四十九

「――――腐り切った性根だな、やはり」


 苦いものを吐き捨てるように香流が呟けば、明命は思い描いた通りと言いたげに嗤った。


『馬鹿な女の、浅はかな過去だ。 わしがそしられるいわれはないなぁ?』


下種げすめ……」


 腕の中の弓鶴は、力を失ったまま動かない。

 明かされた真実に打ちのめされたのだろうか。

 まさか、耀角の過去に、このような取り返しのつかない真実があったとは。

 弓鶴の心中を慮った香流は、細い体を慎重に抱き、苦い顔でその人を見下ろした。


『この程度の話で気力をやられるとは、人とはくももろいものだ』


 明命は蒼白な弓鶴を睥睨してほくそ笑み、躊躇ためいもなく侮辱する。

 それに香流と銀正がにらみ返せば、ようやくこちらを見たかと明命は嬉し気に鎌を振るった。


『まったく…… 余計な横槍が入ったが、これでもう邪魔はなかろう。 おいで、娘』


 鎌を手ぐすね引くように揺らめかせ、明命は香流を呼ぶ。

 香流はそれに目を細めてみせ、拒絶を言い放とうとした。

 しかしその前に、二者の間へ男が割り入る。


「……この人を喰わせるわけにはいかない」


 立ち上がった銀正が、刀に手をかけて明命を阻む。

 まだ虚勢の色が濃い様子だが、決して退かぬと断言するように肩が怒っていた。

 だが、


『ほう、手向かうか、右治代。 わしがこの国の命運を握っていると理解していてそれか?』


「っ」


 を言えば、銀正は動けない。

 そう承知して問いただす明命に、香流は吐き気がした。


「御当主、お下がりください」


 抑えた声で呼びかければ、銀正は戸惑いながら小さく目で拒む。

 あなたを失うつもりは毛頭ない。 

 怯えすら含む目が拒絶する。

 それに言って含めるようにもう一度「お下がりを、」と、香流は語気を強めた。

 銀正は迷っていた。

 明命に手向かえば国崩し。

 香流を贄にすれば彼女を失う。

 どちらも選べず立ち尽くしている。

 そんな身を裂く苦悩に、香流はふっと微笑んで呟いた。


「一人で悩みなさるな。 私と二人なら、越えられる道もありましょうぞ」と。


 言葉を聞いた瞬間、銀正は大きく目を見開いて驚きを顔いっぱいに広げた。

 それが何故なにゆえかは分からなかったが、香流は弓鶴を共に支えてほしいと動きで示すと、一笑。


「まぁ、あなた様が何もかも秘していたことは、まだ許しておりませんがね」


 鬼が憤怒を叫ぶような気配を漂わせて言い捨ておく。

 突然向けられた怒気に、銀正はぎくりと顔を引くつかせた。

 だらっと冷や汗を流す様子に香流は少しだけ留飲を下げ、


今際いまわ話は、もういいだろう』


 自分に向かって絡みつくような視線を投げ続ける異形へ、向き直った。


『さぁ、おいで、娘』


 蟷螂のような異形が、鎌で香流を誘う。

 その誘いに乗るように、香流は銀正へ無理やり弓鶴を渡して立ち上がった。


「香流殿!」


 母を捨て置くこともできず、銀正が激しく頭を振る。

 心から香流を想う男の形相を振り返り、香流はふっとほころんだ。

 そしてそっとかしずき、同じ目線で銀正を見つめて呟く。



「申しましたよ、私は。 『あなた様のそばを、離れない』」



 例え、死がその先にあろうと。

 最期まで、あなたのそばに。


「ね?」


 満面の笑みで、香流は誓う。

 その優しい決意を、銀正は息を飲んで見ていた。

 そして、



『猶予は終いだ、娘!』



 欲に狂った声が叫ぶ。



『もう、辛抱貯まらんのだぁあああああ!!』



 血と腐臭をまき散らして、明命が香流に迫る。

 全てを見ていた銀正は、



「駄目だ!!」



 おののき動転して絶叫する。

 明命の鎌が、香流を捉える。

 頭から引き裂かんと、情け容赦なく振り下ろされる。

 血潮を上げたその肉を食い裂かんと、牙が照り返る。

 銀正は全てを見ていた。

 香流に手を伸ばす。

 その先で、香流はずっと笑っている。

 その笑みを、最期にしたくなくて。

 もう、失いたくなくて。

 銀正は手を伸ばす。


 だから、次の瞬間。



 香流が突然自分の懐に手を伸ばしてきたのを、瞠目して見るしかなかった。



「!?」



 『柄』を掴む、細い手。


 既視感。


 まさか。


 そう閃いた視界に、白刃の光。


 香流はその光を手に、銀正へ背を向けた。


 刹那。





 がきぃぃいいいいん!!


『なに!?』





 明命の驚愕。

 響き渡った音。

 そして、払いのけられた鎌。



 鋭い白刃の一閃が、銀正の前に閃く。





「香流、殿……」



 呟き呼んだ人は、銀正の刀を手に背を向けていた。

 細い体が、一刀両断の構えから、ゆっくりと立ちあがる。


 まるで刀そのもののような鋭気をまとい、立ちあがる。




こらえ性のないのは、下賤な性分だな」




 振り下ろした刀から顔を上げ、その人は言葉すら鋭利に異形へ切りつけた。


「その肥え太った愚鈍な図体で、そう易々やすやすとこの首、喰えると思うな」


 正眼の構え。


 鬼気満ちるその人は、――――香流は、




「この身が欲しくばその灯臓、狩られる覚悟でかかってこい」




 のごとき覚悟で、異形に眼差しを突き付けた。







 *








『刀を使えるのか!? この娘っ』


 構えたたずむ香流に、鎌を払われた明命は、動転して毒づいた。


『ということは、まさか、その練は……!』


「これでも一応、秀峰でも名高い舞の流派、奥柳流舞踊免許皆伝でもある」


 にっこりと笑んで、『舞で積んだ修練もある』。

 そう言葉をろうし明命を遮れば、香流は下段に構えを取って僅かに体を前傾させた。

 まるで獣が獲物に狙い澄ますような姿勢だと、明命は顔を引くつかせる。


『……それだけの練、全て武の結果か?』


「それは斬られてから判断しろ、下郎」


『くっ、小賢しいっ』


 香流の挑発に苛立った明命は、振り払われてた鎌を打ち鳴らして娘を威嚇した。




『その細腕でわしに敵うと思うなっ すぐにその胴、真っ二つにしてくれる…… !!?』




 しかし、不自然に途切れる声。

 明命は突然驚愕の色に顔を染めて、全身を戦慄わななかせた。




『な、なぜだ!! なぜだ!?』


「どうなさいました、明命様?」




 狼狽うろたえだす明命に、香流たちを囲っていた上格たちが不安げな声をかける。

 明命ははっと室内の壁――――いや、その向こうだ。

 城の外、遥か彼方を睨むと、気が動転したように震え始めた。

 何事だ。

 警戒を強めたままいぶかしむ香流と銀正の目の前で、明命は声を震わせて恐怖を叫んだ。



『破られた……破られた!! わしの術が、に破られた!!』



 破られた?

 どういうことだと、香流は目を細める。

 明命の恐れが伝播して、上格たちも狼狽えだした。

 自身に集まる幾多の視線に全く気付くことなく、明命は外を見つめたまま泡を喰うようにる。

 


『喰い破られた!!』


『くる、くる、来る! が来る!』


『近づいてきよる!!』



 震え、思う様叫んだ明命は、次の瞬間はっと我を取り戻すと、焦りに追い立てられるよな顔で鎌を振るった。



『張らねばっ 『帳』を張り直さねば! ――――上格たちッ』



 明命は鋭く男たちを呼ばわると、香流を鎌で指し示して叫んだ。



「異能を使うのに餌が足りんっ その娘を連れて来い! わしの力にするのだ!!」



 わしは力に集中する、早くしろ!

 そうわめき立てて、明命は城の外遠くに意識を向ける。


 が、明命の『帳』を崩したらしかった。

 そしてそのは、こちらへ向かってきているらしい。


 香流は銀正に視線を送ると、弓鶴と二人を庇いながら、素早く背後へと距離を取った。

 上からの明確な指令が下ったことで、上格たちは我を取り戻したらしかった。

 男たちは抜刀して香流と銀正たちを囲むと、じりじりと間合いを詰めてくる。

 その容赦ない敵意にさっと視線を走らせ、香流は刀を構え直した。



「香流殿、私が代わる!」



 刀を取られて手のない銀正が、焦ったように呼びかけた。

 香流は要求を視線で押さえ、軽く笑う。


「大丈夫。 刀はすぐお返しします」




 呟いた、一瞬の間。


 香流の死角から、刀が振り下ろされた。




「危ないッ!!」



 銀正の目が、凶刃を指し示す。


 早く回避をと、悲鳴じみて示唆する。


 しかし、香流は振り返らない。

 躊躇いなく振り下ろされた刃は、その脳天を確実に捉えていた――――だが。



「その刀、いただこうか」



 淡々と落ちた呟きが、誰かの耳に届くと同時。



 ――――ガキンッ


「!!?」



 振り下ろされた白刃が、一瞬で消え失せた。


 刃は、娘の肉を断ち、その場に血潮を噴き上げるはずだった。

 だが代わりに。

 銀正の目の前には、刀を握っていたはず男が、得物が失せた両手を驚き凝視したまま立っていた。


「まずは、一本」


 冷徹な声と共に、細い体が動く。

 香流は逆手にした刀の柄で、驚き佇む男の鼻っ柱を叩き折った。


「ぐがっ!!」


 踏みつけられた蛙のような呻きを上げ、男がもんどりうって倒れかかる。

 その肩を掴むと、香流は鳩尾を容赦なく膝で蹴り上げた。

 男は激しく嘔吐して痙攣。

 床の上に体をくの字にして、動かなくなった。

 一連の様を呆然と見送っていた銀正は、男の手を離れ空に舞っていた刀を易々と受け止めた娘に、驚きの視線を送った。


「ほう、上物だな。 しかし、使い込まれている風でもない。 これだけの代物をぶら下げているだけとは、持ち腐れもはなはだしい話だ」


 娘は、香流は、何一つ気負った風もなく平然と刀を検分すると、振り返って銀正に近づき、奪っていた刀をその手に返した。


「ほら、お返ししましたよ」


 ね?

 平素の笑みでそう言うと、香流はくるり。

 舞でも舞うように体を反転させ、新たに得た刀を握った手で、上格たちを挑発した。


「さて、次はどなたか?」


 上格たちは――――いや、銀正も。

 その場にある男たち全てが、呆気に取られていた。

 ただの娘風情が、歴戦の狩士相手に軽々と刀を奪い、その鼻っ柱を折って打ち倒す。

 冷静に考えてこの娘、刀が使える女の中でも、並の手合いではない。

 香流が刀を扱えることを知っている銀正も、呆気にと取られて言葉がなかった。

 そんな衆人環視の中、ただ香流だけは平然と肩を回して次を考えていた。


「挑んで参られぬなら、こちらから参りましょうか?」


 ふわり。

 生娘のごとき清らかさと、手練てだれれ女の嫣然。

 両方の交わったような笑みで微笑んで、香流は男たちを誘う。

 それに上格たちは一瞬呆けていたが、ようやっと我に返ると、苛立ち。


「この娘っ!」


 幾人かが束になって押し寄せてきた。


「(まずい!) 香流殿っ」


 銀正が警告を叫ぶ。

 その声を、香流も聞いていた。


 だが、万事些末事。


 香流は銀正の警告などどこ吹く風で、迎え撃つ構えに入る。




「えぇやっ!」




 最初の一人が、真正面から挑みかかった。

 刀の筋は、決して狙いどころからは外れていない。


 しかし、それが甘い。


「分かりやすくて結構」


 己の急所を狙う凶刃に冷然と呟くと、香流はそのまま男の懐に身を躍らせた。

 凶器をも恐れぬその動きに、男が仰天する。

 そこにはあからさまな隙が生じ、動く香流を手助けした。


「二本目」


 言葉と共に、香流は男の手元を蹴り上げる。

 衝撃で刀は手から離れ、遠くへはじけ飛んだ。

 男は痛みにうめくと二三歩たじろぎ、そして。




 香流の白刃が、迫る。


 正確に、喉元を捕らえて。


 生の脈動を止めんと、振り下ろされる。




 その様を、銀正は見ていた。

 決して目を離さず。

 だから、


「駄目だ!!」


 刹那、銀正は叫んでいた。


 その制止が、香流を危うくする可能性を知りながら。

 そんな甘さは、命のやりとりの場では致命的だと知りながら。

 それでも、香流の刀が人の命を絶つのを、止めるために。



 殺しては駄目だ。

 殺すなど。

 あなたが手を汚すなんて。

 そんなことは、ダメだ!!


 あなたの手が、汚れるなど!




 制止は、確かに届いた。



 香流は、銀正の声に、一瞬の緩みを己に許した。


 そして寂しさと、嬉しさを溶かした笑みで微笑む。


 あなたらしいと、嘆息して。


 それから電光石火の切り替えで意志を改めると、刀を鮮やかに握り替え、



「お覚悟」



 きつく結んだ拳で男のあごを打ち抜き、一撃で昏倒させた。

 背後で、銀正が息を飲む。

 それに笑い、香流は構えを再び結んだ。


 そこへすぐさま三人目。


 香流の背を取った者が、容赦なく袈裟がける。


「!?」


 かと思えば、切りつけたはずの体は瞬きの内に消えた。

 どこへ!?

 男は焦りと共に視線を泳がせる。

 その背後から、



 ガンッ…!!



 勢いよく振りぬかれた柄の底が、眉間に叩き込まれた。

 三人目は痛みに転がり、得物を手放した。

 その時伸びた両手の指を、香流は刀の切っ先で払う。

 ぱっと血が飛び、三人目はズタズタになった指を眺めて情けない悲鳴を上げた。

 手をやられては、刀を握れない。

 戦えなくなった男を蹴り飛ばし、香流は刀の血を払った。



「(強い!!)」



 上格たちから母親を庇いながら、銀正は舌を巻いていた。

 狩場を離れて久しいとはいえ、相手は美弥狩司衆の上役を請け負うほどの手合いだ。

 そんな多数相手に鮮やかに身を躍らせる香流の動きは、狩士である銀正からしても並大抵のものではないと分かる。


 刀を扱う技量。

 驚くほど少ない動作で相手の動きを封じる体技。

 凶刃を恐れぬ肝の座り方。


 そもそもが、人の無力化に慣れている様な、あの流れるよな動き。


「(狩士の修練とは、型が違う)」


 狩士の鍛錬は、基本的に飢神を狩ることを前提に組まれている。

 人同士の武術も積んではいくが、おおよその動きが異形相手の刀にかたよる。

 だというのに、香流の戦い方はを知っているかのような型なのだ。


 は、そのための訓練を積んでいなければできない動き。




「(あなたは、何者なんだ……)」




 最早香流の身を案じることよりも、その美しい動きに目を吸い寄せられ、銀正は溜息すらついた。

 そうしているうちに香流は八人目の腱を断つと、うずくまった体を足蹴にして残りの男たちを睥睨した。


「お次は?」


 すでに死屍累々の山を気づいた娘は、息一つ乱さずのたまう。

 残った上格たちは娘の手強さに慄き、じりっと後ずさった。

 これだけの手並みを見せつけられ、こちらから切りかかって行こうという気勢はすでに削がれているらしい。

 その様子を香流は鼻で笑い、



『ええい! 何をしている!』



 上格たちの背後で喚きたてた異形に視線を突き立てた。






『娘一人に何を手間取っている?! どけっ』



 力を使うのに集中していた明命が、男たちを鎌で押しのけて前へ出る。

 多くの業人を食らい、醜く肥え太った巨体が迫る。

 香流は銀正たちまで巻き込むまいと、素早く前方に駆け出した。

 明命は切りかかってくる香流を鎌で迎え撃ち、「貴様らもやれ!」と上格たちをけしかける。

 香流は後方に距離を取ると、命令に圧されて挑みかかる男たちの刀を弾いてかわす。


 その刹那。



『往生せい、娘っ』



 香流を狙って動いた明命の鎌の根元が、


 伸び上がった!



「!?」



 予想外の能力に香流は息を飲む。

 しかしそれで驚きを殺すと、香流は飛んできた鎌を弾いた。


 しかし、鎌は一対。


 もう一方を寸で躱し、まずいと勢い、背後に声を飛ばした。



「危ないっ 御当主!」



 香流を狙いそこなった鎌が、銀正と弓鶴に迫る。

 母親を片腕に庇いながら、銀正は刀を握りしめた。


 あの日だ。


 あの日の夜。

 会照寺で頬をえぐった鎌が。

 董慶を殺した鎌が、銀正の命を刈り取ろうと迫りくる。


 だが、最早銀正はあの頃の無力な子供ではなかった。



「(獲れる!)」



 銀正は、刃の軌道を見切っていた。

 であれば、恐れなどない。

 過去を過去として。

 あの日守れなかった幼い自分と決別するために。


 銀正は受けて立たんと後ろ脚に力を込めた。





 その時だった。




 どんっ!!



「なっ?!」




 突然、銀正の体を押しのけ、弓鶴が前方へ体を躍らせた。


 重心を下げて構えていた男の体だ。

 細腕の力では揺らぐことはない。

 だがあまりに唐突なことに、銀正は母親を抱く腕を緩めてしまった。


 空になった手を、焦燥と共に伸ばす。


 しかし、身を投げ出すように離れていく弓鶴には届かない。

 驚き見開いた視界に、銀正は母の背と、恐ろしい鎌の光を見た。

 その先の、追い詰められたような香流の焦燥を見た。


 そして、




 鮮血が、降り注ぐ。





 巨大な鎌は無情にも、弓鶴の胴を切り裂いた。






「弓鶴様ぁあああ!」


「母上ぇえええ!!」 



 手を伸ばす、香流と銀正。


 二人の絶叫が、虚しい響きと共に木霊した。

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