第29話 「まったく…無茶言いやがって。」

 〇咲華


「まったく…無茶言いやがって。」


 そう言って華音は大げさに溜息をついた。


 今日は…華音と華月と聖が、あたしを飲みに連れ出した。

 あたし達は仲はいいけど…

 この四人で出かける事なんて、あるようで…なかった。

 あたしだけスケジュールが合わない事が多々あったから。



「…あ、ちょっと悪い。」


 華音がポケットからスマホを取り出して席を立って。


「お忙しい事で。」


 聖が嫌味のように言って首をすくめた。



「…お姉ちゃん。」


 華音が完全に見えなくなった所で、華月が言った。


「ん?」


「本当に、一ヶ月連絡取らないの?」


「そのつもりだけど。」


「…その気持ち、あたしもすごく解るんだけど…」


「……」


「お父さんもだけど、お兄ちゃんも結構落ち込んでるよ?」


「…え?」


 あたしが目を丸くする隣で、聖も頷いてる。


「ノン君、自分では気付いてないのかもしれないけど、結構咲華がいないと気にしてるからな。」


「うん。だから、もっとお兄ちゃんの事気にかけてあげてよ。」


「…はっ?二人とも…何言ってんの?」


 あたしは眉間にしわを寄せた後笑ってみせたけど、二人は真顔で。


「今までも飲みに行こうって誘ったら、『咲華がいないからダメ』ってずっと断ってたんだぜ?」


「……」


「お姉ちゃんはデートだし、三人で行こうって言ってもダメって。」


 な…

 何それ。


「…別に三人で行けば良かったのに。」


 あたしがそう口にすると。


「ひでーな。」


 聖が身体を引きながら渋い顔をした。


「ノン君、今時珍しい妹思いだと思うぜ?華月に対してもそうだし。」


「うん。それはあたしも思う。お兄ちゃん、本当に優しい。」


「咲華に対しては妹思いってよりは分身だから気にするって感じかな。」


「あっ、そうかも。いつだっけ…『片割れが食い過ぎたのか、胸焼けがする』なんて言ってたよね。」


「……」


 華月の言った『胸焼け』に関しては…あたしのせいじゃないでしょ!!って言いたいけど…

 確かに、華音はたまにそういうのを感じるらしい。

 あたしにはないんだけどな…


 …薄情なのかな。



「ま、本人気付いてないかもだけど、シスコンって言ってもいい部類かもだな。」


「えー?シスコンとは違うんじゃない?お兄ちゃん、そこまでプライベートに関与して来ないもん。」


「口にしてないだけで、詩生の事、結構厳しい目で見てると思うけどなー…」


「…そっかな…お兄ちゃんは応援してくれてる気がするけど…」


「……」


 シスコンとか妹思いってワードが。

 今のあたしには、ちょっとキツイ気がした。

 しーくんの朝子ちゃんに対するそれに、ひたすら悔しいと思ったあたし。

 …もし華音が目に見えてあたしにそうしてるなら、紅美ちゃんに悪い。



「…双子だから、何か感じるのかな。でもあたしには特に何もないんだよね。薄情かもだけど。」


 ビールをぐいぐいと飲みながら言うと。


「お兄ちゃん、報われないな…」


 華月がつぶやいた。


 まあ…ここんとこ、華音は確かにあたしを助けてくれたと思う。

 それには感謝だ。


「誰にも連絡は取らないとしても、ノン君にぐらいはメールしろよ。」


 聖はそう言ったけど…

 あたしは本当に、誰にも連絡を取る気はない。

 それに…

 それが華音だとしたら、ますますあたしは強がってしまう気がする。


 傷を癒しに行くのに…バリアを張るような事はしたくない。



「ちょっとトイレ。」


 あたしは立ち上がって個室を出る。


 渋々だけど、あたしの旅行を父さんが許してくれて。

 もうすぐ…あたしは渡米する。

 本当はあちこち考えたけど…

 何となく、おじいちゃまとおばあちゃまが暮らしてた街に行ってみたくなった。



「……」


 トイレに向かう途中、窓の外に電話中の華音の姿が見えた。

 紅美ちゃんからだと思ったけど…顔付きが柔らかくはない。


 …もしかして、しーくんなのかな…

 そう思うと。

 やっぱり、華音には連絡取れない…って思った。





 〇華音


『は?ニカが今どうしてるか?』


 今日は居酒屋。

 咲華が近い内に渡米する事になって…急遽、華月と聖と四人で席を設けた。

 あいつの事だから、思い立って明日にでも旅立つ気がする。


 別に励ますつもりじゃねーけど…

 ちゃんと帰って来いよ。的な。



 そこで飲んでる最中…曽根から電話。

『おまえの都合のいい時に電話してくれ』ってメールを、ようやく読んだらしい。

 沙都が忙しいと、曽根も忙しい。

 ま、沙都が暇でも曽根は忙しいけどな。

 沙都の営業で。



「ああ。海と連絡取りたいんだけど、あいつ現場出てたら連絡取れねーと思って。」


『何だよ。ニカには配慮して俺には出来ないって?冷たいぜ!!キリ!!』


 声を張り上げた曽根は、現在沙都のツアー真っ最中で。

 たぶん今日はシドニー辺り。


「あいつの事だから律儀に時間作りそうだから、まず頼りになるおまえに聞いた。」


 俺がそう言うと、電話の向こうの曽根は少し咳き込むような声を出して。


『まったく…キリは俺の弱点を知り尽くしてやがるぜ…』


 小さくつぶやいた。


「で、海は自宅にいんのか?」


『確か、明日か明後日には現場入りじゃないかな。ニカ、今回の現場かなり難しいって頭抱えてたよ。』


「…海は捜査内容をおまえに話してんのか?」


『話してくれないさ。だからニカが書類見て難しい顔してる時に、こっちから誘導尋問かけてんだよ。』


「……」


 曽根のそんなものに海が引っかかるとは思えねーが。

 まあ…曽根がそう思い込んでる方が平和な事もある。

 そう思った俺は。


「…さすがだな。海もおまえには心を開いてるようだし。」


 賞賛の言葉を口にした。


『そーだろそーだろ?ニカ、ほんっと忙しくてさ。たぶん帰るとしたら今月中旬かな。俺と沙都君は月末までツアーだから、ニカに会うのは九月初旬になるな。』


「そうか…」


『紅美ちゃんとは上手くいってんのか?』


 急に、曽根がらしくない事を聞いて来た。


「ああ、おかげさまでな。ベッタリだ。あ、写真送ってやる。」


『いらねーよ!!てか、ニカに送るなよ?あいつまだ少し引きずってると思うし。』


 曽根から意外な言葉が飛び出して、俺は眉間にしわを寄せた。


 海が…まだ紅美を引きずってる?

 もう…すっかり吹っ切ったと思ったのに。


「どうして引きずってるって思うんだよ。」


 低い声で問いかけると。


『…いやー…実はさー…』


「何だよ。」


『…少し前に、ニカがソファーで転寝しててさ。』


「ああ。」


『その時に、夢でも見たのか…紅美ちゃんの名前言ってたんだよな…』


「……」


 どことなく…痛んだ。

 俺は今まさに紅美と絶好調だが…

 紅美と付き合い始めた事を海に電話で報告した時、『おめでとう』と言ってくれるまでに、少し間があったのを覚えている。


『だからさー、あんま紅美ちゃんの事連発するような連絡すんなよ?』


「…るせーな、曽根のクセに。」


『あっ!!何だよそれ!!人が忙しい合間に連絡し』


 プツッ。


 曽根の余計な一言二言で決めた。

 次の現場に入るまでに、志麻に会うかどうか聞こうと思ったが…やめた!!


 俺はスマホの中から、咲華が撮ってくれた紅美とのベッタリなツーショットを選んで。


「…送信…っと。」


 海に送り付けた。



 勝手に夢なんか見て名前呼ぶなっつーの!!




 〇海


「……」


 朝起きると、華音からメールが届いていた。


 いや…

 メールというか…


「ふっ…ベッタリだな。」


 その写真を見て、つい口に出してしまう。


 ディスプレイには、華音と紅美のベッタリなツーショット。



『海。俺と紅美…付き合う事にしたから。』


 そう電話がかかって来た時…

 俺は、やっと…という感激にも似た想いに、一瞬言葉を失った。


「…おめでとう。」


 感慨深く、その言葉を口にしたが…


『本心か?』


 華音には疑われた。


「本心さ。本当、良かった。」


 出来れば…紅美の相手は華音であって欲しいと思っていただけに。

 その報告は待ち焦がれていた物でもあった。



 その日は仕事中に何度もその写真を見て口元をほころばせた。

 明後日から少し厳しい現場に入る俺に、束の間の幸せにも思えた。

 早速それをプリントアウトして、手にして見ていると…


「ボス、何かいい事でも?」


 富樫が覗き込みたそうに首を伸ばした。


「ああ…これか。」


 ピラッと写真を富樫に見せると。


「……」


 富樫は一瞬能面のような表情になった。


「どうした?」


「…いえ…これはー…とても…その…」


「幸せな写真だろう?」


「…はい…」


「リビングに飾ろうと思う。」


「そ…それをですか?」


「ああ。二人とも…俺には親友だ。」


「……」



 その日、帰り道でフォトフレームを買った。

 なぜか富樫がついて来たがって、一緒にうちで晩飯を食う事にもなった。

 俺がその写真を飾って眺めているのを、富樫は少し怪訝そうに見ていた。


「…華音が嫌いなのか?」


 ビールを飲みながら問いかけると。


「いっいえ、とんでもない…素敵なお写真だと…」


 富樫は慌てたようにそう言った。


 …本当に。

 頬を寄せ合って、とても自然な笑顔の二人。

 華音に、こんな笑顔が出来たのか…と思うと、そこは紅美の力の大きさを感じた。


 ようやく…結ばれるべくして結ばれた二人。



 …それにしても。

 文章ぐらい付ければいいものを。

 写真だけって、どういう事だ?


 ま、華音の事だ。

 俺にとどめを刺した気にでもなっているんだろう。



 俺はもう…

 誰かと恋をするなんて事はない気がする。

 そう思っているからか、華音と紅美の幸せそうな顔は喜びでしかなかった。


 自分に訪れない部類の幸せだ。

 俺は今後…仕事にだけ情熱を注ぐ。


 紅美との間の亡くしてしまった命…

 そして、俺が死なせてしまった一般人の事を思うと、自分の幸せなど…

 もう、願う事はない。

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