第4話 すごく…自然に、海さんがリズちゃんにあたしの事を『ママ』って言って…

 〇桐生院咲華


 すごく…自然に、海さんがリズちゃんにあたしの事を『ママ』って言って…

 …あたし、それ聞いて…赤くなった。

 あたしだってさっき、海さんの事…パパって言ったのに。

 いざ言われちゃうと…照れてしまった。


 …ママなんて…


「……」


 小さく溜息をついた。


 あたしは…しーくんとの間に、いつ子供が出来てもいいように…子作りや子育てについて、色々勉強もしたし…学んだ。

 そんな予定もないのに、教室に通ったり。

 …バカだよね。

 子供が出来るような事すら…そんなにしてなかったって言うのに。


 さっき、海さんから『赤ん坊の扱いに慣れてますね』って聞かれた時…

 言えなかった。

 子育て教室に通ってた…なんて。



 散らかった服をクローゼットに入れる。

 …おばあちゃまがここで暮らしてた事があるって聞いて、もう…ここに住みたい気持ちになった。

 リズちゃんの事…放っておけないし…


 でも…酔っ払って結婚して子供を引き取った…なんて…

 …家族に言えない。


 ……酔っ払って結婚したんじゃなければ…?


 …でも、海さんは…しーくんの上司。

 色々…周りから何かを言われてしまうかもしれない…

 重要なポストにいる人に…そんなストレス、与えていいわけがないよ…


 かと言って…

 リズちゃんをあたしが引き取って一人で育てるっていうのも…


 …日本に連れて帰れば…どうにかなっちゃうかな…

 母さん、やたらと孫を欲しがってるみたいだって噂に聞いた。

 あたしと華月には結婚のプレッシャーになると思って言わないのかもしれないけど、華音には相手はいないのかってしつこく言ってるみたいだし…


 …だけど。

 父さん…怒るよね。

 そりゃそうよね。

 旅に出るのも反対されたのに、赤ちゃん連れて帰ったりしたら…


 う…うーん…


 あたしがクローゼットの前で悶々と考え事をしてると。


「あーん!!」


 階下からリズちゃんの泣き声が聞こえて、あたしは慌てて階段を駆け下りた。


「どっ…どうしたの?」


 海さんに抱かれて大泣きしてるリズちゃんの顔を覗き込むと。


「いや…ちょっと座らせてたら、バランス崩して額を打って…」


 海さんは苦笑い。


「あー…痛かったね。どこ打ったの?」


「この辺りかと。」


「あ、ほんとだ…少し赤くなっ…」


 あたしと海さん。

 リズちゃんの額を覗き込もうと、頬を寄せ合い過ぎてしまって…

 顔を上げた瞬間、あたしの唇が海さんの頬に…


「……」


「……」


 …やだな。

 変に意識しちゃう…



「…明日からの事なんですが。」


 少し泣き止んだリズちゃんを抱っこしたまま、海さんが言った。


「な…何でしょう…」


「とりあえず、俺は仕事に行かなくてはならないので…リズと家に居てもらっていいですか?」


「あ…はい…」


 そうだ。

 まずは明日…


「それと…簡単に結婚を無効に出来る状態ではないようなので…少し考えましょう。」


「…そうですね…」


「ここには…他に二人住んでますが、今は不在です。」


「…あ。」


 そうだ。

 沙都ちゃんと…曽根君。

 あ~…何となくだけど、よりによって…って感じの二人だ…


 沙都ちゃんは、ずっと紅美ちゃんにベッタリだった子だし…

 曽根君は…華音のあれこれを週刊誌にリークした時から、あたしの中では敵。

 いくら華音が許しても。

 あたしは許したくない!!



「二人はいつここに?」


 玄関脇にある大きなカレンダーを見て言うと。


「今月いっぱいはツアー中です。」


 確かに…ずっと赤い線が引いてある。


「…ちなみに…ここに二階堂の人が来る事って…」


 念のため、確認してみる。

 もう…関係ないけど…

 出来れば、会いたくは…ない。


「…たまに部下が来ることはありますが、志麻が来る事はないかと。」


「…そうですか。」


「……」


「……」


 つい…二人とも黙ってしまうと、海さんの腕にいるリズちゃんが、あたしに両手を差し出した。


「何だ。ママがいいのか。」


 さらっと言ってしまう海さん。


「ふふっ。パパフラれた。」


 あたしはそう言ってリズちゃんを抱っこしながら…


 本当に…

 この人と夫婦になれたら…って。

 とんでもない夢を見始めてしまった。




 〇二階堂 海


 午後から、桐生院咲華が書いてくれたリストを手にして、一人で買い物に行った。

 まるで出産経験があるのかと聞きたいぐらい…子供に詳しい。


 俺が買い物から帰った頃には、リズは昼寝をしていて。

 桐生院咲華はここぞとばかりに冷蔵庫にある物で料理をして、それを冷凍庫にストックしていた。



「あ、おかえりなさい。」


 キッチンで振り返ってそう言われて。


「…ただいま。」


 少し…照れた。


 朝子と暮らしていた時に、こういうシチュエーションはあったものの…

 あの時はお互いが暗い気持ちだったし…

 何より…

 傍らに赤ん坊も寝ていなかった。


 俺は一生結婚しないし、子供ももたない。

 そう決めたはずなのに…

 バスケットに眠るリズ。

 キッチンから聞こえる、生活の音。

 それが…とてつもなく心地良く思えた。


 だが、これはホンモノじゃない。

 俺と彼女は、酔っ払った勢いで結婚したんだ。

 そしてリズの事も…


 …しかし、そのどれもを解消するのはとても困難で。

 この先、どう解決するのが良案かを捻り出そうとした。


 だが…

 その良案は、どう考えても…

 俺と彼女が潔く夫婦になってリズを育てる…という事だ。

 第一に、リズの事を考えたい。

 果たして、リズのために…部下の元婚約者と夫婦になれるほどの神経の太さが俺にあるだろうか。



 リズは俺が帰って来て20分ほどで起きた。

 そして桐生院咲華が用意した離乳食をたらふく食べ、満面の笑みを見せて俺達をも笑顔にさせた。


 夜は買って来たタライに湯を張って、二人でリズを洗った。

 まさに…共同作業だ。

 晩飯も…ホッとするような和食を、桐生院咲華は気持ちのいい食いっぷりで俺を感心させた。

 それぞれシャワーを済ませて、後は寝るだけ…



「リズは…どうしますか?」


「あたしの部屋で一緒に寝ます。」


「じゃあ、何か不都合があったら起こして下さい。」


「分かりました。おやすみなさい。」


「おやすみなさい。」


 そう言って、部屋に入ると…


『あーん!!』


 早速…リズの泣き声が聞こえて来た。


『どうしたのー?』


『あーん!!』


 火がついたように泣きじゃくるリズ。

 これはさすがに…と思って。


「大丈夫ですか?」


 ドアをノックすると。


「あ…ごめんなさい。眠れないですよね…」


 ドアを開けた桐生院咲華の腕に抱かれたリズが…


「うー。」


 俺に手を差し出した。


「ん?俺と寝るか?」


 リズを抱えながら問いかける。


「でも…夜中に起きちゃうかもしれない…」


「いいですよ。睡眠不足はしょっちゅうですから。」


「…何か不都合があったら、呼んでください。」


「分かりました。じゃ。」


「おやすみなさい。」


 パタン。


「あーん!!」


「お…おいおい…」


 結局…リズは…

 三人で眠りたい…と。


「…どうしましょう…」


「…とりあえず…今夜は挟んで寝る事にしましょうか…」


 ベッドを動かすのは大変だと思い、マットレスを並べて置いた。

 沙都の部屋からも布団を拝借して、リズのために少し豪華なベッドメイクとなった。


「海さん、狭くないですか?」


「俺は全然。咲華さんこそ。」


 初めて…名前を呼んだ。


「…大丈夫です…」


 俺達の間で…リズは泣きもせず、すやすやと眠る。

 その寝顔を見つめた咲華さんは。


「…本当に…天使みたい…」


 つぶやいて…小さく欠伸をした。




 〇桐生院咲華


 パッ。


「はっ…」


 あたしが目を開けると、そこには海さんもリズちゃんもいなかった。


 えーっ!?

 あたし、寝坊しちゃった!?


 慌てて階段を駆け下りると。


「ああ…おはよう。」


「お…おはようございます…」


 海さんはすでにスーツ…

 …二階堂の人だ…って思った。


「す…すみません。あたし、ぐっすり眠っちゃって…」


 海さん、リズちゃんにミルクを飲ませながら…自分もトースト食べてる。

 …何だか、手慣れてるなあ…


「昨日は色々あったし疲れてるんでしょう。ぐっすり眠れたのなら良かった。」


「夜中に起きたり…?」


「いいえ、リズもいい子に朝まで寝てましたよ。」


「すごい…」


 海さん、朝からピシッとして…すごいな。

 まだ自分がスウェット姿で寝起きの顔のままな事に気付いて、慌てて洗面所に向かう。

 歯磨きをしてバシャバシャと顔を洗って、髪の毛をまとめて…ああ…着替えは上だ…

 なんて悩んでると。


「帰る頃に連絡した方がいいですか?」


 海さんが、鏡越しに言った。


「はっ…」


 タオルを持ったまま振り返ると、海さんはクスクス笑いながら。


「失礼…声をかけたんだけど、必死で顔洗ってたから…」


 ああああああ!!

 恥ずかしい!!


「ぜ…是非連絡して下さい……ふふっ…」


「?」


「タオル…」


「…ああ…」


 リズちゃんにミルクを飲ませるためにつけてたんだろうけど…

 スーツなのに、首元からタオルを下げたままの海さんに笑ってしまった。

 海さんもその自分の姿を鏡に映して見て。


「このまま出かける所だった。」


 って笑った。



「今日、出来れば少し散歩に行きたいです。」


 リズちゃんを抱っこして、海さんを見送りに玄関まで出て言うと。


「それなら後で近所に何があるかデータを送りましょう…あ、スマホは?」


「あ。えーと…」


 昨日の朝見たまま…放置してた。

 あたしはソファーの脇に置いたままにしてたスマホを、海さんに渡す。


「連絡先の交換もまだでしたね。」


 海さんはそう言いながら手早くスマホを操作して。


「番号、入れておきました。メアドも。」


「あ…ありがとうございます。」


 …以前、真島君に携帯を操作してGPS機能フル活用されちゃったっけ…なんて思い出して、ちょっとブルーになりかけた。


「……」


 ふいに、海さんが無言で自分のスマホを見てる事に気付いて覗き込むと。


「…そ…それは仕事に向いてないかも…」


 あたしとの…ツーショット…


「…指輪をしてる時点で、誰かに何か聞かれますね。」


 あたし達は…結局、指輪をしたまま。

 何だか…外しにくくて…


「…お仕事には外して行った方が…」


 あたしがそう言うと、海さんは少しの無言の後指輪を外して。


「…持ってて下さい。」


 あたしに渡した。

 そして…


「リズ、いい顔して。」


 海さんはリズちゃんにスマホを向けて…写真を撮った。

 続けて…


「どうせなら、三人で。」


 自撮りモードにして、あたしの隣に立った。


「えっ、あたしお化粧もしてないのに…」


「大丈夫。笑って。」


「……」


 何だか…朝から平和で…笑えた。

 リズちゃんがなかなかカメラ目線にならなくて…つい玄関先ではしゃいでると。


「買い物するなら、これで。」


 不意に、海さんがお財布からカードを差し出した。


「えっ、い…いいです。あたし…」


 カジノで儲けたし…!!


「遠慮なく使って下さい。必要な物を好きなだけ。ただ、車や家を買う時は相談して下さい。」


 …何だか、そう言った海さんの表情が…すごく優しくて。

 あたしはカードを受け取ると。


「遅刻するんじゃ…?」


 海さんを見上げて言った。


「間違いない…」


「いってらっしゃい。」


 リズちゃんの手を持って、一緒に振る。


「…行って来ます。」


 こうしてると…本当に夢の世界みたいで。

 あたしには…夫と子供がいて…って。

 …錯覚してしまいそうだ。


 これは…



 夢なのに…。

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