第10話 「…何か、あったのですか?」

「…何か、あったのですか?」


 久しぶりの現場の後。

 本部で報告書を書いて、帰ろうとすると…

 これまた久しぶりの富樫が、二人きりのエレベーターで言った。



「…何かあったように見える?」


「…そうですね。」


「さて、正解はどれでしょう。A、空腹。B、睡眠不足。C、失恋。」


「……」


 富樫は首を傾げてあたしを見下ろして。


「し…Aの、空腹…ではないでしょうか。」


 …一度Cって言いかけて、やめたな?

 そう思いながら…


「正解。どこか食べに連れてってよ。」


 開いたエレベーターから出ながら言った。


 返事がないと思って振り返ると、富樫はすごく意外そうな顔をして立ってる。


「…何。」


「いえ…お嬢さんがそう言われるのは初めてだったので。」


「……」


 そう言えばあたし、富樫と志麻とは二ヶ月前のアメリカで一緒にバーには行ったけど…

 ご飯はいつも一人で行くか、兄貴か父さんと。

 オフの時は、一人か…行っても華月か。

 …一番回数行ってた聖とは…もう無理だし。


 あたしが少し拗ねたような顔をしたからか。


「どういったジャンルがお好みですか?」


 富樫は首を傾げて、口元をゆるませて言った。


 …富樫、時々マヌケだけど…いい奴なんだよね。


「…ラーメン食べたい。餃子も。」


「ではTFR51297MKL付近にある『謝謝軒』にまいりましょう。」


「美味しいの?」


「餃子は絶品です。」


「ラーメンはハズレなの?」


「チャーシューは絶品です。」


「あはは。肝心な所が微妙っぽい。」


「そのバランスが絶妙なんです。」


 富樫と並んで歩きながら、そんな会話をした。



 二階堂の人間は、基本みんな車の運転が出来るけど…

 とにかく歩く。

 車で出社しても、帰りは歩いて帰る者も少なくない。

 あたしの車だって、本部の駐車場に放置して何日経ってるか…



「よく来るの?」


 お店の看板が見え始めた頃、富樫に問いかけた。


「いえ、久しぶりです。」


 あ、そっか。

 最近は富樫もアメリカにいる事が多い。

 薫平が二階堂を辞めて、誰が兄貴の右腕になるか…って感じで。

 志麻と富樫が交代だったり、時には同時に渡米しては現場に入る。

 でも志麻にはドイツを任せたいって話も出てるから…

 富樫が有力候補なのかな。



「いらっしゃい。」


 お店に入ると、独特の油の匂いと餃子の焼けるいい音が聞こえて来た。


 んー…いい匂い。

 ますますお腹すいた。


 あたしと富樫はテーブル席よりカウンターの一番端を選んで座った。


「何にされますか?」


 貼ってあるメニューを二人して眺める。

 シンプルな品数。

 選びやすくていい。


「醤油ラーメンと餃子。」


 あたしがそう言うと、富樫が小さく笑った。


「何?」


「いえ、気持ち良いほど即決だったので。」


「だってメニュー少ないし。」


「それでも女性はカロリーを気にされたりして、少し悩まれる事がありますから。」


「……」


「はっ…し、失礼しました。お嬢さんが女性らしくないというわけでは…」


「富樫…」


「すみません。本当に、すみません。」


「……」


 そうだ。

 富樫は…

 花の中途採用組!!(あたしが今勝手にそう思った)

 小さな頃から二階堂に染まってないだけに、一般人の色恋が分かってる!!はず!!


 …姉ちゃんにはフラれたけど…。



 富樫も醤油ラーメンと餃子、あと炒飯を頼んだ。

 なるほど、富樫の言う通り餃子が美味しくて、あたしはビールと共に餃子を追加した。


「今日はもう車乗らないんでしょ?飲めば?」


 富樫にも勧めたけど。


「いえ、私は今夜埠頭の警備に行くので、食べるだけにしておきます。」


 ニッコリ笑って断られた。


 埠頭の警備って、もっと下の子達がやるのに。

 富樫、真面目だな。



 それから…

 あたしは、瓶ビール二本を一人で空けた。


 富樫はアメリカでの仕事の話をしてくれたり…

 オフの日の過ごし方を話してくれた。

 それは…少し、刺激的だった。

 さすが、花の中途採用組。

 二階堂の人間には…ないはず。


 富樫のオフは…

 一般人の友達とサーフィンしたり、バーベキューしたり、キャンプしたり。

 あまり興味のなかったライヴにも、紅美のバンドのライヴで刺激を受けて行くようになったとか…


 …富樫、アクティブだ!!


 兄貴もそうだけど…きっと志麻や瞬平も。

 オフの日は、仕事の資料読んだりしてるはず。

 趣味なんて、ないよきっと。

 サーフィンは、潜入捜査とかで必要とあれば…きっとみんなすぐ出来ちゃうけど。

 わざわざ自分の趣味にするような奴、いない。

 それが…二階堂。


 まあ…あたしも趣味は何かって聞かれたら…

 …何もないんだよね…

 何だか、悲しい。



「ごちそうさま。ありがと。」


 店を出ながら、富樫にお礼を言う。

 二階堂の男に奢ってもらうなんて、初めてだ。

 何となく…むず痒い気がした。


「いいえ、餃子の食べっぷり、気持ち良かったです。」


 富樫はニコニコしながら、自然と隣に並んで歩き始めた。


「あれ?埠頭に行くなら本部に戻るんじゃ?」


「いえ、一度二階堂に戻ります。」


 そんなわけで…

 また、色々話しながら歩いた。

 富樫は意外と話のネタに尽きない。

 志麻は無口だから、居るのを忘れるぐらい沈黙しちゃうけど。

 そう思うと…富樫は二階堂の女の子達からモテてもおかしくないはず。


 なのに…

 あまり浮いた話、聞かないなあ。

 見た目も別に悪くない。

 超カッコいい!!ってほどではないけど、悪くない。

 まあ…普通。

 だから、志麻みたいに目立ってしまうタイプより、潜入捜査に適してる。

 …あ、一応褒め言葉…


 志麻は志麻で、目立つ事で捜査に役立つ事もあるんだけどね。

 ま…それぞれいい所がある…と。



「…あのさ。」


「はい。」


「彼女がいるのに、他の女の子と寝る男の心理ってどうなのかな。」


 舗道の模様を見ながら問いかけると。


「…それは、二股と言う事ですか?」


 富樫は若干声を潜めて言った。


「二股…んー…二股とは違うんだな。何て言うか…彼女と会えない時に性欲が湧いたら…誰でもいいからやっちゃうって感じ。」


「自由ですね…」


「…そうだよね。富樫は彼女に会えなかったら、他の人で間に合わせる?」


 飲んでるからかな。

 あたし、恥ずかしげもなく…こんな事を富樫に…


「まさか。そういった男性もいるかもしれませんが…私は無理です。」


「無理?」


「そういう大事な行為は…愛する人としか出来ません。」


「……」


 大事な行為。

 富樫は意外と…古臭いのかなと思った。

 でも、その意見に好感も持てた。

 …いや、これが当たり前なんだよ…

 …そう思いたい。



「富樫、今彼女いんの?」


「いえ、いません。」


「姉ちゃんにフラれてからずっと?」


 あたしの言葉に、富樫は少し目を細めて苦笑いをして。


「いえ、年明けまでいましたが…二ヶ月会えなかったのでフラれました。」


 肩を落とす仕草をした。


「二ヶ月会えないぐらい、何ともないのにね。」


「相手にとっては重要ですよ。」


「…そっかな…」


「女性からしてみると、結婚を意識する年齢での二ヶ月は大きいですから。」


「……」


 その富樫の言葉に、あたしは一瞬立ち止まった。


「…お嬢さん?」


 立ち止まったあたしを、富樫が振り返る。


「……富樫、優しい。」


「え…えっ?」


「それ、志麻に言ってやってよ。絶対咲華さん、もう限界超えてるって。」


 ほんとだよ。

 志麻が富樫みたいな考えを持ってたら…

 こんなに待たせてなんかない!!


「…志麻は志麻で、ちゃんと伝えてるんじゃないですかね?」


「そうかなあ?ドイツで朝子には電話してたけど、彼女に連絡してるのは見た事ないって瞬平言ってたよ?」


「え…えっ…そ…そうなんですか?」


「アメリカではどうだった?」


 あたしの問いかけに富樫は何か思い当たったのか。


「た…確かに…朝子さんには電話を入れていましたが…」


「……」


「……」


 もう。

 二階堂の男って!!


「兄貴に春が来るのも遠いかなあ…」


 目を細めて言ってみる。


「そうでしょうか…ボス、向こうの本部でもかなり人気がありますけど…」


「人気はあっても、誰も言い寄らないでしょ?兄貴は敷居が高いって思われがちだし…」


「…だし…?」


「…もう、色恋はいいやって思ってそう。」


「……」


 これまた何か思い当たったのか。

 富樫は小さく溜息をつくと。


「ボスには…幸せになっていただきたいです。」


 空の星を見上げて言った。




「にゃー。」


「えっ。」


 二階堂に帰ると…門の前に、おはじきがいた。


「珍しいですね…こんな所に猫なんて。」


 富樫が辺りを見渡して言った。


「…首輪してる。」


 あたしはおはじきを抱き上げて、首元のそれを見た。

 おはじき、今まで首輪なんてしてなかったのに…

 …最後に行った時も、してなかったのに。


「どこかの飼い猫でしょうか。」


「…そうだね。あ、富樫…警備があるのに、付き合わせてごめん。」


「いいえ。楽しかったです。」


「ありがとね。」


「こちらこそ、ありがとうございました。では、行ってまいります。」


「……」


 富樫はそう言うと…中に入らず、今来た道を戻って行った。


 …え?

 もしかして…あたしを送るために?


 …別にいいのに…って思いながらも。

 一人になるとゴチャゴチャ考えちゃうから、助かったのも事実。

 富樫、ほんと…いい奴だな。



「…で、何しに来たの?おはじき。」


 おはじきを同じ目線まで抱えて言うと。

 首輪に…何か挟んである。


「……」


 ゆっくりと首輪の内側にあるそれを取ると、小さく折りたたまれた紙。

 しばらく手にして考えたけど…

 あたしは、おはじきを抱えたまま、それを開いてみた。



 泉へ


 他の女の子とスポーツ感覚で寝る事、悪くないって思ってて、ごめん。

 泉と会えない間にしたくなったら、他の子とするのも悪くないって思ってて、ごめん。

 泉が帰る時に、つまんないって言っちゃって、ごめん。

 会いたいよ。

 来て。これ読んだらすぐ、俺んち来て。



「……」


 あたしの唇は、尖ってる。

 薫平に腹が立つのに…

 これ読んで嬉しいって思ってる自分に…唇が尖った。


 あたしと恋人になりたいって言ったのに、他の女と寝るんだよ?

 そんな男の事…信じられるわけないじゃん。


 …だけど…

 それは薫平のせいじゃなくて、育った環境のせいだ…とも思えて。

 変わってくれるんじゃ?って期待が…無きにしも非ず。


 …いや。

 いやいや、小さな頃から培ってきた色々は、変わんないよ!!

 実際薫平は、志麻が咲華さんをほったらかしにしてる事にはダメ出ししてたのに、自分の自由さは間違ってるって思ってなかったんだもん。



「にゃー。」


 おはじきが、あたしの腕の中で鳴いた。

 ぐぐぐっと力を入れてあたしの胸を押すと、無理矢理飛び降りて。


「にゃっ。」


 あたしを一度振り返って…走って行った。


「あっ、おはじき…」


 ついて行きたい気がした。

 あの細い路地を抜けて。

 近道をして。

 あの丘の上の家に。



 だけど…あたしは行かなかった。


 もう…

 傷付くのが怖いから。


 傷付くって分かる恋は…




 もう、したくない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る