第2話 「知花。風呂入ろうぜ。」

知花ちはな。風呂入ろうぜ。」


「……」


「早く。」


「…うん。」


 いつも通り、知花ちはなと風呂に入る。

 風呂上りには、ビールを飲みながら華音かのんとバンドの話。

 残業から帰った咲華さくかは今日も食って帰ったにも関わらず…知花ちはなの上手い飯に手を出す。


「太っても知らねーぞ?」


「うるさーい。」


 華音かのん咲華さくかのやり取りを聞きながら、なんて平和なんだ…と、幸せを噛みしめる。



「ただいまー。」


「…遅かったな。」


「撮影が長引いちゃった。」


「……」


「あっ、美味しそうなコロッケ。」


華月かづき、先に手を洗って。」


「はーい。」



 次女の華月かづきは…モデルをしている。

 知花のバンドのギタリスト、早乙女さおとめの長男である詩生しおと付き合っている華月。

 確か今日…詩生しおがボーカルをしているDEEBEEはオフだったはず。


 …本当に撮影が長引いたのか?

 コソコソ会ってんじゃねーよ。



「親父、F'sの新曲絶好調だな。二曲とも上位から落ちてこねーじゃん。」


 華音かのんがスマホで何かをチェックしながら言った。

 

 ぶっちゃけ…ランキングなんて興味がない。

 売れたかどうかも…いや、それは気にしないといけないのは分かってるが…

 とにかく俺は…嘘が書けないからな。

 自分の正直な気持ちを書いて、それが世間に認められるって事は…


 …うん。

 俺の気持ちっつーのは、認められてるっつー事だよな。



 先月、新曲二曲を同時発売した。

 一曲は短いハードな曲で、一曲はバラードだ。

 ミュージックビデオも撮った。

 いつも通りシンプルなやつ。

 えいがF'sに加入して、初めての楽曲。


 長年一緒にやって来てくれた、ベテランの臼井うすいさんとえいは、全くプレイスタイルが違う。

 どちらが上と言うわけではなく、どちらもそれぞれいいテクニックを持っている。

 …映の加入は、ある意味F'sを生まれ変わらせた。



「ただいまー…はー…疲れた…」


 華月と同じ歳だが、俺の義弟であるきよしが帰って来た。

 若干25歳にして、映像会社の社長だ。

 …まあ、疲れて当然。

 あそこには本当…曲者が揃っている。


 今は亡き親父さんが入院した時、何度か面談のような物を行われた。

 みんなには言わなかったが…俺は回数が多かったように思う。

『できればみんなに内緒で』と言われた事が、五回以上はあった。

 仕事帰りの深夜だったり…絶対誰も行かない早朝だったり。


 そこで親父さんは俺に言った。


千里ちさと君…どうか…きよしを助けてやって欲しい…」


 と。


 …ま、俺の助けなんて要らねーほど、聖は頑張ってるけどな。

 あの曲者どもを、のらりくらりとかわして。

 大したもんだ。




「明日は昼前に出る。」


 ベッドで知花にそう言うと。


「…明日、午後からじゃなかった?」


 知花は少し不満そうな顔。


「少し早めに行って、朝霧あさぎりさんとBack Packの練習見ようって話になった。」


「……」


「ん?」


「…ううん。何でもない。」


「……」


「おやすみ。」


 どうも…ここ数日、知花の元気がない。

 それは咲華さくかもだ。

 まあ、咲華の場合は…あれだ。

 志麻しまがドイツに行ってるとかで、だ。



「最近元気ないな。何かあったのか?」


 知花の前髪をかきあげながら言うと、目を閉じてた知花はゆっくり目を開けて。


「…五月病かな…」


 小さく、そうつぶやいた。





「千里さーん。」


 事務所の八階。

 大声で呼ばれて…振り返らなくても義母さんだと分かった。

 目を細めて苦笑いしてる俺の顔を、アズが正面から満面の笑みで見る。


「神、振り返って笑顔で応えてあげなよー。さくらさん、いつも可愛いなあ。」


 アズはそう言いながら、俺の肩越しに手を振った。


「あっ、圭司けいじさーん。いつもお世話になりまーす。」


「いえいえ、こちらこそー。ひとみがさくらさんの作ったおはぎ、美味しくて食べ過ぎたーって言ってましたよー。」


「えっ、ほんと?嬉しいなあ。」


 アズが立ち上がってペコペコとお辞儀をしてるのを、俺は視界の隅に入れていた。


 おい。

 おまえ…『さくらさん』はねーだろ。

 義母さんだろーが。



 高原さんと義母さんは、一昨年の夏の大イベントの後、入籍した。

 が…

 高原さんの病気治療のため、二人は渡米。

 向こうの病院で、高原さんは手術を受けた。


 帰国してからも、何度か入退院を繰り返して…

 病状が落ち着いた先月。

 義母さんの誕生日に。

 ようやく二人は…高原さんの生まれ故郷であるリトルベニスで挙式。

 二人きりの挙式の写真に、知花は周りが心配するほど泣いた。


 良かった。

 本当に良かった。


 と、何度もつぶやきながら。


 …あいつはあいつで…自分が高原さんと義母さんを引き離したって…

 ずっと、そう思い込んでたからな…


 知花と同じように号泣したのが、もう一人。

 瞳だ。

 瞳もまた…『あたしが父さんに遠回りさせたのよ』と…。


 誰のせいでもない。

 そう言った所で…届かないのは知れてる。

 だが、今こうして幸せになった二人。

 今では高原さんのマンションで、遅れてやって来た新婚生活を満喫中。

 文句ねーよな。


 って…


 俺も高原さんを義父さんと呼びたいと思いつつ…敷居が高い。



「新婚生活はどうですか?」


「やだっ!!圭司さんっ!!新婚なんて言わないでーっ!!」


 義母さんの若々しい声を背に受けて、俺もようやく振り返ろうとすると…


「千里さん、最近あたしに冷たくない?」


 義母さんはすでに…至近距離に居た。


「うおっ…び…びっくりした…」


 俺が肩を揺らして驚くと。


「おばあちゃんの事、可愛いって言ってくれてありがとう。」


 義母さんはアズに礼を言った。


 …そうだった。

 この人は、華音かのん以上の地獄耳だ。

 迂闊に文句も言えねー…


 事務所で、はしゃいだ声で俺を呼ぶな。

 いくら若く見えても、義母さん60過ぎてんだぜ?

 なーんて…


 …あ。


「義母さん。」


「はい?」


「最近、知…」


「ん?」


「……」


 アズが興味津々な目で俺を見てる事に気付いて。

 俺は義母さんの手を引いて、空いたスタジオに入る。

 当然、アズは『何でー?俺、のけ者ー?』とブーイングだ。

 誰がおまえに話すか。

 すぐひとみに筒抜けにしちまうだろーが。



「何々?」


 空いたスタジオに入ってすぐ。

 義母さんは俺の顔を覗き込むように、目を丸くして言った。


「何か深刻な話?」


「えーと…最近、知花と話しました?」


「知花?」


 あんなに知花にベッタリだった義母さんも、さすがに入籍後は高原さんにベッタリ。

 病気治療もあるから、仕方ないが。

 もしかしたら、知花はそれが寂しいのか?と思わなくもない。


「ええ。なんか五月病とかって言うんすよね。」


「……」


 義母さんは何度か瞬きをして。


「ねえ、千里さん…」


 少し声のトーンを落とした。


「…なんすか。」


「あたしも…遠回りした人間だから、あまり人の事言えないんだけど…」


「…遠回り…」


 まあ、確かに…今更な新婚生活満喫中な義母さん。

 遠回りどころの遠回りじゃねーよな。

 あの遠回りを思うと、もう死ぬまで新婚って言い続けていいと思う。


「あたしから見ると、千里さんと知花も、何だか遠回りっぽい。」


「はっ?」


 義母さんが知花離れをした。

 俺としては、それが原因だと思ってたのに…

 義母さんは、全く予想外な事を言った。


「千里さん、知花の事好き?」


「あ…」


 当たり前だっつーの。

 義母さん、ボケたんすか!?

 とは言わねーけど…

 俺の眉間には、若干のしわが寄った。


「好きに見えませんか?」


「うーん…だって…」


「あれっすよね…前にも言われた事あるけど…買い物とかっすよね。」


 何となく…学習能力がない。と言われてる気がした。

 だが俺は、あれから麗と出かけるのも減らしてる!!

 そもそも、知花と買い物になんて行ったら…


「うん。それもだけど…ちゃんと知花の話に耳を傾けてる?」


「……」


 さらに眉間にしわが寄った。

 知花の話に耳を傾ける?

 てか…

 最近知花が喋った話っつーと…


 …えーと…


 んー…


「…あいつ、あんま喋らないっすよね?」


「まあ、あたしほどお喋りではないけど…でも世間話ぐらいするよ?」


「……」


 世間話。

 知花が?


 …昔は、子供達の話をよくしていた。

 知花の話す子供の話は、俺の知らない面が多くて…

 俺もそれを聞くのが好きだったし、一日の終わりの楽しみでもあった。


 だが…

 子供達も成長した。

 知花もいちいち俺に話さなくなった。

 なぜなら、一度華月と詩生の話をされて、俺がキレたからだ。


 たぶんあれから、知花は俺に多くの隠し事を持ったと思う。

 …隠し事は腑に落ちないが、聞いて腹を立てるより、知らない方が幸せかもしれない。

 そう思って、知らん顔をしている。



「…で、何か俺に用が?」


 大声で俺を呼んだ事を思い出して問いかけると。


「あっ!!そうだった!!」


 義母さんは目を丸くして驚いて。


「なっちゃんが呼んでる。」


 高原さんの名前を出す時は、いつもそうなんすか?

 って、ツッコミたくなるような笑顔で言った。

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