第19話 「咲華さん。」
〇桐生院咲華
「咲華さん。」
何とか…海さんのご家族に挨拶が出来て。
全員からいい顔をされたわけじゃないけど、高くて長い階段を数段上がれた感じは…した。
おじい様が入居されてる施設には二時間ほどいて。
ずっとロビーで待ってくれてた沙都ちゃんと曽根君と一緒に家に帰ったのは、夕方だった。
海さんは、まだ仕事があるからって本部に行って。
あたしは夕飯の支度を…って思ってる所に…
「…泉ちゃん…」
「二人きりで、話しが出来ますか?」
海さんの妹…泉ちゃんがやって来た。
とても…とても、険しい顔付きで。
「…僕達、外で食べて来るから。」
気を利かせてくれた沙都ちゃんが、曽根君の腕を引っ張って外に出て。
「泉ちゃん、顔が怖いよ。笑顔でね。」
泉ちゃんとすれ違いざまにそんな事を言って。
「うるさいっ。」
泉ちゃんに叱られた。
「…どうぞ。」
泉ちゃんをリビングに通してお茶を入れる。
ついでにリズちゃんの離乳食を温めて、ベビーベッドで遊んでるリズちゃんを椅子に座らせて、あたしも泉ちゃんの向かい側に座った。
「食べさせながらでもいい?」
上目使いに問いかけると。
「…いいですよ。」
泉ちゃんは低い声で答えた。
…納得いかないんだよね?
分かるよ。
しーくんと付き合う時…色々話したもんね…
二階堂が変わる時、自分のそばにはしーくんに居て欲しいって、泉ちゃんは言った。
だから、しーくんが現場から無事帰れるよう…あたしに、しーくんの精神面のサポートをして欲しい…って。
あたしは、彼を待つ事は苦なんかじゃなかった。
あたしが闘ってたのは…
「まず…」
「うん。」
「あたしが聖と別れたって話は、今は無関係なので聞かないで下さい。」
あっ。
あわよくば聞き出そうと思わなくもなかったのに。
先に釘を刺されてしまった。
まあ…あたしと海さんが酔っ払って結婚した事に比べれば…
泉ちゃんと聖の別れは、ごく普通と思われるのかもしれない。
…そこに、どんな理由があっても。
「…あたし、志麻とドイツで同じ現場にいました。」
入れたお茶を一口も飲まずに、泉ちゃんが話し始めた。
「志麻…今まで完璧に仕事してたのに、初めてミスして。」
「……」
「咲華さんと別れた、って、その時聞きました。」
リズちゃん、よく食べるなあ。
って言うか…もう離乳食だけにしてもいいのかな。
最近はミルクを飲むより食べる方が楽しそうだし。
もっとレパートリー増やそう。
って…つい、違う事を考えてしまった。
しーくんが仕事でミスをした。
その事実には…正直、胸が痛む。
あたしのせいだと言われたら、そうだよね。って…
ううん…本当に、そうなのかな。
あたしと別れた事で、落ち込んだりミスしたりするのかな…。
「志麻が待たせ過ぎたのは分かります。だけど…どうして酔っ払って結婚する相手が兄貴?志麻と今後も関わってしまう所に、咲華さんの存在を置かなくていいんじゃないですか?」
「本当…泉ちゃんの言ってる事は、ごもっとも…なんだけど…」
「志麻に対する嫌がらせ?」
「……」
つい、泉ちゃんを直視した。
そのせいで、スプーンからマッシュポテトがこぼれて。
「あー。」
リズちゃんが、あたしの顔を見上げた。
「あ、ごめん。ごめんね。はい、あーん。」
嫌がらせ…
そう思われても仕方ないのかな。
そうだよね。
海さん、しーくんとあたしの事を知ってる人からは、色々言われてしまうかもしれない。
ましてや…しーくんのご両親も、二階堂の人だし…
たくさんの人に、嫌な想いをさせてしまう。
それは本当に、申し訳ないって思う。
でも…
「酔っ払ってたから…相手が誰だなんて…本当に記憶がないの。」
あたしの能天気な言葉に、泉ちゃんは露骨に嫌な顔をした。
…海さんの事、大好きなんだなあ…
「…あたしも最初は有り得ないって思ったけど…」
「なら…」
「目が覚めたら、憧れてた夢がそこにあったの。」
「……」
「結婚して、子供が産まれて…って。実際はお酒に酔って偽物を掴んだだけだ…って夢から覚めようとしたけど…」
その夢のような日常が…あまりに心地良くて。
あたしは、それを手放せなくなった。
優しい海さん、可愛いリズちゃん。
幻なのに、現実になった。
二人はあたしの…大事な夫と娘になった。
「海さんもきっと…色んな人に色んな事を言われてしまうんだと思う。だけど、あたし達…約束したの。何があっても離れないって。」
「……」
泉ちゃんは小さく溜息をついて。
「…じゃあ、一つだけ教えて下さい。」
一度うつむいた後、顔を上げてキッとあたしを見据えて言った。
「志麻と別れたのは、本当に…待ち疲れたから?」
「……」
「……」
「…そうよ?もう…限界だったの。」
リズちゃんが完食して。
まだ食べ足りない。って、テーブルを叩く。
「ふふっ。食いしん坊でしょ?この共通点がたまらないの。」
泉ちゃんは…リズちゃんの顔を見ようとしない。
ずっと、あたしの目を見てる。
一度立ち上がってミルクを用意して…それをリズちゃんに飲ませてると。
「志麻は…今も咲華さんを想ってます。」
泉ちゃんは…低い声でそう言った。
〇富樫武彦
「えっ…」
俺は…つい目を見開いてしまった。
「…何でしょう?」
今、日本にいるはずの志麻が…
なぜか、ここ、アメリカの本部に現れた。
頭と姐さんがご家族揃ってのご訪問にも驚いていると言うのに…
「い…いや、志麻…随分痩せたな…」
「…仕事が立て込んでいたので。」
「……」
「未解決事件のファイル、全てデータ化されたそうですね。閲覧していいですか?」
「あ…ああ、いい…」
「では、データ室にしばらくこもります。」
「……」
久しぶりに会う志麻は…
あの、誰もが見てもカッコいい志麻とは思えないほど…
痩せたと言うより、やつれて。
無精ヒゲまで…
「…おい、大丈夫か?足元がふらついてるぞ?」
エレベーターに乗りかけた志麻の腕を掴むと。
「…平気です。数日眠っていないので、その疲れが少し…」
「バカな事を…少し休め。データの閲覧なんて、いつでも出来る。」
「いえ…何かしていたいので。」
「……」
痛々しかった。
あんなに…全てにおいて完璧だった志麻が…
こんなにも、弱々しい姿で現れるなんて…
「それなら、私も付き合おう。」
私は志麻の腕を持ってエレベーターに乗って、データ室に向かった。
そこでコーヒーを淹れて…
私は志麻に問いかける。
「…婚約解消のせいで、こんな事に?」
傷口に塩だ。と思うが…もう咲華さんには新しい人生が始まっている。
志麻にも…現実と向き合ってほしいと思った。
「…みっともないですね。こうなってみないと気付かないなんて。」
志麻は両手を膝に置いたまま、コーヒーの表面に映る照明の明かりを見ていた。
「どれだけ…彼女の存在が大きかったか…俺は…彼女が黙って待ってくれている事に甘え過ぎていました。」
「……」
「本当に…バカです。」
「…何があったんだ?」
「……」
「話してみろ。少しは楽になるかもしれない。」
私の問いかけに、志麻はコーヒーから少し視線を上げて。
「…本当に…私がバカなだけです…」
そう繰り返して…
「あの日…」
ゆっくりと、口を開いた。
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