十二話

 

 ミルカは濡れた服を着替えながら、男たちの武装を思い出していた。

 ご丁寧に家紋入りの武器を持たせているところを見ると、貴族の私兵団の類なのだろう。もしかしたらダマスカス一族の繁栄を面白く思っていない貴族たちの仕業なのかもしれない。


 ドラゴンの知識を欲している人間が糸を引いている、というのも考えられる。リグの共同掘削で一山当てようとでも思ったのだろうか。何にせよ下手人の候補はいくつも考えられた。


 着替えを済ませたミルカが上の空で地下室に降りてくる。その表情を見たダンがぴしゃりと、


 「ミルカ。集中できないなら帰って下さい」

 「あ……ごめん、やる、集中するからちゃんとやらせて」


 ダンにたしなめられ、ミルカは意識を目の前の作業台に戻す。

 横たわっているドラゴンの子どもの遺体。くすんだピンク色の体は徐々に強張りつつあった。


 ちょうどクラウスを小さくしたような姿かたちをしていた。柔らかな皮膚には枝葉や泥がこびり付いている。柔らかな刷毛や指を使って、丁寧にそれを取り除いてゆく。

 目立った外傷のないこのドラゴンがどうして死んだのか、ミルカには分からなかった。けれどダンによれば、ドラゴンの赤ん坊は生まれてすぐに親に体を舐めてもらう必要があるのだと言う。


 「体表を見て下さい。鱗がないでしょう。親の舌で刺激することで鱗が浮かび上がって、ようやく自分で呼吸ができるようになるのです。ですからこの子の死因は窒息死ということになりますね」


 どんなに辛かっただろう。当然与えられるべき親の庇護はなく、仲間の全くいない世界で、息苦しさに一人で耐えながら死んでゆくのは。

 作業台がやけに広く感じられた。普通のドラゴンに比べて、体がとても小さいのだ。その小ささがやけに胸を締め付けた。


 「親は赤ん坊を舐める時に、自分の寄生虫を移します。鱗がないと寄生虫が隠れられる場所もありませんから。ですから親に触れたことがない嬰児のご遺体には寄生虫はいません。覚えておいて下さい」

 「分かった。さっき言ってたパンデモニウムの登録書ってのは?」

 「ドラゴンたちは、自分たちの親族が行方不明になるとパンデモニウムに届け出るのだそうです。行方不明者の特徴や、名前なんかを書いておいて。私たちはご遺体を発見したら、ご遺体と登録書の特徴を突き合わせて特定し、そのご遺族に連絡をします」

 「それはクラウスみたいな番人がやってくれるの?」

 「はい。彼は人間とドラゴンを繋ぐ橋渡し人のようなものですから。今も照会をかけていますから、じきに折り返しが来るかと」


 二人はせっせと遺体を清めた。ミルカは目の前できびきびと動くダンを盗み見る。

 濡れた服は着替えたとは言え、濡れそぼったままの髪がぺたりと頬に張り付いて、鬱陶しそうだった。


 「……遺体の側には誰もいなかったね」

 「電信通話の時は、巡査長を立たせておきますと言っていたのですけれどね。いつものことです」

 「いつものこと?」

 「私たちはいつも好意的に迎えられるわけではありませんから。泥を投げられなかっただけまだ良心的な方です」


 平然と言うダン。何か言おうとミルカが口を開きかけたとき、ジリリリリ! と癇に障る呼び出し音が作業場に鳴り響いた。


 「ミルカ、すみませんが出てくれませんか」


 手が離せないダンの代わりに、ミルカが作業室の電信通話機の受話器を手に取る。


 『おう』

 「クラウス? どうやってその手で受話器握ってるの?」

 『切るぞ?』

 「いやいやお互い仕事はちゃんとしなきゃ、でしょ。照会終わった?」

 『次関係ないことを口にしたら本気で切るからな。行方不明の届け出がされている嬰児は三体、内一体は小夜鳴き種だから除外していい』

 「何で?」

 『小夜鳴き種は生まれつき体色が藍色なんだ。その遺体の体色はピンクなんだろう?』

 「うん。大きさは大体一・五メートルで、角っぽいものはないよ」

 『目の色は?』

 「緑」

 『……尾はセンチネル型か?』

 「ん?」

 『クソッ、面倒だな。尾の先端は扇状になってるか?』

 「それをセンチネル型って言うんだね。うん、なってるよ」

 『そうか。ならそいつはアイザウル種だ。葬儀に関する希望はなし、遺体の引き渡しのみを希望しているそうだ。両親には連絡しておく』

 「分かった、お願いね。葬儀の希望日時を聞いたら教えて」


 ミルカは電話を切った。一体クラウスはどうやって、いやそもそもどこから電信通話機を使ったのだろうと考えながら作業台に戻る。


 「アイザウル種だって」

 「そうですか。私は初めてですが、前に祖父がやったことがあるはず」


 呟きながらダンは、部屋の隅の書架から、革張りの巨大な本を取り出すと、慣れた手つきでページを繰った。

 それは今まで葬儀をあげたドラゴンの記録だ。鏡文字と独特の符牒を使って書かれたそれは、ハッキネン家以外の者が判読することが難しい。時折挟み込まれたドラゴンのスケッチは、モノクロだが端正で美しかった。


 ダンはよくこの本を読んでいる。コーヒーを飲みながら、体埋めるようにして没頭している光景を、何度か見かけたことがあった。


 「向こうは遺体の引き取りだけを希望しているんだって」

 「祖父の記録にも同じ内容が書かれています。でしたら特に準備することもないですね」


 そう言いながらダンは作業台を後にしようとしない。この部屋はとても寒いのに。


 「……あの。さっきのあなたの魔術について、ですが」

 「うん」

 「あれは、禁じ手ではないのですか」


 その言葉にミルカは苦笑とも微笑ともつかない表情を浮かべる。


 禁じ手。それは字義通り、使用が禁止されている魔術だ。

 使用が禁止されている理由は、それが術士の命を削るものだから。そして、貴重なマギを著しく浪費する行為だから。


 通常魔術を展開する場合は、ミルカが得意とする「文様展開型」と、ダンが得意とする「呪文詠唱型」のいずれかを選ぶのが普通だ。

 文様描画、もしくは呪文詠唱を介さずに魔術を展開すると、術士へのフィードバックが大きい。マギは重要な魔術リソースだが、不用意に使えば人体へ悪影響を与え得る。

 それだけではなく、一度に大量のマギを浪費することにもなる。

 要するに、文様や呪文はフィルターの役割を果たしているのだ。マギの毒を抜き、使いすぎを防止する。それを怠れば命が危険に晒され、ただでさえ少ないマギの総量に影響が及ぶ。ゆえに、禁じ手。


 「別に、自分の命を削って魔術を展開してるわけじゃないけどね」

 「ですがあなたは体に文様を刻んでいるように見えました。それも全身に。それで文様描画のプロセスをスキップしているのではないですか」


 そこを看破する辺り、ダンの力量も相当なものである。

 ミルカは言葉に詰まった。

 別に秘密にするほどのことではないのだ。ただダンに知られたくないというだけで。あとちょっぴり非合法(イリーガル)であるというだけで。

 

 ダンはじっとミルカを見つめている。いつものように凪いだ瞳で。


 「……その目、ずるくない?」

 「何がですか。私はただあなたを見ているだけですが」

 「いや、だって、近すぎるよ」


 照れちゃう、と両手で顔を隠すミルカ。その手に冷たい指が触れる。

 ミルカ、と優しく呼ばれる。やっぱりずるいとミルカは思う。力づくでこじ開けようとするのなら、まだ抵抗ができたのに。


 彼女が腹を括った、その時。


 「二人ともー? 今日はサーモンパイにしようかと思うんだけど、どうかなあ?」


 呑気なウィリアムの声が上階から振ってきて、二人は脱力した。しかも意見を聞いているくせに、既にパイ生地の焼ける香ばしい匂いが漂ってきている。とんだせっかちだ。


 機を逸したことを悟ったダンは、ミルカから視線を外す。遺体に布をかけ、部屋の冷気を強めると、電気のスイッチを落とした。

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