第5話 「ボス、もっとお休みになられても良かったのでは。」

 〇二階堂 海


「ボス、もっとお休みになられても良かったのでは。」


 本部についてすぐ、富樫がそう言った。


「俺が仕事に出ると邪魔なのか?」


「いっいえ!!そうではありませんが…昨日、随分お疲れの様子だったので…」


 ああ…そうか。

 富樫から何度も連絡があったのに。

 俺は酔いつぶれて…咲華さんと…


「もう平気だ。しっかり休んだ。」


 そうだ。

 色々驚いたし…実際今も困ってはいるが…

 癒されたし、パワーにもなっている。


 …咲華さんとの間に愛はないが、俺は彼女に好意は抱いている。



「……」


 部屋に入って、パソコンを開いた。

 今、志麻は…日本か。

 二人の間に、いったい何があったのだろう…

 なかなか…それについては、突っ込んで聞く勇気がない。


 知ってもどうにもならない。

 俺は…彼女と結婚してしまった。


 …本当なら、こんな結婚は無効にすべきだと思う。

 周りからどう思われようと、酒を飲んでの大失態だ。

 それ以外の何ものでもない。


 だが…

 リズが絡んでしまった事。

 そして…彼女が志麻と別れたという事。

 さらには…

 俺が意外にも…彼女といる事に癒されているという事。


 それらが、無効への道を妨げている。


 …あれだけ一生結婚も子供も諦めると思ったはずなのに…

 俺の意思がこんなに脆いなんて。



 一昨日の現場の書類を書こうとすると、すでに富樫が片付けてくれていたようで。

 俺はそれに目を通すだけで済んだ。

 富樫には感謝だ。

 次の現場も…俺が出て行くほどではないようで。

 昔の未解決事件のデータを集めるよう、富樫に指示した。



「……あ。」


 そう言えば、近所のデータを送ると言ったんだ。と思い出して、スマホを手にする。

 そこに出て来る俺と咲華さんのツーショットに苦笑いをし…

 写真のフォルダを開いた。


 今朝の…三人での自撮り。

 あんな事、生まれて初めてだ。

 リズがあまりにも可愛かったのと…

 リズを抱っこした咲華さんも…本当に可愛らしいと思って…


「……」


 俺はしばらくその画像を眺めて…その前に撮った咲華さんとリズのツーショットを待ち受けに設定した。

 二人の笑顔が…本当に美しいと思ったからだ。


「あ…データデータ…」


 スマホで簡単に近所にある小さな雑貨屋や花屋、モールやレストランや公園を書きだして地図に貼る。


『散歩に行くならベビーカーがあった方がいいですね。モールに電話して配達してもらうので、しばらくお待ちください。』


 地図にそうメッセージを添えて送信した。

 それからモールに電話をして、ベビー用品を扱っているショップにベビーカーの配達を依頼した。



 その電話を切ってすぐ。


『ボス。いいですか?』


 ドアをノックされて、富樫の声がした。


「ああ。」


 富樫はドアを開けて一礼すると。


「未解決事件のデータですが、まだデータ化されていないファイルが倉庫に…」


 大きな体をすぼめるようにして言った。


「ちょうど少し暇だから、今の内にデータ化しておこう。どれぐらいある?台車で運べる量か?」


「笑ってしまうぐらいの量ありました。」


「……」


 覚悟を決めて、富樫と二人で地下の倉庫から台車でファイルを運ぶ事にした。

 倉庫に行くと…なるほど。

 笑える量のファイルだ。


「どうして今まで手を付けてなかったんだろうな。」


 俺が腰に手を当てて言うと。


「忙しかったので、未解決事件を洗い直す事が出来なかったらしいです。」


 富樫はもっともらしい返事をした。


「ま、誰かがやらなきゃならない事だ…やっておこう。」


「ボスがですか?」


「みんな現場だろ?」


「そうですが…私がやっておきます。」


「富樫だってずっとデスクにいるわけじゃないだろ。俺は今なら比較的暇だ。今のうちにやってしまおう。」


「…すみません。ボスにこんな事を…」


「事件をおさらい出来ると思えば。」


 二人で台車を駆使して、地下から俺の部屋まで五往復して…

 俺の部屋がファイルでいっぱいになりかけても、倉庫は空にはならなかった。

 富樫のデスク周りにもかなり運んだというのに…未解決事件がこれだけある事にも驚いた。

 しかもデータ化されていない分だ。

 データ化されているそれを含めば、相当な数になる。


 …二階堂は、何をして来たのだろう…と。

 少し空しくなりかけた瞬間…ポケットでスマホのバイブ。

 それを取り出すと…


「……ふっ…。」


 つい、笑ってしまった。


『海さん、ベビーカー届きました!!リズちゃん、すごく喜んでますヽ(´∀`)ノ』


 顔文字入りの文章に、ベビーカーに座った満面の笑みのリズの写真がついて来た。

 続いてすぐに。


『あっ、お仕事中ごめんなさい。返信はいいです。お帰りの時にご一報ください。』


「……」


 返信しようとしていただけに、それは少し残念なメールだったが…

 恐らく彼女は現場に出続けていた志麻と、仕事中は連絡を取れない状況に長くいたからだと思われる。


 少し悩んだが、俺はスマホを手にして。


『しばらく事務仕事なので連絡できますよ。もし家の事で分からない事や困る事があったら、遠慮なく連絡ください。』


 そう打って…送信した。

 すると…


『ラジャーです。車とか家は買わないけど、大食いな女子二人のせいで食費がかさむかもしれません。早速散策に出かけます!!』


 すぐに返信が。


 それを見て…自分が優しい顔になっている事に気付く。


「…ボス、コーヒーいかがですか?」


 スマホを見たままの俺に、富樫が遠慮がちに言った。


「…ああ。いただこう。」


 ポケットにそれをしまいながら。


「さあ、やるぞ。」


 俺はファイルの山を前に、腕まくりをした。





 〇桐生院咲華


「さ、リズちゃん。お出かけしようか。」


 あまり日が高くならない内に出かけようと、あたしはリズちゃんと外に出た。


 早速届いたベビーカー。

 リズちゃんは両手をバタバタさせて、声を上げて喜んでる。


「ふふっ。すごいね。パパ、仕事が早過ぎ。」


 独り言のようにつぶやく。


 …本当に。


 仕事に行った海さんから、メールでベビーカーの事を提案されて…

 一時間もしない内に、それが届いた。

 なんて仕事が早いんだろ。

 ちょっと感動。


 昨夜も…リズちゃんのお風呂、手伝ってくれたり…

 三人で寝るのも、あたしの事…かなり気遣ってくれてた。

 …海さん、本当にちゃんと眠れたのかな…



 今朝、海さんに渡された指輪…

 あたしの指輪にはなかったのに、海さんの指輪には…日付と名前が彫ってあった。

 それを見て…少しドキドキしてしまった。


 umi&saku…


 あたしの指輪にも、入ってて欲しかった…なんて思ってしまった。って…


 …いやいやいやいやいや…

 何考えてんの、あたし。

 軽く頭を振る。

 これはー…

 偽物なのよ?

 幻…なのよ…?

 いつか消えてしまうんだから…

 願っちゃダメ。


「……」


 ベーカリーショップのガラスに映る自分。

 ベビーカーを押して歩いてるあたし…

 これは…あたしの夢だ…

 そう思うと、少し気持ちが落ちる。

 あの頃、強く夢見てた事。

 しーくんとの幸せ…

 彼との結婚…そして、彼の赤ちゃんを産むこと…

 だけどそれは叶わなかった。


 …あたしが夢見てた事が、お酒を飲んで目覚めた時に叶ってて…

 勝手にいい気分になってるだけ。

 こんな事…いけないって。

 ダメだ…って分かってるのに。

 リズちゃんの事を一番に考えたら、このまま…なんて…

 リズちゃんを理由に、現実から逃げてる。


「あー。」


「…ん?なあに?」


 ベビーカーを止めて、リズちゃんの顔を覗き込む。

 リズちゃんはあたしの頬に指を当てて、キャキャッと小さく笑った。


 …愛しくてたまらない…



 それからあたしは、リズちゃんの服と食材を買って、お昼前には家に帰った。

 言われた通り、海さんのカードを使わせてもらったけど…

 お花だけは、自分のお金で買った。

 華音もそうだけど、あたしも、花のある生活に慣れてるせいか…花がないと落ち着かない。


 サイドボードに花を飾って、その横にブラウンの布地のコースターを置いて…指輪を乗せた。

 あたしだって…本当は律儀に指輪しなくてもいいんだけど…

 …憧れが強かったから…

 酔っ払って…の出来事でも、何となく外せない…。



 一応、海さんに買い物した物を報告した。

 今は食事の時に膝に座らせてるけど、椅子を買った方がいいか悩んでます。とつけ加えて送信した後、そんなのは帰ってから相談すれば良かったかな…なんて思ったけど。

 海さんからは、すぐに『買いましょう。何か気に入った物があるなら後日でもいいですが、特にないなら俺がオーダーして配達してもらいます。』と返信が。


 …本当に、すぐに決断しちゃうんだなあ…


 感心しながら『ではお願いしますm(_ _)m』と返信すると…

 午後には、シンプルな木製の椅子と、チャイルドシートが届いた。

 …あ、車用ね…


 さらにはその後…


「えっ?」


「二階に運んでおくように頼まれましたので。」


 大きなベッドが…届いた。

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