第3話 「……」

「……」


 俺はその光景を、軽く…10分以上は眺めていた。


 その光景。

 知花ちはな里中さとなかが、アンプをバラして何やらディスカッションをしている光景だ。


 りくが『オタク部屋』と名付けたその部署は、事務所の三階の一角にあって。

 今や社員全員からそう呼ばれるようになっている。

 そこには自分でアンプやエフェクターを改良したい、オタクなアーティストも顔を出したりしているが…

 そんなオタク達にも崇められているのが…知花と里中だ。



「どこにいるのかと思ったら…ここか。」


 通路の椅子に座って前のめりになっていると、背中を叩かれた。

 顔を上げると…高原さん。



 二時間前、義母さんに言われて最上階に行った。

 そしてそこで…高原さんに言われた。


「Live aliveからもうすぐ二年。いい加減、隠居したい。」


 …確かに…

 あの大イベントから、高原さんは入退院を繰り返した。

 去年は周年イベントも自粛。

 高原さんは、かなり心外だったようだが…

 会長不在でイベントなんかできるかっつーの。


 仕事量も、先月からは事務所に出る事も減らしてる高原さん。

 …隠居したい気持ちは…分からなくもない。

 だが…



「…俺には荷の重い話っすよ…」


 組んだ指をもてあそびながらそう言うと。


「俺にやって来れたんだ。おまえに出来ないわけがない。」


 高原さんは、俺の隣に腰を下ろした。


「高原さんと俺じゃ、器が違い過ぎます。」


「俺は、おまえの方がずっと出来る奴だと思ってるぜ?」


「…何言ってるんすか…」


 小さく溜息をついて、視線を足元に落とした。


「…俺は…高原さんみたいに周りに気を配れないし…」


「配れないし?」


「……まだまだガキなんすよ。」


 口に出したい気持ちを、グッと飲み込んだ。

 俺の気持ちを言ってしまうと…高原さんはまだまだ頑張ってしまうかもしれない。

 無理をさせてしまうのは…嫌だ。

 …なのに、引き継ぐ覚悟が出来ない。



「なんだ。知花と里中を見てたのか?」


 それまでの俺の視線を追ったのか、高原さんはオタク部屋を見て言った。

 オタク部屋は腰高の位置からガラス張りで、作業の大半が通路から見学できる。


「…里中は見てません。知花を見てました。」


「ははっ。おまえは本当…知花に惚れてるんだな。」


「高原さんだって、ずっと変わらない気持ちを持ち続けて来た一人じゃないですか。」


「…まあ、そうだが。」


 高原さんは何か笑いたいのか…口元に手を当てたまま、しばらく黙った。


「…高原さん。」


 前のめりになったまま、もう一度視線を上げて知花を見る。


「何だ?」


「…義母さんの事、全部分かってる…って思いますか?」


 俺の視線は知花。

 そこにいる知花は…家では見せないような顔。

 半田ごてやペンチやニッパーを、楽しそうに扱う知花。

 それだけを見てるのは…苦じゃない。

 だが、そこには必ず…里中も居るわけで…


 里中には、知花に変な気起こすなよ。と、釘を刺している。

『神の嫁にそんな気を起こす勇者がいれば、見てみたいなあ』なんて、のんきに笑ってたが…

 俺からしてみると、知花が歌以外で目を輝かせる場所に居て、それを理解出来ている里中は脅威だ。


 あいつは、知花が次に何を手にしたがってるか…分かっている。

 さっきから、二人の手元は絶妙なコンビネーションとしか言えない動きで、ぶつかる事なくアンプを組み立てている。


 俺は…知花の事、分かってるか?

 あいつが何を欲しがって、俺にどうして欲しがってるか…



「…おまえ、何年かおきに知花の事で悩んでるな。」


 高原さんは俺と同じように足を組んで、そこに肘をついて前のめりになった。


「…まだ言ってませんけど。」


「今のおまえを見れば、誰でも分かる。」


「……」



 義母さんの言った『知花だって世間話ぐらいするよ?』が。

 俺には…全く思い浮かばない。


 世間話…


 例えば。

 俺の思う世間話は。

 アズと京介の…


『金田のメニューが増えてた』

『社食のお茶が変わってた』

『広報の○○が髪型変えて見違えるほど美人になってる』

『ロビーにカブトムシがいた』


 っていう、別に知らなくてもいいような情報から始まる物だ。


 知花は…そんな話はしない。



「さくらの事を全部知ろうとすると、あと50年あっても足りない気がする。」


 膝で頬杖をついて、オタク部屋を見たまま高原さんが言った。


「…確かに、義母さんはビックリ箱みたいな人ですもんね。」


「知花もそうじゃないのか?」


「…え?」


 視線を知花から高原さんに移す。


「知花にとってのおまえもそうだ。お互い知ってるつもりでいても、それは意外と自分が作り上げた相手だったりするからな。」


「……」


 それは、痛いほど思い当たる気もした。


「本当に相手の事を知ろう、解ろうとするなら…相手に対する固定概念を一度捨ててみたらどうだ?」


「今更…ですか?」


「でも、それで悩んでるんだろう?」


「……」


 高原さんはゆっくり立ち上がってポケットに手を入れると。


「知花は内に秘めすぎる。俺はそう思うが…千里から見てどうだ?」


 俺を見下ろした。


「…確かに…そうっすね。内に秘めると言うか…溜め込みます。」


「ずっとそうだったのか?それとも、昔は言ってたのに、何かキッカケがあって言わなくなったのか?」


「……」


「そういう所を、掘り下げて行ったらいいんじゃないか?」


 高原さんはオタク部屋の知花を見て。


「ここを引き継ぐ話の相談も兼ねて、知花とゆっくり話をしろ。」


 俺の肩をポンポンと叩いて歩いて行った。



 …相談…か。

 そう言えば俺は、知花に相談なんて…しねーな。






「母さん、エルワーズのプリンとゼリー、どっちがいい?」


 俺は大部屋で、華月が知花に問いかけている声に耳を傾けた。

 視線は新聞に落としたまま。

 ふむ…聖の名前がまた出てるな。

 酷く叩かれる事はなくなったが、特に誉められる事もない。

 こんな記事、載せるなって感じだが。



「んー…」


 知花は少し悩んだ後。


「今日はゼリー。」


 片方を選んだ。

 今日は…って事は、特にどっちかが好きってわけではなさそうだ。

 知花は『プリン』も『ゼリー』も好き…と。


 好きな飲み物は、紅茶とお茶。

 昔はココアもよく飲んでたが、近年はあまり飲む所を見かけない。

 料理は相変わらず上手い。

 酒は飲まない。

 飲むと…エロく変貌するからな…

 …エロく…


 そうだ。

 知花は飲むとよく喋る。←俺が言うかって言われそうだが

 今度二人で飲みに行ってみるか?

『五月病』の原因を突きとめたい気がする。



「あ。そう言えば…母さん。この前言ってたワイヤレスマイク、音楽屋で見たぜ?」


 風呂上りの華音が、冷蔵庫を開けながらそう言うと。


「えっ。ZW-106?」


 華月とゼリーを食ってた知花は、少し弾んだ声を出した。


「それ。ただ、ゴールドだったけどな。」


「色はいいの。中が見たいだけだから。」


「あっそ…」


 ビールかと思いきや、冷蔵庫からプリンを取り出した華音は、華月の隣に腰を下ろした。


「ふふっ。出た、オタク。母さん、マイクの中身の何が面白いの?」


「華月、聞くな。話が長くなる。」


「じゃ、話変えちゃう。」


「あっ、語ろうと思ったのにー。」


「そう言えば、聖の車いい匂いしてたけど、あれ母さんがアロマ調合したってマジかよ。」


「え?ポプリじゃなかったの?」


「ポプリにアロマオイルを調合した粒子フィルムを」


「あっ、難しい話はいいから。」


「もう…」


「俺にも作って。」


「あら、華音、好きじゃないのかと思ってた。」


「気に入るのが見つからねーんだよなー。」


「ふふっ。お兄ちゃん、車に消臭剤乗せてるから消えちゃうんじゃない?」


「アホ。何も付けてねーからそれ乗せてんだろ。」


「あはは。今の『アホ』は朝霧さんぽかったわよ、華音。」


「あたしも思ったー。」



 ……


 三人の会話はまだ続いているが…

 今の会話の中で、聞き捨てならねー事がいくつかあった。


 まず…


『この前言ってたワイヤレスマイク』


 俺は聞いてないぞ。

 なぜ華音にだけ話す。


 そして…

 アロマの調合?粒子フィルム?


 …おい。

 いつの間に技を増やしやがった?


 はっ。

 俺の車にも…そう言えば後部座席に何か乗ってた!!

 いつだったか、後部座席に座ったアズが。


『神、小洒落た物乗せてるねー』


 なんて言って。

 何言ってやがんだって思ったんだが…

 あれか!!

 すごく香るわけじゃなく、ほんのり…

 俺はてっきり、自分の服から香る柔軟剤か何かかと…


 …だいたい、桐生院家。

 俺と高原さん(あ、高原さんは婿養子じゃねーな)以外、妙に五感が冴えてる。

 義母さんの地獄耳が遺伝してるのは、知花と華音。

 咲華は味覚とか…鼻も利く。(いやしいだけかもしれないが)

 華月は…

 華月は特にコレってないかもしれないが…

 足の怪我からの復活は…常人とは思えないと言われた。


 …聖は普通に目も耳も鼻もいい。

 頭も。



「ただいまー…」


 残業と聞いていたが、志麻と会っていたかもしれない咲華が帰って来た。

 いや…志麻は今ドイツって言ってたか。

 …あいつも、いつになったら咲華と結婚するつもりなんだろうか。

 少しイラついている俺がいる。


「おかえりー。」


 …知花と華音と華月は、まるでカウントでも入れたかのように、揃って言った。


「…おかえり。」


 俺は、一呼吸遅れた。



「あ、母さん。これでしょ?欲しかったの。」


 ん?と思って、咲華の手元を見ると…花。

 欲しい花とかあんなら言えよ、俺に。


「えっ、どこにあったの?」


 知花は立ち上がってその花を手にする。


「聖が映華えいかさんにあるのを見たってメールして来たから、寄って来たの。」


「え~嬉しい。誕生日でもないのにプレゼントもらったみたい。」


 ……


 …こうして家族の会話に耳を傾けてると…

 俺は今までここに座って、何をしてたんだ?と思う。


 華音とは音楽という共通点があるから、会話は多い。

 華月も…事務所が一緒だから、仕事の話はする。

 それに、華月はよく買い物や飯に行くからか…俺は少し華月に甘い。

 咲華は…ちょっと最近何を考えてるのか分からない所があるが、『娘は難しい』って京介がボヤいてたから…

 そんなもんだと思ってた。


 聖は…華月と同じ歳の義弟だが、あいつが一番俺と話をしてる気がする。

 とは言っても…仕事の話だな。


 …もっと家族との会話を大事にしなきゃな。

 高原さんの言った通り、固定概念は一度捨て去ろう。

 とは言っても。

 長年勝手に思い込んでたものを、そう簡単には捨て去れないって事を…


 俺は、分かってなかった。




 固定概念は捨て去ろう。

 と思った俺だが…


「…あっ…」


 久しぶりに知花の寝込みを襲った。


 …相変わらずいい声を出す。

 そして…意外にも…


「千里…」


 どういうわけか…

 今夜は知花が積極的だ!!


 …と、嬉しく思ったのも束の間…


 おい。

 知花。

 どうした?

 どこで覚えて来た?


 そんな風に勘繰り始めてしまうと…キリがなくて。

 抱き合ってるというのに悶々としてしまう。



「…知花…」


 ギュッと抱きしめて…首筋に吸い付いた。


「っ…そんなに…したら…」


 キスマークが残るとか言うんだろ?

 わざとだっつーの!!


「も…やめて…っ!!」


 ドン。


「……」


 知花に、すげー力で押し除けられた。

 俺が不機嫌そうに知花を見てると。


「もう…やめてよ…こんな見える所に…」


 知花は首筋を気にして、鏡を覗き込んだ。


「…不都合か?」


「不都合に決まってるでしょ?子供達だって…分かるし…」


「……他は?」


「え?」


「他に何か困る事が?」


「……」


 知花は首を左手で押さえたまま俺を見て。


「こんな所にバンソーコー貼って仕事行きたくない。」


 少し唇を尖らせて…キッパリ。


 俺は横になって知花を眺めながら。


「何言ってんだ。おまえ、何の技使ってんのか知らねーけど、すぐ消してんじゃん。」


 面白くなさそうに言った。



 そうなんだ。

 こいつは…俺がわざとキスマークをつけても、何をどうしてるのか…次の朝にはそれが消えてる。

 消す技があるのか?と、一度うららに聞いたら、すげー眉間にしわを寄せて。

『義兄さん、キスマークとかやめてよ。』って一言。

 消し方は教えてくれなかった。



「続き。」


 横になったまま手を差し出すと、知花は俺の手をじっと見た後。


「…今日はもう疲れたから終わり。」


 そう言って、ゆっくり下着をつけ始めた。


「……」


 俺が目を細めて無言の抗議をしても。


「おやすみ。」


 知花はそっけなくそう言って…すぐに寝息を立て始めた。


「……」


 途中でやめるとか…ありかよ。

 つーか、さっきの何だ?

 積極的な知花なんて…

 う…

 嬉しいに決まってるのに‼︎


 …だが、どこで覚えたんだ…って、やっぱ気になる。

 いや、聖子や瞳とそういう話をしてる可能性もあるよな。

 …ちょっと…もう一回…


「知花…」


 寝息を立ててる知花の耳元にキスをすると…


「うーん…」


 寝返りを打とうとした知花の肘が、顔を目掛けてやって来た。


「うわっ‼︎」


 間一髪、それを避ける。


「すー……」


「……」



 生殺しかよ‼︎

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