第3話 3つのパラ憲法(2019年)

「……つまり、お前は百年後の未来の人間で、その、パラ憲法? というのを使って、意識だけこの時代に来ている、のか?」

〈概ねその理解で合っている〉

「はぁ……。まあ、さっきからそうだけど、突拍子もない話なのに、本当にお前の言葉を疑えない自分に驚いているよ……」

 コーヒーを口に運びながら、星は言う。

「でもちょっとその、パラ憲法というのがよくわからないんだが」

〈元々は2031年にウガンダで試験的に実施された技術だ。ナノマシンを使って、人の意識に直接、倫理規範を埋め込む。カント野と呼ばれる、倫理的機能を担う大脳の側頭頭頂接合部に、ナノマシンから直接電気信号を送ることで、いわば倫理をインストールしていると言える。世界的に技術が広まったのは、21世紀後半になるが〉

「なんか洗脳みたいだな。未来って、人権意識とか低い?」

〈逆だな。パラ憲法を世界中の人々がインストールすることで、人権意識は格段に向上した。私のいた2119年の時点では、国際的に認められたパラ憲法は三つしかない。自分と同じパラ憲法をインストールしている相手とは、価値観の共有が容易になるし、異なる二つのパラ憲法の人間を相手にする場合でも、自分と相手の倫理の差異が明確なので、相手を理解しやすくなる。過去と比べて、他者とコミュニケーションを行うハードルは下がったし、自分以外の人間の人権を尊重する倫理はどのパラ憲法にも記載されている〉

「はぁ……そういうものかね。実感ないな」

〈実感は難しいかもな。君の時代の技術、例えばインターネットの利便性を百年前の人間に君が伝えたとしたら、おそらく今の君と同じようなリアクションを見ることになるだろうね〉

「なるほどねぇ。で、その技術を私的に利用して、タイムトラベルしてきたってことか……。ううん。信じられないけど、でも不思議と疑う気持ちもでてこないんだよな……変な気分だ」

 椅子の背に体重を預けながら、星は天井を見上げた。

〈その違和感も、すぐに脳が調整してそのうち慣れる〉

「でも、どうして俺なんだ?」

〈パラ憲法による意識の接続は、時代や場所に関わらず、カント野の働きが活発な人間であれば行うことができる。パラ憲法施行後の人類はほぼ例外なく接続対象者になるが、この時代では、その対象者は限られている。できることなら、真下名花本人と接続したかったが、彼女はカント野の働きが不十分だった。アンテナの感度悪かったというようなものだ。だが、彼女の恋人である君が接続対象者として十分なアンテナの持ち主だったことは不幸中の幸いだ〉

「ああ、それだ」椅子の上の体勢を正して、星は言う。「なんで、名花なんだ? その、つまり〈ミハル〉はさ、さっき言ったよな。自分の目的は、第三次世界大戦を未然に防ぐことだ、って」

 自分で言った言葉にリアリティが感じられなかったのか、星は薄く笑った。

「なんかゲームみたいな話だな」

〈だが、事実だ。2090年に起こる第三次世界大戦。20憶の死者を出した無残な戦争を止めるためには、真下名花の生存が必要なのだ〉

「それがよくわからないんだけど」

〈第三次世界大戦はロシアの再社会主義化に端を発する。当時はパラ憲法は13あった。そのうちの一つ、ロシア政府が国民に課したロシア語パラ憲法チェチェキウスは、社会主義と相性が良すぎた。当時のロシアはある意味で、人類史上初めて理想的社会主義に到達したとも思われた。しかし、それはやはり誤りだった。ロシア政府は国内政治のコントロールを完了したが、さらにその先を求めた。つまり全世界の社会主義化だ。だがそんなことを他の国が許すわけがない。結果、ロシアは武力による支配に着手した。そして戦争が始まった〉

「なんでロシアはわざわざ自分の国以外を社会主義化する必要があったんだよ。自分の国が平和ならそれでいいじゃん?」

〈ロシア語パラ憲法チェチェキウスが人びとに刻んだ倫理がそれ以上を求めたからだ。当時の人類は、パラ憲法の力を過小評価していた。強すぎる倫理は、人びとに「せねばならない」という意識を抱かせる。そして人びとは倫理を必然性と錯誤する。必要があったからロシアは他国を攻めたのではない。必然性に駆り立てられて、ロシアは世界を敵に回したのだ)

「必然性、ねえ」

〈大戦終了後、国連はパラ憲法を弱体化し、数も三つに減らすことを決定した。論理を尊重する英語パラ憲法ロゴス、自己を尊重するフランス語パラ憲法ミュトス、そして私が改訂した他者を尊重する日本語パラ憲法キュトス。22世紀を生きる人びとはほぼ例外なくこの三つのどれかを受け入れて生きている〉

「……まあ、未来のことはなんとなくわかったけどさ。でもそれと名花と何の関係があるんだよ? あいつはただの会社員だぞ?」

〈真下名花自身は今日を生き延びれば、2072年に亡くなることになる。第三次世界大戦とは無関係だ。重要な人物は、彼女の子孫だ。名取公子と名付けられることになる真下名花の孫は、ロシアのパラ憲法の作成に関わる言語学者となる。そして、彼女の作業時の些細なミスが原因で、ロシアのパラ憲法実装は十年遅れ、私のいた歴史とは異なる内容が実装されることになる。それが遠因となって、ロシアの再社会主義化は失敗し、第三次世界大戦は回避される〉

「ミスって。そんなことで戦争が起こらなくなるのか?」

〈歴史は常に些細な出来事によって動いているものだ〉

「そんなものかね。……まあいいよ。現実味はないけど、〈ミハル〉の言葉はなんだか信じられる。それで、俺に何をさせたいんだ?」

〈私〉は星に、この日の日中に名花が交通事故に遭うことを伝えた。

「いやいや、それを先に言えよ! どうすれば事故を回避できるんだ?」

〈名花が現場にさえ近づかなければ問題ないはずだ。彼女に今日は仕事を休んで家でじっとしているよう説得してくれ〉

 星はすぐに携帯を取り出し、名花に電話をした。「あ、名花? ごめん、起こしちゃった? うん。いや、それがさ、ちょっとお願いがあって……」

 通話は一分ほどで終わった。「電話で仕事休めって説得するのも難しいから、ともかくこれから直接会って話すことにした。〈ミハル〉も来る……いや、俺の頭の中にいるんだから、そりゃ一緒に行動することになるのか。なんか幽霊に取りつかれたみたいで変な感じだなぁ……」

 ぼやきながら星は服を着替えて家を出る準備を始めた。

 玄関で靴を履きながら、星はふと思いついたように〈私〉に質問をした。

「ところで、〈ミハル〉はじゃあ、名花が誰と結婚してどんな子を産むのかまで知ってるのか?」

〈そうだ〉

「その、名花の結婚相手って、俺?」

〈それは、君にとっては知らない方がいいことだよ、星〉

〈私〉の声に若干のいたずら心を感じ取った星は、「なんだよ、そういうとこははぐらかすんだなー」とふてくされたふりで言った。

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