第20話 -四か月前-
〇咲華
-四か月前-
ドサッ。
ベッドに倒れ込む。
「…ラララ…ララ…」
横になったまま、何となく歌いたくなった。
両親共にシンガーだと言うのに。
双子の兄もギタリストで、歌唱力もバッチリだと言うのに。
あたしは音楽に興味がない。
だから、あたしの鼻歌なんて…すごく珍しいのかもしれない。
それが、こんな時なんて…ちょっと笑える。
あの光景を思い出すのが嫌で、あたしは目を閉じた。
…寝ちゃおう。
そして、楽しい夢でも見よう。
それから…本当に寝てしまった。
悲しい事があっても眠れちゃう自分に呆れながら、横になったまま投げ出してたスマホを手にした。
「…連絡なし…か…」
それがますます…あたしを悲しい気持ちにさせた。
…見なきゃ良かった…
辺りは暗くなってて。
もうそろそろご飯だなあ…なんて思った。
「…お腹すいた…」
小さく独り言。
そして、ゆっくりと立ち上がって、あたしは大部屋に向かった。
「あら、咲華。出掛けてたんじゃないの?」
大部屋に行くと、母さんが驚いた顔をした。
「うん…帰って寝てた。」
手を洗って、母さんの隣に立つと。
「…顔色悪いけど…大丈夫?」
母さんが頬に触れて言ってくれた。
「…お腹すいちゃったの。」
「ま、食いしん坊ね。じゃ、すぐご飯にしましょ。みんな呼んで?」
「うん。」
みんなの前では…普通に出来た。
いつも通り、たくさん食べて…笑った。
「おまえ、どれだけ食う気だよ。」
「うるさいなあ、華音。女の子が食べてるのを横でそんな風に言うと嫌われるよ?」
「女の子…28は女の子なのか?」
「何よ。じゃ、華音はもうおじさんって自覚してるの?」
「まさか。俺は永遠に…」
「永遠に、何。」
「んー…何が適切か、ちょっと考える。」
「イケてなーい。」
いつもの…華音とのくだらないやり取り。
「知花、今日事務所で…」
「もうっ、あれは千里が…」
父さんが、母さんの腰を抱き寄せるのを、いいなあ…なんて、いつもにも増して思いながら見て。
いつもなら、もっと大部屋に居るんだけど…
あたしはさっさと部屋に戻った。
ベッドに投げたままにしてたスマホを見る。
…けど…
連絡はない。
「…はー……」
溜息をつきながら、ベッドに仰向けになる。
あれから…何時間だろ…
しーくん…
あたしの存在なんて…すっかり忘れちゃってるんだよね…
そう思ってしまうと泣けてしまいそうで、頭をブンブンと振った。
仰向けになったまま、天井を見つめてると。
###########
ふいに、スマホのバイブが。
ゆっくり手にして見ると…しーくんからの着信。
「……」
しばらく…眺めた。
出る…?
それとも…出ない?
やがて、それは切れて…あたしはスマホを手から離した。
だけど…
…出なくて良かったの?
もしかしたら、あの時は意識があったけど…朝子ちゃん、具合が悪くなったとか…
あたしったら…
自分の事ばかり考えてた。
朝子ちゃんが車にはねられる瞬間を見てたんだもん…
しーくん、心配に決まってる。
朝子ちゃんはどうだったの?って…ちゃんと聞くべきだったよね…?
かけ直そうか、どうしようか…って悩んでると、再びしーくんから着信。
「……もしもし…」
『あ、咲華…今…家?』
「うん…朝子ちゃん…どうだった?」
『ああ…無傷。』
「え?そうなの?」
『ああ。入院もせずに帰ったよ。』
「…そっか…良かった…」
それは、本心だった。
人に囲まれて仰向けになってる朝子ちゃんを見た時は、どうなる事かと思ったけど…
『…ごめんな…連絡が遅れて…』
「…ううん…」
本当は…それを一番に謝ってほしかった…なんて…
あたし…酷いな…
『それで…何か話してたよな。何だった?』
「……」
しーくんのその一言が…あたしを凍りつかせた。
しーくん…
ずっと…話聞いてなかったんだ…
…当然か。
『……咲華?』
あたしがずっと無言だからか…
しーくんが、心配そうに声をかけた。
だけど……何の言葉も見つからない。
『咲華、どうした?』
「…ううん。何でもない。」
『…今日は…本当に悪かった。今から行っていいか?』
「え?」
『やっと会えたのに、あんな事になったから…』
「でも…明日からドイツなんでしょ?」
『会いたいんだ。』
「……」
素直に…嬉しかった。
しーくんの方から、会いたいって言ってくれるなんて。
でも…
今日は家族みんないる。
特に父さんは…しーくんとの事、あまり良く思ってないし…
「嬉しいけど…もう今日はいいから。明日に備えて休んで?」
『……』
「おやすみなさい。」
『…おやすみ。』
しーくんがどんなに仕事に誇りを持っているか…
あたしは知ってる。
だから…
出来るだけ、邪魔はしたくない。
〇志麻
「今日はもう家の事なんてするなよ?」
朝子を家に送り届けて、念を押す。
「…分かったわよ…」
今朝、朝子から…入籍届を出したとメールで知らされた。
『おめでとう』と一言返信して…
胸の奥に残る寂しさみたいな物を、どうにか払拭したい気持ちになった。
そこへ…
『しーくん、今日…時間ない?』
咲華から、電話があった。
「明日からドイツなんだ…」
咲華には申し訳ないが…会う気分には、ならなかった。
…愛してる。
その気持ちは変わらない。
だが…今は、咲華の顔を見て、自分の幸せを考える余裕はない気がした。
『…そう…なら…仕方ないね…』
電話の向こう。
咲華の声が、いつもより歯切れの悪い事に気付いた。
…婚約中とは言え、あまり会えない日々が続いている。
そろそろ…俺の中でもハッキリ決めないといけない。
…仕事か…
自分の幸せ…咲華の幸せ…か…
「…午後から、少しなら時間が取れるよ。」
『え?』
「二時半ぐらいに本当に少しだけど…それでもいいか?」
俺の言葉に、電話の向こうの咲華は。
『うん…ありがとう。じゃ、カナールで待ってるね。』
そう…嬉しそうな声で言った。
約束の時間にカナールへ行くと、咲華はすでに窓際の席に座っていた。
「早いな。」
俺も早めに来たのに。
「あ…嬉しくて。」
「……」
最近、咲華の嬉しそうな顔を見たり声を聞いたりすると…
胸のどこかが痛む。
この罪悪感は、何なんだろうか。
「それでね…」
咲華が何かを話し始めた。
俺は窓の外を一度見て…咲華に視線を戻しかけて、もう一度外を見た。
朝子がいたからだ。
自転車を押しながら、横断歩道を渡っている。
今日は早番だったのか…
婚姻届を出したと言うからには…早く帰ってお祝いの準備でもするんだろう。
そんな事を思いながら、朝子の姿を追っていると…
左折してきた車が、横断歩道の手前で停まることなく…
「朝子!!」
叫んだ時には、朝子はすでに巻き込まれていた。
すぐに店の外に出て、倒れた朝子に駆け寄る。
「朝子!!聞こえるか!?朝子!!」
動かさないよう、朝子の耳元でそう言うと。
「あ…き…聞こえる…お兄ちゃん…?」
朝子はびっくりした顔のまま、パチパチと瞬きをした。
そして、慌てて起き上がろうとした。
「動くな。頭を打ってるかもしれない。」
それを止めて、朝子の手首で脈を計る。
「…あたし…どうしたの?」
「…覚えてないのか?」
「何…?」
「横断歩道渡ってて、車にはねられた。」
「………え?」
「どこか痛みは?」
身体の向きから見て…骨折の可能性は少ない。
打ってるとしたら、頭と背中かもしれないが…
「う…ううん…どこも痛くない…」
もしかしたら、俺の方が脈が速いかもしれない。
朝子がはねられる瞬間…俺は…
自分が生きた心地がしなかった。
「…自転車は?」
朝子にそう言われて。
「……」
ゆっくりと自転車が転がった方向に目をやる。
「新しいの買ってやるから、気にするな。」
そこには、無残にもハンドルがねじまがった自転車が転がっていた。
やがて救急車が到着して、俺は…朝子の手を握ったまま、それに乗り込んだ。
「お兄ちゃん…大丈夫だよ?」
「いいから、静かにしてろ。」
「…うん…」
俺は…
この時…朝子を心配するあまり。
…咲華の事を、忘れてしまっていた…。
『……もしもし…』
咲華に連絡をしたのは…夜、21時を過ぎてからだった。
「あ、咲華…今…家?」
『うん…朝子ちゃん…どうだった?』
「ああ…無傷。」
『え?そうなの?』
「ああ。入院もせずに帰ったよ。」
『…そっか…良かった…』
咲華の安心したような声に、なかなか連絡しなかった事を…後悔した。
「…ごめんな…連絡が遅れて…」
『…ううん…』
だが…あきらかに、咲華の声は沈んでいた。
…当然か。
あまり会えない時間の中で、やっと…の時だったのに。
俺は…咲華の存在さえ忘れていたなんて…
「それで…何か話してたよな。何だった?」
『……』
俺の言葉に、咲華は…無言。
「……咲華?」
沈黙が長く続いて…
俺が声をかけたが、咲華は…それでも無言。
「咲華、どうした?」
『…ううん。何でもない。』
…何でもないわけがない。
ずっと咲華をほったらかしにしていた。
特に…ここ一年は。
本当なら、とっくに結婚して…今頃、子供だっていたかもしれない。
…婚約したんだ。
咲華が何も夢を見ないわけがないのに。
「…今日は…本当に悪かった。今から行っていいか?」
俺がそう言うと。
『え?』
咲華から、驚いた声が返ってきた。
「やっと会えたのに、あんな事になったから…」
『でも…明日からドイツなんでしょ?』
「会いたいんだ。」
都合が良過ぎる気がして…いつも俺からはなかなか言えない言葉。
本音だが…
本音だからこそ、言いにくい言葉でもある…
『嬉しいけど…もう今日はいいから。明日に備えて休んで?』
「……」
時計を見ると、21時8分。
『ドイツ…気を付けてね。元気で帰って来てね。』
「ああ…ありがとう。」
『おやすみなさい。』
「…おやすみ。」
電話を切って、ソファーに座る。
ほんの数秒…指を組んで考えたが。
俺は玄関を出て車に乗ると。
『カナールで待ってる』
そう咲華にメールをして、車を走らせた。
〇咲華
「……」
『カナールで待ってる』
しーくんから…そうメールが来た。
あたしはそれをベッドであおむけになったまま読んで…
「…嘘…」
スマホを抱きしめてしまった。
今から会いたいって言われて、嬉しいけど…断った。
無理させたくないのもあったし…
何より、彼にとっては聞き分けのいい女でいたいって思ってしまうあたしがいる。
だけど…
これは…
「…嬉しい。」
無理させてるって思うけど。
今日の事で気を使ってくれてるんだって思うけど。
それでも…あたしのために無理してくれるなんて…
やっぱりうれしい。
はっ。
こうしちゃいられない!!
あたしはベッドから飛び起きて簡単に着替えると、バッグを持って部屋を出た。
「ちょっと出て来る。」
大部屋でそう言うと、全員があたしを見た。
「こんな時間にか?」
やっぱり…父さんは渋い顔。
「志麻さんと待ち合わせ?」
母さんがエプロンを丸めながら、あたしのそばまで来た。
「…うん。明日からドイツだから…」
あたしが小さな声で言うと。
「まあ…それは会いたいわね。どこで待ち合わせ?乗せてってあげる。」
母さんが、すごく…笑顔になった。
「えっ?」
そう言ってしまったのは、あたしだけじゃない。
母さんは一昨年免許を取ったけど…
ペーパードライバーだ。
「い…いいよ。歩いてくから。」
「近くなの?」
「…途中までバスで行くから。」
母さんの運転が嫌なわけじゃないけど…
このままだと、父さんもついて行くって言いそうなんだもん!!
「俺、コンビニ行くから乗せてってやるよ。」
助け舟を出してくれたのは、華音だった。
「あ…ありがと…」
「あっ、お兄ちゃん、コンビニ行くならシュークリーム買って来て。」
すかさず華月がリクエストすると。
「じゃ、あたしも。」
「俺も。」
「俺のもよろしくー。」
母さんと父さんと聖も華音にそう言った。
「…じゃ、多めに買って来る。」
立ち上がった華音は相変わらずのポーカーフェイスで。
「おまえのもな。」
キーボックスから車の鍵を取り出して、あたしの額を軽く叩いて言った。
「ありがと…華音。」
助手席に乗ってそう言うと。
「あのままだと親父までついて行く勢いだったからな。」
華音は鼻で笑ってエンジンをかけた。
さすが…よく分かってる。
「どこで待ち合わせだ?」
「カナール…って分かる?」
「何が美味い店だ?」
「もうっ。」
父さんは見かけによらず…って言ったら失礼だけど。
見かけによらず、安全運転。
だけど華音は…運転は上手いけど…
「スピード出し過ぎじゃない?」
「法定速度だぜ?」
「嘘ばっかり。」
「おまえが早く行きたいだろーなーって思って。」
「もうっ。」
信号の色さえ、新鮮に思えた。
こんな時間に待ち合わせるなんて、いつぶりだろう。
「上手くいってんのか?」
「相変わらず。」
「ふーん。」
華音はそれ以上何かを聞くわけでもなく。
他愛のない話をしてカナールの近くで車を停めてくれた。
「ちゃんと送ってもらえよ?」
「うん。」
「じゃあな。」
「シュークリーム、あたしのも忘れないでね。」
「…ったく。分かってるよ。」
「ありがと。」
本当は、片想いの相手の紅美ちゃんとどうなってるのか聞きたい気もしたんだけど。
話しが長くなるのも困るなと思ってやめた。
「……」
せっかく華音に連れて来てもらったのに…
あたしの足は、お店の近くで止まってしまった。
しーくん…どうして急に会いたいなんて言ったんだろ…
もしかして…
わざわざ今夜中に会ってまで話したい事があるんじゃ?
それは…結婚か…別れ話…
どっちとも思えるよね…
もしかして、あたし…知らない間に重い女になってるのかな…
しーくんが仕事に打ち込めるように…って、なるべく邪魔しないようにしてたけど…
…どんな顔して会えばいいの…?
「…咲華。」
名前を呼ばれてハッと顔を上げると、しーくんが立ってた。
「ど…」
「そこのミラーに映ってるのが見えた。」
言われて見上げると…カナールの中から見える位置に、カーブミラー。
…いつ気付いたんだろ。
しばらく立ってたの…バレちゃったかな…
「…今日は本当…悪かった…」
しーくんは静かな声でそう言うと、あたしの手を取って。
「少し歩こうか。」
歩き始めた。
「……」
「……」
歩き始めて…数分。
ずっと沈黙が続いた。
あたしは言葉を見付ける事が出来なくて…
少しうつむき加減のまま、ごちゃごちゃと余計な事を考えながら歩いた。
「…何考えてる?」
ふいに顔を覗き込まれて。
「…え…っ?」
しーくんと…目が合った。
「難しい顔してる。」
「……」
何を考えてるのかって聞かれても…
何も答えられない。
だってそれは、言葉に出来ないような事ばかり。
心の中に鬱積してるモヤモヤした物。
とりあえず…
最悪なケースの方を…切り出してみよう。
「…急に会いたいって…どうして?」
「え?」
「もしかして…別れ話なのかな…って…」
勇気を出して問いかけると。
「まさか。」
しーくんは、前髪をかきあげながら笑った。
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