新たなメッセージ
第26話
夢、夢、夢。
目が覚めるほんの少し前、藤花は夢を自覚する。
今、自分が体験していることが夢であり、現実ではないことに気がつく。だが、もう少し、と願う。
体を重ねた後のことを知りたい。
この夢の続きを知りたい。
まだ目を覚ましたくない。
現実に引きずり出される前に、夢に沈んで行こうとする。しかし、追いかけても夢は遠ざかり、アラーム音が聞こえてくる。
藤花は、開きたくない目を開く。
夢を見ていたとは思えないほどに、クリーム色の天井がはっきりと見える。藤花はため息を一つつき、耳元でけたたましい音を鳴らすスマートフォンを掴むと、乱暴にアラームを止めた。
「この前、菖子から聞いた夢だ」
思わず声に出る。
今、見たもの。
それは、以前ファミリーレストランで菖子が話していた“淡藤が起こした脱走騒ぎ”の夢だ。
前世の夢は、望んだ場面を見られるわけではない。再生される前世は勝手に決められ、眠りの中で上映され、唐突に終わる。見たいと思っていた夢を見られるわけではない。だから、今回のように知りたかった事実を知ることができる夢を見られたことは幸運なことだと言える。
しかし、夢の後半は詳細に知りたいものではなかった。感覚を淡藤と繋がずにいられるのなら良いが、前世の夢はそうはいかない。
現実感のある夢は、夢の境界を軽々と越えて藤花に干渉してくる。体に菖蒲が触れた感触、耳に菖蒲の囁く声が残ったままだ。行為の心地の良さも、覚えているというより自分の体に起こったことのようで藤花は頭を抱えた。
「最低」
パジャマのボタンが閉まっていることを確認しながら呟く。
嫌悪感があるわけではないが、他人の体験が自分のことのように体に残る感覚は好ましく思えない。藤花はエアコンのスイッチを入れ、カーテンを開ける。窓の向こうから入り込む眩しいくらいの光に目を細めた。
夢の残り香が濃い。
菖蒲の熱が体に残っているような気がして、藤花は細く長く息を吐く。スマートフォンを手に取って立ち上がり、SNSをチェックする。だが、黒紅から返事は来ていなかった。
一瞬、昨日のことは夢なのではないかと思うが、『前世のことでお話したいことがあります』というメッセージはしっかりと残っている。もちろん、藤花が送ったメッセージも表示されている。
「返事はまだか」
もしかして、からかわれているのではないか。
そんな考えがよぎる。
話があるとメッセージを送ってきておいて、すぐに返事を書かない理由がわからない。自分なら、時間を置かずに返事をするはずだと藤花は思う。
しかし、考えていても答えがでる問題ではない。いくら嘆いたところで返事は来ないのだから、気持ちを切り替えるしかなかった。
「そうだ。菖子」
藤花はチャットアプリを立ち上げ、黒紅から返事がないことを伝える。そして、夢のことを打ち込みかけて手を止めた。
菖子は、脱走騒ぎの一部始終を夢に見ているようだった。と言うことは、夢の後半部分についても知っている可能性が高い。
藤花は、はあ、と大きなため息をつく。
今日見た夢を菖子に話せば、必然的にその日に二人が初めて体の関係を持ったという話に辿り着くはずだ。
夢は夢、現実は現実。
藤花は、前世と今を切り離して考えている。
しかし、菖子の中では確実に繋がっている。
今日の夢をすべて話せば、面倒なことになる予感しかしなかった。
どうしたものかと考えて、「反省室の夢を見た」とだけ送ってベッドに腰掛ける。
実際は、反省室のシーンで夢が終わったわけではない。そこから先へと続き、淡藤と菖蒲がキスをしていた。
二人は、初めてキスをしたと言っていた。
藤花は、昨日、菖子に触れた唇を指先でそっと撫でる。
菖蒲がそうであったように、菖子にとっても初めてのキスだったはずだ。彼女の気持ちが自分にあると知っていながら、夢のトリガーが欲しくて唇に触れた。だが、夢を見た今、キスがトリガーだったと断言する自信がない。
理由は簡単だ。
前世の仲間と思われる黒紅からのメッセージ。
それもトリガーになり得るからだ。
藤花は、菖子が関わることで刺激的な状況が作り出されることが夢を見るきっかけになったと思っていた。しかし、前世に関係した人物であれば誰でも良い可能性もある。
昨日のメッセージは、藤花の感情を強く動かした。黒紅がきっかけになって夢を見てもおかしくないのではないかと思う。
藤花は、ごろりとベッドに横になる。
唇にもう一度触れる。
菖子から夢が見られたらまたキスをして欲しいと言われたことを思いだし、前髪をくしゃくしゃとかき上げた。
返事らしい返事はしていないが、菖子にねだられたらきっぱりと断ることができるかわからない。藤花は今、夢のせいか淡藤に引き寄せられている。菖子の唇の感触を思い出し、また触れてもいいのではないかと思っている。そして、そんな自分が信じられない。
菖子に触れると、藤花という人間が酷く頼りない存在になってしまう。淡藤という前世に体を乗っ取られてしまいそうな気がして、嫌になる。
藤花は体を起こし、ベッドから降りる。
ノートパソコンの電源を入れると、椅子に座った。
SNSにログインしても、黒紅からの返事はない。
何を見るわけでもなくネットの海に潜り、漫然と過ごす。
遅めの昼食を食べていると、反省室まで菖蒲が迎えに来た場面は夢に見なかったのかと菖子からメッセージが送られてきて、藤花は即座に「見なかった」と返事をした。
トーストを咀嚼して、胃に落とす。
オレンジジュースをごくりと飲む。
藤花は夢を思い返し、淡藤という人間が想像以上に無鉄砲で行動力があったことに驚く。問題を起こすことより、問題を避けることを選んできた藤花とはまったく別の人間だ。意思が弱いとまでは思わないが、淡藤のように脱走宣言をしてまで何かを成し遂げようとはしない。
だが、菖子は菖蒲と重なる部分がある。
菖蒲のような物腰が柔らかく大人びた雰囲気は持っていないが、二人の強引さはよく似ていた。夢を見ている本人なら、菖蒲と近いと感じる部分がもっと多くあるのかもしれない。
藤花は、ミニトマトを口の中に放り込む。
ハムを食べて、オレンジジュースを飲み干して、席を立つ。菖子から何通かメッセージが送られてきて、返事をする。昨夜、菖子から送られてきた補習のスケジュールから考えると、学校から解放されて家へ向かっている頃だろう。
食器を洗ってから、藤花は部屋へ戻る。
ノートパソコンの電源を入れてSNSをチェックすると、黒紅から返事が届いていた。
『最近、似たような夢を見ているので、淡藤さんの言う塔の仲間だと思います。超能力も使えます』
どくん、と心臓が鳴る。
目に入った“塔”と“超能力”という文字に、仲間かもしれないと藤花は思う。
黒紅に聞きたいことがたくさんあるが、相変わらず何から聞くべきかわからない。だが、早く何か送らなければと気が急く。
藤花は、ぱん、と頬を両手で叩いて、文字を打ち込む。
『どんな夢ですか? 超能力の種類も教えて欲しいです』
結局、ありきたりの文章になったが、すぐに黒紅からメッセージが届いた。
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