第34話

 連絡先はスマートフォンに入っている。

 菖子の名前を呼び出しさえすれば、すぐに電話をかけることができる。しかし、藤花はそんな簡単なことが酷く難しいことのような気がしていた。


 メッセージでやり取りできれば良かったのだが、菖子から『蘇芳のこと覚えてるよ』と返信があったのはぐつぐつと煮込んだカレーを家族で食べている最中だった。


 一言で言えば、タイミングが悪い。


 藤花はすぐに返事を送ることができず、菖子から『時間ができたら電話して』というメッセージを受け取ることになった。そして今、スマートフォンを前に頭を抱えている。


 蘇芳から二人で会いたいと言われ、会うとは答えていない。

 だが、会わないと決めているわけではなかった。


 メッセージでのやり取りなら、蘇芳から何を言われたのかを有耶無耶にしてしまうことができるが、直接話せばどうなるかはわからない。


 藤花は、嘘が得意ではない。

 そして、菖子の会いたいという想いをのらりくらりとかわしてきたこともある。簡単に終わらせることができない電話をすることで話がどう転ぶかわからず、気持ちが重い。


 しかし、蘇芳のことで聞きたいことが山のようにある。

 同時に、都合良く菖子を使うことに罪悪感もある。


 静かな自室で、椅子の背もたれに背中を預けてノートパソコンの電源を入れる。SNSをチェックするが、蘇芳からの返事はない。


 藤花は、ふう、と息を吐く。

 かけないという選択肢はない。

 スマートフォンを手に取って、菖子に電話をかける。呼び出し音が二回、三回と鳴り、すぐに聞き慣れた声がした。


「藤花」

「今、時間ある?」


 弾んだ声になんと答えようかと考えて、無難な言葉を口にする。


「あるけど。……電話、藤花からはずっとしてくれなかったよね。もしかして仕事見つかった?」


 答えを知っているであろうことを菖子が尋ねてくる。それだけで不満が積もり積もっていることがわかって、藤花は髪をぐしゃぐしゃとかき上げた。


「いや、まだ。こっちから電話できなくてごめんね」

「いいよ、別に。会ってくれないんじゃないかなって思ってたから。藤花っていつもずるいもん」


 チクチクとなどという可愛いものではなく、菖子が尖った刃物でズプリと藤花を刺す。思わずうめき声を上げそうになったが、ぐっとこらえてもう一度「ごめん」という言葉を口にすると、菖子が仕方なさそうに言った。


「許してあげるし、蘇芳のことも教えてあげるから、また会って。っていうか、会いに行くから部屋に入れて」

「それ、拒否権ないよね?」

「あると思う?」

「ない、よね」


 菖子の言葉を否定することもできる。だが、会う、という約束一つでずるいとわかっている藤花を受け入れると言われたら、拒否するわけにはいかなかった。


「わかってるならいいよ。蘇芳のこと教えてあげる。塔に蘇芳って人がいたのは間違いないし、淡藤と仲が良かった」


 菖子がいつもの調子に戻り、すらすらと蘇芳のことを話し始める。


「菖蒲とも仲が良かったの?」

「ううん。それほど仲が良くなかったから、淡藤の方が蘇芳のことよく知ってると思う。藤花の夢には、出てきてないんだよね?」

「出てきてないから、まったくわからない。菖子は、蘇芳の能力が何だったかわかる?」

「透視だったかな。確か、お互い動物好きで気が合うって淡藤が言ってた」


 夢に蘇芳と名乗る人物が出てきたことはない。だが、覚えていないだけで夢のどこかに出てきたのではないかと思って記憶を探るが思い出せない。仲が良かったと聞いても、その存在が頭の中に浮かび上がることはなかった。


「外見ってわかる?」

「髪、染めてたよ。赤く。ちょっと長めのボブカットかなんかで、身長は淡藤より高かったはず。覚えてるのはそれくらいかな。藤花はそういう人、夢に少しぐらい出てきてないの?」

「たぶん、ないかな。まったく記憶にないから」


 一度でも夢に出てきているのなら、外見を頼りに記憶を呼び覚ますことができるかと思ったが、思い当たる人物はいない。藤花の記憶の引き出しには、蘇芳に関するものが入っていないようだった。


「菖蒲はなんで仲良くなかったの?」


 友人や恋人の友人と親しくなることが当たり前というわけではないが、塔という限られた空間で過ごしていれば交友関係は手近なところで構築されそうに思える。


「明るいんだけどちょっとお節介なところがあって。菖蒲はそいう人が苦手だったみたいだから」

「そうなんだ」


 蘇芳の情報とともに、菖蒲に関する情報が藤花の中に書き加えられ、最近見ていない前世の夢をまた見たいと思う気持ちが強くなる。


 夢を確実に見る方法は、いまだに見つかっていない。

 どうしたら、見たいときに確実に夢を見ることができるのか。


 藤花の意識が電話から遠ざかり、夢を見る方法に繋がる。

 答えがでないものだとわかっていながら夢を見るきっかけを探して思考を巡らせていると、ふいに名前を呼ばれ、藤花の意識が現実へと戻ってくる。


「ねえ、藤花」


 そう言ったまま、藤花を呼んだはずの菖子が黙り込む。続きを促すように「なに?」と問いかけると、小さな声が聞こえた。


「――蘇芳に会うの?」


 歓迎していない。

 そんな声に、藤花は静かに答える。


「この前のこともあるし、迷ってる。でも、会うときは菖子に言うから」

「ほんとに?」

「本当」

「じゃあ、約束破ったらあたしの言うこと一つ聞いて」

「破らないから大丈夫」


 安心させるように柔らかな口調で告げるが、犯人を追い詰める探偵にでもなったかのように菖子が言った。


「そういうこと言う人に限って、約束破るよね」

「破らないって」

「だったら、約束して」

「わかった。約束する」


 蘇芳に会いたいとは思う。

 彼女が知っている前世の記憶を知りたい。

 自分が知らない菖蒲のことも知りたいと思っている。


 だが、会うべきではないとも考えている。二人で会いたいと言い、菖蒲には近づきするなと忠告してきた蘇芳に対する不信感が拭えずにいる。


 それでも、蘇芳に会うと決めることがあったら。

 ――菖子は気がつくだろうか。


 そんなことを考えていると、藤花の頭の中を覗いたかのように菖子が言った。


「バレなきゃ良いとかそういうのも駄目だから」

「バレなかったら、約束破ったかわかんないでしょ」

「藤花って嘘下手そうだし、わかるよ」

「そんなに下手じゃないよ」


 嘘は上手くはないがわかると断言されると、否定したくなる。


「あたしにはすぐバレるから、嘘ついても無駄だからね。とにかく、もう約束したから」

「はいはい。指切りしておく」


 嘘を付いたら、菖子の言うことを一つきく。

 指切りの代わりに菖子が口にした言葉を繰り返して、電話を切る。


 約束を破らずにすむならその方が良い。

 藤花は、電源を入れっぱなしのノートパソコンに向かう。

 二人きりで会わずに蘇芳の話を聞く。

 そう決めると、藤花は蘇芳にメッセージを送るべくSNSにアクセスした。

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