第30話 「あ。」

 〇泉


「あ。」


「……」


 ドイツに来て三週間。

 ホテルに戻ると、久しぶりに志麻とバッタリ出くわした。



 現場でミスをして以来…志麻はホテル内の一室で資料整理をしてる。

 まあ、それだって立派な仕事なんだけど…

 現場が立て込んでる最中に、志麻がそこにいなくてホテルで資料整理なんて。

 地元の面々も『シマはどうした?』と気にしてるらしい。



「…お帰りなさい。」


「…ただいま。」


 大きなダンボールを載せた台車を押してる志麻に並んで、エレベーターの前に立つ。


 …声をかけるって言ってもなー…

 あたし、変に傷をえぐりそうだし…


 エレベーターのドアが開いて、先に乗り込んだ。

 志麻はやたらゆっくりと台車を押してエレベーターに乗ると。


「…現場は………でしたか?」


 聞き取りにくい、細い声で言った。


「え?」


 現場はどうだったかって聞いてるんだよね。

 分かってる。

 分かってるんだけど…

 あまりにも志麻らしくなくて。

 あたしはつい…


「あんたにも早く復帰してもらわなきゃ、現場がスムーズに回らないよ。」


 嫌味っぽく言ってしまった。


 あー…

 あたしバカ!!


 すると、当然志麻は…


「…すみません…」


 そうしたくないだろうに…

 酷く猫背になって、あたしに頭を下げた。


 こけた頬。

 目の下にはくま。


 …何やってんのよ。

 ほんと…



 八階でエレベーターが止まって、志麻がそこで降りた。

 あたしは15階まで上がって、一旦部屋に入ったけど…


「……」


 またエレベーターに乗って、八階で降りた。

 そして、志麻がこもっているであろう部屋の前に立って…

 ドアをノックした。


「志麻、開けて。あたし。」


 ドアの前でそう言うと、少ししてドアが開いた。


「入っていい?」


「……」


 志麻はあたしを見てるのかどうか分からないような視線。

 それでも、ゆっくりとドアを大きく開けてくれた。


 部屋の中には、資料があちこちに並べ…いや、これは…散らかしてるだけじゃん…

 いつも、きちんとしてる志麻が…

 これ、何なの。



「…あのさ。」


 ソファーに座って、話しかける。

 志麻はしばらくボーッと窓辺に立ってたけど。

 何かを思い出したようにスタスタと歩いて、あたしにお茶を入れて持って来た。


「…失礼しました。ボンヤリしてました。」


「…いいけどさ。ありがと。」


 あたしがカップを受け取って、一口飲むと。

 志麻は小さく首を振りながら。


「本当に…色々すみません。ちゃんとします。」


 そう言って、資料をかき集め始めた。


「いや、別にあたしは説教に来たわけじゃないから。」


「……」


「座って。」


「……」


 しばらく悩んでた様子の志麻は、少しだけ資料をダンボールに戻して…

 あたしの向かい側に座った。



「今日は、もうオフって事にしようよ。」


「……」


「…飲もう。」


 あたしは一度部屋に戻って、父さんが来た時に置いて帰ったウイスキーやバーボンを手にして再び志麻の部屋へ。


「さ、飲んで。」


「…いえ、私は…」


「こんな時まで正しくしてなくていいよ。『俺』でいいし、あたしの事も『お嬢さん』じゃなくていいから。敬語もなし。」


「……」


「友達みたいにさ…話そうよ。」


「……」


「あたしも…誰かに聞いてもらいたかったから…」



 そうして…あたしと志麻は、二人で飲み始めた。


 お互い五杯目を飲み干した頃に…


「あたしだって、夢見てたのよ?一般人との結婚。それをさーあ、余命わずかな父親に『息子か仕事か選べ』なんて言われたらさ、別れるしかないっつーの。」


 あたしが愚痴るのを…志麻はずっと黙って聞いた。

 志麻も何か喋ってくれたらいいのに。

 そう思いながら、あたしはひたすら喋った。


「薫平のおかげで、聖の事忘れられるって思ったのに…あいつも薄情な奴でさ…」


 誰にも話せなかった薫平の事も…話した。

 それでも志麻は、時々小さく頷くだけで。

 前髪をかきあげて、眠そうな顔になりながら…飲み続けた。


 だけど…

 何がキッカケだったのか…

 今となっては思い出せない。


 何かが、キッカケで。

 志麻が…泣き始めた。


「俺に…そんなつもりはなかったのに…」


「そんなつもり?何の話?」


「愛してるのは…咲華だけだったのに…」


「…浮気を疑われたの?」


「…それも…仕方のない事だったのかもしれない…」


「…あんたに浮気が出来るとは思えないけどね。」


「咲華…」


 咲華さんの名前を呼びながら、泣き続ける志麻。

 本当なら、こんなにメソメソする男…好きじゃないんだけど。

 志麻は…小さな頃から知ってて。

 口数が少なくて。

 頼り甲斐があって。

 二階堂のために、本当に色々…犠牲にして尽くしてくれて…

 …やっと出会えた…咲華さん…だったのに…


「…志麻。」


 志麻は、二階堂のせいで幸せを逃したと言ってもいい。

 そう思うと、やりきれなくなった。

 志麻の頭を抱きしめて…


「…ごめん…二階堂のせいで…あんたにこんな想いさせて…」


 耳元でそうつぶやく。


「……俺の問題です…」


「志麻…」


「……」


 もう…お互い酔っ払ってたのと…


「あ…」


 寂しさが…手伝ってしまったのかもしれない。


 あたしと志麻は、指を絡めあって…

 服を脱がせ合った。



 そこには愛はなくて。

 ただ、寂しさを埋めたい気持ちと…

 慰め合いたい気持ちと…


「…咲華…」


 耳元で繰り返される、違う名前。


 あたしは泉。

 そう思っても、どうでも良かった。

 あたしだって…

 志麻に抱かれながら。


 聖と…

 薫平の事を思い出してたから…。




 〇志麻


 現場に出るのを控える事にした俺は…ホテルの一室で資料整理をする毎日。

 そこへ…

 現場帰りの泉お嬢さんがやって来て。


「飲もう。」


 そう言って…ウイスキーやバーボンをガンガン飲まされた。



 ただ…

 飲んでも酔えない俺がいて。

 俺はひたすら…お嬢さんの愚痴を聞いた。


「あたしだって、夢見てたのよ?一般人との結婚。それをさーあ、余命わずかな父親に『息子か仕事か選べ』なんて言われたらさ、別れるしかないっつーの。」


「薫平のおかげで、聖の事忘れられるって思ったのに…あいつも薄情な奴でさ…」


 咲華の叔父である聖さんと別れた話や…

 まさか…の、薫平との付き合いを聞いて、少し驚いた。

 どちらも終わった恋だとお嬢さんは笑う。

 なぜ…笑いながら話せるんだ…



 俺はあの日…

 大学病院にいた。

 捜査対象がそこにいたため、潜入していた。


 お嬢さんを見かけたのは…潜入して十日目だった。


 お嬢さんが向かわれたのは、咲華の祖父の病室。

 いけないと思いながらも、病室内を見守った。


 咲華の祖父は…お嬢さんに。

『息子か仕事か選んで欲しい』…とは、言われなかった。

 桐生院氏が口にされたのは…


『息子と別れて欲しい』


 キッパリと…そう言われた。


 お嬢さんは、それに対して無言で。

 桐生院氏をじっと見つめて…そして小さく笑って。


「…そうですね。彼には…あたしみたいなのより…普通の女性が……」


 お嬢さんは…言葉を最後まで言えなかった。

 笑顔だったはずなのに…眉間にしわを寄せて、噛みしめて震える唇。


「聖は…私にとって特別な息子なんです。」


「……」


「酷い事を言っていると解っています。ですが…お願いです。どうか…息子と別れてください。」


 深く頭を下げる桐生院氏に対して、お嬢さんはゆっくりと肩に手を掛けて。


「…分かりました。でも…今、あたし達…たぶん…すごく上手くいってて…」


「……」


「だから、今すぐ別れるってなると…怪しまれるから…」


 少し時間をかけて、会わないようにして…

 ちゃんと、お互い納得いくような形をとって別れる。と…。


 奇しくも…俺は咲華と婚約したばかりで。

 そこに、そんな言葉を聞かされて…

 正直、揺らいだ。


 お嬢さんは、二階堂であるがために…想いを捨てさせられた。

 桐生院氏から別れを切望されて、二年後のクリスマスだった。


「兄貴…あたし、仕事頑張る。二階堂のために…あたし、二階堂のために生きるから。」


 泣きながら…ボスにそう電話されているのを聞いて。

 俺の胸は痛んだ。


 だが、俺とお嬢さんは違う。

 咲華と会っている時は、自分にそう言い聞かせて…結婚へ進もうと思えたのに。

 現場に出て咲華と離れてしまうと…また気持ちが揺らいだ。

 俺が…一般人と結婚してもいいのだろうか。と。


 咲華との別れは…あんなに待たせていたにも関わらず、予想だにしていなかったと言ってもいい。

 ただ単に、俺がバカだっただけだ。

 だが…

 まさか、こんな精神状態に陥るなんて…思わなかった。

 立て直そうとすればするほど…心が空回りしてしまう。

 集中が出来ない。



「咲華…」


 咲華の名前を呼びながら…お嬢さんを抱いてしまった。

 俺は…



 …最低だ。




 〇泉


「…申し訳ありません…」


 ベッドの上。

 仰向けになったまま…志麻が言った。


「…謝らなくていーよ。あたしだって、同じだから。」


「……」


「少しは気が紛れたならいいけど…そんな感じじゃなさそうだね。」


 あたしの言葉に志麻は腕を目の上に置いて、小さく溜息をついた。



 失恋でここまで落ちてしまうって…どうなの?って思わなくもないけど。

 二階堂の人間は…色恋に関しては、本当に盲目だったり一途だったりするから…

 ダメージも、人一倍。

 特に志麻なんて…

 咲華さんの事、信じて疑わなかっただろうから…

 …ま、待たせ過ぎたよね…



「…入籍を…」


 ふいに志麻が話し始めた。


「入籍だけでも先に…と言われて…」


「……」


 志麻は目の上に腕を置いたまま。


「それまでも…待たせ過ぎていたのに…俺は何かと理由をつけて…延ばし延ばしにして…」


「…志麻が結婚に踏ん切りがつかなかった理由って、仕事の事?」


「………はい。」


 …かなり間が開いた。

 他に何か理由があったのかもしれないけど…

 あたしに言わないんだとしたら、きっと二階堂の事。

 仕事以外で…何か引っかかる事があったのかな。

 ま、言いたくない事まで無理に聞きだす気はないけど。



 それから適当にシャワーして…二人で資料の整理をした。

 たまにつぶやくあたしの独り言に、志麻がふっと小さく笑う事があって。

 そんな時は、ああ…笑った…って、ちょっと安心した。

 もう笑う事もない。ってぐらいの顔してたから…



「…お嬢さん。」


「ん?」


「…本当に…すみません。」


「何。現場の事なら、みんなちゃんとやってるから平気だよ。」


 資料に目を落としたままで答えると。


「……」


 志麻は動きを止めて無言になった。

 顔を上げて志麻を見ると。


「………いえ、現場の事ではなく…」


 一瞬あたしと目を合わせた後、ベッドに視線を送った。


「…あー…」


 あたしはポリポリと頭をかいて。


「いーんじゃない?あたし達、残念な事にフラれた者同士だし。とりあえず誰にも迷惑はかけないから。」


 首をすくめて言ってみせる。

 言った後で、あ、痛かったかな。と思ったけど。


「…お嬢さんは…もう、吹っ切ってらっしゃるんですか?」


 また手を動かしながら…志麻は元気のない声で言った。


「んー…あたしって、意外と根に持ったり引きずったりするタイプなんだよねー。」


「……」


「あっ、何で無言よ。意外と、じゃないって思ったんでしょ。」


「…はい。」


「はいって!!」


 手に持ってた資料を投げ付けると、志麻はまた少し笑った。


「…たぶん、自分の中で諦めがついたとしても、思い出がある限りは吹っ切れないのかなーなんて思う。」


「……」


「別に、吹っ切れなくてもいっかなーとも思うしね。」


「…辛くはないのですか?」


「辛いよ。でも、相手が辛いより、自分が辛い方がマシかなって。」


「……」


「あ、ごめん。ちょっとカッコつけ過ぎた。」


 いひひって笑いながら、投げ付けた資料を拾い集めようと立ち上がる。


 あたしの恋心なんて…

 たぶん、志麻のそれと比べると…ちっぽけだと思う。

 結婚前提とかじゃないし。

 まあ、憧れはあったけどさ…

 ただ、好きだなー、一緒にいたいなーって。

 …中学生かっ。



「…えっ?」


 資料を拾い集めてると、志麻に腕を取られた。

 そして…




 〇志麻


 俺に投げ付けて床に落ちた資料を、お嬢さんが拾い始めた。


 …相手が辛いより、自分が辛い方がマシかなって。

 そう言ったお嬢さんを…痛々しく思った。


 俺の知る泉お嬢さんは…

 二階堂家の末っ子で、甘えん坊で寂しがり屋。

 その反面、現場で発揮する洞察力や身体能力、判断力や集中力は群を抜いて素晴らしく…

 女性にしておくのがもったいない。と、どこに行っても賞賛されている。


 いつまで経っても這い上がれない俺に付き合って飲んで…

 咲華の名前を呼ばれながら抱かれて…

 自分だって同じだから気にするな、と。

 …俺はなんて情けない男なんだ…と、自己嫌悪にも値しないほどの想いを持つと同時に…

 お嬢さんの、不器用な性格と…

 そうでありながら、とてつもない包容力に感動した。



「…えっ?」


 気が付いたら…お嬢さんの腕を取って、胸の中に抱きとめていた。

 何がどう…と言うわけではないが、そうしたかった。


「……」


「……」


 お嬢さんも特に何か言われるわけでもなく…

 しばらくそうしていると、背中に手が回って…ポンポンとされた。


「……志麻。」


「……はい。」


「…眠くない?」


「…そう言えば。」


「ベッド、連れてって。」


「…はい。」


 そのままお嬢さんを抱えてベッドへ。


 正直…咲華と別れて、ちゃんと眠れた日がない。


「ふぁ~…」


 ベッドに降ろすと、お嬢さんは大げさなぐらいに欠伸をして。


「眠れなくても死にゃしないけど、残業はほどほどにね。」


 俺が眠る気がないのをお見通しだったのか、そう言って…すぐに目を閉じた。


「……」


 眠れる気はしないが…隣で横になってみる。

 …本当なら、大問題だ。

 お嬢さんと寝て…今もこうしてベッドで隣に横になっている。

 うちの両親が知ったら、頭と姐さんに土下座どころか…死ね‼︎と言われかねない。



「……」


 お嬢さんの寝顔を見つめる。


 この人も…二階堂でなければ…

 今頃、桐生院の名字を名乗る事が出来ていただろうに…


 咲華の名前を呼びながら抱いてしまった事を、とても後悔した。

 自分の異常さにも…嫌気がさした。

 早く…立ち直りたい。

 そう思うのに…


 俺はそれからもしばらく、闇の中に一人で立ちすくんでいるような感覚のままだった。

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