずに立ち上がって玄関を出た。

 俺がいくら声をかけても、ずんずんと庭を歩いて行ってしまう親父。


 全く…


「華音、いいから…中に入ってて?」


 そんな親父の後を、母さんがついて行こうとする。


「親父と咲華を門前でバトらせるつもりか?」


「…やっぱり…そうなっちゃうのかな…」


「なるだろ。俺が行くから。」


「でも、あたしも行く。」


「母さん。」


「心配なの。咲華…何かあったんじゃないかなって…」


「……」


 振り返ると、玄関口には心配顔の華月。


「…おまえは大部屋にいろ。」


「…うん…分かった…」


 今から起こり得るバトルを思うと気が重い…

 俺は頭の中に用意してた、ギターソロを一旦忘れる事にした。



 門前に出ると、親父は仁王立ちで南の方を向いてた。


「…親父、咲華にも色々あるんだ。いきなり怒るのはやめてやれよ?」


 親父の背中に声を掛けるも…返事はなし。

 はあああああ…まったく…



「あ…帰って来た…」


 母さんがそう言って振り返ったのは、親父が仁王立ちしてた方向じゃなくて。

 俺がそこを見ると…確かに、足音が聞こえる。


「ほんとだ。」


 俺が母さんの隣に立ってそう言うと。

 親父は目を凝らしてそっちを見てたが…


「…地獄耳め。」


 俺達を見て、目を細めた。

 親父には聞こえねーんだ?


 やがて、志麻と咲華の姿が見えて、二人が俺達の前まで来ると…


「咲華、良かっ…」


「何してた!!」


 バシッ!!


 駆け寄った母さんを押し除けて、親父がいきなり咲華を平手打ちした。


「千里!!やめて!!」


 母さんが間に入ったが…親父の怒りは止められねーよ…


「おまえ何様だ?あ?みんなにこんなに心配かけて。」


「……」


「どこ行ってた。」


「……」


「答えろ!!」


「千里、もう遅いから…」


「そーだよ。とりあえず家ん中でやれよ。近所迷惑だろ?」


 かなり響き渡ったぜ?

 今の親父の叫びはよ。

 ほんと…

 親父は、華月には甘くて、咲華に厳しい。

 まあ…

 咲華は…華月みたいに腹を割って親父と話す機会がなかったって言うのもあるし…

 双子の俺が言うのもアレだが…

 意地っ張りだ。

 親父にソックリな意地っ張りだ。

 似てるからなのか?


 俺達が大人になってからと言うもの…

 咲華と親父には、溝を感じる。

 親父って、見た目はアレだし口調も目付きもキツイが…

 すげー優しい男なんだけどな。

 口に出しては言わねーけど、家族が大好きな俺からしてみると。

 腹を割らない咲華は、めちゃくちゃもどかしい。


 おい。

 片割れ。

 素直んなれよ。



「志麻さん、ごめんなさい。迷惑かけて…」


 母さんが志麻に頭を下げてるのを見て、俺も一応…そうする。


「助かった。サンキュ。」


「いえ…無事で良かったです。」


 俺と母さんがそう言ってる後ろで…


「後はうちの問題だ。見付けてくれた事には感謝するが、帰ってくれ。」


 親父の冷たい声。

 やれやれ…って母さんと首をすくめた。



「…約束してたんじゃないの?ずっと待っててくれたのよ?」


 門から玄関まで歩きながら、母さんが小声で言う。


「…ちょっと…仕事で嫌な事があって…」


 咲華は親父に叩かれた頬を触りながら、つぶやいた。


 …そうだよな…

 嫌な事なんて、普通にあるよな。

 好きな事を仕事にしてる俺にだって、嫌な事はある。

 親父にだって、解っていいはずなのに。


「そっか。咲華、頑張ってるものね。嫌な事だってあるよね。」


「……」


「でも、連絡はしなくちゃ。母さん、息をしてる気がしなかった。」


「……ごめん。」


 母さんと咲華は…似てる。

 二人を見てると、自然と力が抜ける俺がいる。

 たぶん、親父も同じはずなのに…



「どういうつもりだ?あ?」


 大部屋に入ってすぐ、バトルは始まった。


「あたし、もう28なのよ?」


「それがなんだ。」


「門限とか、いい加減やめて。」


「門限に対する反発なのか?」


「働いてるのよ?付き合いもあるの。」


「こんなに遅くまで仕事の付き合いをしなくちゃならない会社じゃないだろ。」


 もはや…俺と華月は、呆れて物も言えない。

 親父は、咲華が目に見える場所にいないと気が済まねーだけだよな…

 母さんだけがオロオロしてるその場で、咲華が…


「父さん嫌い。」


 キッと親父を見据えて、早口で言い放った。


「……(抜け殻)」


 その言葉がどんな刃物よりもスッパリと切れ味がいい事を、俺達は知っている。

 特に咲華に言われちゃあ…親父のダメージもハンパない。


「……千里、本心じゃないから。咲華、どうして…一言謝れないの?」


 母さんがそう言って咲華と親父をなだめるが。


「おやすみ。」


 咲華は親父が抜け殻になってる間に、大部屋を出て行った。



「…ただい……って…何かあった?咲華、こえー顔してたけど…」


 咲華と入れ違いで、聖が大部屋に入って来た。


「…おかえり。」


 俺と華月は聖の腕を掴むと。


「部屋で飲もうぜ。」


 冷蔵庫からビールを取り出して、華月の部屋に入った。




 〇桐生院 聖


「はっ?咲華が?親父に?」


 仕事から帰ったばかり。

 まだ着替えてもないのに。

 俺は、ノン君と華月に連れられて…華月の部屋で飲んでいる。


 ちなみに…

 中の間の横にある階段を上がると、無駄に広い二階があって。

 桐生院の父さんとばーちゃんが死んでからは、母さんの部屋しかなかった。

 そこへ、ノン君が部屋の移動を申し出たが…ノン君がバタバタしてる間に、まずは俺が引っ越した。

 こう見えても、息子だからな。


 続いて華月が『足のリハビリ兼ねて』とかって、二階にやって来た。

 母さんの部屋は、そのままにしてるけど…

 もう、高原の父さんのマンションにいていい気もする。



「そ。もー…抜け殻状態の父さん、かわいそうだった。」


 華月が眉間にしわを寄せて、変な唇をして言った。


 …おい、モデル。

 顔が歪むぞ?



「でもまあ咲華に対して厳し過ぎるよな、親父。」


 俺がそう言うと。


「同感。」


 二人も同時にそう言った。


「同感だけど、『父さん嫌い』はないよね。鬱陶しくても口に出しちゃいけないよ。」


 鬱陶しくても口に出しちゃいけない。に、ノン君と顔を見合わせて苦笑いした。



 華月は…歩けなくなった時に、家族に心配をかけたからか…甘え上手だ。

 甘える事が一番の親孝行だって分かってるんだろうな。

 実際、華月に甘えられてる親父と姉ちゃんは、本当に幸せそうだ。

 …咲華も華月ぐらい…までとはいかなくても、少しは甘えればいいのに。

 あいつはいつも、『あたしなんか』って自分を見下げてる。

 もったいねーよな…


「けど、実際咲華ほど厳しくされたら…俺も言っちまうかも。親父なんか嫌いだーってさ。」


 俺がそう言うと、華月は『えっ』て小声で言った後、少し考えて…


「…確かに…お姉ちゃん、ちゃんと言いつけ守ってるんだから、たまに遅くなるぐらいいいのに…いちいちどこで何してたって聞かれるのも…やましくなくても、信用されてないのかなってムッとしちゃいそう。」


 肩を下げて言った。

 おまえ、結局どっちの味方だ?


「で、咲華はどこで何してたって?」


 ノン君が持って来た干し貝柱をポイッと口に入れる。


 うん…美味い。

 今夜は取引先のお偉いさん方と、高級料亭で会食だったが…

 今この瞬間の缶ビールと干し貝柱、サイコーに美味い。



「それは言わなかったけど、仕事で嫌な事があったって母さんに話してた。」


「……」


「……」


 ノン君の言葉に、俺と華月は無言になった。


 俺達は…嫌な事があっても、仕事の帰りに誰かと飲んで帰ったり…何なら店のはしごもしたり…普通にそういう事が出来る。

 けど。

 咲華の門限10時は…

 定時に終わって飲みに行っても、余裕で帰って来れる時間ではある上に…

 咲華に友達なんかいねーってみんな知ってるもんだから…

 ついでに、家が好きな咲華が、外で一人で飲むとしても…ちゃんと門限までに帰って来るって知ってるもんだから…

 …こうしてみると、咲華には自由がない。



「…咲華も呼んで飲む?」


 俺が二人に言うと。


「たぶん今…志麻と電話してると思う。」


 ノン君が首をすくめた。


「あ、そ…」


 婚約して二年以上、フィアンセをほったらかす男。

 俺としては…もう、あまり期待してない。

 つーか…

 いっその事、ふってやってくれって思う。

 咲華からは無理だろうから…あいつから。

 最初は辛いだろうけど、咲華には…さっさと新しい恋を見付けて幸せになって欲しい。

 …ほんと。


 俺みたいにならないように…

 みんなに、幸せになってもらいたい。

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