第3話 『ええ、昨夜遅くにお二人で手続に来られましたけど。』
〇二階堂 海
『ええ、昨夜遅くにお二人で手続に来られましたけど。』
本当にリズを養女にしたのか、施設に問い合わせた。
その施設は、二階堂関連の事件で孤児になったり両親と一緒にいられなくなった子供達の施設で。
里親や養親となる者が二階堂の人間なら、面接やまわりくどい手続きは一切スルーされる。
その分、親と子供の相性の見極めや、今後の展開を見抜ける指導員がいて。
親に見合った子供を連れて来る。
だが…
酔っ払って施設に行って養女を迎えるなんて…
不謹慎もいい所だ。
「その…私達はその時、とても…」
『ええ、とても酔っ払っていらっしゃいました。』
「それなのに、手続きしたのですか?」
『マリア様のお告げがありましたから。』
「……」
おい。
夢でも見たんじゃないか?
『それに身元は申し分ありませんし、何よりリズが一目で奥様に懐いてしまったので。』
…奥様って。
『何かリズに問題でも?』
「いえ、とてもいい子です。よくミルクも飲むし…あまり愚図らない。」
『そうですね。あの子は本当…天使のような子ですよ。どうか幸せにしてやって下さい。』
「…はい。」
今俺は…「はい」と言った。
言ってしまった。
どうなんだ。
どうするつもりなんだ。
酔っ払った勢いで結婚して、養女まで…
しかもリズだぞ。
両親はドイツを拠点とするテロリストの幹部で。
…志麻が射殺した。
自分の娘を人質にとって、捜査員たちの前で刺そうとしたらしい。
俺はその話を聞いて…紅美を思い出した。
生後二ヶ月で実の父親に刺された紅美。
奇しくも俺は…
紅美に似た境遇の子を養女に…
「……」
窓から家の中に目をやる。
桐生院咲華はリズをソファーに座らせて、両手を持って遊んでいる。
…二人とも、笑顔だ。
そもそも…桐生院咲華と志麻は、どうして別れたんだ?
付き合い始めてから婚約までの仲睦まじい二人の噂は、どこそこから耳に入って来ていたが…
…確かに、婚約して二年以上。
志麻は彼女を待たせ過ぎたのかもしれない。
別れた理由は聞いてないが…
周りから見れば、それしか浮かばない。
だが、彼女はそういう事は苦にならないタイプに思える。
さっきも答えない無言の俺に、無言で待ち続けたし…
この状況を慌ててどうこうしようという気はなさそうだ。
…むしろ、慌ててるのは俺だ。
部下の婚約者と…
…元、ではあるとしても…
とりあえず家の中に入ると、二人は揃って俺を見た。
「……」
その表情を可愛いと思った俺が少し笑顔になると、リズが満面の笑みになった。
「あっ、海さん、笑われてる。」
「…笑われてるって言うのは、ニュアンスが違うんじゃ?」
桐生院咲華の隣に腰下ろして、正面からリズを見る。
クルクルと巻いた金髪。
空色に近い青い瞳。
そのリズが突然、俺に両手を差し出した。
「…抱っこしてって。」
桐生院咲華が恨めしそうな顔をする。
「…妬いてるんですか?」
「だって、あたしにはしないのに。」
「施設の話だと、この子が君に懐いたから酔っ払いでも許可したそうです。」
リズを抱えながら言うと。
「その施設、大丈夫かしら…」
桐生院咲華は目を細めてそう言った後。
「海さん、あたしお腹すいたから、何か作っていいですか?」
ゆっくり立ち上がって、キッチンを指差した。
桐生院咲華は冷蔵庫とラックにある物を駆使して、懐かしいような味の料理を作って俺の前にも並べた。
「さくらさんの味だ。」
味噌汁を飲んで言うと。
「…おばあちゃまのお味噌汁、飲んだんですか?」
丸い目で見られてしまった。
「俺が華音とシェアハウスしてたのは知ってますか?」
「ええ…何となく聞きました。」
「さくらさんが昔、ここに住んでた話も?」
「えっ?おばあちゃまが?」
桐生院咲華は膝にリズを乗せたまま、キョロキョロと部屋を見渡して。
テレビのサイドボードに並べている写真の中から、華音と紅美の写真を見付けた。
「あれ…最新の写真ですね。」
「よく分かりますね。」
「あたしが撮ったから…」
「…なるほど。」
目覚めた時の動揺やぎこちなさはどこへやら…
なかなか…桐生院咲華はテンポよく言葉を返してくれるし。
「あ…ありがとう。」
飲み物を注ぎ足したり。
「ドレッシングの好みはありますか?」
華音なんて、勝手にぶちまけてたけど…
「酸味が強いのが苦手なら、こっちの方がいいかも。」
色々…気が利く。
「料理得意なんですね。」
「華音ほどじゃないですけど。」
まあ…ある物で作ったからだろうが、華音ほど凝った物ではない…けど…
「これだけ出来れば十分でしょう。」
本当に。
短時間でこれだけテーブルに並べられる腕を持っていれば、いつでも嫁に…
…いや…
「あたし、食べるのが好きなんです。だから外で美味しい物を食べると家でも作れないかなって。」
そう言った桐生院咲華の箸は…確かに休むことを知らないようだ。
気持ちいいほど、皿を綺麗に片付けていく。
「なるほど…そう言えば、『あずき』は君のお気に入りだって聞きました。」
「えっ、『あずき』に行かれたんですか?」
「ええ。美味かったです。」
「でしょう?あそこ、衣に一工夫してあって、サクサク感が半端じゃないんですよね。それに素材の味を生かしたいからって、おつゆも薄味の上品な味だし。」
「……」
「おまけに天丼で使われてるエビなんて、赤字覚悟の一級品ですよ。身がプリプリしてて歯ごたえ良くて…たまんないですよね。」
…料理上手な女性は周りに多くいるが…
ここまで素材や味に関して語られた事がない俺は、少し面食らったし…
「会社の帰りに、ついつい大盛り食べたさに一人で行っちゃってました。」
…大盛りを食べるのか。
「ううん…やっぱり天丼の並みと親子丼の並みの組み合わせを…なんて考えてるうちに、お店に着いちゃって。暖簾くぐると、あのいい匂い…あ~どれにしよう!!って結局またメニューとにらめっ…こ………って…す…すみません…あたし、何だか熱く語っちゃって…」
やっと自分の食いしん坊披露ぶりに気付いた彼女の顔がおかしくて。
「ははっ…あははははは!!」
…俺は、しばらく笑ってしまった。
〇桐生院咲華
「あははははははははははははははは!!」
「……」
あたしは…海さんに笑い続けられている。
え…ええと…
どうして?
どうして…こんなに笑うの?
膝にいるリズちゃんを見下ろすと、笑う海さんを見て…笑顔になってる。
…ああ、天使だ…
そう思うと、あたしも笑顔になった。
「リズちゃん、おもしろいね。パパ、ずっと笑ってるね。」
リズちゃんの頬をツンとして言うと、リズちゃんはあたしを見上げて。
「ひゃはっ。」
…ああー!!
可愛い~!!
リズちゃんの可愛らしさに悶絶してるあたしとは裏腹に…
さっきまで大笑いしてた海さんが固まってる。
「…何か?」
首を傾げて問いかけると。
「…いえ…」
歯切れの悪い海さん。
「そういうの、気になりますけど。」
あたしがハッキリ言うと。
「…いや…パパと言われてしまったなと思って…あ、別に嫌なわけではなくて…」
「……」
パパ、ずっと笑ってるね。
…あたし…
すごくサラッと言ってしまった。
ま…まあ…リズちゃんから見たら…
海さんはパパで…あたしはママ…だから…
間違いでは…ないよ。
うん。
…て言うか…
あたしと海さん…
確か…
や…やっちゃった…んだよ…ね?
何も覚えてはいないけど…起きたら二人とも…全裸だったし…
あたし、海さんに抱きしめられて寝てたし…
…でも。
全然覚えてないから、何ともないや。
とは思うけど…
…ム…ムービー…
あの証拠…
それもだけど、これからどうすればいいんだろう。
あたし達はどうにでもなるけど…
リズちゃんの事、無責任に『酔っ払って養女にしてしまったので…』なんて、返すわけにはいかない。
…しーくんが…助けた命…
「滞在期間は?」
真剣な声に顔を上げる。
…滞在期間…?
「えーと…何も決めてません…」
「ホテルも取ってなかったんですか?」
「あー…はい…」
どうにかなるかな?なんて…すごく危ないけど…
もう、どうにでもなれって気持ちではあった。
…とにかく…
逃げ出したかった。
「荷物は…」
「キャリーケースとショルダーバッグだけです。」
「…ここには見当たらないようですが…」
「はっ。」
そう言われて、やっと我に戻った。
今の所、あたしが目にした自分の持ち物はスマホだけだ。
リズちゃんを抱っこしたままソファーの後を見渡したけど、ない。
「財布やパスポートは?」
「…全部ショルダーバッグの中です…」
「……」
海さんは玄関に立って少しキョロキョロとリビングや階段を見渡して。
「…二階にも上がったようです。」
階段の途中に…あたしの靴を見付けて言った。
〇二階堂 海
キャリーケースとショルダーバッグを探しに、二階に上がった。
全く記憶はないが、どうも…俺達は二階にも上がったようだ。
階段の途中では桐生院咲華の靴が。
そして、階段を上がり切った所に…俺の靴が脱ぎ捨ててあった。
…頭を抱えたい心境だ。
俺の部屋は何も変わっていなかった。
沙都とトシが一応自室としている部屋があるが、そこも特に変化はなかった。
となると…
奥の部屋か?
ゆっくりとドアノブを回す。
何となく…うっすらと、ここを開ける動作を思い出した気がした。
昨夜…俺はこの部屋に…
「…えっ…!?」
俺の背後で、リズを抱えたままの桐生院咲華が声を上げた。
「……」
俺は小さく溜息をついて、額に手を当てた。
キャリーケースとショルダーバッグはあった。
あったが…中身をぶちまけていて…
ベッドは…かなり乱れている。
そして…
「…日本から持って?」
「まっままままさか!!」
ベッドの上に、大量のコンドーム。
桐生院咲華は片手でリズを抱いたまま、バサバサとそれをベッドの上からかき集めると。
キョロキョロして…落ちていた箱に詰め込んで蓋をした。
…こんな時に、あれだが…
俺達、ちゃんと避妊したんだろうか。
この大量のコンドームを見る限り…避妊しようとした形跡はあるわけだが…
使ったかどうかを確かめるのが怖い。
さりげなく視線だけで、空き袋はないか。
さらには使用済みの物を投げ捨ててはいないだろうか…など、少し冷や汗もので探した。
「…ひ…避妊…ちゃんと…したんでしょうか…」
俺が気になっていた事を、桐生院咲華も言った。
「…箱に入れた数を確認するとか…」
「……」
俺の言葉に、桐生院咲華は…またもや片手でリズを抱えたまま、空いた方の手でコンドームの数を数えはじめた。
「…赤ん坊の扱いに慣れてますね。」
本当に。
少し乱暴にも思えるが、ミルクの与え方もそうだし…自分が食事する間膝に座らせていたり…
今も片手で上手く抱えたまま、片手は…
「………一つ使われたようです。」
俺の問いかけは聞こえなかったのか、コンドームの数を数えて少しホッとしたように思えた。
お互い覚えていないせいか、どこか他人事だ。
…証拠はムービーに残ってるようだが…。
「…ここで使ったとしたら…リビングは?」
別に意地悪で言ったわけではないが。
「はっ…」
桐生院咲華は目を見開いて。
「そ…そういう事なんですか…?ここでも、下でもって事なんですか…?」
眉間にしわを寄せて俺を見た。
「…いや…悪いけど、覚えてないから何とも…」
「あ…あたし達…」
「……」
「その…」
「……」
「リズちゃん連れて、あちこちで…って事…ですよね…」
桐生院咲華は額に手をあてて。
「もう…何てこと…」
と、小さくつぶやいた。
「…どうでもいいわけではないですが、過ぎた事より今後の事を考えましょう。」
そう言ってリズを受け取って。
「とりあえず…クローゼット使ってください。」
床にぶちまけられた服を見て言う。
「あ……はい…」
「下に降りてます。」
部屋を出ようとすると。
「あー。」
リズが、桐生院咲華に手を伸ばした。
「ママは忙しいから、また後で。」
そう言ってリズの頬に触れると、リズはくすぐったそうに笑った。
「……」
振り返ると、桐生院咲華が赤くなっている。
「…何か?」
「……」
「……」
「……」
今…俺は…
さらっと、桐生院咲華を『ママ』とリズに言ってしまったな…。
…間違いではないが…
この事を、志麻が知ったら…
志麻は、彼女を奪いに来るだろうか。
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