第2話 「ふあ~…」

「ふあ~…」


 バスタブで大きくあくびをした。


 あー…夕べは飲み過ぎた。

 富樫がつぶれて…志麻に付き合って飲んでたら、朝方になってしまった。


 たぶんあたしは家族の中で一番酒に強い。

 甘えんぼで寂しんぼで、食べ物で釣られる単純な奴って思われてるけど…

 …まあ、その通りなんだけど…

 色々考えてるんだよ…あたしも。



「……」


 蛇口から落ちそうで落ちない水滴を眺めながら、夕べの志麻とのやり取りを思い出す。



「…お嬢さんは、どうしてお別れになったんですか?」


「はっ…?」


 あたしは大げさに驚いて。


「いつの話してんのよ。」


 ケラケラと笑った。


「…そんなに前ではないでしょう?」


「えー、いつだったっけな。」


 前髪をかきあげて、忘れたフリをする。


「…とても仲がいいと聞いていましたけど、なぜお別れに?」


 ちょっと。

 志麻。

 仕事の時の目になってるけど。


「そんなの、恋愛対象じゃなくなったからに決まってるじゃない。」


 あたしは…親友である華月かづきの叔父(複雑な家系図)のきよしと付き合ってた。

 同じ歳なんだけど…華月の叔父である聖。

 ちなみに…志麻は華月のお姉さんと婚約中。



 あたしの初恋は、早乙女さおとめ そのっていう…あっと言う間に精鋭画家として名を上げた年下の男。

 …すごく好きだったけど…

 成功を信じて待ってる間、あいつは…許嫁とやらと恋をしてた。

 あたしの事、好きって言ったクセに!!


 本当はダメージ大きかったんだよね…

 恋に不慣れな事も手伝って、素直になれなかった分…想いも募って。

 だけど、あいつには…あたしとは正反対の素直できれいな許嫁がいて。

 もう、入り込む隙なんてなかった。


 そんなあたしの事…そばでしっかり支えてくれたのが…聖だった。


 ずっと友達だった聖が…あたしの彼氏になった。

 居心地良かった。

 …そりゃそうだよね。

 ずっと友達だったから、痒い所にも手が届く関係だしさ。


 だけど、上手くいかなかった。

 …それだけだよ。


 聖はお父さんが亡くなって…跡を継いだ。

 …頑張ってるかな…



「会う時間が少ないから、恋愛対象ではなくなった…と言う事ですか?」


「んー…まあ、あたしの場合はそうかな。あたし、元々恋愛体質じゃないしね。」


「……」


「でも志麻は恋愛体質だよねー。長年ドイツに行ってた時も、あんたすごい人数付き合ってたでしょ。」


「ぶふっ…」


 志麻がウォッカを噴き出した。

 大人になってからはクールなイメージが定着してたけど、何だか昔に戻ったみたいで笑ってしまう。


「…色々ストレスが溜まりまして…」


 志麻は19の時から4年間、ドイツで訓練を積んだ。

 その時の志麻の様子は、二階堂の若手の間では武勇伝のように語り継がれているらしい。

 飲みに行けばあちこちで誘われて。

 潜入捜査でも捜査対象をすぐに落としたとか…


 あたしは小さい頃から一緒だから何とも思わないけど、見た目は文句ないんだろうし…

 物腰も低くて女に優しいからな…

 特に、妹の朝子には超甘い。

 あたしのブラコンと同じで、志麻も相当なシスコン。

 …本人、気付いてないかもだけど。




 今日は休み。

 あたしは朝風呂の後、着替えて食事に出かけた。

 日本にいる時は、だいたい朝子が料理してくれてたんだけど…

 朝子は兄貴と別れて、二階堂を出た。

 まあ…いい事なんだよね。

 外の世界に出るって事はさ。

 だけど…朝子がそうするとは思わなかったな…


 朝子が出て行って、あたしも少しは料理するようになったけど…

 二階堂の女性のほとんどが、料理は出来るけどしない。

 現場に出る機会が多いからもあるけど、食べる時間を惜しむっていう残念な習慣というか…

 だから、いつも栄養補給の色々を持ち歩いてる。

 あたしみたいにガツガツ食べるタイプは珍しいのかも。


 …料理が不得意なのが残念だ。



 本部の近くにあるダイナーに入ると、何人か見かけた事のある顔がいた。

 二階堂の者は外で会っても会釈はしない。

 言葉も交わさない。

 他人の顔ですれ違うか、ただその場に居合わせるだけ。


 オムレツとベーコン、気持ちほどのサラダとミルク。

 デザートにチェリーパイでも食べようかなー。

 ショーケースを見ながら、店の中心ぐらいにあるテーブルを選ぶ。

 途中で買った新聞を開いて、数回グルグルと首を回した。




「時間さえあれば…いつでも会っていたいと思います。」


 かなり酔っ払った志麻は、素直にそう言った。


「バカねー。別にこっちの要請受けなきゃ良かったのに。」


 今、日本は現場がない分、少し暇だ。

 それに、きっと日本に応援要請なんて出してないはず。


「現場があるならば、ドイツでもアメリカでもすぐに来ます。」


「はあ?あんたバカじゃない?現地で暇を持て余してる奴が出りゃいいのよ。」


「いえ…俺は…二階堂に尽力したいのです…」


 ああ、もう。

 明日現場なのに、酔い潰れそうだよ。

 飲ませ過ぎたかな。


「…朝子と兄貴の事気にして、そうしてくれるなら別にいいんだからね?」


 二人が別れたのは…

 まさかの、朝子から。

 あれだけ『海君、海君』って言ってた朝子が…

 兄貴を振った。


 ま、今となっては…それで良かったのかもよね。

 朝子は二階堂を出たし、兄貴にもシェアハウスっていう新展開だし。



「そんなつもりはないです…本当に俺は…二階堂のために…」


「……」


 志麻はそのままテーブルに頭を乗せて寝た。

 反対側では、富樫も同じようにして寝てる。


 …やれやれ。

 あたし、どうしてこんなに飲んでも酔えないんだろ。



 時間があれば一緒にいたい…か。

 あたしだって、そうだった。

 そうだったけど…

 やっぱり二階堂の人間は、色々難しいんだよ。


 だからこそ…志麻にはもっとプライベートな時間をって思うのに。

 結構重要なポストにいるだけに…

 それはそれで難しい。


 さっさと入籍だけでもしちゃえばいいのに。

 なんで踏み切らないんだろ。



 結局チェリーパイはテイクアウトして、本部で食べる事にした。

 休みなのに何しに来たって言われそうだけど、きっとあたしが行けば助かる事もあるはず。


 夕べベロンベロンになった志麻と富樫は、使い物になるのかな。




「おっはよー。」


 その挨拶にしては時間が遅いのは知ってるけど。

 あえてそう言いながら本部に入ると…


「あ…お久しぶりです。」


「えっ、瞬平しゅんぺい?何でここに?」


 夕べ噂してた瞬平が、何かリモコンみたいな物を手にしてみんなに説明してる所だった。


「ちょうど良かった。泉、座れ。」


 兄貴がそう言って椅子を出してくれた。


「あ、うん。」


 コーヒー入れてチェリーパイ食べるつもりが…思いがけず仕事だよ。

 まあ、いいけど。



「このリモコンは、PKDL558を操作する物です。」


「…PKDL558って何…」


 隣にいる富樫に小声で聞くと。


「瞬平が開発した新しい装置だそうです。」


「…へぇ。」


 富樫も志麻も、あんなに酔っ払ってたのに…全然そんな風に見えない。

 背筋を伸ばしてシャキッとしてる。

 …さすが、頼もしいもんだ。



「PKDL558は探知機にもかからない特殊なカメラで、それを遠隔操作するのは困難と言われてましたが…このリモコンではここまでの事が出来ます。」


 瞬平はそう言ってモニターをつけた。


「えっ?どこにPKDL558が…?」


 富樫が部屋を見渡した。

 あたしと志麻もつられたように…天井や壁をキョロキョロする。

 だってさ…モニターには、この部屋の中が映ってるんだけど…

 ここ、密室だよ?

 なのに、モニターには色んな角度からの映像が。


「一か所に留まっていながら、多方面からの撮影が出来る機能があります。」


「何それ。すごっ。」


「GCUという特殊な電波です。」


「電波なのに、探知されないんだ?」


「されません。」


 瞬平の頭の中どうなってんだ?なんて思いながら、あたしはモニターを見入る。

 兄貴は少し難しい顔で腕組みをしたまま。


「これがあれば、通気口に入ったり屋根裏に忍び込んだりしなくて済むかと。」


 瞬平がモニターを消して、種明かしのように自分の襟元から小さなボタンのような物を取り出した。


 そんな所にあったの⁉︎

 全然分かんないし‼︎



「確かに、危険な現場に使うには最適だが…」


 兄貴が瞬平の手からその…PKDL558とやらを受け取って。


「静かな現場だと…ノイズでバレる。」


 低い声で言った。


「えっ…?」


 あたしと瞬平と富樫と志麻、四人同時に声を出してしまった。


「ノ…ノイズ、ありましたか?」


 瞬平が慌てて兄貴の手にある本体を見る。


「低周波振動に敏感な者が居れば、バレてもおかしくない。」


「……」


 あたし達全員、ポカーン。

 そりゃあ…あたし達も何かしら訓練とかさ…色々して来たけど…

 この装置からノイズは愚か、振動なんて…

 あ、あたしは周波数感知苦手なんだった。


「お、早速試してるのか?」


 そこに、日本にいるはずの父さんがやって来て。


「父さん!!いつ来たのー!?」


 つい、嬉しくて腕にまとわりつくと、兄貴が人差し指を上に向けた。


「ん?ああ…何かあるな。」


 …そうだった。

 父さん、感知する能力も耳も、恐ろしい程長けてるんだった。

 こういう、志麻にも富樫にも瞬平にもない能力を見せられると…

 やっぱ、父さんも兄貴もサイコー‼︎って思っちゃって。

 こうやって、あたしの男を見る目はハードルが上がりまくるんだよなあ…って。


 …聖には、こんな能力求めてなかったけどさ…



「泉、休みじゃなかったのか?」


「うっかり来ちゃったんだよ。でも来て良かった。父さんに会えたし♡」


 あたしが父さんに甘えながら言うと。

 志麻と富樫と瞬平が目を細めて。


「泉、ファザコンめ。ってみんなに思われてるぞ。」


 兄貴がそう言うと。


「そんな事‼︎」


 って否定する富樫と。


「…ついでにブラコンも…」


 って真顔で言う志麻と。


「志麻に一票。」


 って装置を片付け始めた瞬平に。


「可愛い娘をいじめるな。」


 父さんは、あたしの頭を抱き寄せて言ってくれた。

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