第18話 「遅くなってごめん。」

 〇朝霧あさぎり わたる


「遅くなってごめん。」


 廊下から海の声がして、部屋の中の空気が少し張り詰めた。

 隣にいる空が、ギュッと俺の手を握る。


 …泉に筋金入りのブラコンだって笑ったが…

 空も相当なもんだ。


 泉が言ったから言わなかっただけで、実際は空も複雑なんだと思う。

 知らない女に、海をとられるのは。



「おお、海。来たか。」


「久しぶり。」


 膝に夕夏を乗せてご満悦な義祖父は、海の顔を見て安心しきったように笑った。

 今日は、ここで全員が揃う事がメインだったはずなのに…

 海の結婚宣言で、少し目的が変わった。


 …海の嫁さんを、紹介してもらう。

 それが…第一目的となった。



「さ、入って。」


 海がそう言って、部屋に連れて入った女性は…


「……………えっ…?」


 義祖父母と夕夏以外、俺を含めた五人はマヌケな声を上げた。


「俺の嫁さん。」


 海がそう言って紹介してくれたのは…


「…咲華です。ご挨拶が遅れてすみません…」


 桐生院家の…長女。



 俺は…歳の離れた兄貴がSHE'S-HE'Sというバンドでドラマーをしていて。

 そのバンドが家族ぐるみで付き合いをするおかげで、色んな家族と懇意にして来た。

 だが、成長と共に会わなくなった面々もいる。

 その中の一人が…

 目の前にいる、桐生院咲華。

 華音と双子で…俺の患者である華月の姉。


 …だが…咲華ちゃんは…



「志麻と別れた途端兄貴とって、どういう事。」


 みんなが思った事を、泉が一歩前に出て…きつい口調で言った。


「泉。」


 空が止めたけど、泉は眉間にしわを寄せたまま。


「だって…志麻、すごく落ち込んでるんだよ?兄貴だって知ってるでしょ?なのにどうして?」


 海と咲華ちゃんの顔を交互に見て言った。


「泉。そんな風に言ったら、海達も説明し辛いだろ。少し黙って話を聞こう。」


 義父さんがそう言うと、泉は険しい顔のまま…何かつぶやきながら義母さんの隣に並んだ。


「…俺達…」


「……」


 全員が固唾を飲んで見守る中…


「酔っ払って結婚した。」


「!?!?!?!?!?!?!?!?」


 海の言葉に、意外にも義父さんが倒れそうになり、義母さんは両手で口を押えて。

 空は目と口を開けたままで、泉は眉間のしわをより深くした。



「海。この事を」


 義母さんが何かを言いかけたが。


「言いたい事は色々あるかもしれないけど、最後まで聞いて欲しい。」


 海が…堂々と言った。


「…海。」


 その時、義父さんが低い声で。


「最後まで…話しを聞こう。だが、咲華さんには席を外してもらいたい。」


 額に手を当てて言った。


「…なぜ。」


「咲華さんに聞かせたくない話も出て来るかもしれないからだ。」


「……」


 海が咲華ちゃんの顔を見ると、咲華ちゃんは少し唇を噛んで…小さく頷いた。


「…後で迎えに行く。」


「…うん。待ってる。」


 二人は小さくそう言って…一瞬だが、指を絡ませて。

 その仕草に、泉がいちいち眉間をひくひくと動かした。




 〇二階堂 海


 親父の提案で咲華が席を外して、しばらくは沈黙が続いた。

 …みんなの言い分は分かる。

 分かるが…

 俺には咲華が必要だ。



「…酔っ払って結婚した経緯を聞こうか。」


 そう言ったのは…祖父だった。


 現役を退いてからは心を病み、身体も壊してこの施設に入っていた祖父。

 それが…昨年、さくらさんがここを訪れて以来、精神面が快復した。


 夕夏にメロメロで話など聞いてないと思ったが…

 …さすがだ。



「…二階堂の仕事に誇りを持っている。」


 俺は…静かに話し始める。


「だけど…俺は一般人を死なせてしまった。その事実がずっと頭の隅から離れなくて。」


 あの日の俺の指示は間違っていたんじゃないのか…と。

 もっと出来る事があったはずではないのか…と。


「今更何を思っても変えられない事実を、俺は…受け止めたかのように思えたが、受け入れる事は出来ずにいた。」


「海…」


 母さんが、切なそうに目を閉じた。


「…みんなの前では弱音は吐けない。常に…神経を張り詰めさせていた。そんな時、立ち寄ったバーで咲華に会った。」


 ボンヤリと甦る記憶の中で。

 咲華は…笑って乾杯をして。

 最後には…泣いていたような気がする。


 なぜ泣いていたのか。

 その記憶は戻るかどうか分からない。

 ただ…

 志麻との別れで泣いていたのは…確かだと思う。



「…朝起きると一緒にいた。俺の中では異常事態だった。何しろ…記憶のない間に結婚指輪まではめてたからな。」


 苦笑いしながら、指輪に触れる。


 …あの朝は、本当…

 頭の中が真っ白になった。

 あの瞬間は途方に暮れたが…今は、ただ笑える。



「どうするのが最善かと悩んだが…同居生活を始めて…とてつもなく癒されている自分に気が付いた。」


 それは…部屋に飾られた花に。

 気持ちのいいほどの食べっぷりに。

 コロコロと転がるような笑い声に。

 リズをあやす…優しい手に。


 気が付いたら…咲華から目が離せなかった。

 …愛しいと思った。



「彼女は…志麻の婚約者だった。部下の元婚約者と酔った弾みで結婚するなんて…有り得ないと思う。だが…」


「…志麻、彼女の事ほったらかしてたものね…幸せにしたくなった?」


 空がそう言ったが。


「違う。俺が…幸せになりたいって思ったんだ。」


 俺は、みんなを見渡してキッパリと言った。


「幸せになりたい。そう思った時、咲華にはずっとそばにいて欲しいと思ったんだ。」


 それまでずっと黙って話を聞いていてくれた親父が、組んでいた腕をゆっくりと外して。


「向こうのご両親には?」


 低い声で言った。


「まだ。」


「なぜ。」


「お互いの気持ちの確認のためと言うのもあった。俺は俺で…幸せになりたい反面、事実に背をそむけていいのか、幸せになる資格があるのか葛藤してたし…彼女自身も志麻との別れからそう時間が経ってないから。」


「…それで、これからどうするつもりだ?」


「来週には帰国して、うちにも桐生院家にも報告するつもりだった。」


 俺の言葉に、親父は小さく溜息をついて。


「簡単には祝福されないかもしれないぞ?」


 首を傾げた。


「それは覚悟してる。でも、俺の全てを懸けて咲華を幸せにしたいし…俺もそこで一緒に悩んだり笑ったりしたいんだ。」


 部屋の中、誰も何も言わなくなった。


 空と泉は眉間にしわを寄せてるし、親父も腕組みをし直して無言。

 母さんはそんな親父の腕に寄り添ったが、笑顔ではない。

 祖父母は夕夏を見つめたまま…何も言わない。



「まあ…確かにな。酔っ払った勢いで結婚した。気持ちはない。なんて事だったら、神さんからは一発殴られるだけじゃ済まなそうだ。」


 そう言ったのは…わっちゃんだった。


「今は、お互いちゃんと想い合ってるんだろ?」


「ああ。」


「それでも神さんはおまえを目の敵にするぞ?」


「…咲華が守ってくれるらしい。」


 小さく笑う。


「殴らせない。自分だって俺を守りたいって言ってくれた。」


「……」


「潔く殴られる覚悟はしてるけどね。」


 それから俺は…すぅ…と息を吸って。


「それと…もう一つ報告がある。」


 部屋を見渡した。


「まさか…もう妊娠してるとかって言うんじゃないでしょうね。」


 さっきは泉に責め立てられたが…

 今度は空が厳しい口調で言った。


「親父。ドイツでテロリストの幹部夫婦が自分の子供を刺そうとした事件…覚えてるか?」


「ああ。志麻が射殺した。」


「…その時の子供を、引き取った。」


「……」


「……」


「名前はリズ。今、七ヶ月だ。」


「……」


「……」


「……」


 みんなは大きく目を見開いて、何度も瞬きをした。

 責められるのは覚悟の上だ。

 何でも来い。

 そう思ってると…


「ふふっ…海ったら、今までの反動かしらね。みんなが驚くような事をして。」


 そう言って笑ったのは…祖母だった。


「桐生院と言ったら…さくらの孫か。おとなしそうに見えたが、芯は強いだろう。」


 今度は祖父がそう言って笑う。


「…ああ。たくましいよ。」


 俺が少しだけ笑うと。


「海。咲華ちゃんと…リズちゃんに会わせて。」


 母さんが…優しく言ってくれた。


「母さん。」


 泉は嫌そうな顔をしたが。


「海がここまで言うんだ。それに気持ちは固まってる。もう、反対も何もないだろ。」


 そんな泉の頭をガシッと鷲掴みにした親父が。


「迎えに行って来い。」


 首を傾げて言ってくれた。


「…少し待ってて。」


 両親と祖父母に感謝しながら、廊下に出る。

 わっちゃんはともかく…空と泉はきっとすぐにはいい顔をしてくれない。

 それは想定内。

 だが、きっと大丈夫。



「あっ、お迎えが来たよ。」


 一階のロビーに降りると、同行してくれていた沙都とトシが咲華とリズに声をかけた。


「平気か?」


 咲華の腰に手を回して言うと。


「何てことない。海さんが隣に居てくれるから。」


 …本当に、頼もしい。


「行ってくる。」


 沙都とトシにそう言うと。


「頑張って。」


 二人はガッツポーズをしてから手を振った。


 帰国したら…水族館に行こう。

 沙都とトシも一緒に。




 〇朝霧あさぎり そら


「わあ!!あかちゃ~!!」


 兄貴が連れて来た『リズ』ちゃんに…


「まあ…お人形さんみたいだこと…」


 おばあちゃんと夕夏がすぐに反応した。


 確かに…確かに…

 めちゃくちゃ可愛い!!


 だけど…だけどね?

 子育てって大変なのよ?

 なのに、酔っ払って結婚して酔っ払って養女に迎えるって…

 この子が可哀想なんじゃないの?


 しかも…

 志麻が射殺したテロリストの子供って…

 咲華ちゃんと志麻って、どこかで縁があるんじゃ?って思わされてしまうんだけど。

 それって、あたしだけ?



「…空、見てみろよ。」


 わっちゃんが耳元で言った。

 何を?と思ったけど…


「まあ、夕夏。お姉ちゃんになったみたいね?」


 お祖母ちゃんにそう言われて。


「……」


 ニコニコなリズちゃんを抱っこ…って言うより、並んで座ってる夕夏は…


「パパ~、ママ~、みて~。」


 ちょ…超可愛い笑顔ー!!(親バカ丸出し)


「全然人見知りしないの?」


 母さんがそこに割り込んで、リズちゃんの手を取る。


「今の所は…誰にでもこんな感じです。」


「でも風呂は咲華じゃないと愚図るよな。」


「寝かし付けるのは海さんの方が。」


「ふふ。よく笑う子ね。いい笑顔だわ。夕夏、リズちゃんっていうんだって。仲良くしてあげてね?」


「うん!!ゆうか、りっちゃんとなかよくしゅるよ~!!」


 可愛い…可愛いんだけど、どうしても心から笑顔で祝福出来ないでいるあたしの隣で。


「夕夏~こっち向いていい顔~。」


 わっちゃんはスマホを向けて、写真を撮ってる。



 …実は…わっちゃんから、二人目をどうかと言われてる。

 わっちゃんは40歳。

 出来るだけ早い内に、もう一人…って。

 だけど単身赴任でアメリカに来てるから、あたしと夕夏もこっちに来ないか…って。


 …悩んでる。

 二人目は欲しいし…わっちゃんとも離れて居たくないけど…

 わっちゃんは、あたしが仕事をするのを良く思ってない。

 だけど、あたしは仕事をしたい。


 現場に出るのは控えて欲しいって言われたから、それは守ってる。

 でも…本音は現場に出たい気持ちが溢れかえってる。

 ドイツの現場にも行きまくってる泉が羨ましい。


 夕夏の事を考えても、現場を控えて欲しい気持ちは分かる。

 だけど…


 色んな気持ちが入り乱れて、踏ん切りがつかない。

 何をどうすれば、みんなが幸せになれるかなんて…綺麗ごとだと思う。

 誰かの幸せにためには、誰かの犠牲はつきもの。

 …そう考えてしまうあたしは…

 妻にも母親にも向いていなかったんじゃないか…って。


 今、目の前で繰り広げられてる、幸せに溢れた兄貴と咲華ちゃんに…

 胸が痛くなった。

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