十三話

 パンデモニウムには既に二頭のドラゴンの姿があった。


 体色はエメラルドグリーン。首の辺りに柔らかそうな羽毛を生やし、先端が扇状になっている尾を持つドラゴンだ。恐らくはこの赤ん坊の親だろう。

 高さは七メートルほどで、今まで見たドラゴンの中ではさほど大きくはない部類に入る。貝殻と金、真珠で作られた揃いの首飾りが、彼らが動くたびにしゃらしゃらと儚い音を立てた。

 

 二対の角を持つアイザウル種は、木の棺を見て口元を歪める。ダンが棺の蓋を開けて見せると、コロロ、と鳴き声を上げた。慈しむようにその角を遺体に擦り付けると、薄緑色の光が蛍のようにふわふわと浮かび上がって、彼らを包み込んだ。

 

 その光はクラウスの近くにも飛んでゆくと、彼の目の前でシャボン玉のようにぱちんと弾けた。クラウスは少し驚いたように目を見開いたが、すぐにいつもの仏頂面に戻った。

 

 ドラゴンたちが落ち着いたのを見計らって、ダンが声をかける。

 

 「この度はご愁傷様で御座いました」

 

 クラウスがそれを通訳すると、二頭のドラゴンたちは頷く仕草をした。

 遺体を見つけた時の状況を説明すると、二頭は美しく生え揃った牙を見せつけるように、その咢を開いた。

 あまりの迫力に、思わずミルカが後ずさると、二頭は慌てたように顔を見合わせる。例えるなら木琴を鳴らした時のような音を、クラウスに向けて発した。


 「そうじゃない、と言いたいらしい。危害を加えたいわけじゃないと、むしろ感謝していると言っている」

 「え?」

 「アイザウル種は精神感応(エンパス)の能力を持っている。触れると、その個体の過去をある程度までなら遡って覗くことができるんだ。……彼女たちは、お前らがこの赤ん坊を守るために泥の中で戦ったのを『視た』」


 その口ぶりからすると、クラウスもまたその光景を見たようだ。


 「彼女たちは、ドラゴンの赤ん坊が人間にとって格好の研究材料であることを知っている。そんな人間から、遺体を守りきってくれたことに感謝しているそうだ。……葬儀社に連れ帰ってからも、丁寧に扱って、何度も声をかけに降りてきてくれたことにも」


 コロロロ、という優しい鳴き声はお礼なのだろうか。

 ミルカはダンの表情を盗み見る。


 何度も声をかけに降りたのはきっとダンだ。

 どんな気持ちで、生まれずに死んでいった子に声をかけたのだろうか。

 それは葬儀士としての矜持がさせたのか、それとも。


 けれどダンはいつものような鉄面皮で、とりつくしまもない。

 アイザウル種の二頭は、赤ん坊の遺体にコロコロと鳴きかける。するとその小さな体がふわりと浮かびあがり、ドラゴンたちが用意した自前の棺にちんまりと収まった。

 その棺は薫り高い草木とブーゲンビリアの花、それから赤と金で染められた縄によって編まれていた。その棺の中には帆船を模したおもちゃや、ドラゴンの形をした人形がいくつも収められていた。


 変だなとミルカは思う。ドラゴンたちは翼がある。転移魔術がある。船という道具に頼らずともどこへでも行けるのに、なぜこんなおもちゃがあるのだろう。


 「それは、亡くなった子がきちんとあの世へ行けるように、というおまじないなんだそうだ」


 ミルカがあまりにもじろじろと棺の中を見ているからだろうか、アイザウル種がクラウスを介して説明する。


 「あの世へ行くのに単身ではみすぼらしいだろうと。船や共連れがあればこそ、あの世でも華々しく迎え入れてもらえるだろうと、そういう意味を込めて収めるんだそうだ」

 「棺に刻まれている、縄の意匠は何を意味するのですか?」


 ダンが尋ねると、アイザウル種は高らかに鳴いて教えた。


 「縄は人間で言うところの、常世と幽世(かくりよ)を繋ぐ糸。これを辿って幽世へ行き、そうしてまた常世に生まれてくる。――そういう世界観の中にいるんだ、彼女たちは」


 アイザウル種は赤ん坊を収めた棺の蓋をそっと閉じた。クラウスが通訳するには、これから遺体を持ち帰って、盛大な別れの儀式を行うのだと言う。

 草で編まれた、ドラゴンたちの身の丈ほどもある塔、六枚の羽を持つ鳥の人形、炎で浮かび上がる数多のランタン。ふわりと香る伽羅のにおい。慰撫するような祈りの歌声。


 ――今回はだめだったけれど。手を繋ぐことは叶わなかったけれど。

 ――この世界は無慈悲なことばかりではない。楽しいことも美味しいことも嬉しいことも、たくさんあるから。

 ――どうかまた、生まれておいで。


 アイザウル種が夢見心地に語る葬式の風景は美しかった。パンデモニウムのしつらえがどうしようもなく貧相に思えるほどに。


 アイザウル種のつがいは、棺を抱きかかえるようにして出口へ向かう。うち一頭が思い出したように、草で編んだ籠をクラウスに渡し、悠々とその場を去って行った。クルクル、と優しい鳴き声と共に手渡されたそれを、クラウスは少し困ったように見下ろしていた。

 葬儀が終われば長居する理由もない。ダンがクラウスに挨拶をする。


 「お疲れ様でした。私たちはこれで」

 「ああ。……あの、な。これ、喰うか」


 クラウスが籠から取り出して見せたのは白くて丸い、人間の赤子ほどもある食べ物だった。喰うかと言っているから食べ物だろう。西瓜のように見えなくもないが、果物であるかどうかも定かではない。


 「アイザウル種の連中は喜捨の精神――っつーほど大げさなもんじゃねえんだが、まあ、気前がいいほど良いヤツだ、って価値観がある。そういうわけで、俺やお前らみてえなのにもこういうのをくれるわけだ」

 「それは……果物ですか?」

 「ああ。旨いぞ。喰うか」

 「食べる!」


 はいはい、と手を上げてクラウスに駆け寄ってゆくのはミルカだ。ブーツから小型ナイフを取り出す。


 「貸して。ナイフで切れるかな……あ、意外と水分多いねえ。皮は食べられる?」

 「いや、西瓜と似たようなもんだから皮はやめとけ。種は大きいから飲み込む心配もねえだろ」

 「西瓜ってそっちにもあるんだね」

 「あるぞ。ただまあ大型種向けに品種改良されてるのは、スカスカしててあんまり旨くねえな。人間のとこで流通するようなサイズのが、甘さが凝縮されてて良い」

 「そっちでも人間の栽培したスイカ、買えるんだ」

 「ん、まあな」


 果汁で手をべとべとにしながら、半分に切り分けた果実をダンに差し出す。中身はみずみずしい薄桃色で、真ん中に黄緑色の大きな種がある。

 ダンは一瞬ためらっていたが、両手でそれを受け取る。クラウスは果実の上の方を器用に爪でくり抜いて、こぼれる果汁を長い舌で舐め取っていた。

 三人は車座になって座る。豪快にあぐらをかいて地面に座ったダンはけれど、その整ったかんばせのゆえだろうか、そんな仕草でもどこか上品に見える。


 「いただきまーす」


 いっせいにかぶりつくと、果実が口の中でほろりと崩れた。

 ダンとミルカは目を丸くする。果汁は酷く甘く、果肉は驚くほど柔らかい。噛まなくてもするりと喉を通ってゆく。水分と共にごくんと飲み込めば、自分の口から甘い香りがふうわりと漂うのが分かった。


 芳醇な水分を守るためなのだろう、皮は歯が立たない程固い。けれどその皮に近い部分、少し白くなった果肉が、一番濃厚で甘かった。昆虫のようだと思いつつも、ミルカは皮をしゃぶるのをやめられない。


 「おいしー! ジューシーで甘くてほろほろで、すっごい、おいしい」

 「ほんとうにおいしいですね……! 名前は何というのですか」

 「水蜜桃、という」


 ダンは綺麗に果実を食みとってゆく。薄い唇に滴る果汁を舐めとる舌がやけに赤く見えて、ミルカは慌てて目をそらした。

 クラウスはと見てみれば、果実の上に開けた穴から器用に長い舌を滑り込ませて、果肉を舐め取っている。これならば果汁を零す心配もない。なんだか自分だけ野蛮人のようだな、と思いつつ、ミルカは指にこびりついた汁を舐めた。こぶし半分ほどの大きさの固い種の周りの果肉もしっかりと食べきった。


 「水蜜桃は喰ったあともお楽しみがある。この種を割るんだ」


 クラウスは食べ終えた後の種をかぎ爪で割った。


 「それで断面を見て吉兆を占う。ああ、ダンのはシンメトリーだな。幸運の証だ。俺のは上半分がシンメトリーで、下半分はアシンメトリーだから運勢はそこそこ。そんでお前のは……」

 「見事なまでに左右ばらばらの模様だけれども!?」

 「あー……しかもここに逆三角形の模様が見えるだろ。これは凶兆も凶兆、これからアンラッキーなことが起こるという証だな」

 「うそでしょ……。でもあのほら、ダンの分と合わせれば運勢も相殺されて」

 「勝手に相殺しないで下さい。貸すくらいならいいですけれど、利子は高いですよ」


 言いながらダンは指先で種の断面をちょいと弄った。


 「それにしても、アイザウル種というのは不思議な方々ですね。ここまで人間に好意的な種族も珍しいと思います」

 「あいつらは最後まで人類を箱庭に追いやることに反対していたからな。まあ元々人間と深く関わることのない種族でもあったから、どうとでも言えたんだろうが」

 「あなたはどうなんですか、クラウス」

 「お前さっきからそればっかりだな。俺のこと聞いて面白いか?」

 「はい」

 「そ……そうか」

 「それにあなたが急に友好的になったのも気になります。アーケマイン種は気を許した仲でないと、食事を共にしないと聞いたことがありますし」


 首を傾げるダン。クラウスはぐっと言葉に詰まったようだが、ややあって観念したように溜息をついた。首飾りがちりちりと音を立てる。


 「我ながら単純だと思うけどよ。アイザウル種ってのは厄介なもんで、仲間の過去を『観る』だけじゃなく『共有する』こともできるんだ。他の種族にも」

 「……つまりあなたは、ミルカのしたことを」

 「見た。お前たちのしたことを」


 クラウスはそう言って、ミルカの方を見た。


 「一つ聞かせてくれ。あの赤ん坊の遺体を守るために体を張ったのはなぜだ? お前は同じ人間の死体でも同じことをするのか?」

 「……分かんない。あの時は何か考えて行動してたわけじゃないから」

 「勝手に体が動いてた、ってやつか」

 「そんなに仰々しいものじゃないよ。だって、あの子は両親に舐めて貰うことも、触れて貰うこともできずに、ただ冷たい雨に打たれてたんだよ? 生まれたばかりのまっさらな体に触れるのが、悪意に塗れた人間の礫だけだなんて……そんなひどいことを許してはいけないでしょう」


 そうか、としかつめらしい表情で頷いたクラウスの口元が、途端にほどけた。


 ドラゴンも笑うのだ、とミルカは思った。目を細めて牙を覗かせる、その表情自体は威嚇にも似ているはずなのに、思わずミルカもつられて口元を緩めてしまう。


 「俺たちの種族は子どもを一番大切にする。なんといっても宝だからな。その子どもの亡骸を、よからぬことを企む奴らの手から守ったことについては、正直見直したと言わざるを得ん。それにその魔術の腕!」


 かぎ爪でびしっとミルカを指差す。


 「あの氷魔術は、ヒト科の猿どもにしちゃあ、なかなかのもんだった」

 「もっと褒めてくれてもいいんだよ? あ、でも、魔術ならダンもすごいよ」

 「ミルカほどではありません」

 「あんたも相当なやり手だってのは見りゃ分かるさ。にしても、だ。それほど魔術が使えれば、人間もお前たちを放っておかねえだろう。葬儀社が悪いって言いたいわけじゃねえが、労働の割に見返りは少ない仕事だろう。なぜ葬儀社なんぞやっている?」


 極論、箱庭の統治者に任せてしまえばいいだろうとクラウスは言う。


 ドラゴンの遺体は、人間たちにとっては、自分たちの生活領域に落ちてくる天災のようなものだ。ミルカが初めて見たドラゴンの遺体が、彼女の魔術のせいもあったとは言え、結局リグ一本を廃抗にしてしまったのが好例で、箱庭に住まう人々はドラゴンを良く思っていない。そもそも箱庭などという辺境に押し込められたのは全てドラゴンのせいだと考えている。


 彼らの遺体なぞ打ち捨ててしまえばいいと思っている人間は多くいるし、どうせ落ちてきたのならば、知らぬ顔をして仕舞い込んで、研究材料にしてしまえばいいと考える人間もいる。

 その中で、愚直にドラゴンの遺体を返す葬儀社という仕事は、民間人が負うには重すぎる責任だろうと――そうクラウスは言った。


 「んー、私はまだ下っ端だから何とも言えないけど、お葬式を通じてドラゴンの色んなことを知れるのは面白いよ。面白いって言ったら不謹慎かも知れないけど」

 「不謹慎とは思わねえよ。仕事は楽しまねえとな。で、ダンは?」


 ダンは考え込むように自分のつま先を見る。


 「そうですね。私たちが葬儀社を続ける限りにおいては、ドラゴンと人類の戦争は少なからず避けられるでしょう。葬儀社としてドラゴンのご遺体に敬意を払うのは、それがご遺体だからというよりも、ドラゴンのものだから、という意味合いが強いです」

 「下手に出た方がいい相手だから、ってことだな」

 「ええ。言うまでもないことですが、私は二百年前の二の舞はやりたくありません。箱庭には様々な問題があるのでしょう、食糧とか、人口増加とか、色々。けれど平和であることは事実です。明日死ぬかもしれないという恐怖とは無縁でいられる。今のところは」


 それまで黙って聞いていたミルカが口を挟んだ。


 「でもさ、それだけじゃないでしょう」

 「え?」

 「だってそんなよそゆきの使命感だけじゃ、あんな寒い作業室に何時間も籠っていられないよ。仕事だからって理由だけで、ドラゴンから言われてもないのに遺体を直したり、声をかけに何度も下りたり、そんな大変なことできるとは思えないよ?」

 「これは仕事です。大変であるとかそうでないとか、関係ありません」

 「そうかな?」

 「そうです。……ああ、でも。前に祖父が言っていましたね」


 どこか懐かしそうに目を細めるダン。


 「葬儀屋は確かに、死の穢れに触れる、忌まわしい職業なのかも知れない。けれど葬儀人がきちんと葬儀を行うことで、故人の生きていた時間と、死んだあとの時間を繋ぐことができる。葬儀屋は、ご遺族の人生を繋げるために、そしてご遺族と故人を繋げるために、仕事をするのだと。――そう言った祖父は十年前に行方不明になって、結局空っぽの棺でお葬式を上げました。今なら祖父の言葉の意味がよく分かります」


 空っぽの棺はとても不思議な感じがするのです、とダンは囁くように言った。


 「その人が死んだ、と言われた時にご遺体がないと、どうにも妙な気持ちがしませんか。その人が死んだのは大嘘で、ある日ひょっこり家に帰ってくるのでは、と思ってしまうのです。だから、葬式はある種の“ピリオド”なのです。死に死としての輪郭を与え、死としての文脈を完結させる為の、ピリオド。

 誰かが亡くなるのは悲しいことですが、それは事実として受け止めなければならないことでもあります。その人は死んだ、けれど自分は生きている。その事実を受け入れて、明日を生きる為にお葬式があるのだとしたら――それは誰かに簡単に任せて良い仕事ではありません」


 ミルカはじっとダンの話を聞いている。多くを語らない彼の心中を、こうやってダン自身の言葉で聞くことができるのが嬉しかった。


 「空っぽの棺は悲しいから。ずたずたになったご遺体を見るのは辛いから、きちんと、そのご遺体をご遺族にお帰ししたい」

 「遺族の心に、亡くなったひとの席を残しておくため、だよね」

 「よく覚えていましたね」

 「忘れないよ。……だって、だんだん分かってきたもん。いなくなってしまったことを、受け入れること。不在をきちんと見つめること。そういうこと、だよね」


 クラウスはしみじみと頷いている。ヒトの言葉など、と嘲っていた初対面の頃が嘘のように、豊かな表情を見せている。

 鱗に覆われたその口元が一転、きりりと引き結ばれた。


 「であれば未来はそう悪くないものになるだろう。俺たちの大事にするものを、大事にしてくれる人間がいれば、あるいは……」


 クラウスは何か言いかけてやめた。ため息をついて、水蜜桃の入った籠を持ち上げる。


 「土産代わりに持って行けと言いたいところだが……」

 「お心遣いに感謝します。そちらの物を箱庭に持ち込むと色々面倒ですし、それはあなたが召し上がって下さい」

 「なら有難く貰って行こう。これに目がないヤツが俺の知り合いにいてな」

 「お知り合いですか」

 「おう。医術士見習いでな、勉強してるとすぐに喰うことを忘れちまうんだが、これなら少しは机から離れるだろ」


 どこか愛おしそうに呟いたクラウスは、ぬっくりと立ち上がると、ぐるると満足げに喉を鳴らした。別れの挨拶なのかもしれなかった。

 他のドラゴンよりも大きな翼を窮屈そうに畳んで、のそりとパンデモニウムを後にするクラウスを、ダンたちは最後まで見送った。

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