最終話・それから
運ばれてきた遺体は随分小さかった。葬儀取締役を名乗っていたココくらいの大きさだろうか。聞けばこの大きさでも成体なのだと言う。
彼女は箱庭の湖で遺体となって発見されたドラゴンだ。外傷はなく、転移魔術の失敗によって死んだものと見られている。作業台の上に安置された遺体は既にダンの手によって整えられていて、生前の面影を取り戻しているように見えた。
クラウスを取り戻してから二週間。リグの共同掘削再開のめども立ち始めていた頃、ワイナミョイネン葬儀社は本来の仕事に戻っていた。
「ご遺体の方は今すぐにでも引き渡せる状態ですが、問題はブルー・リンボの木をどこで調達するかということですね」
「その、装飾棺桶っていうのを作るには、ブルー・リンボの木じゃないとだめなの?」
「こちらのドラゴンは、自分が生まれた木で装飾棺桶を作ることを望んでいらっしゃいました。その願いに背くことはできません」
先日箱庭に落ちてきたドラゴンの遺体。損傷の少ないその遺体の葬儀はさほど難しくないように思われたが、棺桶が厄介だった。
装飾棺桶とは、好きな物を意匠として彫り込んだ木製の棺を指す。音楽が好きならオカリナの彫刻を、酒が好きなら酒樽の彫刻を施すのだ。
「生前に棺を作ることで死を意識し、限りある生を謳歌するというのが、装飾棺桶の目的だそうです。簡易的なメメント・モリといったところでしょうか」
「生前に作っておかなきゃいけないものを、どうして今慌てて作ろうとしてるわけ?」
「意匠を決めかねていたんだそうです。そして迷っている間にお亡くなりになった」
「うーん、なんだか考えさせられるなあ……。でも人間側で装飾棺桶作っちゃっていいものなの? 人間が作った棺桶なんて、って言われないかな」
「そこが難しいところでして」
ダンが言いかけたとき、家の外で何か重いものが落ちる音がした。
「ああ、クラウスですね。跳ね扉を開けてもらえますか」
ミルカはこの地下室の天井にある跳ね扉を開ける。そこからクラウスがぬっくりと顔を出した。
「ブルー・リンボの木、持ってきたぞ。そこに置くか」
「いえ、ここはご遺体を安置する場なので、外に置いて下さい」
二人は室内の温度を下げると外に出た。
初夏の風が頬を撫ぜ、ドラゴンの鱗の乾いたにおいがした。
ドミニコ種たちに捕らわれていた時はしおれていたクラウスの翼は、今や風を受けた帆のように堂々と広げられている。美しい緋色の体色は青空によく映えていた。
彼の足元にはロープと藁で丁寧に包まれた巨木があった。根っこごと引き抜いてきたらしく、土がまだついている。木はミルカが二人両手を広げて、ようやく囲えるほどの太さだ。これほどの大きさがあれば、あの小さなドラゴンを納めるための棺を作ることも難しくないように思えた。
「遺族の連中、やっぱり自分たちで棺を作るのは嫌らしい。何でもいいからお前んとこで作って、遺体を納めて持って来てくれとさ」
心が少し痛む。死んだドラゴンが装飾棺桶を希望していたのなら、少しでもその希望をかなえてやりたいと思うのが普通ではないだろうか。
なのに、それを拒み、全て人間の葬儀社に一任しようとする遺族たち。生前彼らがどんな関係だったのか、想像は難くない。
だからこそ少しでも良い棺桶を作ってやりたい。
それがミルカとダン、そしてクラウスたちの思いだった。
「こちらで棺を作るのは構いませんが、何が好きだったのか分からないと、デザインができませんね」
「そうくるだろうと思って、そいつの部屋から手紙とか持ってきた。遺族の許可は取ってるぜ」
木の脇にあった小包を掲げるクラウス。中から出てきたのは、ドラゴンの手でも持
ちやすい銅板だった。あちこちに小さな突起がある。
「手紙……?」
「ああ、ドラゴンは紙やペンを使わない。持てねえからな。だからこうやって銅板に音を刻み込んで、専用の再生機で聞くんだ」
言いながらクラウスは、ハンドルを回す仕草をした。オルゴールの再生機のようなものだろうかとミルカは想像する。
でもそんなものはこの葬儀社にはない。
ドラゴンが込めた声をなぞるように、銅板の突起に触れていると、遠くから花菱が優雅に飛翔してやってきた。彼女は背中に一抱えほどの箱を背負っていた。
「再生機、持ってきたわよ! これで手紙を聞けるわ」
「へえ、蓄音機みたいな形してるんだね」
「何言ってんだ、蓄音機が再生機に似た形をしてるんだぜ。人間どもが俺たちの技術を真似したの」
「えー、ほんとかなあ? あ、でも、亡くなったドラゴンの手紙を盗み読みするって、ちょっと気が引けるかも……」
「確かに、やりすぎかもしれません。別にご遺族の方からの要求があるわけではありませんしね。それでも私は、亡くなった方が思い描いていた装飾棺桶に、少しでも近いものを作りたい。……そうしたらきっと、遺族の方々も思い出せるかもしれませんから」
良い記憶ばかりではないだろう。
胸をかきむしりたくなるような記憶も、鍵のかかった箱の一番奥にしまって、忘れてしまいたい光景もきっとある。
けれどそんな痛みさえもが、そのドラゴンが確かに生きていたという証になる。
今なら分かる。葬儀士の役目。葬式を上げる意味。
――残された生者の心に、もう誰も座らない席を作るため。
大切な人がいなくなるのはとても寂しい。苦しい。一人では抱えきれないほどの喪失感と、絶望感と、未来が急に断ち切られたようないら立ちが、喉元にぐうっとせりあがってくる。
苦しみと悲しみを乗り越えたって、その人はもういないのだ。その事実に変わりはない。だから、その人の死を受け入れたって、拒絶したって、変わらない――。
ミルカはそう思っていた。姉の死を見つめることは、自分が独りぼっちであることを認めることだったから、何も受け入れたくなかったし、何も考えたくなかった。
けれど、今なら分かる。
葬儀士によって解きほぐされた心の片隅にできたその空席こそが、かつてその人が生きていて、自分に痕跡を残した証なのだと。
「残された生者の心に、もう誰も座らない席を作るため。……だね」
「はい。それが私たちの仕事です」
銅板を再生機に入れ、花菱がゆっくりとハンドルを回す。彼らは再生機から流れてきたドラゴンの声に耳を傾けた。
【了】
木龍葬儀社ワイナミョイネン 雨宮いろり・浅木伊都 @uroku_M
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