第7話 「いつから調子悪かったの?」

 〇神 千里


「いつから調子悪かったの?」


 ベッドに横になって、ボンヤリと知花の声を聞く。


 ああ…こいつほんと…いい声してる。

 癒されるなー。


「千里。」


 癒されると思ったのも束の間…

 知花は厳しい声と、戦闘モードのような顔付き。


「あー…なんかフラつくなーとは思ってたけど、大した事ねーやって思ったからな…」


「いつから?」


「んー…事務所の帰りぐらいかな。」



 今日は…俺の誕生日で、俺と知花との結婚式記念日。

 毎年、賑やかだったり…そうでもなかったり。

 でも今年は高原さんが張り切ってるって聞いてて…俺としては恐縮だが、それはそれで微笑ましいなー…なんて思ってたんだが…


 ピピッ。


「39度…」


「…そんなにあんのかよ…」


 知花は俺の熱を計って、すかさず加湿器のスイッチを入れた。

 そして…


「どこか痛い所ある?」


「…そう言われると…節々が…」


「ここ、冷やすと少しは楽?」


「あー…そうかも…」


「ノドも少し腫れてるね…ちょっと待ってて。」


 くそー…熱があると分かっただけで、一気に病人になった気分だ。

 せっかくの誕生日なのに…

 結婚式記念日なのに…



「…ごめんね…」


 一旦部屋を出て行った知花が、戻って来たと思ったら…俺の額に触れながら謝った。


「…なんでおまえが謝る…」


 知花の顔を見ると…今にも泣きそうな…


「…風邪ぐらい誰でもひくだろ…」


 手を伸ばして、知花の前髪に触れる。


「…ずっと気を付けてたのに…」


「……」


 俺は…

 ここに婿養子に来て、風邪をひいた事がない。

 くしゃみをしようものなら、寒気がすると言おうものなら、インフルエンザが大流行しようものなら。

 とにかく知花が。

 万全の態勢で、家族全員に適切な処置と対応をとっていたからだ。


「…高………義父さんにうつらなきゃいいが…」


 照れ臭いが…そう言ってみると、知花は少し間をあけて…優しい目をした。

 …ああ、俺の知花だ。


「大丈夫。母さんが『滅菌くん』を使ってたから。」


「はは…っ…ったく…おまえら母娘ときたら…」



 いつだったか…華音が季節外れの大風邪をひいた時。

 家に残ってた義母さんが。


『うちには歌う人がいるんだから、ウイルスはすぐ消滅させなきゃね』


 と…

 知花と二人して、『滅菌くん』なるモノを作った。

 名前は可愛いが、消毒液と何かを混ぜた物を噴霧器…よりもパワーのあるマシンで家中にまき散らすんだ。

 今もウイルス性の物が流行していると、帰った途端に身体中にぶっ放される。

 …まあ、そのおかげで、誰も酷い風邪をひいた事もないんだろうが。



「…おまえにうつるとヤバいな。」


「大丈夫。持ってきたから。」


 知花の手には…マスク。

 知花はそれを装着すると。


「ちょっとツボを押すね。」


 そう言って…俺の腕を取った。


 …本当…

 知花と義母さんは、年々…不思議な引き出しを増やし続けてる。

 うちでは当たり前みたいな事が、実は全然普通じゃなかったりする事に…最近気付いた。



「大丈夫。すぐ治るから…」


 …アンプの修理をしてるつもりじゃないだろうな?

 39度もあるんだぜ?

 そんなすぐに治るかよ。


 そう思いながらツボを押されてると…

 熱のせいか、すごく…強い睡魔に襲われた俺は。


「大丈夫。」


 知花が繰り返し言うそれを聞きながら…

 いつしか深い眠りに落ちた。




 〇桐生院知花


「…知花…」


「……」


 千里の額の汗を拭ってたあたしは……

 その寝言に、少し感激してしまった。


 千里が眠って、二時間。

 せっかく来てくれてる父さんと母さんに悪いし…と思って。

 一度大部屋に戻って、千里の分も…って、みんなで乾杯した。

 父さんの作ったチェリーパイが美味しくて。

 千里の分…って少し残そうと思ったのに。


「あ、ごめん…食べちゃった…」


 あたしが母さんと話してる間に、咲華が食べてしまった。


「将来の事を考えて、少し食べるのを控える。なんて言ってたのにね。」


 あたしがそう言うと、咲華は目を細めて。


「あんまり美味しかったから、つい…」


 苦笑いをした。

 …志麻さんと何かあったのかな…


 咲華は、自分では気付いてないのかもしれないけど…少し前から溜息が増えた。

 確かに、あまり会う事が出来なかったり…現場に出てしまうと連絡も取れないみたいだから…寂しいよね…


 婚約して二年以上。

 …もしあたしなら…って考えると、咲華はよく待ってるなあ…って思ってしまう。

 あたしなんて…

 こんなにそばにいるのに、ずっと不安なんて。

 贅沢過ぎるよね…。



「……」


 千里の寝顔を見つめながら、腕に触れる。


 こんなに熱を出すなんて…

 さっき母さんに『ストレス性の物かしら…』って言われた。

 …少しショックだった。

 そりゃあ、誰にだってストレスはあるよ。

 …うん。

 千里にだって…ストレスはあるはず。


 ただ…

 それを打ち明けてくれないのが、悲しい。



 父さんから聞いた。

 千里に…今度こそ事務所を継いで欲しいって打診した事。

 千里が渋ってるから、後押ししてくれとも言われた。

 あたしは…千里が打ち明けてくれたら、千里の気持ちを聞いた上で…って思ってたけど…

 千里は一向に…打ち明けてくれない。


 あたしには…相談出来ないのかな…

 頼りにならないのかな…

 そう考えてると、ずんずん暗い気持ちになっちゃって。

 あたしは…千里の妻として、全然ダメなんじゃないか…って落ち込んだりして。


 ただでさえ、先月…あんな事があって落ち込んでたのに。

 …そう思うと…

 あたしも千里には全然相談なんて出来てない。

 あの事…話せないまま。


 好きだからこそ話せない事もある。

 そう自分で言い聞かせて…それでますますあたしは自分の殻に閉じこもる。

 千里の事好きなのに…こんなに好きなのに…


 コンコンコン


 あたしがどんよりした気分になってると、ドアがノックされた。


「はい?」


『俺。』


 ドアの外から華音の声。

 あたしは立ち上がってドアを開ける。


「親父どう。」


「寝てるわ。」


「そっか。親父がこんなの初めて見るから、なんかビックリっつーか…」


「……」


 優しい華音。


「大丈夫よ。明日には良くなってるから。」


「ほんとかよ。9度超えしてんだろ?」


「うん…でもたぶん疲れから来てるんだと思うから。」


「なら『滅菌くん』要らなかったな。ばーちゃんにぶちまけられたよ。」


 華音はそう言って、自分のシャツを引っ張って嗅ぐ仕草をした。


「ふふっ。」


 落ち込んでた気分が、少し浮上した。


「ありがと。可愛い息子。」


 あたしが背伸びして華音の頭を撫でようとすると。


「落ち着いたら飲み直しに来いよ。みんな、まだまだ寝ないって言ってるから。」


 華音はあたしが撫でやすいように、少し頭を下げてそう言ってくれた。




 〇桐生院華音


「千里さん、どうだった?」


 親父の様子を見に行って大部屋に戻った俺に、ばーちゃんがすかさず聞いてきた。


「寝てた。」


「母さん、ずっと付き添うのかな。」


 パイを食った後なのにも関わらず、華月の買って帰ったシュークリームの箱を開ける咲華。


 …おい。

 まだ食うのか?



「いや、もう少ししたらこっち来るってさ。」


「母さん、心配なんだろうね。父さんって全然風邪なんてひかなかったから。」


 そう言って、華月がシュークリームの箱に手を伸ばす。


 おい。

 おまえも食うのか?

 モデルとして摂生しなくていいのか?



「親父が風邪って珍しいな。」


 聖もそう言いながら、シュークリームに手を伸ばす。

 …じーさんの作ったアメリカンチェリーパイ、結構なボリュームだったぜ?

 みんな、なんでそんなに食えるんだよ…



「千里も歳を取ったって事だな。」


 …じーさんも、シュークリームを…

 見てるだけで胸焼けしそうだ。

 …もしかして…これは、あれか?

 咲華が食い過ぎてる…とか?


 たまになんだが、咲華の体調が俺に影響する事がある。

 双子ならではのそれなんだろうが…

 俺にはあるけど、咲華にはないらしい。



「我が家はみんな、母さんのおかげで元気でいられるっつー感じだよな。色々細かい事気に掛けてくれてるし。」


 シュークリームには手を出さないけど、一人でキッチンに向かってお茶を入れた。

 早乙女さんからもらったお茶、マジうめぇ…


「あー、確かに。姉ちゃん耳いいから、誰かが鼻声だの声がかすれてるだの、すぐ気付くしな。」


 本当に。

 俺も耳の良さには自信があるが…気に掛ける所が違うんだよなー。


 それでも体調を崩したり熱が出るって事は…

 さっき母さんも言ってたけど、疲れとかメンタルなんだよなー。


 いつだったか、咲華が熱出して会社休んだ時も。

 西野って男にフラれた後だった。

 …後で知ったんだけど。



「ところでお兄ちゃん。今、彼女いる?」


「ぶふっ。」


「あっ!!もう華音たらー!!」


「ノン君が動揺してる…」


「華月、華音もいい歳なんだから、彼女の一人や二人…」


「…なっちゃん。いい歳の頃、彼女の一人や二人がいたの?」


「んー…」


「いたのー!?」


「昔過ぎて忘れたな…」


「こんな時だけ年寄りぶっちゃうんだからー!!」


「いや、実際年寄りだろ?」


「あはは。おじいちゃまに飛び火してるー。」



 …た…助かった。

 華月がそんな事を切り出す時は…だいたいいつも、仕事仲間から『お兄さん紹介して』って言われた時だ。

 まあ、俺に話が来る事なく断ってくれてる時もあるみたいだが…

 人付き合いが苦手な華月が紹介するぐらいだ。

 たぶん、いい子なんだと思う。


 だが困る。

 俺はずっと、紅美一筋だからな…。


 そんな紅美も、海と終わって沙都とも終わって…

 いよいよ俺とか?って、たぶんみんな期待してるんだろーが。

 …あいつの気持ちが読めねー。

 駆け引きなんかせずに、自分の想いをストレートに言えばいいんだ。

 …そんなの分かってる。



 少し前に、紅美の弟の学を、DANGERのベーシストとしてスカウトした。

 あの夜…俺は紅美の家に泊まった。

 二人でリビングのソファーに横になって。

 いくらでも自分を売り込める状態ではあった。

 実際、あの時までは押してやるって気持ちが強くて…麗姉の前でイトコ婚を申し込んだぐらいだからな。


 が…

 色々話していて…気が変わった。

 誰かと終わってすぐに誰かと始めるっつーのは…何となく俺が納得いかねーんだよな…

 …寂しい時とか辛い時ってのは、そばにいる誰かの事がすげー頼りになる奴に思えたりするもんだ。


 俺は…

 それを、身を持って体験した。

 だから…紅美にはちゃんと…『その時そばにいた俺』じゃなくて。

 ちゃんと、真正面から見た俺を好きだと思ってもらいたい。

 …って、贅沢な話なんだろうけどな…


 だけど、あの時の俺の言い方じゃ…そんなのは伝わらなかったと思う。

 ま、仕方ねーな…

 これでダメなら、一生ダメだ。

 俺はこんな性格だし、紅美とはイトコだ。

 長い片想いのついでに、一生片想いしててもいいか…



「そう言えば、そろそろ学のDANGER就職が決まる頃か?」


 じーさんがそう言ってグラスを掲げた。


「華音がガッくんをスカウトしたって夜、陸兄あちこちにメールしてた。『学が音楽の道に進むかも!!』って。」


 咲華もそう言ってグラスを掲げる。


「華音、早速手を回してたものね。学がバンドを始める事で、チョコちゃんのお店に支障が出ないようにって。」


 ばーちゃんもグラスを掲げた。


「沙都と学、タイプ違うけど、DANGERが生まれ変わるって意味では上手く行きそうだよな。」


 聖がシャンパンを注ぎ足す。


「お兄ちゃん達もミリオンセラーバンドの仲間入りする日も近いね。」


 華月が…少しプレッシャーな事を言いながらグラスを掲げた。


「そ。早く追い付いて。」


「うおっ…い…いつの間に来たんだよ母さん。」


 華月と俺の間に、いつの間にかグラスを持った母さんがいて。


「あたしと千里の結婚式記念日とDANGERの新しい門出に、改めてかんぱーい。」


 親父が熱出してるっていうのに…

 少し高いテンションで、そう言った。





 〇里中健太郎


「あっ、そこは直接じゃなくて、一度マスキングテープ貼ってからの方がいいかも。」


「えっ…あ、あー!!なるほど!!今まで直接でやってたから、はみ出して接触悪くなってたんですね!!」


「そうかも。少しなら差し支えないけど、熱を持ったら融ける可能性あるからね。少しでもいい状態で長持ちさせるには、ここで完璧にしておいた方が安全よ?」


「はい!!ありがとうございます!!」


 …今日も知花ちゃんはオタク部屋で輝いている。

 本人は気付いてないかもしれないが…彼女は若手に技術を教える能力にとても長けている。


 俺はなー…

 つい自分のやりたい事に必死になってしまうから…


「見てろ。」


 って、それだけ…。

 指導者には向いてねー…。



「知花さん、こっちはどうしたらいいですか?」


「ん?あ、それはねー…」


 もう、どこから見てもここの指導者は彼女だ。

 俺が淡々と自分のいじりたい機材を自分のやりたいように作業台に運んで、修理や改造に没頭している間に…

 ここのスタッフは彼女が立派に育ててくれた。

 俺からボーナスをあげたいぐらいだ。



 …ここで泣いたあの日から、一ヶ月。

 翌日はどんな顔すりゃいいんだ…って悩んだが、知花ちゃんはあれから一週間来なかった。

 で、一週間後には…笑顔だった。



「千里が誕生日に熱出しちゃって…」


「えっ、神が熱?見た目不健康そうなのに、意外と丈夫ってみんなに笑われてるのに?」


「ふふっ。そんな事言われてるんですか?」


「あっ…あー、ごめん。うん。でもきっと、知花ちゃんがキッチリ健康管理してくれてるんだろうなって。」


「あたしは、出来る事しかしてませんよ…」



 その時の会話は、そんな感じだった。

 知花ちゃんの出来る事。

 それはきっと、完璧だ。と、思う俺がいる。

 ああ…本気で神が羨ましい。

 健康管理もしてくれて、可愛くて優しくて…優れた技術を持っている…


 オタクな嫁!!


 まあ…ともあれ、神の発熱が良かったのか?

 知花ちゃんは、以前と同じように元気な知花ちゃんになり、時々神の話をしては赤くなり、スタッフに冷かされたりもして…幸せそうだ。



「里中さん。」


「ん?」


「センがエフェクターボードを新しくしたいから、相談に乗って欲しいって。」


 そう言って知花ちゃんは、早乙女がオーダーしたらしい事項が書き込んである紙を開いた。


「…ふーん…ちょっと今までの早乙女の音作りとは違う感じだな…」


 腐ってもギタリストだった俺は、ついついギターの早乙女と二階堂には…厳しくなる。

 SHE'S-HE'S全員に厳しくしているつもりでも、後で思うと…やっぱり二人には特別厳しい。気がする。



「…これ、早乙女のオーダー?」


 ある事に気付いて、改めて知花ちゃんに聞き返す。


「え?あ…はい。」


「……」


 マルチエフェクター…

 早乙女は今まで、とてもシンプルな音作りをしていた。

 それで十分だと俺も思ってたが…

 このオーダーを見ると、今までと大きく違う点がいくつかある。


「二階堂は何か言ってた?」


 紙を手にしたまま顔を上げて問いかけると。

 知花ちゃんは少し口を真一文字にして黙った後。


「陸ちゃんは…まだ何も。」


『まだ』何も…な。

 って事は、二階堂もその内、音作りを始める…と。


「…分かったよ。後で早乙女に連絡取ってみる。もっと詳しく話を聞かないと、思うような音にならないから。」


 あいつの好みは知ってるつもりだが…これを見る限りでは…俺の知ってるそれとは違う。

 ある点が。



「知花さん、ここ教えてもらっていいですか?」


「あっ、はーい。」


 スタッフに呼ばれて作業台に戻る知花ちゃん。

 俺は…その後ろ姿を見ながら。

 SHE'S-HE'Sに変化が起こりつつある事を予感した。

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