第28話 「いいんじゃない?あたしは大賛成。」

 〇咲華


「いいんじゃない?あたしは大賛成。」


 ふと、廊下から明るい声がして。

 みんながそこを見ると…


「おばあちゃま!!おじいちゃまも!?」


 華月が立ち上がって、二人に駆け寄る。


「会いたかった〜‼︎」


「ほんと?知花には帰るって言ってたんだけど、もしかしてサプライズだった?」


 おばあちゃまが母さんを見て言うと、母さんは苦笑いをしながら『忘れてたー…』って小さく言った。


「…せっかく帰ってもらったのに、こんな所を見せてすいません。」


 父さんがそう言うと、おじいちゃまは。


「爆弾発言だったな。」


 そう言って、父さんの隣に腰を下ろした。


 おばあちゃまは…今、おじいちゃまと二人で暮らしてる。

 いずれは、この家に戻って来てくれるはずなんだけど…

 何しろ…

 まだまだ新婚気分だから。



 一昨年の夏、ビートランドの大イベントで気持ちを確かめ合った二人。

 おじいちゃまはその後ノドの手術を数回繰り返して…

 今も元気で仕事をしてる。

 …って言っても、以前ほどバリバリはしてない。


 今年のおばあちゃまの誕生日には、二人きりでリトルベニスで結婚式を挙げて。

 それ以降は、おじいちゃまのマンションで暮らしてる。



「…どう思いますか?」


 父さんがおじいちゃまに問いかける。

 あたし達は…すっかり『高原さん』から『おじいちゃま』にシフトチェンジしてるけど。

 父さんにとっては、事務所の会長。

『お義父さん』って呼びたいらしいんだけど…照れくさいのも手伝って、なかなか呼べないらしい。


「千里の気持ちも分かるし、咲華の気持ちも分かる。俺はあえて中立でいる。」


 味方についてくれると思ってたおじいちゃまにそう言われて、父さんは目を細めた。


「でも…失恋して仕事をほったらかして旅に出た奴は、他にもいるからな…」


 おじいちゃまがそう言うと。


「え?ビートランドの人?」


 華月がおじいちゃまとおばあちゃまに、お茶を出しながら問いかけた。


「……」


「……」


 しばらく沈黙が続いた。

 父さんは細くしてた目を、より細くして…横目でおじいちゃまを見てる。



「さくらは大賛成って言ったな。」


「あたしも、色んな物を失くしたって思った時は…そこから逃げ出したいって思ったから。」


 そう言ったおばあちゃまの肩を、おじいちゃまが抱き寄せる。


「千里さん。咲華を信じて…行かせてやったらどうかしら?」


「……」


「可愛い子には旅をさせろって言うし。」


「…さくらが言うと似合わないって思うのは、どうしてだろうな。」


「えっ、どうしてよー。」


 二人のじゃれ合いに少し笑った。

 そして…感謝した。


「…あたし…ちゃんと帰って来るから。」


 テーブルの木目を見ながら言うと。


「ま、もう諦めて行かせてやれよ。咲華は言い出したら聞かねーの、親父だって知ってるだろ?」


 華音が…ダメ押し。って感じで言ってくれた。





「……」


 …何となく寝付けなくて。

 何か飲もうと思ってキッチンに向かった。

 すると…大部屋のテレビがついてる。

 …誰か消し忘れ…?じゃないよね…

 テレビの明かりだけが暗闇で光ってて、少し怖いな…って思いながら大部屋に近付くと。


 …父さんがいた。

 照明も点けずに…テレビを見てる。

 そのテレビには…



『とうしゃ~ん!!』


『咲華、こっち向け。華音、いい顔しろ。』


『とうしゃん、しゅき。しゃく、ちゅしてあげゆよ?』


『いいか?ちゅは父さんだけにしとけよ?誰にでもするなよ?』


『とうしゃんだけにしゆー。』


『ふっ…聞いたか?知花。咲華は俺以外にキスしないらしい。』


『…父さんにもしてたけど…』


『何っ!?咲華、じーにもちゅしたのか!!』


『きょうのちゅは、とーしゃんだけにしゆー。』


『明日のちゅも父さんにしとけ。』


『あしたはきーちゃんにちゅしゆのー。』


『咲華…』


『千里、泣かない泣かない…』


『とーしゃん!!どちたの!?』


『…咲華、ずーっと父さんのそばにいてくれ。』


『そしたら、とーしゃんわやう?』


『ああ。』


『じゃあ、しゃく、じゅーっととーしゃんといゆよ~!!』


『…なんて可愛いんだ…俺の娘は…』


『…親バカね。』



「……」


 何なの…

 こんな映像…何で…


 あたしが声を掛けようかどうしようか悩んでると…不意に、腕を掴まれた。

 振り返ると、口の前で人差し指を立ててるおじいちゃま。


「……」


 手招きされて、おじいちゃまについて行く。

 中の間の横を通り過ぎて、階段を上がって…

 一番奥の、おばあちゃまの部屋に入ると…


「あら、咲華。」


「大部屋の前に居たから連れて来た。」


「いいわね。三人で飲みましょ。」


「え?飲んでたの?」


「なっちゃんはノンアルコールだけどね。」



 それから…あたしはおばあちゃまとビールを飲んだ。

 おじいちゃまは、ノンアルコールだけど…まるで酔っ払ってるかのように、よく喋った。



「千里は若い頃、知花と別れて自棄になって…仕事ほっぽり出していなくなった事があるんだ。」


「……」


 あたしはその話を聞いて、眉間にしわを寄せまくった。


 父さんが!?

 仕事が大好きで、自分が休みなのに事務所に行って、母さんを不機嫌にさせてしまう事も多々ある父さんが!?


 正直…おじいちゃまが『失恋して旅に出た奴がいた』って言ったのを聞いた時は…華月の事だと思った。

 実際、一度詩生君と別れた時…華月は渡米したし。

 だけど、華月自身が『ビートランドの人?』って聞いたぐらいだから…

 華月の傷は、すっかり癒えてるんだと思った。


 そして…それをすごく羨ましく思った。



「自分が何のために歌ったらいいのか…分からなくなったって。」


「…自信家の父さんに、そんな事があったなんて…ちょっとビックリ…」


 あたしの言葉に、おじいちゃまが。


「千里が自信を取り戻したのは…咲華と華音の存在を知ったからだ。」


 優しく笑って言った。


「…え?」


 それから…おじいちゃまは色々な事を話してくれた。


 母さんのバンドがアメリカ進出をする事で、若さゆえの葛藤のため別れを選んだ事。

 だけど別れてから…妊娠に気付いた事。

 それを父さんに内緒にして…あたしと華音を出産した事。

 ずっとその事実を知らされていなかった父さんは、自身のバンドが解散して…ますます自棄になっていた事。


「俺が聞いた話だと…麗が千里にバラしたらしい。知花が…華音と咲華を産んだ事。」


 それから父さんは…

 母さんの愛を取り戻すべく、F'sを結成した…と。

 まさか、あのバンドが…そんな理由で結成されたなんて…



「あの頃の千里さん、もう…咲華と華音の事、目に入れても痛くないって顔してた。」


 おばあちゃまがすごく笑顔で言った。


「可愛くてたまらないって。仕事の合間にコッソリ会いに来て…要らないって言うのに、毎回服やオモチャを持ってね。」


 母さんに内緒で、家族全員が…父さんを応援して。

 父さんのF'sが成功した時…母さんも…やっと素直に父さんの愛を受け入れる事が出来た…と。



 あたしと華音の誕生日より、両親の結婚記念日が後で。

 それを知った時、あたしと華音は少しショックを受けた。


『あたし達って…父さんの子供?』


 昔…母さんに、そう聞いたっけ…


「千里さん…戸惑ってるのよ。咲華の事、本当に可愛くて仕方ないのに…咲華にはそれが伝わらないって。」


「…だって…父さん、華月には甘いのに、あたしには厳しいから…」


「華月とは事務所でも会うけど、咲華とは朝と夜しか会わないでしょ?だから、出来るだけ顔を合わせたいって思ってるみたいなんだけどね…咲華にだって、都合はあるものね。」


「……」


 うちは…みんな生活スタイルが違う。

 唯一のOLであるあたしが出勤する頃、華音と華月が起きて来る。

 だけど…

 父さんと母さんは…

 あたしに合わせて起きてる。

 何を話すわけでもないけど…

 一緒に朝食を摂る。


 …一緒に…。



「ただでさえ可愛くてたまらない娘が傷心旅行で海外に行くってだけでも大事件なのに、連絡を取らないって宣言されちゃあ…千里、涙も出ないほど落ち込んだだろうな。」


 あたしは…

 強くなりたい。

 もう、待つだけの恋や、自分を抑える恋はしたくない。

 そのためにも…この傷を早く癒し忘れたい。

 そう思って…

 腫れ物に触られたくなくて…


「一ヶ月、連絡取らない。」


 みんなの前で宣言した。


「バカ言うな。」


 父さんは怒ったけど…

 あたしは、それなら携帯は持って行かない。と、言い張った。

 緊急な連絡だけは取れるよう…約束はした。



「…あたしと華音が小さい頃のビデオ見てた…」


 小さく溜息をつくと。


「…志麻さんの事…待ってたのは、咲華だけじゃないのよ?」


 おばあちゃまがそう言った。


「…え?」


「千里さんも…待ってた。いつ咲華をもらいに来る気なんだろうって。」


「……」


「自分の事が怖くて来ないんだったら、それまでの男だ。ってボヤいてたけど…信じてたと思う。だから、ショックなんだと思うわ。二人が別れた事。」


 あたしは…少しだけ、父さんのせいにもしてたのに。

 そんな風に思ってたなんて…



「でも…本当にいいのか?」


 おじいちゃまがそう言うと。


「なっちゃん。咲華はもう進もうとしてるんだから…あたし達は見守るだけよ?」


 おばあちゃまが優しく笑いながら言ってくれた。


 …うん。

 正直…まだずっと…モヤモヤはしてる。

 縁がなかった。って言い聞かせて…

 彼が朝子ちゃんの方を向いてたから…なんて、思いたくないあたしがいる。

 …朝子ちゃんに負けた気がするのが…嫌なのかもしれない。

 かもしれない…じゃない。


 あたしは、いつだって悔しかった。

 あたしより朝子ちゃんって…無意識にでも妹を優先してた彼に、辟易としてた。

 それさえなければ…あたしは待つ事は苦じゃなかったのに…

 …こんな事、口が裂けても誰にも言えない。

 何より…わずかしか持ち合わせていない自分のプライドが…許さない。

 …つまんないプライド…



「どこに行くの?」


「治安の悪い所はやめとけよ?」


「もしアメリカに立ち寄るなら、カニの美味しいお店があるわよ?」


「カプリか。懐かしいな。」


「あたしは去年華音と行ったけど。」


「何?聞いてないぞ?」


「ついでに、ステージで歌っちゃった。」


「はあ?おまえ…俺の入院中に、どれだけ自由を…」


「ふふっ。」


 二人の会話を黙って聞きながら。

 あたしにも…こんな風に大好きな人と笑える日が来るのかな…って思った。


 大好きな人…



 …好きな人なんて…もう、要らない。



 恋なんて…



 もういい。

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