第3話 桐生院 聖

「……」


 そのミュージックビデオを観て…迂闊にも泣いてしまった。


 深夜で良かった。

 こんなとこ…誰にも見せらんねーよ…



 父さんの亡き後、会社を継いで…二年が過ぎた。

 俺は俺なりにやらせてもらうって決めて。

 実際、そうしてるとも思う。

 口うるさい役員に対しても、噂に聞いてたほど手強さは感じない。

 きっと、深田さんが色々裏で手を回してくれてる事もあるんだろうなとは思うけど。



 いつも賑やかな大部屋も、この時間は静まり返ってる。

 久しぶりに仕事の後で飲みたくなって…

 詩生しおを呼び出して二人で飲んだ。

 …とは言っても、詩生しおはアルコール抜きで。




「忙しそうだな、社長。」


 久しぶりに会う詩生しおは、笑いながらそう言っておしぼりで手を拭いた。

 …久しぶりでも相変わらずいい男だなー。なんて、少し見惚れたのは言わずにおいた。


 ビールとグレープフルーツジュースで乾杯して、お互いの近況を話して。

 えいがDEEBEEを脱退してF'sに加入した事について、どう思ってるのか。と、少し突っ込んで聞いてみた。



「そりゃあ最初は引きとめたけどさ、あいつはあいつで目標を持ってたわけだし?しかもバカみたいにデカい目標だよな。F'sのベーシストなんてさ。」


「確かにな…それにDEEBEEとF'sだと、音楽性の違いって大きいんじゃないか?元々映はハードロック畑だったのか?」


 F'sは骨太なハードロックてイメージだけど、DEEBEEは少しポップよりなロックだ。

 誰にでも親しまれる感じで、ぶっちゃけ特に女性受けがいいのはDEEBEEだと思う。


「どうかな。映は何でもこなす奴だから。でも、うちの音楽性を物足りないと思ってたのかもしれないよな。F'sはうちより深い事してるわけだから。」


 …深い事。

 その辺は俺には分からないから、それ以上聞くのはやめた。


「で?新ベーシストはどうだよ。」


 頬杖をついて聞くと、詩生は目を細めて首を振って。


「もー、うるさくてたまんねーよ。」


 本当にうるさいんだろうな。と思わされるぐらいの口ぶり。


「でも、音にシビアなのは助かる。ちょうど何かを変えたいって思ってた所だから、一皮むけた感じがあるよ。」


「へえ…」


 俺は音楽はやってないけど、F'sもDEEBEEも好きだし、姉ちゃんがボーカルをしてるSHE'S-HE'Sもめちゃくちゃ好きだ。

 あ、ノン君と紅美くみのいるDANGERも。



 音楽性の違いっていう細かな物が存在するとしても、俺から見たらどれも音楽で。

 ハードだろうがポップだろうが、いい曲はいい。

 身内や親友が在籍するバンドを贔屓にするのは当たり前なんだろうけど、贔屓目なしでも、どのバンドも最高に好きだ。



「…何で別れた?」


 俺が五杯目のビールを飲んでる最中、詩生が静かな声で言った。


「…あ?」


華月かづきが気にしてたぜ。」


「あー…まあ、そうだよな。」


 華月からして見ると…

 身内の俺と親友の泉が付き合って、そして別れた。なんて…

 まあ、気になるよな。



「お互い忙しくて、会う時間なんて全然なくってさー。」


 まあ…そんなのはどうにでもなったんだけどな。

 別れる原因の一つとなったのは…あれかな。

 結婚。


 俺は、いつか…泉と結婚したいって思ってたけど。

 あいつは特殊な家の人間だ。

 …そう簡単に、一般人と結婚なんて難しいよな。


 実際、二階堂で働いてる男と婚約した咲華さくかは。

 婚約して二年経った今も、まだ結婚してない。

 …あいつら、大丈夫なのか?



「気持ちは?冷めたわけじゃねーんだろ?」


「んー…どうかな。必死になり過ぎて、あいつの事忘れてた時もあるし。だけど仕事のヤマが片付いてホッと一息ついた時に思い浮かぶのは、泉だったのは間違いない。」


「……」


「でも実際結婚ってなると、俺はまだまだって思うし…あいつもそうだったとしても、何ヶ月も会わない状態が続いたりしてたら気持ちもすれ違うだろうしさ。」


 ツラツラと言い切って、ビールをゴクゴクと飲み干す。

 泉の話なんて、久しぶりにした気がする。



「てか、おまえはどうなんだよ。」


 ジョッキを置いて、詩生に言う。

 まさに、華月と俺は同じ立場だったんだな。

 身内と親友のカップル。


「あー…俺らはまあ、平和だよ。」


「平和って。結婚は?親父に殴られに来たクセに、あれから進んでねーじゃん。」


 確か…咲華の男が挨拶に来る少し前だったから。

 詩生と華月も、結婚の話が出て二年以上経つ事になる。



「あの時は勢いで…って言ったらおかしいけどさ。まあ、勢いで乗り込んだけど…」


「けど?」


「なんか、大事に育てていってる感じなんだよ。今は。」


「はあ?もう十分育ってるだろ。いつからの付き合いだよ。」


 詩生は小さな頃から華月一筋。

 まあ…女問題はあったにせよ…それは若気の至りや酒のせいで。

 酒に関しては、あれから一滴も口にしない詩生。

 見た目に反して真面目だ。



「いや…いつからって言うか、俺はまた一からって思ってるから。」


「……」


「あいつに傷を負わせた。しかもそれは俺が思ってるよりずっと深いんだよ。その傷を華月が一人で治そうとしないように、出来るだけ…結婚って形で誤魔化すんじゃなくて、今の状態であいつを大事にしたい。」



 …一昨年のビートランドの大イベント。

 あの時、詩生は華月に歌を贈った。

 強くなるから、と。

 それには親父も心打たれたようで…華月の外泊も、三度に一度は見ないフリをしてるみたいだ。

 …あとの二度は姉ちゃんが誤魔化してるけど。



「ま、いつになってもいいから…俺の姪を幸せにしてやってくれよ。」


 同じ歳の姪の幸せを…心から願う。

 そしてそれは詩生じゃないと無理だって事も、俺は知ってる。



 うちに帰ったのは二時だった。

 当然誰も起きてなくて。

 まだ眠気が来てない俺は、大部屋で一人…水を飲みながらテレビをつけた。

 そこに流れてたのは…F'sのミュージックビデオ。


 …もう一人じゃない。


 そう歌う親父の声が…



 …あいつ…頑張ってんのかな。

 辛い想いさせて…悪かったな…。



 入院中の父さんが泉を呼び出して…俺か仕事か選んで欲しい。

 そう言ってるのを聞いてしまった。

 泉は何も答えなかった。

 何も答えず…俺にも何も言わないまま、二年が過ぎた。

 ずっと悩んでたんだよな?


 俺から…言えば良かったんだ。

 世界が違うって。



「…ごめん…」


 もう一人じゃない。


 親父の声が…



 優しくて。



 痛かった。

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