そこは工房静かな部屋
第六話
この世界は敗北によって出来ている。
それを説明する為にはまず、人類とドラゴンの関係性から始める必要があるだろう。
かつて人類はドラゴンを踏みにじり、虐げ、物のように扱ってきた。火や酸を噴くものは戦争兵器に、足の速いものは騎乗する為の乗り物に、翼を持つ者は伝令に、何の役にも立たない小さなドラゴンは肉として。
ドラゴンは他の動物のような卵生ではない。つがいとなったドラゴンが祈りを捧げることで、子が自然界に生る。木の根、岩の中、水中の石、砂漠の多肉植物といった中から、突然ごろりと果実のように生じてくるのだ。
ゆえに、牛馬に代表される家畜のように、生産数をコントロールすることが出来なかった。
それはまたドラゴンたちにとっても歯がゆい現状だった。人間たちに酷使され、殺されてゆく同胞を見守ることしかできない。数を集めて反乱を起こそうにも、どんどん数が減ってゆくのだから難しいことだ。
かくてドラゴンたちは十何世紀もの間辛酸を舐めることとなる。虐げられたこの歴史をドラゴンたちは重く見、今もってなお人間たちに許しを与えていない。
許し、どころか。
ドラゴンたちは今や人類より遥か上位の存在として君臨している。
その端緒となったのは1789年の大戦だろう。他愛のない、人類同士の宗教戦争だった。互角だった。双方が疲弊し、ドラゴンも馬も人間も犬も鳩も象も、たくさんの生き物が死に絶えた。まつろわぬ獣である魔獣でさえも、その余波を喰らって多くが命を落とし、グリフォンやワイバーンといった翼持ついくつかの種は、永遠にその血が途絶えたとも言われている。
輝聖石によるマギ伝導効率の上昇、術式の複雑化による威力向上、活版印刷の進歩による詠唱型魔術の増加といった技術の進化が、戦争が拡大した主たる原因であった。魔術の威力が上がることは、とりもなおさず必要とするマギの絶対量が増加することでもあり、マギを巡る争いも泥沼化していった。
相手の陣の魔術師の名が判明していて、対策が取りやすかった時代からは一転、名も顔も知れぬ魔術師が繰り出す高威力・広範囲の魔術は、戦場から生き物の命を根こそぎ刈り取ってゆくものだった。
その戦争に終止符を打った名将がいた。
名をホセ・ディアブロという西軍の策士は、かねてより暖めていた作戦を決行した。
即ち、ドラゴンによる転移魔術の執行。
通説ではドラゴンは魔術が使えないものとされていた。その巨躯を維持するために多くのマギを消費する為、魔術を行使できるほどのマギを体内に溜めておくことはできない、と考えられていたのだ。
それを覆したのがホセ・ディアブロだ。彼はドラゴンたちが、転移魔術の分野においてのみ、海内無双の才能を発揮することを発見したのだ。その転移魔術によって、ドラゴンたちは戦場を駆け抜け、かく乱し、果てがないように思われた戦争に終止符を打った。
そうしてドラゴンたちは唐突に、自分たちが人類など容易く出し抜いてしまえることに気づいたのだ。
気づいてしまえば早かった。元より力では圧倒的に勝っているドラゴンのことだ、数の少ないことはさして問題にはならなかった。
人間の圧政に耐え兼ね、反旗を翻したのは少数の賢いドラゴンたち。転移魔術を用いて、人間たちの防衛の要を飴細工のように打ち砕いていった。ドラゴンは転移魔術以外の魔術はあまり使えないが、酸を吐けば城壁は容易く崩れるし、火を吹けば少々鍛えただけの兵士など容易く塵芥と化す。
その過程で多くの人々が殺された。かつての英雄ホセ・ディアブロも、ドラゴンにプロメテウスの火を与えたかどで、人間の男たちに八つ裂きにされて死んだ。
ドラゴンたちは慈悲深かったので、人をあたら嬲り殺すことはしなかった。
けれど配慮もしなかった。男女の別なく殺し、老いも若きも平等に踏みにじった。
ここへ来て人類はようやく己の劣勢を悟る。ドラゴンたちは静かに、迅速に、嫉妬するほど効率的に、この大地から人類を追放した。
まるで何かの使命を帯びているかのように。
けれど、人類の人類たるゆえんは、並外れた生命力と生き汚さにある。
生き残った少数の人間は、人種や国など関係なく集まり、半島付近に生き延びる為の集団を作った。ドラゴンたちはそこも潰そうと画策したが、人類は抗った。あらん限りの魔術を用いて、ドラゴンには破壊しえぬ空間を作ったのだ。
それが、現在人類が住まう空間「箱庭」である。
ドラゴンたちは考える。
人類を絶滅させるに敷くはない、が、既にこの世界の覇者とは言い難いほど数の減った彼らを、最後の一匹に至るまで周到に追い詰め、念入りに殺すことに何の価値があるだろうか?
天翔ける偉大な木龍は、度し難く愚かな猿に慈悲を垂れた。
ドラゴンたちは箱庭を放置した。現状を維持する限り攻めようとは思わないが、人類がまたぞろ不埒なことを考えれば容赦はしない、と言い残して。
つかの間の休みを得た人間たちはほっと安堵の息を吐き、箱庭として囲った自分たちの世界を整え始める。ドラゴンが転移魔術を天分の才として操るのと同じに、人類もまた何かを創造する魔術を強みとした。
限りある資源からより良いものを作り出す、その力で、箱庭は再び繁栄を取り戻す。
――人々は学んだ。隣人とは手を携えるべきだと。
新しい世代の人間たちは、争いの無意味さを知っている。だから彼らは取り戻しつつある繁栄の果実を、間違いのない方向に活かすことができるだろう。
恐らくは。
*
満員の路面電車をやり過ごしてから線路を渡り、路地の名前を確認する。クロケットの香ばしい匂いがどこからか漂ってくるのが分かって、ミルカは鼻をひくつかせた。
ミルカの目的地は街のはずれにあった。相乗りの蒸気馬車――早いがお尻が痛くなるし、蒸気と警笛がけたたましい音を立てていてとにかくやかましい――でも拾おうかと思ったが、天気が良いので歩いてゆくことにした。
一本道だ。迷うこともなく歩いていると、足元にこつんと石が転がってきた。
投げてきたのは十歳くらいの子どもたちだ。その目は好奇心でぎらぎらしている。
「そっちは死体収集家の家だぞ?何しに行くんだ」
「ドラゴンの死体とか、寄生虫とか、そういうのを集めてる奴らがいるんだぜ」
「残酷で冷血なばけものだ。しかも足のない不気味な奴もいるし! 悪魔と契約してドラゴンの死体を捧げる代わりに、黒魔術を教えて貰ってるんだ。禁忌だぜ、禁忌!」
ミルカは反応せずに歩き続ける。この程度のじゃれつきは可愛いものだ。
それに、禁忌の一つや二つ、今更恐れる程でもない。
その反応がつまらなかったのだろう。子どもたちはこわごわと石を投げてくるだけで、ついては来なかった。
ひと気の少ない路地を歩いていると、唐突に現れた石造りの家に行き当たる。オレンジ混じりの茶色い壁は、繁茂するポプラの木と蔦でなかなか全貌が窺えなかったが、増改築を繰り返しているらしいことは分かった。
門の前にある郵便受けには、矢が交差する家紋が刻印されてあった。それが目的地の証となる。
分厚いオーク材の扉にはノッカーがなかったので、ほとんど殴りつけるようにノックをした。家主はすぐにドアを開け、呆れたように来訪者を見上げた。
「うるさい。それに約束の時間から遅れています」
ダンだった。すみれ色の瞳は微動だにしないが、よくよく見れば微かな不機嫌さが垣間見えている。ミルカは悪びれずに笑って、
「たかだか五分でしょー? そうきりきりしないでよ。路面電車が混んでてさ」
「そういう交通機関の遅れも見込んで家を出るのが大人というもので……」
「あっ、こんにちはミスター・ハッキネン。ミルカ・モナードです」
ミルカは意に介さず家の中に入ってゆく。水色と乳白色のタイルが張られたカウンターの横には、車椅子に乗った壮年の男の姿があった。膝から下は金めっきの施された義足の状態だ。
子どもたちが言っていた、足のない不気味なやつ、とは彼のことだろう。
赤茶けた髪に人懐っこそうな緑色の目は、どこか犬を思わせる。握手した手のひらは固く、かさついて温かかった。
「やあやあミルカ君か! ダンから聞いているよ。私はウィリアム・ハッキネン、葬儀社の代表を務めている。両足がないものでね、座ったままで失礼!」
「いえ。兵役でもされていたんですか?」
「これかい? これはねえ、沼沢地のご遺体を回収する際に負傷したものでね。ご遺体を見つけるまでに相当な時間が経ってしまっていてね、吐酸種の臓器が体内で発酵してしまっていたようで。ご遺体の姿勢を変えた瞬間、孔という孔から腐敗した酸が漏れ出して、私に直撃したってわけさ!」
「すごい、よく生きてましたね」
「私もそう思うんだよ。膝下切断で済んで本当にラッキーだった。ラッキーと言えば、君のような若い子を雇えるなんて思ってもみなかった!」
「えへへ、こっちも失業していたもので……。雇って頂けるのはありがたいです」
「しかし払える給料はスズメの涙ほどだし、君ももう分かっているだろうが、葬儀社なんてロクな仕事じゃない。ここへ来るまでに石をぶつけられなかったかい」
ミルカは何も言わず、ただ笑ってかぶりを振った。
今から遡ること五日前、リグでの警備隊の仕事を正式に失ったミルカは、真っ先にダンに連絡を取った。正確に言えばダンの所属するワイナミョイネン葬儀社に。
電話に出たウィリアムは、働きたいというミルカの申し出をあっさりと受け入れた。ダンの口利きもあったのだろう。提示された給料は安かったが、ミルカは気にしなかった。
ダンとまた会いたい、という下心がなかったとは言わない。けれどミルカはダンの操る類まれな魔術と、物言わぬドラゴンたちの遺体に興味を掻き立てられていた。
「ここって、従業員はダンとウィリアムさんしかいないんですか」
「そうだね。前はいたんだが、体を壊して辞めてしまってね。私がこのありさまだから、息子一人に頼りっぱなしだ。だがまあ、ドラゴンのご遺体が見つかるのは月に一度くらいのことだし、どうにかなっているよ」
「月に一度も? そんなに頻繁に発見されてましたっけ」
「ああ、ニュースにならないご遺体もあるからね。赤ちゃんとか。頻度が低いとは言え、君がいてくれればダンもやりやすくなるだろう」
にこにこ笑っているウィリアムは、喋りながらも作業する手を止めなかった。帳簿をつけているのだろう、巨大な台帳に独特の符牒で何かを書きつけている。
ミルカはその間にぐるりと居間を眺めた。
凝った装丁の本がカウンター、暖炉の上、ソファの傍らにうず高く積まれている。本は非常に高価なもので、貴族たちはそれを自分たちの富のしるしとして仰々しく飾るものだが、ここではそんな特別扱いはされていない。日頃から愛読されているのだろう、表紙の金箔は掠れ、たくさんの紙片が挟みこまれていた。
時折何に使うのか分からないヘラや刷毛のようなものがぽつんと置かれているが、不思議と乱雑な印象は受けない。これはきっとあるべき混沌なのだろう。
「ま、男所帯のわりには綺麗かもね」
「一言多いですよ」
「褒めてるのに」
ミルカはこの家を気に入りつつあった。東の壁面を占領する本棚からはよく手入れのされた革の匂いがし、無造作に置かれた鹿の角からは静謐な死の気配が漂っている。微かに感じる消毒液と金臭いにおい、そうしてそこにぽつんと混じる薫り高いコーヒーの匂いは、ミルカの心を緩やかにほどいていった。
それにダンも口ほど彼女を嫌がっているわけではなさそうだ。リグではあなたと呼ばれていたのに、ここではきみと呼ばれる。距離を縮められるのは嬉しいものだ、とミルカは一人でにやにやと笑った。
やがてダンが奥から盆を持って現れる。そこには芳醇な香りを放つマグカップが一つ乗っていた。てっきり自分に出されたものと思ったミルカは、礼を言って受け取ろうとしたがすげなく一蹴される。
「これは父さんのものです」
「えー、まずはお客さんにお茶とか出すもんじゃないの」
「きみは従業員でしょう。何をお客さん面しているんですか」
「あ、そっか。って言うかそれ、本物のコーヒーだよね? 豆から挽いた?」
「よくお分かりですね。そうです、タンポポやチコリの粗悪品ではなく、豆から淹れた本物のコーヒーです。父さんはこれが好きなんです」
「私も好き! ね、作業終わったら私にもコーヒー淹れてよ」
「考えておきましょう。さて、どうやらミルカもやる気のようですから、仕事にかかりましょうか」
ダンは盆を置くと、分厚い革のエプロンを身に着けた。細いけれど節くれだった指がまめまめしく動く。
「コーヒー、忘れないでよね!」
「考えておくと言ったでしょう。まあ、仕事が終わったあとに、何かを胃に入れようという気概があればの話ですけれど」
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