第21話 「…急に会いたいって…どうして?」

 〇志麻


「…急に会いたいって…どうして?」


「え?」


「もしかして…別れ話なのかな…って…」


「まさか。」



 カナールで待ち合わせてたが…

 店の中から見える位置にあるカーブミラーに、咲華が映っていた。

 店の外で、立ちすくんだまま…何か考えている様子だった。



 確かに…このままじゃいけないって気持ちは強い。

 だが…

 俺から別れを切り出すなんて、あり得ない。


 …あり得ない…か?


 咲華の事を考えれば、俺から別れを切り出した方がいいに決まってる。

 ずっとほったらかして…

 咲華の夢を壊し続けている気がする。



 なぜ…

 結婚に踏み切れないのか、と、浩也さんに聞かれた。

 それは…俺が二階堂の人間だから…

 …それが一番なのかな…



 もし、は…ないが。

 もし、俺が二階堂の人間じゃなかったら。

 咲華は、もうとっくに東の姓を名乗って。

 すでに子供もいるかもしれない。


 毎日決まった時間に出社して、少しの残業をして家に帰る。

 休日には家族で出かけたり、ゆっくりとした時間を過ごしたり。

 …それが、咲華の夢だとしたら…

 俺には、叶えてやれない。

 俺は二階堂の人間だし、危険な現場に出続ける。


 …これからも。



「…咲華。」


 ゆっくりと、咲華を抱きしめる。


「…ん?」


「いつも…ごめん。」


 気持ちをこめて…抱きしめる。


 愛してる。

 この気持ちに嘘はない。


「…仕事大変なのに…あたしの事はいいから。」


「そんなわけにはいかない。」


「しーくん…」


 咲華は俺の胸に顔を埋めて。


「…しーくんの匂い…」


 小さくつぶやいた。


「汗臭い?」


「うん。」


「…_| ̄|○…」


「冗談よ。」


 こうしていると…離したくないと思う。

 そう思うのに…

 現場に出ると、俺は咲華の事を忘れて命を懸ける。


 …そんな俺は…

 咲華に相応しい男なのだろうか…。



「…咲華。」


 咲華の髪の毛を撫でながら、小さな街の灯りを見下ろす。


「ん?」


「…愛してるよ…」


 額に唇を落とす。

 もう…長い間、こんな事さえしていなかった。

 電話を切る間際に、挨拶のような愛の言葉。

 ちゃんと抱きしめて…気持ちを伝える事が、俺達みたいに会えない状態にある者には必要なのに…


 朝子の事が心配だったのと…

 ずっと引っ掛かってしまっていた事が、いくつかあって。

 俺でいいのか…いや、俺でいいんだ…

 そんな自問自答を繰り返しては、今の状態のまま…咲華を待たせてしまった。



「6月15日に帰る。」


「…うん…」


「帰ったら…入籍しよう。」


「…え…っ?」


 咲華が驚いた顔をして、俺を見上げた。


「ずっと待たせてごめん。」


「…だ…大丈夫なの…?」


「何が?」


「だって…」


「今更って感じだもんな。本当…申し訳ない。」


「そんなこと…」


 咲華は少しうつむいて、俺の胸に額をつけると。


「…嬉しい…」


 小さくつぶやいた。

 そのつぶやきを…大事にしなくてはと思った。

 俺の幸せを後回しにするんじゃなく…

 咲華の幸せを、早く…と思わなくてはならなかったんだ。


 まだ…遅くない。

 帰国したら…

 咲華とちゃんと夫婦になろう…。




 〇咲華


 翌日から、しーくんはドイツに発った。

 昨夜は一時間ほどだったけど…会えて良かった。

 帰国したら、入籍しようって…


「…あ~…ダメだ。」


 小さく独り言。

 昨夜の事思い出すと…嫌でも顔が緩んじゃう。



 ドイツに発つ前に『行って来るよ』ってメールが来て。


『気を付けてね。6月15日、楽しみに待ってる』


 あたしは、そう返信した。

 会えない事には…慣れてる。


 …うん。

 大丈夫。

 6月15日には帰って来るしーくんと…今度こそ入籍するんだもん。

 …やっと…だ。



 毎日に張り合いが出た。

 仕事も頑張れた。

 あんなに暗い気分になってたのが嘘みたい。

 …ずっと憧れてた結婚…

 やっと夢が叶う。



 しーくんがドイツから帰るまで、あと十日。

 あたしは久しぶりに、会社帰りに『あずき』で食べる事にした。



「いらっしゃ…あら!!久しぶりねえ!!」


「こんばんは。」


 元気のいいおかみさんが、あたしに水を持って来てくれて。


「最近彼は?」


 小声のつもりだろうけど、バッチリみんなに聞こえるぐらいの声で言った。


「仕事でちょっと遠方に。」


「あっ、そうだったね。」


 え?

 なんで…おかみさんが知ってるの?って思ったけど。

 誰かと間違えてるのか、もしくは一人で来たしーくんから聞いたのかなと思って、それ以上は聞かなかった。


 久しぶりに来たから、どれも食べたいな~なんて思って。

 メニューとにらめっこ。

 その結果…


「親子丼にします。」


 あたしがそう言うと、おかみさんは。


「大盛りね。」


 親指を突き出した。


 とろっとろの玉子が美味しい親子丼が目の前に運ばれて。

 あたしは手を合わせて、いただきますをする。


 ん~…この匂い……ん?


「柚子の香りがしますね。」


 おかみさんに言うと。


「あっ、さすがね~。分かっちゃった?」


「はい。」


 よくよく見てみると、真ん中に置いてある三つ葉の上に…柚子の皮をおろしたものが少量乗っていた。


「どう?イケるでしょ。」


「うん…美味しいです。」


 口に入れた途端、広がる爽やかな香り。

 柚子が苦手な人もいるけど…あたしは大好き!!


「長年通ってるけど、初めての試みですね。ご主人の案ですか?」


 ここの厨房は、おかみさんの旦那さんが仕切られてる。


「ううん。朝子ちゃんが考えてくれてね。」


「……朝子ちゃん?」


 あたしが首を傾げて問いかけると。


「えっ?聞いてなかったのかい?」


 おかみさんは急にバツの悪そうな顔になって。


「あたしはてっきり…彼氏が話してるんだとばかり…」


 あたしと厨房を交互に見ながら言った。


 …つまり…

 朝子ちゃんが、ここで働いてる…と。

 しーくん、そんな事…一言も…


「あ…そう言えば聞きました。久しぶりに来たから、忘れてました。」


 あたしが笑いながら言うと。


「ああ、良かった~。呼ぼうか?朝子ちゃん。」


「いえ…仕事中ですから。」


 あたしの顔は…凍り付いていたかもしれない。



 朝子ちゃんがここで働いてるって…

 どうして教えてくれなかったの…?


 美味しい親子丼なのに、あまり味わえなかった。

 少し沈んだ気持ちで店を出る。

 また、モヤモヤした嫌な気持ちが湧いて…空を見上げて頭をぶんぶん振ってると。


「咲華さん。」


 背後で声がした。

 振り返ると、そこには…


「…朝子ちゃん。」


 予想通りの朝子ちゃんがいて。

 だけどあたしは…何となく会いたくなかったな…なんて思ってしまった。



「今、おかみさんから…兄さんの彼女が来てたよって言われて。」


 朝子ちゃんは、自転車を押してあたしの隣に並ぶと。


「兄が…忙しくてごめんなさい。」


 あたしに頭を下げた。


「…それより、体は大丈夫?」


「え?」


「事故に遭ったでしょ?」


「あ…」


 朝子ちゃんはポリポリと頭をかいて。


「でも、無傷だったんです。大袈裟に救急車になんて乗って…恥ずかしかった。」


 照れ臭そうに、首をすくめた。


 その左手の薬指に…


「…朝子ちゃん、結婚したの?」


 あたしの問いかけに、朝子ちゃんは『え?』って顔をして。


「あ…はい…先月、入籍だけですけど…」


 赤くなりながら、小声でそう言った。


「…おめでとう。そっか…入籍…」


 あたしは…複雑な気持ちだった。

 朝子ちゃんは…二階堂本家の海さんの許嫁だったけど…

 それが叶わなくて…

 それで、しーくんが泉ちゃんに八つ当たりした事があって…


「兄は…何も言いませんでしたか?」


 朝子ちゃんが遠慮がちに言った。


「…うん。」


「あっ、兄…あたしの彼の事、あまり好きじゃないみたいだったから…言いたくなかったのかも…」


 あたしが沈んだ声をしたからか、朝子ちゃんは気を使ってそう言ってくれた。

 だけど…

 あたしの気持ちは、もう沈んだままだった。


 朝子ちゃんが『あずき』で働いてる事も…

 入籍した事も…話してくれないなんて。

 あたし達…義理の姉妹になるのに。

 それとも、男の人って…そういうもの?


 …確かに、華音は聞かなきゃ教えてくれない事もある…か…

 …あまり悪い方に考えるのはよそう…

 しーくんは、6月15日には…



「兄がドイツに行ってるの、昨日知りました。」


「そうなんだ。」


 並んで歩きながら、朝子ちゃんの声を拾う。


「先月、この自転車が届いたし、電話もあったから。日本にいるのだとばかり。」


「……」


 その自転車は…しーくんの好きな薄い空色。

 朝子ちゃんの自転車が…事故で壊れたのが…5月10日。

 しーくんがドイツに発ったのは…5月11日。

 自転車が届いたのは…それ以降…


「ほんと…あちこちし過ぎよね。最近連絡あった?」


 ドキドキしながら…朝子ちゃんに問いかけると…


「13日に帰国するからって連絡があったっきり、月末からはパッタリ。」


 …月末からは…って…

 13日に帰国するって…

 あたしには…15日って言ったのに…?


 …何か変更があったんだよ。

 きっとそうだよ。

 …だけど、じゃあなぜ…朝子ちゃんにだけ連絡するの?

 あたしには…何も…



「…咲華さん?」


 ずっと無言になってしまったあたしの顔を、朝子ちゃんが覗き込む。

 あたしはニッコリ笑って。


「仲のいい兄妹で、羨ましい。」


 そう…言うしかなかった。

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