比翼の花嫁

壺天

序幕

月下の砂塵

 弓張月、半夜に浮く。

 

 深山の合間に、息つく影はなし。

 枝葉のみ、嫋々じょうじょうそよぐばかり。

 闇、色濃く、夜気に沈む木々の群れ。


 その音は、突如響き渡った。



 ピイイイイ……!



 空を裂く警笛。

 周波は鋭く山野を駆け巡り、沈む静謐を破る。

 遠く、『於土居おどい山』の頂から地響きが沸き起これば、眠りについていた鳥獣共が、にわかに騒ぎだした。


 すると同時。


 静まり返った木立から、幾多の影が飛び出でる。

 山中に落ちた月光へ照り返す、軽装の甲冑。

 帯刀した武人の一群は疾風の如く駆け、山肌を撫でながら山頂を目指した。

 行く先には、獣の如き咆哮。

 一群は抜刀し、獲物に向かって最後の跳躍を果たす。



『ぐるぅあああああ!』



 山の頂には、土地が開けていた。

 その平地へ、豪気を帯びる異形の者が一頭、ねぐらの洞穴を背にして立っている。

 獣とも、人とも違う、怪異な立ち姿。

 黒い毛並みに、鋭い爪の二足立ち。

 腹を縦に裂くような大口には生えそろった牙がむき出して、てらてらとした唾液に卑しく光っている。

 再び唸りを上げ、異形は飛び込んでくる武人どもを迎え撃った。

 刀が空を割り、先陣が異形の懐へ袈裟がければ、きぃぃぃんと澄んだ音を立てて牙と刃が食い合う。

 人と異形は、刹那の睨みを結んだ。

 ほふるか、屠られるか。

 瞬くことも叶わぬ膠着に異形はわらい、その頭上から、残りの武士たちが一時いっときに切り掛かる。

 群がる狩人を前にしても異形は愉悦を絶やさず、渾身の力で向かい来る影をはじき返した。

 空を舞った武人たちは、薄い覆面の下で歯噛みして着地する。



 その直後、木々の陰から、異形めがけて放たれる幾多の飛翔物。


『!』



 空に舞ったそれを、何かが弾いたと同時。

 光が炸裂する。

 爆風と火花が四散し、武人たちは顔を背けた。



『……此度の夜襲は精彩を欠くなぁ? ええ、狩士かりし共よ』



 ぬらり。

 滴る唾液に濡れたような、割れた声だった。

 刀を素早く構え直し、狩士たちは爆炎の向こうをにらむ。

 その姿は、数舜前と何ら変わらずそこにあった。


『いい加減出てこい、我が関守。 小物では話にならんわ』


 異形はゆっくりと煙を振り払い、狩士たちの背後を目で射抜く。

 その顔は腹が減ったと、依然獰猛に歪んでいた。

 先の爆薬すら歯牙にもかけぬ手合いなのだ。

 殺気を吹き返した武人たちは再度異形へ飛び掛かろうと、深く腰を落とした。


 しかし。


 突然、一群の脇を、音も無く過っていく人影が一つ。

 悠然とした気配に狩士たちは動揺したが、すぐに冷静を取り戻し、進み出た羽織姿を見送った。


『良い月だなぁ。 お主ら人は、あれをこう言って愛でるのだろう?』


 まるで覚えたての知識を披露するように、異形は腕を広げる。

 迎えられた人影は、闇に溶け込む藍羽織を揺らして、すっと目を伏せた。


「……確か、先日貴殿に殺された舞手は、詩をとても愛しておられたそうだな」


『おお。 殺す前に、その詩とかいうものをひと講釈喋らせてみてな。 お陰で、風流というものの一端を知ることができたぞ』


 なんなら一句作ってやろうかといやらしく笑うのに、羽織の武士はそっと臨戦の構えをとる。

 それを面白くなさそうに眺め、異形は鼻を鳴らした。


『なんだ。 久々の渡り合いだ。 もう少し戯言ざれごとろうしても良かろう』


 ぶらんと腕を下げる相手に羽織の背は答えず、無言で得物を差し向ける。

 静寂を帯びる、鬼気。

 さあ命を差し出せと向けられる鋭さに、生糸の如く目を細め、異形は全身を震わせた。


『やれやれ。 性とはいえ、喰わねばならぬとは厄介なことだ。 なぁ、関守?』


「案ずるな。 それも今日という日まで」


 今宵が、貴殿の命日だ。

 異形――――渦逆かぎゃくが、三の殻『角』を開放する。

 どうと押し寄せる圧。

 跳躍する巨影が月を隠し、地に構える羽織は翻った。


『いざ獲り合わん、義任よしとう!』


「――――御明おんみょう、頂戴いたす」


 砂塵が、舞った。

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